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Photo byinagakijunya

体育が嫌いすぎて大人になってから泣いた

    もうこれで終わったんだ......。
    そう気付いた途端、悲しくもないのに不思議と一筋の涙が頬をつたっていた。

    ・運動と僕

    僕は幼い頃から運動をするのが苦手でした。
    所謂運動音痴と呼ばれるもので、小さい頃から身体を動かすことに苦手意識がありました。
    だからといって一人で部屋に籠っているのはつまらなく感じていたので、休みの日は一人で外出をして近所の空き地の地面を這う蟻の行列をただ見つめたり、高台の公園にあるベンチに座って長時間町を眺めてたりしていました。

    そんな中、たまに近所の同学年の少年たちに遊びに誘われることもありました。
    しかし僕とは違って彼らは活発で血沸き肉踊りまくっているので、遊ぶときは人数が大幅に足りないので守備でやたらと走らされる野球か、こちらもまた人数が足りないので味方チームも敵チームも一つの同じゴールに向けてシュートを打ちまくるルールの崩壊したサッカーのどちらかでした。
    もちろん僕はスポーツに慣れ親しんでいないので、バットを振ってもボールに当てられたことはありません。またサッカーでパスをするときも、蹴ればいつも必ず誰もいない明後日の方向にボールが飛んでいくので、僕がボールを持つとすぐに敵チームが光に群がる大量の虫のようにボールを奪いに来ました。
    そうやって友達と遊んでいるうちに、自然と身体の使い方やコツを覚えてそれなりにできるようになっていく子供もいるとは思うのですが、僕は不器用なので何度やってもバットにボールは当たらなかったし、蹴ったボールが思うような方向に飛んでいくことはありませんでした。

    そんな僕の向上することのない身体能力を見て一緒に遊んでいた子たちは徐々に見限るようになりました。
    野球をするときは「バッターボックスで何をしているのか見えたら視力3.0!」というくらい凄く遠い奥の外野ポジションで球拾いばかりやらされるようになったし、サッカーをすれば味方チームの「コイツにボールを回したら敵に必ず捕られるから絶対にパスすることはない!」という強い意思を感じながら、僕はやっているフリをしながらただただコートをシャトルランのように往復するだけでした。

    だけど僕は、あの年頃の少年たちが運動ができない友人に対して、そうやって雑な扱いをすることは幼い頃の出来事であるし仕方なかったと思います。まぁ自分はそんな扱いをしない自信はあるけどねっ!
    僕の低い運動能力を知りながら、週末になると遊びに誘ってくれたのはやはり嬉しかったし、野球やサッカーはするまでは面倒くさかったしボールが回ってくることは少なかったけれど、いざやってみるとそれなりに楽しめてもいました。
    でも同時に「こんなにも毎回野球かサッカーばかりでコイツらは飽きるということを知らないのか......」と彼らのボール競技への執着に呆れを通り越して恐怖を感じていたのも事実です。

    そんな風に僕は何をしても上手くできなかったので、スポーツに対してどこか夢中になれないところがあり、身体を動かすことと自分の間にも距離を感じていたので、成長期になっても運動能力が向上することはありませんでした。
    自分ではやる時に頭の中で理想の走り方や投球ホームやバッティングホームを思い描いてみるのですが、それを身体で表出させる段階になると、その動きは理想像とはかけ離れ、見えない糸で操られたマリオネットのようなカクカクとしたぎこちない動きに仕上がっていました。そのチグハグな運動は周囲に一抹の不安と恐れを感じさせていたに違いありません。

    だから僕は、いまだに飛んできたボールにバットを振って当てることができない自信がありますし、たまたま当たったとしても足元をコロコロ転がるゴロような弱さでしか打ち返せません。
    人生でバットにボールを当てられた回数は数えるくらいしかないはずです。おそらく両手を使えば数え切れるでしょう。でも悲しくなるのでそんなことはしません。
    本当に自分ができなさすぎるので、プロ野球選手が豪快にスイングしてホームランを打ってスタンド席にボールを叩き込む映像を見ても、それが魔法みたいなので現実に起こっていることなのかとイマイチ信じられません。
    そもそも僕のスイングするバットからあんな大きくて気持ちの良い「カーンッ!」という音が鳴ったことがないので、おそらく映像に合わせて「カーンッ!」という音を入れているんじゃないかと疑っています。あれはあやしい匂いがプンプンします。
    そういえば昔、オリエンタルラジオが武勇伝のネタ中に「カッキーン!」と叫んでいたのは、野球のバッティングはフェイク動画であるという運動ができない我々へのメッセージなのかもしれないと思えてきました。あっちゃん、カッコいいー!!

