
ブランドとは、誰のものなのか
Deep PurpleとJudas Priestに見る「音の核」が受け継がれる理由
はじめに――ブランドとは、誰のものなのか
ブランドとは、いったい誰のものなのでしょうか。
創業者のものでしょうか。現在それを担っている人たちのものでしょうか。それとも、そのブランドを長く愛してきた人たちの記憶の中にあるものなのでしょうか。
企業であれば、ブランドはロゴや商品名だけで成り立つものではありません。そこには、長い時間をかけて積み重ねられてきた信頼、期待、体験、そして「ああ、これがあのブランドらしさだ」と感じさせる何かがあります。
たとえば、中心人物が変わったとしても、そのブランドらしさが残っていれば、人はそこに連続性を感じます。一方で、名前やロゴだけが残っていても、そこに本来の魅力や緊張感が失われていれば、人はどこかで違和感を覚えます。
では、これはロックバンドにも当てはまるのでしょうか。
ブランドの定義――名前ではなく、記憶と意味である
マーケティングの世界でも、ブランドは単なる名前やロゴとは捉えられていません。
American Marketing Associationは、ブランドを「商品やサービスを識別するための、名前、用語、デザイン、記号、その他の特徴」と定義しています。つまり、ブランドにはまず「識別する」という役割があります。
さらに、ブランド研究で知られるKevin Lane Kellerは、ブランド・エクイティを「ブランド知識が、消費者のマーケティングへの反応に与える差異的効果」と説明しています。
少し言い換えるなら、同じような商品やサービスであっても、その名前を聞いた瞬間に、受け手の反応が変わる。その反応の差こそが、ブランドの力だと言えるのではないでしょうか。
ここで重要なのは、ブランドとは単に「名前があること」ではなく、「他と区別される意味があること」だという点です。
人がその名前を聞いたときに、特定の記憶、期待、感情、体験が立ち上がる。そこまで含めて、ブランドは成立するのだと思います。
そう考えると、ロックバンドもまた、ひとつのブランドだと言えるのではないでしょうか。
ただし、ロックバンドにおけるブランドは、企業ブランドよりもさらに生々しいものです。なぜなら、そこには演奏者の身体、声、技術、衝突、偶然、ライブの熱量が含まれるからです。
ロゴだけではない。名前だけでもない。音を聴いた瞬間に、過去の記憶や感情が一気に立ち上がる。
その意味で、Deep PurpleやJudas Priestのようなバンドは、単なる音楽グループではなく、長い時間をかけて形成された文化的なブランドでもあるのだと思います。
バンド名も、ひとつのブランドです。ただし、それは単なる商標ではありません。そこには、音があります。演奏があります。声があります。ライブの記憶があります。アルバムを初めて聴いたときの衝撃があります。そして、長年聴き続けてきたファン一人ひとりの人生の記憶があります。
だからこそ、メンバーが変わったとき、私たちは問わずにはいられません。
このバンドは、まだそのバンドなのか。何が残っていれば、その名前を背負い続けられるのか。そして、バンドの「核」とは、いったいどこに宿るのか。
今回考えたいのは、この問いです。
その題材として、私にとって非常に興味深い存在がDeep Purpleです。
Deep Purpleは、長い歴史の中で何度もメンバーを変えてきました。にもかかわらず、今なおDeep Purpleとして語られ、聴かれ、愛され続けています。
では、メンバーが変わっても、なぜDeep PurpleはDeep Purpleなのでしょうか。
私はこれを、「音の核が受け継がれる作品」と呼んでみたいと思います。
正確な音楽用語ではないかもしれません。けれど、メンバーが変わっても、時代が変わっても、聴いた瞬間に「ああ、これはあのバンドだ」と感じる。その不思議な感覚を表すには、この言葉がいちばん近いように思うのです。
Judas Priestが投げかけた問い
このことを考えるきっかけになったのは、Judas Priestのイアン・ヒルが、ロブ・ハルフォードや自身が引退した後もJudas Priestは続く可能性があると語った記事でした。
この発言は、Judas Priestを深く聴いてきたファンほど、簡単には聞き流せないものだと思います。
なぜなら、Judas Priestと聞けば、やはりロブ・ハルフォードの声を思い浮かべる方が多いからです。
私はDeep PurpleもJudas Priestも大好きです。ただ、音楽理論に詳しいわけではありません。音楽素人の私には、どうしてもボーカルの存在感が大きく聴こえます。
