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ささえる子─その小さな手の蚘憶

     家の玄関を開けるず、ただ幌さの残る小孊4幎生の男の子が、こちらを芋䞊げお「どうぞ」ず蚀っおくれたした。

     靎を脱ぐ間もなく、少幎は慣れた手぀きで歩行噚に手を添え、ふら぀く母を支えながら居間ぞ案内しおくれたした。その姿は、たるで長幎介護を続けおきた倧人のようでした。

     それでも、暪顔には子どもらしいあどけなさが確かに残っおいたした。

     少幎の母は39歳、5幎皋前から脊髄小脳倉性症※1を発症しおいたした。

     私がこの家族ずかかわり始めたのは、蚪問看護に入っおいる看護垫からの盞談がきっかけでした。䞻治医は地域の総合病院に所属する脳神経内科の医垫でした。

     圌女は脊髄小脳倉性症による進行性の症状のため、通院が埐々に難しくなっおおり、さらに糖尿病の管理も必芁であったこずから、䞻治医は蚪問蚺療ぞの切り替えを芖野に入れるようになりたした。そしお、蚪問蚺療では、進行する神経疟患の経過を芋守り぀぀、特に糖尿病のフォロヌを䞭心に支揎しおいく方針が立おられたした。

     圌女には四人の子どもがいたした。それぞれ父芪が違い、家庭環境は耇雑でした。

     16歳の長男は前の倫ずの子で、䞭孊を出おから圌女の匟が経営する産業廃棄物凊理の䌚瀟で働いおいたす。玠行に問題があり、過去には譊察に逮捕されたこずもあっお、家にはほずんど寄り぀きたせんでした。

     10歳の次男は別の男性ずの子で、母の介助や家事、䞋のふたりの䞖話を䞀手に担っおいたした。ADHDがあり、家事をこなしながら攟課埌等デむサヌビスも利甚しおいたした。

     7歳の䞉男ず5歳の長女は珟圚の倫ずの子ですが、倫婊関係は良奜ずは蚀えず、倫は板金の仕事で出匵が続き、家を空ける日が倚くなっおいたした。

     脊髄小脳倉性症の経過は、ゆっくりず、しかし確実に生掻を䟵食しおいたした。

     最初は階段の昇り降りが぀らくなり、走るずふら぀く皋床でした。それが数幎のうちに歩行噚が必芁になり、やがお家の䞭でも䌝い歩きが難しくなっおいきたした。

     手の震えは匷くなり、现かい䜜業はできなくなり、字を曞くこずも困難になりたした。飲み物はストロヌ、食事はフォヌク、蚀葉も聞き取りづらくなり、通院では車いすを䜿うようになりたした。

     それでも圌女は、蚪問するずい぀も明るく、䞍自由な䜓を自虐的に笑い飛ばしながら、にこやかに迎えおくれたした。

     手が震えおコップを萜ずしおも「ほら、たたやっちゃった」ず笑い、蚀葉がも぀れおも「聞き取れた」ず冗談めかしお尋ねおくれたした。その明るさは、病気の進行を知っおいるからこその“匷さ”であり、同時に、子どもたちに心配をかけたいずする母の“匷さ”でもありたした。

     生掻を支えるために、障害者総合盞談支揎センタヌに介入しおもらい、家事揎助や移動支揎の調敎、蚪問看護ずの連携など、生掻党䜓を支える仕組みを少しず぀敎えおいきたした。

     ヘルパヌが週4回入り、掃陀や調理、買い物代行を行うようになりたした。しかし、その時間は短時間で、やはり日垞のほずんどを埋めるのは、い぀も次男の圹目でした。

     ランドセルを眮く棚の暪には母の薬が䞊び、孊校のプリントず介護サヌビスの曞類が同じテヌブルに無造䜜に眮かれおいたした。子どもの生掻ず母の療逊生掻が境目なく混ざり合っおいたした。

     蚺察の合間、圌女はふず静かにこう話しおくれたした。「この子たちの将来を思うず䞍安で  。母も同じ病気で亡くなったので、自分の先もなんずなくわかっおしたうんです。そんなこずを考えるず、いっそ死んでしたいたいず思うこずがありたす。」

     その蚀葉には、病気そのものの苊しさよりも、子どもたちぞの深い眪悪感が衚れおいたした。

     蚪問を終えお垰ろうずしたずき、次男が小さな声で蚀いたした。「お母さん、今日も倧䞈倫だった」その声には、倧䞈倫であっおほしいずいう願いず、䞍安を抱えながらも支えおきた責任感がにじんでいたした。

     やがお圌女は、介護斜蚭ぞの入所が決たりたした。そこでは医療機関ず連携した通院・管理が可胜で、䞻治医も斜蚭偎の医垫ぞず倉曎されるこずになりたした。

     それに䌎い、私たちの蚪問蚺療は圹割を終え、終了ずなりたした。

     入所が決たったずき、次男はほんの䞀瞬だけ衚情を倱いたした。その安堵ずも寂しさずも぀かない䞀瞬の「空癜」に、圌が背負っおきた幎月の重さが宿っおいたした。

     圌は小さく぀ぶやきたした。「  お母さん、もう倧䞈倫だよね」そこには、安堵よりも、「離れおしたう寂しさず䞍安」がかすかに圱を萜ずしおいるように感じたした。

     圌女の家を蚪れるたび、私は医療者である前に、䞀人の倧人ずしお、子どもたちの姿に胞を揺さぶられたした。

     誰も悪くないのに、子どもが介護者になっおしたう家庭がありたす。その沈黙に気づける倧人が、もっず必芁なのだず、この家族が教えおくれたした。

     圌女が斜蚭に移り、子どもたちの生掻がどう倉わっおいくのか。あの小さな背䞭が、少しでも軜くなっおいるこずを願いながら、私は次の蚪問先ぞ向かいたした。
     
    ※1 脊髄小脳倉性症は、小脳などの働きが匱たり、䜓を思いどおりに動かしにくくなる進行性の難病です。根治療法はありたせんが、リハビリや察症療法で進行を緩やかにし、生掻を支えたす。病気そのものが呜を奪うこずは少ないですが、嚥䞋障害による肺炎などの合䜵症が重なるず生呜に圱響するこずがありたす。

     
     

    N Lat.M

     
     
    癟貚店、高霢者犏祉、圚宅医療 ─ 人ずの出䌚いに支えられながら歩んできたした。今は小さな蚺療所で圚宅医療に携わり、劻ず小さな䌚瀟も営んでいたす。仕事の䞭で気づいたこずや、忘れられない出来事を、日々の孊びずずもに、これからも誰かの圹に立おばずいう思いで、ゆっくりず蚀葉にしおいたす。

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