    休日に遊びで身体を動かすときは、自分がしんどくてやめたければいつでもやめられるということもあって何も辛いということはありませんでした。
    しかし学校の体育となると話は別です。
    それぞれの運動能力にタイムなどの数値を無理矢理に付けて曖昧なものをハッキリさせ、さらにその数値によってクラスメイトや他校の同学年の生徒と競争意識を持たせるように子供たちに仕向け、運動音痴にとっては身体能力は今すぐ改善できることではないので、僕らになすすべもなく劣等感と絶望感を残酷に叩き込む恐怖の教育システム、それが体育でした。
    今であれば、YouTubeでちょっと調べれば身体の動かし方や使い方のコツが分かるのですが、当時の体育教師たちの不得意な子供への指導法は「頑張りが足りない!」とか「もっと真面目にやれ!」とかざっくりとしたものばかりで、言われているこちらとしては「一生懸命真面目にやってコレなんだわ!」としか思いようがありませんでした。
    というか体育教師って体育教師って呼ばれている割に、どうしてできない子供に対して身体の使い方とかやり方を具体的に教えずに「もっとできる!」とか「怠けんな!」とか、ただただマインドに訴えかけてくることしかしないのでしょうか? これは僕がいた地域に限定された話なのだろうか。
    体育教師がお粗末だったこともあり、運動ができない僕が体育を嫌いになるのは必然でした。


    ・中高体育での忘れられない思い出

    体育にまつわることで嫌な思い出はたくさんあります。

    それは中学一年のある日の体育の時間でした。
    その日の体育は、クラス全員で運動場を十五周走って、走り切ったタイムを計測するという内容だったのですが、短距離もロクに走れないものにとって長距離を走ることは苦行としか言いようがありません。
    確かに短距離を速く走る能力があれば、売り切れる前に人気の焼きそばパンを購買にダッシュで買いに行くときや、運動場に入ってくきた野良犬を瞬時に捕まえるときに活かされそうなものですが、長距離は一体何に有効活用されるのかさっぱり分かりませんでした。
    例えば、歩いていて角を曲がったときに急にどこかで見たことのあるピエロが立っていて、僕を見るやいなやピエロが「I'm lovin' it!!」と叫びながらソーセージエッグマフィンを無理矢理口に捩じ込もうと襲いかかってくるシチュエーションがあれば、長距離を走る能力を使って近くマックまで逃げてエリアマネージャーにピエロを捕獲してもらわなければならないのですが、そんなことは起こり得ないし二個までなら頑張って食べます。
    しかしそうやって心の中で走りたくない理由をいくら思おうと、やはり授業であるので持久走はしなければなりません。
    だから僕は「どうせやるしかないのであれば一生懸命に取り組むか……」と覚悟を決めて、ゼェゼェと息を切らしながら死に物狂いで運動場十五周を走り切りました。
    走り終わると運動神経もないし長距離を走り慣れてもいないのでクラスで最下位になってしまったのですが、僕は途中で諦めずに最後まで走り切れたことに達成感を感じており、やり遂げた自分自身を褒めたい気分になっていました。
    その日の放課後、満身創痍になった身体を引きずりながら部活動に行くと、僕の姿を見るとすぐに先輩がニヤニヤしながらこちらに向かってきました。
    そして先輩は今にも笑いそうな表情を我慢しながら、こう言ってきたのです。
    「体育の授業で一番後ろ走ってたなぁ〜? 授業中に教室の窓から見てたでぇ」
    うぉーーいっ!! デリカシーのないことをヘラヘラしながら言ってくるんじゃねーー!! こっちは疲れてるけど割と良い気分だったんだぞ!! 害してくんじゃねー!! 前だけ見て授業受けてろーーー!!
    その先輩は僕とは違って運動のできるタイプだったのですが、運動ができる人って何気ない言動で運動ができない子の心を容赦なく抉ってきませんか? 自分はできるからいいかもしれないけれど少しでも想像しろーーー!!
    できるものからしてみたら何気ないことなのかもしれないのですが、運動音痴からしてみると「どうしてそんな酷いこと言ってくるの? あなた、人の皮を被った鬼? マダ節分ジャナイヨ...」と悲しくなることは他にもありました。