だからこそ、ロブ・ハルフォードの、天を貫くようなハイトーンボイスには圧倒されます。あの声は、まさに「メタル・ゴッド」の名をほしいままにしていると言ってよいのではないでしょうか。
もちろん、Judas Priestはロブ・ハルフォードだけのバンドではありません。グレン・ティプトンとK.K.ダウニングによるツインギター、イアン・ヒルのベース、スコット・トラヴィスのドラム、そして鋼鉄のような音像があってこそのJudas Priestです。
そして、Judas Priestの歴史を考えるとき、Tim “Ripper” Owens時代も避けて通れない重要な時期です。
ロブ・ハルフォードが一時バンドを離れていた時期に、Judas PriestはTim “Ripper” Owensを迎え、『Jugulator』と『Demolition』を発表しました。
この2作には、ロブ・ハルフォード時代とは異なる重さ、鋭さ、攻撃性があります。そして、その時代を大切に聴いてきたファンも確かにいます。
つまり、Judas Priestはロブ・ハルフォードの声によって強く象徴されるバンドでありながら、同時に、Tim “Ripper” Owens時代もJudas Priestの歴史の一部として存在しているのです。
HALFORDはJudas Priestなのか
ここで、もう一つ考えたいことがあります。
では、ロブ・ハルフォードのソロ・メタルバンドであるHALFORDは、Judas Priestなのでしょうか。
もちろん、そこには強烈な“Judas Priestらしさ”があります。ロブ・ハルフォードの声が鳴った瞬間、どうしてもJudas Priestの記憶が呼び起こされます。あの声には、それほどまでに強い象徴性があります。
私自身、HALFORDのコンサートに参加し、HALFORDの楽曲とJudas Priestの楽曲を同じ場で聴けたことがあります。その贅沢さは、今でも忘れられません。ロブ・ハルフォードの声を生で浴びるという体験は、メタルファンにとって特別なものだと思います。
ただ、それでもHALFORDはJudas Priestそのものではありません。
そこにはロブ・ハルフォードの魂があります。メタル・ゴッドとしての圧倒的な存在感があります。しかし、Judas Priestというバンドが持つツインギターの緊張感、鋼鉄のようなリフ、バンド全体で作り上げてきた歴史や音像とは、やはり別のものです。
ここが非常に面白いところです。
ロブ・ハルフォードがいなくても、Tim “Ripper” Owens時代のJudas PriestはJudas Priestの歴史の一部として存在しています。一方で、ロブ・ハルフォード本人が歌っていても、HALFORDはJudas Priestそのものではありません。
つまり、バンドの核は、特定の一人の声だけに宿るわけではないのです。
もちろん、ロブ・ハルフォードの声はJudas Priestを象徴する大きな要素です。その特別さを薄める必要はありません。ただ、その声だけでJudas Priestが成立するわけでもない。
個人の圧倒的な存在感と、バンド全体が積み重ねてきた音の歴史。その両方が重なったところに、Judas Priestというブランドの核があるのではないでしょうか。
ここまでJudas Priestを見てくると、ブランドとは単に「誰がいるか」だけで決まるものではないことが見えてきます。圧倒的な個人がいても、それだけではバンドそのものにはならない。一方で、その個人が不在の時代であっても、バンドの歴史として確かに刻まれることがある。
では、この問いをさらに別の角度から考えるとどうなるでしょうか。
個人の存在感だけではなく、メンバー交代、音楽性の変化、時代ごとのファンの記憶を含めてもなお、同じバンドとして受け止められてきた存在。そこで考えたいのが、Deep Purpleです。
Deep PurpleはなぜDeep Purpleであり続けるのか
Deep Purpleと聞いて、多くの方が思い浮かべるのは、いわゆる第2期のラインナップではないでしょうか。
ジョン・ロード、リッチー・ブラックモア、イアン・ペイス、ロジャー・グローヴァー、そしてイアン・ギラン。
このメンバーによるDeep Purpleは、やはり特別です。
「Highway Star」「Smoke On The Water」「Child in Time」「Lazy」などを思い浮かべるとき、多くの人の頭の中には、この第2期Deep Purpleの音が鳴っているのではないでしょうか。
なかでも「Smoke On The Water」のイントロは、ロックに少しでも触れたことがある人なら、一度は耳にしたことがあるはずです。エレキギターを買った方の多くが、初日にあのリフを練習したのではないでしょうか。
