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タイガーマスク、SSマシン、そして獣神ライガーについて

若手レスラーが海外へ行く。

メキシコだったり、カナダだったり、イギリスだったりする。

何年かして帰ってくる。

ところが、帰ってきたはずの若手はいない。

代わりに見たこともないマスクマンが立っている。

観客は思う。

「あれ、○○じゃないの?」

そうである。

だいたい○○である。

体つきが同じだ。

技も同じだ。

歩き方まで同じだ。

それでもプロレスファンは、そこから先を言わない。

私はこの文化について考えていたら、あるものとの共通点に気がついた。

カツラである。

カツラをかぶっている人がいる。

周囲はたぶん気づいている。

しかし普通は、

「それ、カツラですよね?」

とは言わない。

分かっている。

だが触れない。

なぜなら、そこを指摘したところで世界は一ミリも豊かにならないからだ。

プロレスのマスクマンも同じなのである。

典型的なのが三沢光晴だ。

1984年、三沢はメキシコへ海外遠征に出ていた。

ところが突然、帰国命令が出る。

そして日本へ戻ってきた三沢は、そのまま三沢光晴としてリングに上がったのではない。

2代目タイガーマスクになった。

全日本プロレスとしては正体不明のタイガーマスクである。

ところがファンはかなり早い段階から気づいていた。

というより、デビュー戦から「三沢!」という声まで飛んでいる。

もう全然隠れていない。

カツラでいうなら、生え際どころの話ではない。

それでもタイガーマスクなのである。

実況もタイガーマスク。

リングアナもタイガーマスク。

対戦相手もタイガーマスクとして戦う。

観客だけが、

「三沢だよな……」

と薄々どころか、ほぼ確信している。

それでいいのである。

新日本には、さらにすごい例がある。

平田淳嗣だ。

海外遠征から帰国した平田は、そのまま凱旋帰国するのではなく、ストロング・マシンになった。

マスクをかぶっている。

しかも設定上は人間なのかどうかさえ怪しい。

機械なのである。

記者が話しかければ「ギギギ……ガガガ……」。

ものすごい世界である。

しかし、みんな分かっている。

平田だろう、と。

そしてとうとう藤波辰巳がリング上で言ってしまった。

「お前、平田だろ!」

プロレス史に残る一言である。

考えてみれば、あれは相当にひどい。

カツラをかぶって十年間会社に通っていた人に、忘年会のステージで突然、

「部長、それカツラだろ!」

と言うようなものである。

みんな知っている。

しかし本人がストロング・マシンとして生きている以上、こちらもストロング・マシンとして扱う。

そこへ藤波が踏み込んだ。

だからあの一言には破壊力があったのだ。

そして、この文化をほとんど芸術にまで高めたのが獣神サンダー・ライガーである。

山田恵一という若手レスラーがいた。

小柄だが、とにかく動ける。

海外へ行く。

イギリスへ行く。

そして――いなくなる。

その後、1989年4月24日、東京ドームに獣神ライガーが現れる。

ファンは思う。

山田じゃないのか?

しかしライガーは違う。

山田恵一ではない。

では山田はどこへ行ったのか。

後に生まれた言葉がすばらしい。

「山田は死んだ。リバプールの風になった」

こんな便利な話があるか。

さっきまで山田だった男が、リバプールの風になった。

そして入れ替わるように獣神ライガーが現れた。

みんな知っている。

だが、それでいい。

むしろ、そのほうがいいのである。

プロレスファンは、ここで推理小説の名探偵になってはいけない。

「身長が一致します!」

「生年月日が一致します!」

「技が同じです!」

「声紋を分析すると――」

やめなさい。

そんなことは知っている。

こっちだって知っているのである。

カツラだって同じだ。

毎週月曜日だけ毛量が二割増えているとしても、指摘する必要はない。

雨の日だけ髪型が異常に安定していても、言わなくていい。

本人が髪として扱っているなら、こちらも髪として扱う。

本人がライガーだと言っているならライガーなのである。

ここがプロレスの面白いところだと思う。

観客は騙されているのではない。

実は全部分かったうえで参加している。

マスクマンの正体を知らないふりをする。

外国人レスラーが片言の日本語で怒れば怖がる。

悪役が反則すれば本気で怒る。

そして正体不明のマスクマンが現れたら、

「いったい誰なんだ!」

という顔をする。

知っているのに。

つまりプロレスというものは、リング上だけで成立しているわけではない。

観客も少しだけ芝居をしている。

ここが重要なのである。

リング上のレスラーが100%物語を作っているのではない。

観客が最後の10%を埋める。

知っていても言わない。

分かっていても乗る。

その共同作業によって、初めてマスクマンはマスクマンになる。

だからマスクというのは顔を隠す道具ではない。

正体を隠す道具ですらない。

正体を知っている人間たちに、知らないことにしてもらうための道具なのである。

そう考えると、やっぱりカツラによく似ている。

カツラも本人一人では完成しない。

周囲の協力があって初めて完成する。

本人がかぶる。

こちらが見ないふりをする。

それで社会は平和に回っていく。

プロレスも同じだ。

マスクをかぶる。

こちらが知らないふりをする。

そして何年か経って、とうとうマスクを脱ぐ。

そこで観客は叫ぶ。

「やっぱりお前だったのか!」

いや。

最初から知っていた。

知っていたけれど、今日まで言わなかった。

それでいい。

むしろ、それこそがプロレスファンの礼儀なのではないか。

世の中には、暴いたほうがいい真実もある。

しかし、暴かなくてもいい真実もある。

マスクの中身と、髪の正体である。


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