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Photo byaura

海へ、

     賑わう構内。
     大学生と思しき男女の集団、祖父母と両親と子どもたち、カップル……様々な人々の波を縫って、エスカレーターに飛び乗った。出発まであと数分。

     目的地までは、電車で二時間弱と書かれていた。

     平日の朝だというのに、よくこんなに人がいるものだと思い知らされる。
     それもそうだ。社会人をしていると忘れてしまうけれど、三月といえば学生は休暇に入るし卒業生は束の間の自由を得る。それに金曜日ともなれば、社会人でも土日に合わせて休みを取る人もいるだろうし、スーツを来て忙しそうに歩いている人たちは出張かなにかだろう。
     そんな人ごみの中に身を置いて、私はふらりと目的もなしに電車に飛び乗った。

    *

     今朝、ベッドの上で目を覚ました瞬間、白い天井を見上げながら「朝が来なければよかったのに」と思った。レースカーテンからは、やわらかな日差しが差し込んでいる。それに比べて、この心はこんなにも沈んでいた。
     体調が悪いわけではない。仕事で何か大きなトラブルやミスをやらかしたわけでもない。だが、どうにもやる気が起きない。念のため熱を測った。もし熱があるなら、休むことへの罪悪感から楽になれる。
     しばしの待機時間、ため息をついてもう一度ベッドに深く沈み込んだ。
     職場の人たちの顔が、ぐるぐると脳内を巡る。嫌いな職場ではない。労働環境も良く、勤怠にうるさくないところもいい会社だと思う。

     だが。

     無機質な機械音が鳴り、体温計を取り出した。三十六度四分。平熱もいいところだった。 
     寝返りを打って、どうしようかと思考が巡る。
     会社に行くのであればそろそろ起きて準備を始めなければならない。チームの休暇状況を思い出す。幸い、今日は誰も休みの事前連絡はなかった。それなら……と考える自分と、冷静な自分が今日締め切りのタスクを洗い出していた。タスクの状況から見ても差し込みがなければ、今日は休みを取っても支障のない範囲だろう。
     こんな問答を続けている時点で、私の心はどこか健全ではないかもしれない気がした。やっぱり一日ぐらい、気持ちを整理した方がいいのかもしれない。
     枕元に投げ出されたスマホを探り取って、液晶を付けてみる。
     待機画面には就寝中に飛んできていた通知がずらりと表示された。ざっと目を通し、目新しいものはないなといつかのタイミングで登録していたらしい海外通販サイトからのメールと、ニュースアプリからの朝のニュース。天気予報。
     会社との連絡用チャットアプリを立ち上げて、体調不良を理由に休むという趣旨の文面を作った。送ろうか、覚悟を決めてやっぱり出社しようかと躊躇したのも束の間。結局、えいや、と送信ボタンを押す。
     上司はいつも八時にならないと返事が来ない。あと三十分ほど。本当に体調が悪い日は、上司からの返事が来るまでは申し訳なさでいっぱいになってしまう。でも、今日はやけに落ち着いていて「そのうち返事が来るだろうな」とスマホを布団に放り投げて起き上がることにした。

     閉じていたレースカーテンを開けて、いつもじっくりと眺める暇のない外を見る。
     朝の時間をゆっくりと過ごせたらいいと、毎朝余裕を持った時間に目覚ましを鳴らすけれど、結局目が覚めるのはギリギリの時間。
     朝ごはんを自宅で済ませられたらいい方で、そんな時間も取れない日は身支度だけを済ませて家を飛び出る。いつもどおりの電車に乗って、出社前に会社近くのコンビニで朝ごはんを調達する。始業前の数十分のあいだにメールチェックをしながら、買ったばかりのパンを頬張る生活。
     こんな暮らしをしたかったわけではない。毎朝同じパンを手に取るたびに、その一言が頭を過ぎる。余裕のある暮らしに憧れ、具体的な妄想のなかで何度も私はそんな朝を迎えていた。
     毎朝寝起きに白湯を飲み、ヨガや瞑想の時間を取ったり天気がいい日は散歩に出かけたり。帰ってから軽くシャワーを浴びて、季節のフルーツをふんだんに使ったヨーグルトやサラダを食す。ちょうどいい時間帯よりも少し早めの電車に乗り、会社の最寄りの一つ前の駅で降りる。そこからは徒歩で10分ほど。会社までの道のりを歩きながら、景色の移ろいを楽しむ……。

     実際にそんな生活ができたのは、年に数回程度だ。
     朝ヨガや散歩がいいと聞いて取り揃えたウエアは、いつしか衣装ケースの中に仕舞い込んでしまった。せっかく一万円ちょっとかけて好みのデザインを探して買ったヨガマットすら、床に敷きっぱなしになっていて風呂上がりにボディクリームを塗るためだけに使われている。

     それでも、今日はせっかく時間があるのだからと、適当に見繕った動画を見ながら十分程度のヨガに勤しむことにした。 
     画面の中のインストラクターが軽やかに動くものだから、さも簡単な動きなのだろうとそれに従ってみる。身体を横に倒すだけで、普段はあまり使われていない筋が悲鳴を上げる。
     こんなにも身体が固かったんだろうか。少しだけ自分に愕然としながら、なんとか十分程度のヨガを終えた。心なしか全身がぽかぽかしている。ヨガをしている人は普段から快活な人が多いが、先ほどまでの鬱蒼とした気持ちが一変し晴れやかな気すら起きる。我ながら、単純だとは思った。
     気持ちが上向きになったところで、天気もいいし何処かに出かけてみようか。せっかくの休みなのだから。
     思いがけない休みができて持て余している節がある。体調が悪いわけではない、精神的に疲れては居たけれど塞ぎ込むほどではない。
     外に出るのであれば、すぐに行ける距離では勿体無い。どうせなら、普段は選ばないような特別な場所がいい。ゆっくり過ごせて、それでいてわくわくするような。

