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Photo bypochita1011

200年前の江戸から、いま手のひらのnoteへ。

    200という数字を見ると、時間の扉が開く。

    2025年の今から遡ること200年前。
    江戸は末期へ向かうころで、町には本の匂いが満ちていた。
    貸本屋が路地にひしめき、読本が流行り、物語は人の手から手へと渡っていく。読むことそのものが娯楽の中心に座っていた時代だ。

    芸術の話をすれば葛飾北斎。あの偉人の、ぶっ飛んだエピソードはまた今度たっぷり語るとして、今日は本の話。


    当時の江戸では、歴史や伝説を題材にした長い物語がもてはやされ、シリーズ連載のように書き継がれていった。ストーリー的には勧善懲悪もあれば因果応報もある。玉石混交の中で、読者は次の巻を待ちわび、物語は生活のリズムになっていた。

    その代表格が曲亭馬琴きょくていばきん。
    読者を長い旅へ連れ出す達人で、代表作は「南総里見八犬伝」。

    30年近くにわたって書き継がれた超長編。登場人物の魅力、積み重なる伏線、章の終わりで次を読みたくなるあの感じ。いまのライトノベルや連載小説に通じる“続きの快感”を、江戸の読者もちゃんと味わっていたのだと思う。


    閑話休題。


    ここでいったん、曲亭馬琴と「南総里見八犬伝」って、何が面白いのかを紐解いてみよう。一行で言うと、江戸の超ロングラン連載。仲間集め×因縁バトル×人間ドラマ。八つの徳の珠が導くように、全国各地から八人が集まっていく物語で、みんなの名に「犬」の字が入る小粋な仕掛けがある。江戸のアベンジャーズ的なおもしろさ。ちなみにFGOではコーギーの八犬士が出てくる。かわいい、最高か。妖怪や宿命、恋や主従のドラマまで盛りだくさんで、各巻のラストで次が気になる構成がクセになる。

    けれど連載30年はやりすぎ。江戸のハンターハンターかな。小ネタとして、馬琴は晩年に視力を失い、口述で結末まで書き継いだと伝わる。物語を完走させる執念がすごい。そりゃ偉人としてサーヴァントにもなるよ。

    日本最古の長編ライトノベル作家は伊達じゃなかった。わたしの曲亭馬琴の入口はFGOの期間限定シナリオで、ゲームから歴史へ興味が飛び火する感じがたまらなく好きだ。八犬伝は知ってたけど作者の情報まではあんまり知らなかったのよ。とりあえずコーギーかわいい。


    では、あらためて。

    200という数字には、積み重ねの手触りがある。
    200巻でも、200話でも、200日でもいい。200文字でもいい。小さな単位が連なって、気づいたら遠くまで来ている。江戸の巻物が長い長い旅路だったように、わたしたちのnoteもまた、小さな更新の連続でできている。

    だからこそ、いま始まった、たかっちさんの企画「200note祭り」が楽しそうで好きだ。名前を聞いただけで、これは続ける人のためのお祭りだなと感じる。200という目印を手に、好きなテーマで、好きなペースで、好きな長さで。江戸の読者が次の巻を袖で待ったように、誰かの次の一歩を楽しみに待てる。

    わたし、西野葵は、このお題からこんなふうに文章を連想してみた。
    あなたの200は、どんな景色につながっているだろう。200冊の読書記録かもしれないし、200日分の朝の窓辺の光かもしれない。200文字の詩でもいい。200回の深呼吸でもいい。数字は合図で、合図の先にはそれぞれの文章が、物語がある。


    参加の合図は軽いほどいい。


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    好きなことを、好きなタイミングで。 note / TALESで、エッセイやコラム、小説などを書いています。

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