
私の現実を見ている視点
最近、自分が現実をどんな順番で体験しているのかを考えていた。
私の中では、こういう構造になっているように感じる。
現実
↑↓
感覚(五感)
↑↓
感情
↑
観測者(意識・在り方)
目の前で起きる出来事がある。
それを目で見たり、耳で聞いたり、身体で感じたりする。すると、その感覚に対して不安、安心、悲しみ、喜びなどの感情が生まれる。
そして感情は、次に現実をどう見るかにも影響する。
不安がある時には、同じ言葉でも冷たく聞こえることがある。
安心している時には、同じ出来事でも穏やかに受け取れることがある。
現実、感覚、感情は、互いに影響し合いながら循環している。
以前の私は、その循環の中で感情が揺れるたびに、自分の在り方まで揺れているように感じていた。
不安になれば、「私は不安定だ」と思った。
安心できれば、「やっと大丈夫になれた」と思った。
でも今は、少し違う見方ができるようになった。
不安や安心を感じていること。
その感情によって現実の見え方が変わっていること。
それらすべてを認識している視点がある。
その視点が、私の意識であり、私の在り方なのかもしれない。
感情は揺れる。
現実の見え方も変わる。
けれど、それを「いま不安が起きている」「いま安心を感じている」と見ている意識そのものは、感情と同じように揺れているわけではない。
私の在り方は、感情を安定させることではない。
そもそも私は、感情の揺れを観測している立場にいる。
不安も安心も、意識があるからこそ体験できるものだ。
そして、どんな感情が現れても、それを体験している「私が在る」ということは変わらない。
現実、感覚、感情が循環する世界の中で、私は今日もそのすべてを見ている。