    それは高校の体育で、その日はクラス対抗の野球をやっていました。
    前述した通り、僕はバットにボールを当てることができません。僕の運動音痴はもはや同学年の生徒であれば周知の事実でした。
    どうしてそんなことが学年中に広く知れ渡っていたのかは不明なのですが、おそらく僕のいないところで「アイツは犬を二匹も飼っているのにボールを投げることもままならない」とか「そもそもどちらがバットで、どちらがボールかを分かってない」とか触れ回っていたに違いありません。そんなことでもなければ知れ渡るはずがありません。どっちがバットかぐらいは分かるわい! 
    「今度こそ必ず打てるはず.....」と心の中で念じながら僕がバッターボックスに入ると、すぐに敵チームの内野守備の全員が「前、前、前ぇえ〜!」と叫びながら前進してきました。奇跡が起きてボールを打てたとしても地を這うような弱い打球になるのは決まっているからです。あまりに前進してきたので守備の一人はキャッチャーを超えてその後ろのバックネットにめり込んでいました。そんな気がします。
    僕は「そんなに露骨にやらなくてもいいじゃん」と悲しくなって、次に「こんなことが許されていいんですか!?」と思ってベンチに控える味方チームのクラスメイトの方をパッと振り返ったのですが、どうせ僕がアウトになるのは確定しているので、彼らは僕に一切興味を示さずに綺麗な青空と白い雲を見上げて気持ちの良い昼の陽気を堪能していました。やりきれなさすぎます。
    敵チームの姑息なプレイと味方チームの心無い態度に深く傷ついた僕ができることはたったひとつでした。
    僕が出来る唯一のこと、それはバットを振らないことです。
    バットを振ってもどうせボールに当てることができないのであれば、いっそ打たずに前進してきたことを無意味にしてやるしかありません。
    ピッチャーが投げたストライクボールが三球、綺麗にキャッチャーミットに収まる間、僕は傷つけられた心を隠すように堂々と胸を張りながら「当たらないんじゃない、あえて当てていないんだ」という顔を作ってやり過ごしました。
    味方全員が空を見上げていて、全く目視することができなかった幻の見逃し三球は、その後に伝説となって「江夏の21球」ならぬ「ええ夏の肉球」(気持ちええ夏日和。雲が猫の肉球の形をしていてめっちゃ可愛かったの略)と呼ばれるようになったとか、なってないとか、そもそもただの三振だから誰も覚える気もないとか。