たった数音で、誰もが「あ、Deep Purpleだ」とわかる。これは、単なる有名曲というだけではありません。バンドの音が、時代を越えて人々の身体に刻まれているということだと思います。
ギターを始めたばかりの人が、最初にそのリフを鳴らしてみる。完璧に弾けなくても、あの響きが出た瞬間に、少しだけロックの扉が開く。その体験まで含めて、「Smoke On The Water」はDeep Purpleというブランドの記憶になっているのではないでしょうか。
そして「Highway Star」から始まる当時のイアン・ギランのシャウトは、やはり唯一無二です。単に高い声が出るという話ではありません。声の中に、若さ、荒々しさ、狂気、色気、そしてどこか壊れそうな危うさがある。あのシャウトを聴くと、理屈より先に体が反応してしまいます。
ただし、だからといって私は、「イアン・ギランがいないDeep PurpleはDeep Purpleではない」と考えているわけではありません。
むしろ、デイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズが加わった第3期も、ジョー・リン・ターナー期も、私は大好きです。それぞれの時代には、それぞれのDeep Purpleとしての魅力があります。
第2期には、第2期の鋭利な爆発があります。第3期には、ブルース、ソウル、ファンクの匂いをまとった、より肉感的なDeep Purpleがあります。ジョー・リン・ターナー期には、メロディアスで洗練されたハードロックとしての魅力があります。
つまり、私が考えたいのは「誰がいた時代だけが本物か」という話ではありません。
むしろ逆です。
これほどメンバーが変わり、音楽性も時代ごとに変化しているにもかかわらず、なぜ私たちはそれをDeep Purpleとして受け止めることができるのか。
そこにこそ、今回考えたい「音の核」があるのだと思います。
世界中から愛されるバンドだからこそ、Deep Purpleには様々な時代があり、それぞれの時代にそれぞれのファンがいらっしゃいます。『Machine Head』や『Made in Japan』の時代に強く惹かれる人もいれば、『Burn』や『Stormbringer』にDeep Purpleの別の魅力を見ている人もいるでしょう。スティーヴ・モーズ以降のDeep Purpleに、現在進行形のバンドとしての魅力を感じている人もいるはずです。
ここが、ブランド論として非常に面白いところです。
ブランドは、もっとも輝いていた時代だけで語られることがあります。けれど、本当に長く続くブランドは、その後の時代も含めて問われ続けます。
黄金期の記憶を背負いながら、別の時代にどう鳴るのか。中心人物が変わったときに、何が残り、何が変わるのか。ファンはどこまでを同じブランドとして受け止めるのか。
Deep Purpleは、まさにその問いを抱えながら続いてきたバンドだと思います。
メンバーが変わっても、バンド名が残っている。
しかし、名前だけが残っているわけではない。
そこには、Deep Purpleとして聴こえる何かがある。
私はそこに、今回のテーマである「音の核」があるように思います。
Rainbowとの違いから見える「バンドの正体」
ここで、比較対象としてRainbowにも触れたいと思います。
もちろん、Rainbowは単なるDeep Purpleの派生ではありません。リッチー・ブラックモアが自身の美学をより濃く押し出した、独立した偉大なバンドです。
ロニー・ジェイムス・ディオの時代、グラハム・ボネットの時代、ジョー・リン・ターナーの時代。それぞれに強烈な魅力があります。
そのうえで、Deep Purpleとの違いを考えることには意味があると思います。
Rainbowには、リッチー・ブラックモアがいます。ジョー・リン・ターナーもいます。ドン・エイリーやロジャー・グローヴァーのように、Deep Purpleと関係の深い人物もいます。
しかし、RainbowはDeep Purpleではありません。
これは、Rainbowが劣るという話ではまったくありません。
むしろ、RainbowにはRainbowの核があります。様式美、幻想性、ドラマ性、リッチー・ブラックモアの美学が濃く反映された世界があります。
一方で、Deep Purpleはもう少しバンド全体が荒い。
リッチー・ブラックモアの美学だけではなく、ジョン・ロードのオルガン、イアン・ペイスのドラム、ボーカルの個性、ライブでの即興性がぶつかって、予測不能な塊になる。
Rainbowは、リッチー・ブラックモアの物語に近い。Deep Purpleは、複数の強烈な個性がぶつかり合う場に近い。
この違いが、非常に大きいように思います。
