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白線の外の正義の使者

    初夏の陽気の中、車窓からふと眺めたその光景は、さながら「危うい隊列の行進曲」だった。
    歩道を埋め尽くすのは、黄色い帽子を被った微笑ましい20名ほどの低学年たち。彼らは先生の指導などどこ吹く風。隣の友人と昨日見たアニメの話や、今日の給食の予想で盛り上がっているだろう集団は、独自のリズムで揺れ動いている。
    先頭には、まだ靴の底が真新しい新人の女性教員。彼女は「指導者」を演じようと必死に背筋を伸ばしているが、その表情には早くも「先輩の背中」という巨大な壁に押し潰されそうな悲哀が漂う。一方、最後尾には30代半ばの男性教員は、何やら疲れを滲ませた背中で隊列を死守していた。
    そして、今回の主役その隊列の真ん中。
    30代後半くらいか一人の女性教員が、軍曹のような形相で声を張り上げている。新人の分隊長、中年の兵団長、そして鬼軍曹といったところか。
    「はいっ! 列を乱さない! 車道側は危ないから離れて!」
    彼女は深く被ったキャップのツバの下から、鬼の形相でそう叫ぶ。全身を包む長袖ジャージは、わずかな紫外線さえも許さないという強い意志の表れ。
    しかし、その足元はあろうことか
    白線の外側、つまり車道の上だ。
    大声を張りすぎたのか日々声を荒げているからなのか、彼女のハスキーな声が、日焼け防止の完全装備を潜り抜け、周囲に響き渡る。
    私はハンドルを握りながら、思わず苦笑した。彼女は「安全」という正義を叫べば叫ぶほど、自らの立ち位置によって説得力を物理的に喪失している。
    先頭の新人教員は、その姿をチラリと見ては「先輩、そこは危ないです……」と喉元まで出かけた言葉を、先輩特有の「私が手本を見せてあげる」という強烈な圧に押され、冷や汗と共に飲み込んでいるようだ。
    一方、最後尾の男性教員は、張り切って叫び続ける彼女の背中を、冷ややかな視線で見つめている。
    その瞳には「また始まったか、あの自己満足な指揮が」という疑念と、彼女の暴走を止めようともしない諦念が混ざった冷たい温度が宿っていた。(いずれも私の勝手な妄想だが。)
    そんな中、隊列の途中にいた一人の児童が、ふと足を止めた。
    彼女は首を傾げ、必死に叫んでいる女性教員を不思議そうに眺めている。
    (……ねえ先生、先生の方が危なくない?)
    言葉には出さないが、その無垢な瞳がそう問いかけていた。
    子供は野生の勘で知っているのだ。
    言葉の強さよりも、どこに立ち、どう振る舞うかという「行動」こそが、その人の本質であることを。
    懸命に叫ぶほどに、彼女の指導は空回りし、周囲との温度差は広がるばかり。
    まるで「安全」という看板を掲げながら、その看板の重みで自ら沼に沈んでいるようなものだ。
    彼女なりに、児童への安全指導と若手を育てようという責任感を両立させようと奮闘しているのは伝わってくるのだが、いかんせん視野が帽子のつばよりも狭い。
    私は信号が変わるのを待つ間、心の中でそっと呟いた。
    「先生、まずは歩道に上がりましょう。それが何よりの安全指導ですよ」
    車が動き出し、追い抜きざまに見えた彼女の顔は、日光と熱意でさらに紅潮していた。今日もまた、滑稽でどこか憎めない人間模様が、
    この街の片隅で照らされる。

     
     
    リスクマネジメント職の傍ら、3人の娘に恵まれ、ダウン症の次女との出会いを機に「すべての子どもが輝ける未来」を願い福祉事業を設立。仕事、育児、そして日本、日本人とは一体なんなのかという問いと私のウォシュレット哲学、世界観、哲学を綴るエッセイや小説をお届けします。

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