     思案する間もなく、行き先はすぐに思いついた。
     前々から行きたいと思っていた場所。新幹線でここから二時間弱。さほど遠くない場所で、いつでも行けるからとタイミングを逃していた。それに、行ってみたいとは思っていたけれど、差して現地で何かがしたいわけではなかった。
     だからいつも後回しになって、そのまま「いつか」なんて訪れることなく別の地域にでも引っ越してしまうのかもしれないと思っていた。
     でも、今日はそうではなかった。
     現地で何をすればいいかなんて、現地を彷徨いて探せばいい。行ってしまえば、きっと何か惹かれるものが見つかるはずだ。行ってみたかった場所なら、行ける時間とお金があるときに行かなければ。
     そうと決まれば善は急げだ。
     出社時よりも手際良く身支度を済ませ、軽やかな足取りで自宅を出た。もうすぐ春が近い。全身を包み込む風は、まだ冷たいけれど心地よかった。

     そんなことで駅に辿り着いた私は、構内のパン屋さんで適当に見繕った。
     店のおすすめだというサンドイッチと、普段は滅多に惹かれることのないメロンパンが無性に気になった。どうやら焼きたてらしい。
     ペットボトルのお茶も自動販売機で調達し、ホームで待つこと数分。定刻通りにやってきた電車に飛び乗った。
     幸い、電車の中はさほど混んでいなかった。指定席は取り損なったが、この程度であれば自由席でも好きに席を選べそうだ。
     どうせ選べるのなら外の景色が見える席がいい。
     自由気ままな一人旅なのだ。車窓からの眺めを楽しみながら、買ったばかりのパンにありつきたい。
     二列シートの窓際を探しながら通路を歩くと、サラリーマンや二人組がすでにちらほらと座っている。連結部近くの窓際が空いていたのを見つけて、そこに迷わず腰を落ち着けた。
     通路を挟んで斜め前には、高校生か大学生の女性二人組が楽しそうにおしゃべりをしている。その二人を後ろから眺め、いつからあんな風に楽しい日々が過ごせなくなったんだろうと切ない思いが込み上げる。
     社会人になって数年。
     学生自体の友人とはたまに連絡を取るけれど、それぞれに仕事や生活が忙しくなって、会える機会はめっきり減ってしまった。きっと、学生時代の私であれば平日にどこかに出かけるなら、友人を誘っていたかもしれない。

    「お隣、いいかしら」
     先ほどのパンを食べていたところに声をかけられてしまったせいで、反応しそびれてしまう。口の中にあったものを咀嚼しながら声の方を向くと、還暦はとうに迎えたであろうおばあさんが通路からこちらを覗き込んでいた。手には大きな紙袋を持っているが、おしゃれな人だな、と一目見て感じた。
    「お隣、座ってもいいかしら」
    「え、ああ……もちろん。どうぞ」
    「ありがとう」
     おばあさんは持っていた杖を前の座席に立てかけて、ゆっくりと腰掛けた。ひとつひとつの動きはゆるやかだが、よぼよぼした様子はない。最近のお年寄りは元気だと聞くけれど、本当にそうなんだなあと実感する。
     ふう、と一息をついたおばあさんは、座ると私よりも一回りほど小さかった。
    「今日はいい天気ねえ」
    「え? あ、そうですね」
     先ほどに続き、我ながら気の抜けた返事をする。普段、知らない人に話しかけられるなど滅多にない。たとえ電車で隣になったからといって、なかなかこんな風に話をするなんてことはない。ましてや、朝のぎすぎすした時間帯に会話を楽しむなんて状況は生まれない。
     たった数秒のあいだに、早くも非日常を感じてしまう。
     平日の、本来であれば出勤時間帯のたった数秒。贅沢だな、と我ながら思う。
     私が普段忙しなく過ごしている時間帯にも、世界にはこんな風にゆったりと流れる時間軸もあったのか。なんと狭い世界で生きていたのだろう。

    「ぶどう大福、食べない?」
     車窓から見える景色が眩くて顔を顰めていると、もう一度そのおばあさんから話しかけられた。今度は、紙箱を開けてこちらにその中身を見せてくれている。
     そこには仕切りに並べられたぶどう大福が六つ。
    「ここのぶどう大福、美味しいのよ。よかったらお一つどうぞ」
     思いがけない提案に返事を戸惑っていると、そのおばあさんが一つを取って手渡してくれた。案外押しが強いところがあるようだ。
     すみません、と頭を下げるとおばあさんは私が受け取ったことに嬉しそうな笑顔を見せた。
    「ふふ。美味しいものは独り占めせず誰かと共有する方が、より美味しくなるものね」
    「すみません、見ず知らずの私にまで……」
    「あら、いいのよ。お嬢さんはどちらまで?」
    「あの、……終点まで」
    「まだまだゆっくりできるわね。折角こうしてご一緒できたのも何かの縁だもの。良かったらおばあさんの話し相手にでもなってくださらない?」
     私でよければ、と答えておばあさんに続いて大福の包み紙を開けた。
     ふわりとぶどうの香りがする。白くすべすべした餅の奥に、紫色の皮が透けて見える。フルーツ大福なんて何年ぶりだろう。
     いただきます、とおばあさんに頭を下げて大福を頬張った。甘さと、ぶどうの微かな酸味が口の中で広がった。
     美味しい、と思わず呟くと、おばあさんの顔がさらに綻ぶ。可愛らしい人だなと思う。
    「そうでしょう。良かったわ、お口にあってくれて」
    「フルーツ大福、久しぶりに食べました。このお店のぶどう大福、美味しいんですね」
    「そうなのよ。私、甘いものに目がなくてね」
     つい箱で買っちゃったわ、と微笑むおばあさんを見ていると、自然とゆったりとした気持ちになっていく。歳を取ったらこんな素敵な人になれたらいいのに。
    「今日は何処かにご用事?」
    「あ、いえ……特にこれといった用事はないんですが、海が見たくなってしまって」
     海、と目を丸くしたおばあさんがこちらを見ている。それもそうだ。平日のど真ん中、朝から女一人で電車に乗って放った一言が「海が見たい」だなんて。