だからこそ、リッチー・ブラックモアがいてもRainbowはDeep Purpleではなく、リッチー・ブラックモアがいなくてもDeep PurpleはDeep Purpleであり続けることができるのではないでしょうか。
ここに、バンドというブランドの不思議さがあります。
ブランドの核は、必ずしも一人の人物だけに宿るわけではありません。ただし、誰がいてもよいという話でもありません。
個人の才能がぶつかり合い、時間をかけて生まれた空気や緊張感が、いつしかバンド名そのものに宿る。
それが、Deep Purpleという存在の面白さなのだと思います。
「音の核が受け継がれる作品」という考え方
では、Deep Purpleの「音の核」とは何でしょうか。
私なりに言えば、それは、整いすぎない知性を持った、暴走寸前のハードロックです。
Deep Purpleは、単に音が大きいとか、速いとか、ギターがうまいとか、シャウトがすごいというだけのバンドではありません。
そこには、どこかクラシック的な構築美があります。ジョン・ロードのオルガンには教会音楽やクラシックの匂いがあり、リッチー・ブラックモアのギターにも中世音楽やクラシカルな旋律の感覚があります。
しかし、それが上品なままで終わらないのです。
そこにイアン・ギランの裂けるようなシャウトが入り、イアン・ペイスの異様にキレのあるドラムが走り、ロジャー・グローヴァーのベースがうねる。すると、知性や構築美が一気に火を噴く。
ここがDeep Purpleらしさだと思います。
つまり、Deep Purpleの核は、「クラシック的な品格」と「ロックの野蛮さ」が、きれいに融合しているところではありません。
むしろ、ぶつかり合っているところにあるのではないでしょうか。
Deep Purpleは、完成された建築物というより、いまにも崩れそうな巨大な城のようなバンドだと思います。美しい柱がある。荘厳な装飾もある。けれど、その中で火薬が爆発している。
だから怖い。だからかっこいい。
特に第2期のDeep Purpleは、その緊張感が異常です。リッチー・ブラックモアのギターとジョン・ロードのオルガンは、単なる伴奏関係ではありません。どちらかが主役で、どちらかが支えるというより、互いに主導権を奪い合っているように聴こえます。
そこにイアン・ギランの声が乗ると、バンド全体が一気に危険なものになる。
ただ、ここで大事なのは、Deep Purpleらしさは第2期だけに閉じていないということです。
第3期になると、デイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズによって、ブルース、ソウル、ファンクの要素が強くなります。第2期の鋭利な爆発とは違います。
けれど、やはりDeep Purpleです。
なぜなら、そこにも「演奏者同士が押し合い、引っ張り合いながら、バンド全体が熱を持っていく感覚」があるからです。
だから、私にとってDeep Purpleの本質は、特定の一人ではありません。
もちろん、リッチー・ブラックモアは巨大です。イアン・ギランのシャウトも唯一無二です。ジョン・ロードのオルガンもDeep Purpleの象徴です。イアン・ペイスのドラムがなければ、あの疾走感は出ません。
その特別さを薄める必要はありません。
ただ、Deep PurpleがDeep Purpleになる瞬間は、誰か一人が目立った瞬間だけではなく、全員の個性がぶつかって、少し制御不能になった瞬間だと思うのです。
特にライブ盤を聴くと、その感覚がよくわかります。
Deep Purpleのライブは、単にスタジオ音源を正確に再現する場ではありません。曲の骨格はありながらも、その場の熱によって演奏が伸び、揺れ、時には暴れ出します。
リッチー・ブラックモアのギターソロは、まるでジャズのライブにおける即興演奏のように炸裂します。決められたフレーズをなぞるというより、その場で何かを探り、切り裂き、バンド全体を別の場所へ連れていくような迫力があります。
そこにジョン・ロードのオルガンが応戦し、イアン・ペイスのドラムがさらに加速させ、ロジャー・グローヴァーのベースが全体を支える。そして、その上にイアン・ギランの声が乗った瞬間、Deep Purpleは単なるハードロックバンドではなく、巨大な即興の火の玉のようになります。
もちろん、Deep Purpleはジャズバンドではありません。けれど、ライブ盤に刻まれている緊張感や即興性には、ジャズの名演にも通じるような「その日、その瞬間にしか生まれない音」があるように思います。
だから、Deep Purpleの本質は、単に名曲を演奏することだけではないのだと思います。
メンバーそれぞれの個性がぶつかり合い、予定調和を少しはみ出しながら、それでもバンドとして崩れ切らない。その危うい均衡こそが、Deep PurpleがDeep Purpleになる瞬間なのではないでしょうか。