    そして一番忘れられないのは、高校三年の春に体力測定が行われていた時、体育教師がポツリとつぶやいたある一言でした。
    50m走や高跳びなどを一人ずつ行なってそれぞれの記録を測定していくのですが、僕の心を深く傷つけた出来事は走り幅跳びの最中に起こりました。
    走ることも上手くできない僕にとって、走りつつもその先にあるラインを見据えながら歩幅を合わせて、さらにラインを超えないように気を付けつつ踏み込み、全力でなるべくより遠くに飛ぶ、なんて至難の業すぎます。同時に何個のことに注意しなければいけないんですか? マルチタスクが過ぎます。
    でも僕は、運動場十五周を走り切った時と同じように「結果が伴わなくてもやるからには今できることを精一杯やろう!」と決心を固めて全力で走り幅跳びに挑むことにしました。
    「走り出し、まぁ順調だぞ...…あれ、なんか、歩幅が合いそうにないな......いや、でも失速するのも飛距離がでなさそうだな。あれ、そういえば右足で踏み込むんだっけ? 左足だっけ? え、ちょっと、右と左が分からなくなってきたな、ゲシュタルってるな。そうだ! お茶碗! お茶碗を持つ方って、あ、もうラインまですぐそこじゃん! いやタイミングわからな過ぎぃーー!」
    そうやって迷いまくりながら走っていたので踏み込みも上手くいくはずはなく、空中に低く舞い上がっている時には「お茶わーーーん!!」としか考えられず、そのとき頭の中は多彩な色のお茶碗の数々と「なんでも鑑定団」の鑑定時BGMが支配していました。
    砂場に着地したとき、瞬時に今のジャンプが高三男子としての記録的にあまりに酷いものであったと自分でも分かってとても恥ずかしくなりました。
    信じられない酷い記録に体育教師が怒っているかもしれない。怒っていないとしても何かは言ってくるだろうと思って、僕は踏切ラインのところに立っている体育教師の様子を窺うために恐る恐る振り返りました。
    すると体育教師は、砂場に座り込む僕を見下ろしながら「ハッ...」と少し嘲笑った後、次には蔑むような表情を浮かべて僕にだけ聞こえる小さな声でこう言い捨てました。
    「.…..まるで中一女子並みだな」
    うぉおーー! マジで性格悪りぃいぃイィぃぃいーーー!! それでも教師かーーー!! いまだに思い出してもキチぃーーーー!!
    運動ができる人って、できない人に対してどうしてこんなこともできないのって簡単に考えてませんか? やればできるだろぐらいでしか理解していないので「運動ができない子=真面目に取り組んでない」と思い込んでいませんか? 
    自分の身体を上手く使いこなせていないことに焦点を当てて考え直して、なぜそういう状態になってしまっているのか、脳から出される動きの指令と身体の筋肉が一致しづらくなっているのは何が原因なのだろうかと、運動能力の発達度合を深掘りして検証すべきだと僕は思います。少なくとも体育教師はな!!
    それがお前、ただ蔑みながら半笑いで「中1女子並だな」とか言ってくるなーー!


    ・体育よ、人生からサヨナラ

    中高で散々嫌な思いをさせられた僕の宿敵である体育は大学生になってからもありました。

    入学式後の授業説明会を受けていると、配布されたカリキュラム一覧表の中に必ず単位を取らなければならない講義に「スポーツ①」という科目があり、それが目に飛び込んできた瞬間に僕は愕然としました。
    「コ、コイツ、名前を変えて横文字にして擬態してやがるけど、俺には分かる......お前、体育だなっ! ふざけんじゃねぇ、こんなことがまかり通っていいのかよっ!!」
    しかもその「スポーツ①」は二年から三年になるためには必ず取っておかなければならない必須条件であり、つまりこれを避けずして大学三年になることはできないのです。
    ついに体育は明確に僕の人生の道を傍若無人にも邪魔してきたのです。鬼畜の所業すぎます。

    これはすぐさま何かしらの対策と作戦を立てなければなりません。
    そこで僕はこう思いました。
    「つまりは二年の終わりまでに取っていればいいんでしょ? よし、頼んだぞ、来年の自分!!」
    今は都合の悪いことには目を向けず、あの頃と同じようにできることを精一杯やるしかない。そんな「来年のことは来年になってから考えればいい」という他力本願作戦に僕は全てを託したのです。任せたぞ!
    しかし僕はまだ知る由もありませんでした。
    その作戦はただ嫌なことを先延ばしにしているだけであって、しかも他力の先にいるのは自分でしかなく結局それは自力本願でしかないことを、その時は入学したばかりで浮かれていて気付いてなかったのです......。

    そして月日はあっという間に流れ、大学二年になった僕はついに体育(スポーツ①)と対峙せねばならないのでした。

    嫌々ながらスポーツ①の初回講義に行ってみると、体育教授から前期の間自分がするスポーツを自由に選べるとの説明がありました。
    自分が行うスポーツを選べるのであれば少し気が楽だと安堵しながら、サッカー、バスケ、テニスなどのスポーツの一覧表の中から僕は迷うことなく卓球を選びました。
    なぜならば、中学時代のとある友人の自宅のガレージには卓球台があって、休日に皆でそこに集まって卓球をすることが多かったので、スポーツの中でも卓球は比較的慣れ親しんでいたからです。
    「卓球ならば嫌な思いをすることが少ないかもしれない!」
    しかしこの考えはまったくの見当違いでした。
    あることを見落としていたために僕は二回目の講義から早くも体育から洗礼を浴びせられることになるのでした。