     昨日のやりとりが思い浮かんだ。
     出社して早々、上司から「畑野さん、ちょっといいかな」と呼び出される。私は咄嗟に朝食のわずかな時間が奪われることを嘆いたけれど、滅多に呼び出されることなんてないので緊張しながらも上司に付いて行く。
     入ったのは執務室に併設されている面談スペースだった。窓もない部屋なので苦手な場所だ。ひとつ深呼吸をして上司の向かいに着席すると、「あのさ」と上司が言い淀む。
    「私、何かヘマしましたか」
    「ヘマってことはないんだけど、奥田さん。休みがちだし、問題を指摘されて塞ぎ込むくせなんとかできないかな」
     奥田なぎさ。私の三つ下の後輩。半年前に入社した奥田さんは素直でいい子なのだが、上司の言うように時々気難しいなと感じることがある。どこか繊細すぎるというか。
    「本人の性格もあると思うので、私がなんとかするのは難しいと思いますが」
    「それとなく言ってもらえないかな。今のうちからこんなんじゃ、この先続かないと思うからさ。まあ、合わないなら合わないでさっさと辞めてもらった方が早いんだけど」
     話はそれだけだから、と上司は早々に面談室を出て行ってしまう。一人取り残された私は、ただじっと机を見ていた。
     辞めてもらったほうが早い、なんて今時本人に伝われば大問題だ。そんなに上司はお荷物に感じているのだろうか。彼女にもいいところはたくさんあるのに。

    *

     平日の朝に女一人で新幹線に飛び乗って「海が見たい」なんて、ちょっと危ないやつの典型のような返事のあと、おばあさんは訝しむでもなく微笑んで「いいわね」と返してくれた。
    「海っていいわよね。眺めているだけで癒されるもの。それに、海ってどこか不思議だと思わない? 波の音を聞いていると、どこかから誰かの声が届くような気持ちになれるの。だから、海辺でゆっくりするのは私も好きよ。若い人だって、いつも忙しいんだからたまにはそうやって過ごす時間も必要よね」
     有給休暇は社会人の権利だと主張する気持ちの一方で、本当はどこか罪悪感を感じていた。だって、言ってしまえばズル休みなのだから。
     いいわねと肯定しながら、どこかでおばあさんも私を責めているかもしれないと不安が腹の奥底で不安が過ぎる。物事を悪く考えるのは私の悪い癖だ。だが、おばあさんの表情に、裏があるようには思えない。さきほどの言葉だって、きっと本心からのものだろう。
     それでも、私の心はまだどこか叱られた子どものような気になって、つい自分を守るような言葉を続けてしまう。
    「会社には悪いと思ってるんです。……急に休みを取ってしまったから」
     上司宛にメッセージを送ってから、チャットアプリを確認していなかったなと思い出した。鞄に入れたままにしていたスマホを取り出して、通知画面を開く。上司から、まるで定型文のように『了解しました』とだけ返信が届いていた。
     きっと上司は怒っているわけではない。了解しました、の言外に何か別の意味を探ろうとしてしまうのは、きっと私が考えすぎてしまうから。

    「あら、いいじゃない」
     けろっとしたおばあさんの声が耳に響いた。画面から視線を逸らしておばあさんの方を向けば、あっけらかんとした表情で話を続ける。
    「仕事なんていいのよ。従業員ひとり休んで回らなくなるようなら、それはきっと会社が悪いわ。あなたは何にも悪くないのよ。大人だって仕事したくない日だってあるわよね」
     おばあさんの言葉に、胸が詰まる。
     目頭がふいに熱くなって、このままだと泣き出してしまいそうだった。
     私だって、常々おばあさんと同じようなことを思う。社員の欠員が出ることぐらいは仕方のないことだ。急な体調不良もあるし、家族のことで都合を付けなければならないことだってある。休みを取ることは悪くない。
     人員を確保していても、それは絶対ではない。現に、私より二つ年下の後輩は、すでに今月も数回子どもの都合で仕事を休んでいる。
     彼女の欠勤のたび、何かを思うことはない。ああ、子どもがいると大変だなと思うだけで、差して嫌な感情を持ったことはない。私だって年に数回は体調不良を理由に休むことがあるし、私的な用事で休暇申請を出すこともある。急な欠員があったとしても、仕事がたち行かなくなることはまず起こらない。
     急ぎの引き継ぎがあれば、休みの連絡の際に合わせて伝えているし、他の人だってそうしている。それで仕事は何とか回るのだから、自分が想像するよりも「迷惑」なんてことは起こらないようにサイクルができている。