ですので、私なりに定義するなら、Deep Purpleとは、クラシックの知性、ブルースの泥臭さ、ハードロックの爆発力、ライブの即興性が、危うい均衡で鳴っているバンドです。
そして、その危うさこそが、Deep PurpleがDeep Purpleたるものだと思います。
綺麗に管理されすぎていない。でも、ただ雑なのではない。知的なのに、野蛮。荒々しいのに、品がある。古典的なのに、妙に生々しい。
この矛盾した要素が同時に鳴っているから、メンバーが変わってもDeep PurpleはDeep Purpleであり続けるのではないでしょうか。
変わりながら続くことの難しさ
これは、Judas Priestにもつながる話です。
ロブ・ハルフォードの声は、あまりにも強烈です。あの天を貫くようなハイトーンボイスが、Judas Priestというバンドに与えた意味は計り知れません。だからこそ、ロブ・ハルフォードの存在を抜きにしてJudas Priestを語れないという感覚は、とても自然なものだと思います。
しかし、Tim “Ripper” Owens時代が示しているように、Judas Priestはロブ・ハルフォードの声だけに閉じたバンドでもありませんでした。
そして、HALFORDが示しているように、ロブ・ハルフォード本人が歌っているからといって、それがそのままJudas Priestになるわけでもありません。
ここに、長く続くバンドの難しさがあります。
メンバーが変わってもよい。時代に合わせて変化してもよい。新しい演奏者が入ってもよい。それ自体は悪いことではありません。
ただ、その過程で、音の核まで失われてしまったとしたら、そこには別の難しさがあるように思います。
名前だけが残る。ロゴだけが残る。過去の名曲だけが消費される。
けれど、そこにバンドが本来持っていた緊張感、実験性、危うさ、音の衝突がなくなっているとしたら、それは本当に同じバンドと言えるのでしょうか。
ここに、語り継がれる作品の難しさがあります。
ブランドも同じです。
名前を残すことと、核を受け継ぐことは同じではありません。伝統を守ることと、過去を固定することも同じではありません。
本当に受け継ぐとは、ただ同じ形を保存することではなく、そのブランドが人々に与えてきた感覚や問いを、次の時代にもう一度鳴らすことなのではないでしょうか。
ハードロックのバンドも、同じなのかもしれません。
同じメンバーであり続けることだけが継承ではない。けれど、名前だけを残すことも継承ではない。
そのあいだにある、音の核をどう受け渡すのか。
そこに、Deep PurpleやJudas Priestのような偉大なバンドが投げかける問いがあるのだと思います。
私なりの結論――ブランドとは、受け継がれる核である
私なりの結論としては、Deep PurpleをDeep Purpleたらしめているものは、特定の一人のメンバーではなく、受け継がれてきた「音の核」なのだと思います。
もちろん、リッチー・ブラックモアは特別です。ジョン・ロードも特別です。イアン・ギランも、イアン・ペイスも、ロジャー・グローヴァーも特別です。
その特別さを薄める必要はありません。
同じように、ロブ・ハルフォードの存在も特別です。あの天を貫くようなハイトーンボイスが、Judas Priestというバンドに与えた意味は計り知れません。
ただ、特別なメンバーがいたからこそ生まれた音が、いつしか個人を越えて、バンド名そのものに宿っていくことがあります。
それが、語り継がれる作品なのではないでしょうか。
語り継がれる作品とは、変わらない作品ではありません。変わりながらも、どこかで「ああ、これはあの音だ」と感じさせる作品なのだと思います。
その意味で、Deep Purpleは、ハードロックにおける「音の核が受け継がれる作品」の代表例なのではないでしょうか。
そしてJudas Priestもまた、同じ問いを私たちに投げかけているのかもしれません。
バンドとは誰のものなのか。
名曲とは誰のものなのか。
ロゴとは誰のものなのか。
そして、音の核は、どこまで次の世代に受け渡せるのか。
ここで、最初の問いに戻ります。
ブランドとは、いったい誰のものなのでしょうか。
私なりに考えると、ブランドとは、創業者だけのものでも、現在の担い手だけのものでも、過去の名作だけのものでもありません。
もちろん、それを生み出した人たちへの敬意は欠かせません。最初に火をつけた人、時代を作った人、名前に意味を与えた人たちがいなければ、ブランドは生まれません。
しかし、ブランドはそこで止まるものでもないのだと思います。
それを受け取った人たちがいる。
聴き続けた人たちがいる。
語り継いだ人たちがいる。
別の時代に、もう一度鳴らそうとした人たちがいる。