    自分の中で割とマシである卓球を選べて、すっかり気が抜けて油断しまくった心持ちで二回目の講義に行くと、講義が始まるやいなや早速体育教授から皆さんも御馴染みのある言葉が発せらました。
    「はーい、それじゃあ、それぞれペアを組んでくださーい」
    な、何? ペアだ……と?
    僕が体育教授のその言葉に耳を疑っている合間に他の生徒はあれよあれよと二人組になっていきました。
    そうなのです。大学生は講義を選ぶ段階で友達と予定を合わせてから受講をするのは当たり前であり、何をするにしても知らない人とペアになることは極力避けて、なるべくストレス少なく講義を受ける処世術を皆が身に着けているのです。
    しかも体育の講義は身体を動かしていれば時間が経つ科目なので、九十分間座りっぱなしの座学よりはるかにマシと皆が思っており、ほとんどの人は一年生の内に取り終わっているのです。
    つまりわざわざ二年生になってから体育を受けに来る奴は、やる気のない奴かヤベェ奴しか残されていない状況であるのは誰しもが予測できることであり、皆それを先輩から伝聞で知っているので友達を連れてくるのは最低条件なのです。
    「し、しまったぁ!! 罠に嵌められた!!」
    体育に仕組まれたことに気づいたときにはもう後の祭りであり、楽しそうに会話する数々の二人組の中で僕は一人寂しく佇んでいました。
    そんなどうすればいいのか分からくて一人で周囲を恨めしそうに見回す僕を見つけて、体育教授は信じられない言葉を口にしました。
    「そうか、じゃあ君はワシとペアだな」
    お、お前と? 見た目が毎週末日サロに通ってんのかよってくらい日焼けしたお前と?服の上からでも分かるくらいに胸筋が盛り上がり、両腕の筋肉に電気ケトルを入れ込んでるのかと思うくらいに屈強な二の腕を持つお前と?
    「じゃあラケット持って、卓球台に立って」
    戦慄のあまり自分のいる状況をまだ呑み込めていないというのにも関わらず、体育教授は構わずに次々と僕に指示を与えてきます。
    「え、もしかして毎週このオッサンとペアにならなきゃいけないということ?」
    そう考えていた矢先、さらなる悲劇が僕を襲いました。
    『バスコーンッ!!』
    状況の展開も球速も速すぎて一瞬理解できなかったのですが、まだ僕がこの先のことに不安になって咀嚼しきれていないにも関わらず、ケトル教授から光と見まごうばかりの高速サーブが僕側に打ち込まれてきたのです。
    「はい、1てーん」
    しかも教授とダブルスじゃなくて、シングルスでお前と試合すんのかよっ!!
    僕がまともに物事を考えられたのはその時が最後で、そこから講義が終わる約九十分間に渡ってケトル教授との地獄の卓球修行が行われ、僕は途中休憩することも許されず、ただただやられるがまま負け続けて辛酸を舐めるしかなかったのでした。

    その日から四ヶ月間ずっと、僕は毎週ケトル教授と卓球をしました。
    ケトル教授は手加減というものを知らず、いつだって全力でピンポン球を打ち込んできます。
    教授と楽しく愉快に会話をしながら卓球ができればまだ良かったのですが、なぜか教授は世間話も休憩も許さずにただ黙々と僕の方に暗殺サーブを打ち込んできました。
    僕は教授が目の前にいるのでサボることはできません。しかし他の生徒たちは、教授が卓球に夢中になっているその目を盗んで座り込んで平然とサボったり、また「渋谷! 原宿! 六本木!」と古今東西をしながら楽しく卓球をやっていたりと、僕はそんな周囲を横目にこの扱いの格差に打ちひしがれるしかありませんでした。
    しかし落ち込んでいても暗殺サーブは次々に打ち込まれてきます。
    僕は一時期トラウマになって日焼けサロンを見かけるとケトル教授が出てくるかもしれないと危機感を覚えて逃げるようにその場を去りました。家電量販店の電気ケトルコーナーにも足を運ぶことができなくなりました。
    しかし、この単位を落としてしまうと三年に進級することができないので、後がない僕は毎週朝早い満員電車に揺られて大学に向かい、ケトルと九十分間卓球をするしかないのでした。