     だから、今日一日わたしが居なかったとしても、会社は回るようにできている。
     なんて気楽に考えているのは私だけで、上司は内心快くは感じていなかったかもしれない。一回りも離れていると、普段は感じなくてもふとした瞬間にジェネレーション・ギャップはお互いに感じるものだ。同僚だって、子どもも居らず独身者である私が当日に休むなんて、と白い目を向けているかもしれない。
     そう、どこか休みを肯定しつつも不安が拭えなかった私に、おばあさんの一言は救いのように沁み込んでくる。心のどこかで、正当な理由があったとしても自責の念が拭えなかった私を、やわらかく包み込んでくれる。
     いいんですかね、と自信なさげに呟くとおばあさんは笑って「いいのよ」と答えてくれた。
    「いつも元気な人なんて居ないわよ。それよりも、あなたは自分のために今日休みを取ったんでしょう。それってとっても立派なことよ」
     もしかしたら、気を遣ってこんなことを言ってくれたのかもしれない。仕事を休んで海に行きたいと言った私を見て、精神状態を心配されたのかもしれない。
     それでも、おばあさんの言葉は私の心を軽くしてくれた。こわばっていたものを、ゆっくりとほぐしてくれるような感覚。

     電車はいつしか都会を離れ、車窓からはのどかな景色が広がっていた。だたっ広い田んぼに、ぽつりぽつりと民家が並んでいる。人も、車も通っておらず、どんな人がどんな暮らしをしているのかと気になった。きっと私のようなせっかちな人間は、近くにコンビニやスーパーマーケットがないと不便に感じてしまうだろう。
     それでも、住んでみれば環境に順応していくのだろうか。自然の音を身近に感じながら、日々を過ごす生活に。
     どこか罪悪感を感じていた心は少しずつ和らいで、私は自分のために海へ向かうのだと、その景色を眺めながら穏やかに決意をする。
     しばらく、田畑が広がる道を通り抜けて行くさまを眺めていると、おばあさんが口を開いた。
    「私もね、若い頃は苦労したの。細かいっていうのかしら。人が気にならないようなところに、時々無性に気になってしまったりしてね。気を大きくする日もあるくせに、それがうまくいかない時もあってね。それでよく、『何で他の人は気楽に生きていられるのに』って思ったのよ」
     おばあさんの声は、さきほどよりもトーンが抑えられている。まるで打ち明け話のような口ぶりにおばあさんの目を見つめると、にこりと笑みを見せてくれる。
     目元に寄る皺が、なんとなく美しい年齢の取り方だなと感じさせる。
    「世の中って生きにくいんだわ、って何度も思ったの。それでも、こうしてこんな歳になるまで生きていられるのだから、案外人生って平気なのよ」
    「私、まさにそうです。細かいことばっかり気になってしまって、職場でも毎日少しずつ嫌な思いをしてしまうんです。他の人のように気にせずにいられたら、って何度も思いました。でも、気にしないようにと思えば思うほど、些細なことが気になっていくんです」
    「ええ。分かるわよ、その気持ち。どうして自分だけ気付いてしまうんだろうって思うのよね。それで、見て見ぬふりをしたくても、後からそのことが影響して悪いことが起きてしまうかもしれないって気を揉んでしまうのよねえ」

     まさに、つい先日そんなことがあった。
     いつも仕事が的確な後輩が、珍しく細かなミスをした。幸い取り返しのつくレベルの内容だったので、その後輩にフィードバックをしてその場は終えた。だが、その後の就業時間中、その後輩はずっと塞ぎ込んでしまった。ミスの指摘の仕方が良くなかっただろうか、何か言って欲しくないようなことを言ってしまっただろうかと、私までも勤務時間中に気もそぞろになってしまった。
     翌日になっても、その子は私や他の先輩に対して塞ぎ込むような態度を見せた。上司に呼び出された私は、何かあったのかと後悔のことを聞かれ、昨日の一件を話した。しかし、上司は助け舟を出してくれるどころか「仕事に感情を持ち込む相手は放っておいていい」と切り捨ててしまった。
     確かに、給料をもらって仕事をしているのだから、子どものようにあからさまに感情をむき出しにすることは利口な手段ではないかもしれない。理性的であるべきだと、私も思う。けれど、あのフィードバックがなければ彼女はこんな態度を取ることはなかった。
     上司は放っておけという。けれど後輩のことを放ってしまったら、せっかく築いた信頼が損なわれてしまうかもしれない。ただでさえ、中堅社員という絶妙なポジションにいるせいで、年々増える後輩からは少しずつ疎まれる立場になっているのだ。
     嫌われたくないだとか、そういう意図はない。
     仕事をつつがなく遂行するうえで、ぎすぎすした人間関係などはできるだけ排除したいだけ。疎まれる分には構わない。私だって同じだった。どうしても先輩である以上、嫌われ役に努めなければならない瞬間がある。
     だが、仕事自体に支障が出てしまうようでは元も子もない。
     だから、これも仕事のためだ……そう決意して、私はその後輩を会議室に呼び出した。
    「呼び出してごめんね、昨日の件なんだけどもし言い方が良くなかったとか、内容が分かりにくかった部分だとか、もしそういうことがあったら教えてくれないかな。私も後輩指導するうえで、良くないところは改めたいの」
    「いえ、先輩の説明は悪くありません。ただ、……」
     その子曰く、ミスが発生した原因は私たちの上司からの指示が原因だったらしい。本来の正しいプロセスで仕事を進めていた。だが、その動向をたまたま見ていた上司が横から口を出して、ルール変更が行われる前の方法を正しいフローだとしてその子にフィードバックしていたそうだ。