その積み重ねの中で、ブランドは個人の手を離れ、時代の中に残る「核」になっていくのではないでしょうか。
だから、ブランドとは名前そのものではありません。ロゴそのものでもありません。ましてや、過去の栄光だけでもありません。
ブランドとは、変化の中でも失われずに残る核です。
それを愛してきた人たちが、時代を越えてなお感じ取ることのできるもの。
メンバーが変わっても、形が変わっても、どこかで「ああ、これだ」と感じさせるもの。
そして、変わったからこそ、もう一度その意味を問い直されるもの。
Deep PurpleがDeep Purpleであり続ける理由は、まさにそこにあるのだと思います。
ハードロックの歴史は、単なる懐メロではありません。
それは、個人の才能が、どのようにして時代の器へ変わっていくのかを教えてくれる文化史でもあります。
そして、ブランドとは何かという問いに対する、ひとつの答えでもあるのです。
ブランドとは、過去を固定するものではない。
ブランドとは、名前だけを守るものでもない。
ブランドとは、変わりながらも受け継がれる核である。
Deep PurpleやJudas Priestの音を聴いていると、私はそんなことを考えてしまうのです。
主な参照元
・American Marketing Association
「Branding」
https://www.ama.org/topics/brand-and-branding/
・Kevin Lane Keller
「Conceptualizing, Measuring, and Managing Customer-Based Brand Equity」
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/002224299305700101
・Ultimate Classic Rock
「Judas Priest Without Classic Members? ‘Nobody Is Irreplaceable’」
https://ultimateclassicrock.com/judas-priest-lineup-nobody-irreplaceable/
・Judas Priest公式サイト
「Jugulator Press Release」
https://www.judaspriest.com/biog/jugulator.asp
・Judas Priest公式サイト
「News 2003」
https://judaspriest.com/news/news2003.asp
・Rock & Roll Hall of Fame
「Judas Priest」
https://rockhall.com/inductees/judas-priest/
・Rock & Roll Hall of Fame
「Deep Purple」
https://rockhall.com/inductees/deep-purple/
・Deep Purple公式サイト
「Simon McBride Joins Deep Purple」
https://deeppurple.com/blogs/news/simon-mcbride-joins-deep-purple
・Louder / Classic Rock
「Smoke On The Water by Deep Purple: The Story Behind The Song」
https://www.loudersound.com/bands-artists/deep-purple-smoke-on-the-water
・Louder / Classic Rock
「Deep Purple: Machine Head album review」
https://www.loudersound.com/music/albums/deep-purple-machine-head
・Doogie White公式サイト
「Ritchie Blackmore's Rainbow History」
https://www.doogiewhite.com/ritchie-blackmore-rainbow-history.htm
・Victor Entertainment
「HALFORD / LIVE INSURRECTION」
https://www.jvcmusic.co.jp/halford/disco/61350/
・Ultimate Classic Rock
「When Rob Halford Began His Metallic ‘Resurrection’」
https://ultimateclassicrock.com/halford-resurrection/