    一度始まれば何にでも終わりはやってきます。
    いよいよ「スポーツ①」の最後の講義の日がやってきました。
    最後の日もこれまでと変わらずケトル教授と九十分間卓球をするだけでした。
    最後であろうと予断の許さない厳しい球が次々と打ち込まれてきます。
    嫌々ながらも四ヵ月間過酷な卓球修行に励んできたので、いつしかケトル教授の暗殺サーブを打ち返せるように上達し、何ラリーかは続けられるようになっていました。
    僕はケトル教授からの球を無我夢中で打ち返し続けます。

    「カコーン、カコーン」

    四ヵ月も続いたことで他の生徒は早い段階で卓球に飽きており、多くものが壁際に座って喋ってゲラゲラと笑っているだけで、真面目に卓球に取り組んでいるものはもはや僕たちだけになっていました。
    そんなたくさんの話し声や笑い声の喧騒の中で、次第に僕の耳には自分と教授がやりとりをするピンポン球の音だけしか聞こえなくなっていました。

    「カコーン、カコーン」

    さらにラリーを重ねるうちに僕は不思議な境地に達しており、いつしか僕とケトル教授の周りには何もなくなって、まるで白い空間に二人が挟む卓球台だけがそこに浮かび上がっているようでした。
    すると教授から放たれる一球一球から言葉が聞こえてきました。

    カコーン……。
    カコーン……。
    体育の授業で一番後ろ走ってたなぁ~?
    カコーン……。
    前、前、前ぇえ〜!
    カコーン……。
    ハッ、まるで中1女子並みだな。
    カコーン……。

    それは一球ごとに体育にまつわる忘れられない言葉が込められて再び僕を痛めつけてくるようでした。

    僕はそれを一つずつ、確実に、聞き流さないように、今回は言われっぱなしにならないように、強く打ち返していきます。

    体育よ……
    お前とは……
    今日で……
    お別れだ……
    今まで……
    散々……
    苦しめてくれたな……
    だがな……
    最後まで……
    諦めなかった……
    俺の……
    勝ちだ...…
    出直してくるんだな……

    アバヨッ!!!

    決別の言葉と共に放たれた僕の力強いスマッシュは、ケトル教授側の卓球台の縁スレスレに当たり、際どい球筋に教授は状態を崩してよろめいてしまって打ち返すことができませんでした。 
    それは初めて教授が返すことができなかったスマッシュでした。

    二人の間を静寂が包んでいました。
    しばらくした後、ケトル教授はゼェゼェと肩で息をしながらゆっくりと地面に転がるピンポン球を拾い上げ、僕を見ると口元を少し緩めて「フッ…」と微笑みかけてきました。
    それはまるで勝者を称える微笑みのようでした。
    そして次にケトル教授はこう言ったのです。

    「はーい、じゃあ今日の講義はここで終わりー!」

    その言葉は四ヶ月行われた大学の講義「スポーツ①」の終わりというよりも、十年以上続いてきた人生の体育が終わったことを知らせる合図でした。
    そうか、ついに終わったんだ。
    講義が終わってすぐには実感が湧かなかったのですが、帰りの地下鉄の車内でもう二度と体育をしなくていいと気付いたとき、不思議と一筋の涙が頬をつたっていました。
    僕はその涙を周りの乗客に悟られないように急いで拭いましたが、涙は次々とこぼれ落ちて止まることを知りませんでした。

    さよなら、体育よ。来世でまた会おう。

    電車が長くて暗い地下を抜けて地上に出たとき、並んだ車窓から燦爛たる太陽の光が車内へと射し込んできました。
    射し込む光を見ているうちにこれから何かが始まるような気がして、僕の身体は徐々に軽やかになっていくようでした。


     
     
    次の二十年に向けての日記。 週一で毎週金曜の夜に更新。

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