     つまり、その子はそのやり方が現行ではミスとなることは分かっていて、それでも上司からの指示に逆らえずに進行していたというのだ。
     これではあまりにも可哀想だ。私はすぐに彼女に謝罪をして、訂正すべきは上司の方だねと伝えた。教えてくれてありがとう、と例を告げると彼女は少しだけ泣きそうな顔をした。きっと私に言うのも勇気がいったのだろう。
     私から上司に伝えておくね、と念を押すと「ありがとうございます」と頭を下げられた。彼女の言い分をきちんと聞いてあげていたら良かった。きっと彼女も、嫌な思いをしなくて済んだだろうに。
     その後、私は上司にその件を報告して、改めてルール変更をしていたことを上司に話した。上司は特に謝ることもなく、「俺のように周知を知らない人もいるだろうから」という理由で、部署内への再周知まで指示されてしまった。そのやり取りの後で、上司からの命令通りに部署内に周知を行ったが、メンバーは皆「何を今更」といった顔をした。それはそうだ。現場にとっては今更な話で、管理者が把握できていなかっただけ。
     他の人の反応を気にしてしまうのも、板挟みにあうのも日常茶飯事だ。
     
     その出来事のおかげで、二日ほど仕事に集中できなかった。彼女にそんな風な態度を取らせてしまったことは私の責任ではあるけれど、皆が気にしない些細なことが気になって、考えても仕方がないと思う一方で、どうにかしなければと考えてしまう。
     性分、といえば簡単ではあるが、こんなことが大小さまざま日常茶飯事に起きるのだ。外から帰宅すると気疲れしてしまって、ここ数年は「人と仕事をすることが向いていないかも」と感じるまでになってしまった。
     だからこそ、プライベートでは友達を積極的に誘ったりせずに一人で過ごすことが増えた。どんなに気心が知れた相手であっても、一緒にいることでどこかで無意識にアンテナを張り巡らせてしまう。要らぬ心配が頭を占めていくのだ。
     そんな自分に気づくようになってから、私は少しずつ一人で過ごすことを選んだ。それが誰にとっても幸せだと思ったから。

    *

    「大丈夫?」
     おばあさんの不安げな声に気付き、ようやく我に帰る。少し思い出してしまって、と告げると、おばあさんは優しく微笑んだ。白髪が美しく切り揃えられ、窓からの光に触れるたびにきらきらと輝く。まるで春の木漏れ日に包まれているような感覚だった。
    「何かあなたも思い出したことがあったのね。ふふ、いつも頑張っているのねえ」
    「……おばあさんは、どうやってそういう辛さを乗り越えたんですか」
     そうねえ、と上を見上げておばあさんが考えるような素振りを見せた。だが、彼女の答えは意外にもあっさりと返ってきた。
    「気にしがちな自分を、気にすることをやめたのよ」
     うまく話が飲み込めなかった。気にすることをやめる? それができれば、もっと早い段階で私は苦労せずにいられたはずだ。何度も気にしたくないと、こんなことを辞めたいと願って、時には気づかないふりをした。それでも、結局他の誰もが気にしていないと気付くと「私が何とかしなければ」と思い始めてしまう。それをどうやってやめるというのか。
     眉を顰めて固まっている私に、おばあさんはもう一度微笑んだ。
    「ずっと気にしていたのよ。『私ってなんでこんなに細かいのかしら』って。神経質なのかしらって、若い頃は何度も気を揉んだの。旅先でも枕が変わるとすぐに寝付けなくてね。あなたはどう? 枕が変わったら寝られないんじゃない? お父さんも、お友達も、みんなこういう列車の中でもすぐに寝てしまうの。でも、私は全然だわ。音も気になるし、荷物だって。誰かが通るたびに気になってしまうしねえ」
     私も列車の中や旅先ではなかなか寝付けないので、おばあさんの話はよく理解できる。枕が変わると、というよりも、環境そのものがいつもと違うと気になってしまう。かといって、自宅なら安心して寝ているのかといえば日による、としか言いようがない。
     布団に入ればすぐに眠くなる日もあれば、妙に時計の針が動く音が気になって眠れない日もある。昨日は気にならなかったはずの、カーテンからうっすらと漏れる光が耐えられなくて、何度寝返りを打っても寝付けない日がある。
     こんな自分を、神経質だなと嫌気が差していた。おばあさんと同じように、何も気にせずすぐに眠れる友人も、かつての恋人も、うらめしいと思った。
     おばあさんも、何度そんな瞬間を過ごしたんだろうか。
     その度に込み上げる孤独を、どうやってやり過ごしてきたんだろう。

    「私ね、ある時思ったのよ。それでいいじゃないって。世界には八十一億人もいるんですって。だったら、その一部ぐらいは私と同じように色んなことに敏感になって、それでも何とか生きている人もいるんじゃないかしらって。色んなことに気付きやすいことは、嫌なことだけじゃなかったわ。空が美しかったり、風が心地よかったり、花が揺れているだけで幸せな気持ちになったり。そういう瞬間だって人一倍楽しめてるってことだもの。あなたはどうかしら?」
     そんな風に考えたことがなかった。いつも苦しい部分ばかりを見て、良い面があることなど思いつかなかった。
    「……そういえば、小さい頃から空気のいい場所で風に当たるのが好きでした。澄んだ空気のなかでいるだけで、気持ちまで穏やかになれるような気がして。特に理由はなかったけれど、私も実はずっと良い面も感じられていたんですかね」
    「ふふ。そうかも知れないわね。大丈夫よ、どんなことにも悪いことだけじゃなくていいこともたくさんあるの。今まで気付きにくかったのなら、これからたくさん気付けるはずよ。楽しみが増えるわね」
     おばあさんは、きっと沢山の苦しさを乗り越えてこうして笑っているのだろう。過去にどんなことがあったのかは分からない。私もいつか前向きに思える日が来るのだろうか。
     
     人並みの人付き合いはしてきた。恋人だっていた。
     稀に連絡を取って食事に行く友人もいる。だけど、あっという間に過ぎていく「大人」としての時間は、私の役割をさまざまに変化させていく。
     数年前まで新人社員として甘やかされていたのに、年を重ねるごとに後輩が一人二人と増え、転職をしても中堅ポジションのままで。周りを見回せば、部署内で上から数える方が早い。それでも、直属の上司が異動するなり転職するなりしてくれなければポストの空きがないので、これ以上の昇格は望めない。
     じゃあ、いざ上司の立場になりたいかと言われたら、きっとそうではないのだと思う。誰かの上に立ちたいわけではない。今の仕事に意欲的なわけでもない。
     後輩と上司に挟まれて、微妙な立ち位置にいる。上司は下の教育をしろというし、言い方に気をつけなければ数年しか変わらない後輩にはお局扱いされてしまう。いつか、他部署の同期が「最近の若い子は扱いが難しい」なんて年寄りじみたことを言っていたけれど、その時の私はまだピンときていなかった。
     数個しか違わないのよ、なんてその時は言っていたけれど、今ならその気持ちはよく分かる。よく言えば、若い世代の社員はワークライフバランスの取り方がうまいのだと思う。違うなと思ったことは、上司だろうがなんだろうがきちんと伝えることもできる。
     そういうのを生意気だと言われがちだった私たちの世代からすれば、もはや彼らのそれにジェネレーションギャップを感じざるを得ない。

     好きで歳を取っていくわけじゃない。
     日々のことを懸命にこなすうちに、否が応でも歳は取る。仕事をこなしながら、実生活のことも熱心だった子達は、そこに加えて結婚という形が組み込まれる。
     私からすれば、その選択肢はいちばん程遠いものだ。恋人がいた頃は、それなりに「いつか」と考えた。けれど、二人で過ごす時間が増えるうちに、やっぱり私の癖が邪魔をしてしまう。どうして脱いだ靴下を床に放ったままでいられるんだろう、食器が乱雑にシンクに置かれたままで気にしないんだろうか、空の缶ビールをそのまま置きっぱなしにして寝てしまうつもりなんだろうか、洗濯物をでたらめに畳んで気にならないんだろうか。
     付き合ってから一年は、そんな彼に気付くことができなかった。生活をするうえでの価値観の違いが、こうも小さなストレスを重ねていくことにも。
     初めの頃は、気になるのなら自分がすればいいのだと己の神経質っぷりを反省した。文句ひとつ言わず、彼が乱していく生活空間を元に戻していった。
     けれど、それがいつしか彼の中で当たり前になってしまった。そう気づいた瞬間があった。同居していたわけではないのに、彼にしてみれば随分と都合のいい話だ。
     ある時、風呂場の排水口に溜まった髪の毛を拾い集めていたときに、急に何もかもが許せなくなって「少しは自分で片付けたら」と訴えた。たまに泊まりに行けば風呂を借りることはあっても、このゴミの大半は家主である彼のものだ。
     いつも穏やかだった彼が、あんなに声を荒げていた姿を見たのは初めてだった。彼は、私に積もり積もった不満をぶつけてきた。いつも細かいところが気になっていた、こんな女と付き合ったつもりはないと。
     果ては、もう女としては見れないなんて言い出して、私もそれについカッとなって「じゃあもう好きにしなさいよ」と吐き捨てるように告げて部屋を出た。
     排水溝なんて、定期的に掃除しなければ水が流れなくなるんだから。それに匂いだって気になるようになるし、嫌な虫が好んで棲みついてしまうかもしれないのに。

     あの時は本当に腹が立ったけれど、以降なんとなく人と深く関わることが面倒になった。どんなに気の合う人を見つけても、この細かさがいつか災いになってしまう。そう恋人なんてどうでもいいやとすら思うようになった。
     もちろん、世の中には彼のような人ばかりではないことはわかっている。友達に一連の話をすれば、みな口を揃えて「それは元彼がずぼらなんだよ」と言ってくれる。
     でも、もうどうあっても一人が気楽に思うようになってしまった。今更誰かと出会って、一から自己開示をするのも面倒くさい。
     そもそも私のこの細かさに、付いてきてくれる人はいるのだろうか。
     おばあさんのやわらかな雰囲気が羨ましかった。過去にどんな苦しみを感じていたとしても、今はそれを乗り越えてこんなにも穏やかだ。どんな言葉も光に変えてしまうおばあさんが、いっそのこと眩く見えた。

     おばあさんは、はっとするほど鮮やかなミモザイエローのワンピースを身につけていた。あえて髪を染めることなく綺麗な白髪に揃えられた髪はショートでまとめられ、耳元にもきらりとゆれる耳飾りがついている。
     年はきっと私の祖母と同じぐらいだろうが、随分とおしゃれなんだなと気になった。
    「どうかした?」
    「あ、いえ……とっても素敵だなって。ワンピースもアクセサリーもよくお似合いですし、髪型も。私もそんな風に歳を重ねられたらって」
     おばあさんの考え方は、服装にもよく現れているような気がした。他の人を温かく照らすような陽だまりのような雰囲気がある。すごく『今の自分』を楽しめているのだと思う。
    「ふふ、ありがとう。とても嬉しいわ。若い頃から、おしゃれをすることが好きなのよ」
    「素敵ですね。どこかにお出かけなんですか?」
    「ええ、お父さんに会いにね。……ふふ、幾つになっても素敵だって思われたいなんて、若い人の前で言うのは恥ずかしいけれど」
    「とても大切な方なんですね」
     恥ずかしそうに微笑んだおばあさんが微笑ましくなって、私もつられて笑顔になる。
     お父さん、というのはきっと旦那さんのことなんだろう。自然と目線がおばあさんの手元に向かう。確かにきらりと、でも控えめに輝く左手の薬指が視界に入った。
     「ええ、そうなの」と答えたおばあさんは、少しだけ気恥ずかしそうに持っていたハンカチで口元を押さえた。どこを切り取っても、おばあさんの所作が美しいものだからつい魅入ってしまう。流されるままに大人になってしまったけれど、こういう美しい動きの一つ一つは身につけたいものだ。
     その動きを見つめていると、手にしていたハンカチが百貨店で取り扱っているような、少なくとも私のように適当に見繕ったものではないことに気付く。ハンカチには花柄が散りばめられ、淵にはレースがあしらわれている。
     細かな部分にも気を遣っていることに、ますます好感を持ててしまう。
    「あの人の好きなお花を買って、会いに行くのよ。あとは、これが好きだったの」
     おばあさんが手にしていた紙袋から、先ほどのぶどう大福より小ぶりの小箱を取り出した。包み紙には『かりんとう』と書かれている。
    「かりんとう……」
    「そうなの。このお店のかりんとう、召し上がったことあるかしら? 薄焼きのおせんべいみたいな形をしているんだけど、すごく美味しいのよ。お父さんの好物でね。しょっちゅうこれを食べたいって。いい歳して、ここのかりんとうが無いと機嫌が悪くなっちゃうのよ」
     店先でそんな商品が並んでいたのを見たことがあったような。
     おばあさんの説明を一つ一つ聞きながら、そんなに美味しいなら今度買いに行ってみようと密かに決意する。ついでにぶどう大福も置いてあったら久しぶりに買ってみよう。
    「今日がお父さんの誕生日でね。あの人、いくつになっても誕生日を祝ってあげないと、拗ねてしまうの。今はあの人が好きな海辺近くで眠っているのよ。毎日波の音が聴けて、幸せなんじゃないかしら」
     その言葉の奥にすぐに気づいた私は、それまで呑気に話を聞いていたことを恥じた。
    「すみません、聞きすぎました」
    「あら、いいのよ。もうお父さんが居なくなってから、何年も経ったもの」
     亡くなった旦那さんのために、おしゃれをして、誕生日を祝うためのお出かけ。この方は、とことん自分のことも、生活も、身の回りに広がる世界の全てを大切にしている。
     なんて素敵なんだろう。どういう人生を歩んで、今日まで過ごしていたのだろう。
     そんな方の人生と、ほんの少しでも交わることができた今日は、それだけで出かけた甲斐があった。今日、勇気を出して休んで本当に良かった。
    「仲が良かったんですね」
    「どうかしら、一緒に過ごしていた頃は喧嘩もたくさんしたわよ。結婚する前はあんなに優しかったのに、家庭に入った途端にわがままな部分もたくさん見えてしまったの。でも、……そうねえ。こうして離れてみると、あの頃は楽しかったんだわって思えるのよ」
     その話に踏み込んでいいのかと、一瞬戸惑う。
     「結婚をする前は優しかった」という話は、おばあさんだけではなく既婚の友人たちからも聞く話だ。見えなかった部分が、結婚したことで見えてしまっただけ。不確定な関係性が揺るがないものへと変化したことで見せる甘え、……いずれもこれまでに似たような話をしてきた友人たちが理由づけたものだ。
     そのどれについても尤もらしいと思いながら、——心のどこかで、結婚をすること自体にネガティブなイメージばかりを感じるようになった。結婚をすることで、多少の制限はあるのだと思う。それまで全く異なる家庭で価値観を育んだ者同士が、一つ屋根の下で何十年も暮らしていくのだから。
     とはいえ、未婚の私にはいずれも想像の域を出ないものばかりだ。
     ただ、おばあさんの言葉には不満のなかにも、どこか別の感情を滲ませているように見えた。その正体が、どうにも気になってしまって。

    「結婚して良かったですか」
     自分でも思いがけない問いかけに、思わずはっとした。次の瞬間には「すみません、忘れてください」と謝罪をしたけれど、おばあさんは嫌な顔ひとつせず「もちろん」と答えた。
    「私は幸せだったわよ。もちろん、結婚をすれば面倒に感じることもたくさんあったけれど、それでもこうして……居なくなっても、毎月の月命日や誕生日に会いに行けるのが嬉しいのよ。あの人の好きだった海の近くで、波の音が聞こえる場所で、いつでも笑って待っていてくれるような気がするの。海に行けば、あの人の声が聞こえるのよ。それが嬉しくて、年甲斐もなくお洒落をして会いに行かなくちゃって思うのよ」
     あの人がどうだったかは知らないけどね、とおばあさんが付け加える。
     そのいたずらっぽい笑みすらも可愛らしくて、きっと旦那さんはこんなところが好きだったんだろうなと思う。
    「あなたは、どう? 結婚したいって思う?」
     その質問は、少しだけ心に刺さった。
     どこに行っても、この年代の未婚女性と分かれば付き纏う質問だった。それは社会からだけではなく、両親や親戚からも同じだ。
     いつ結婚するのか、孫はいつ見られるのか。
     その質問をした親に一度だけ強く反発をしたことがあってから、母親は直接的に話題に上げてくることはなくなった。しかし、会話をするたびに「結婚をすれば色々と変わるものよ」とほのめかしたり、学生時代の友人の誰々が結婚したんですって、とどこから仕入れたか分からない話を持ち出してくる。
     そんな回りくどい会話をするぐらいなら、いっそ例の質問をしてくれればいいのにとすら思うけれど、私は何も気づかないふりをしてその場をやり過ごす。それがどんなに面倒で、苦しいことか。
     質問の後で黙ってしまった私に気づいたおばあさんは、すぐに「違うのよ、」と付け足した。
    「別に結婚をしなさいだとか、説教したいわけじゃないのよ。色んな生き方の選択肢があるでしょう。だから、結婚をしないことだって選んでもいいと思うのよ。あなたの人生ですものね」
    「気を遣わせてすみません……つい、色んな場所で聞かれるので身構えてしまって」
     いいのよ、と丁寧におばあさんが断ってくれる。おばあさんの言葉を聞いて、少しだけ安心できた。きっとこの人は、私の考えを知ろうとして聞いてくれたのだ。
    「結婚は……昔はしたいと思ってました。本当に小さい頃は。でも、年々そういう気持ちが薄れてしまって。さっき話したことにも繋がるんですが、色々と気にしてしまうから一人で居る方が気が楽だなと思うことは多くて。そんな私を理解してくれる人がどこかに居るかもしれないけれど、わざわざ探す気にもなれなくて」
    「確かに、出会いたいと思っているだけでは難しいかもしれないわね」
     その言葉にどきりとする。先ほどまで朗らかだったおばあさんの次の言葉を聞くのが怖い。
    「でも、いいんじゃないかしら。無理に焦ったって、いい人なんて捕まらないわよ。何事も同じ。躍起になって探しているときはね、きっと執着していてチャンスを見逃してしまうのよ。でも、心に余裕があるときは小さな石ころ一つでも、何かのチャンスになるかもって思えるようなことがあるものよ」
    「……確かに、これまでにそういうことが何度もありました」
     そうでしょう、とおばあさんが頷いた。なぜだか無性に気持ちを吐き出したくなって、話を続けた。
    「数年前、転職したくて仕事探しをしていた時があったんです。早く転職したかったのもあって、必死に条件の合う会社を探していたんですが全然いい会社に巡り合うことはできなくて。諦めた頃に何気なく見つけた会社は、もともと考えていた以上に私にぴったりの会社でした。おっしゃるように、焦っていたんだと思います」
     手にしていたお茶の入ったペットボトルを握りしめた。辛かった時期が頭をよぎり、胸が苦しくなってしまう。

     条件がいいからと入社しかけた会社があった。面接の終わり、その場で採用が決まったのだ。しかし、やけに条件が良すぎる点が気になって口コミサイトを調べた。
     あまりの評判の悪さに怖気付いた。
     そもそも私は、心労が祟って転職をしようと決意したのだ。口コミに書かれた「パワハラが横行している」だの「給与が未払い」だの……、字面を見るだけでストレスが込み上げてくる。
     結局、その会社は辞退をしてその他にもいくつか面接を受けた。
     しかし、今度はいきなり募集部署の上司と一対一で面接となり、ことごとく人格否定をされたうえに直前に来ていた面接の子は話も盛り上がったのに、と嫌味まで言われてしまった。感触的に受からないことは感じていたけれど、たとえ受かったとしても辞退しよう、なんならあの会社の製品は二度と買いたくない……そう思っていると、その面接で味わった苦しみが癒えた頃に、その会社の社長が不祥事を起こしたとかで週刊雑誌に取り上げられていた。
     詳しくは見ていないが、社風としてもパワハラ、人格否定は横行していたようで、そのいくつか後の週の号では暴力や恫喝が行われていたことをルポライターの取材記事が特集されていた。その見出しを見ただけで、己の妙な嗅覚にぞっとした。
     今思えば、おばあさんの言うとおり「焦っていた」時期だったのだと思う。不思議なほどに嫌なものばかりを引き寄せていた。それでも、学生時代の友人が楽しそうに、そして誇らしそうに仕事を話すたびに感情が刺激されてしまう。そのうち、感覚が曖昧になっていって「多少の労働条件の悪さは、許容すべきなんじゃないか」という感覚さえ抱いてしまっていた。
     いまの職場に決まったのは、本当に偶然だった。
     仕事探しを諦めた頃に、たまたま古い知人と会う機会があり世間話のついでに転職活動をしていた話をした。すると、ちょうどその知人の会社でもリファラル採用を積極的にやっている話を聞き、あれよあれよという間に1ヶ月後には採用が決まっていた。
     比較的若い社員が多い会社で、社風も今どきの会社だ。有給取得率も悪くないし、労働環境で困ることはあまりないから、と知人にも太鼓を押してもらった。
     あれは、私が何かを手放せたタイミングだったのだろうか。運が良かったとしか考えていなかったけれど、自分の中での拘りをうまく解消できていたのなら。

     そして、もうひとつ。
     転職の次に焦っていたこと。

    「結婚相手も……一時期、結婚しないといけないのかな、って色々と躍起になっていたんです。親たちのプレッシャーもすごくて。でも、やっぱり思うようには出会えませんでした。だんだんと苦しくなって、もういっかって思ってしまったんです。疲れてしまったというか」
    「ふふ、休んでいいのよ。疲れたのなら、立ち止まっていいの。結婚なんて、したからって幸せだとは限らないんだし。まあでも、ご両親はどうしてもあれこれ口を出したくなってしまうものよね。心配なことは分かるけれど……」
     両親、ね。心の中でぽつりと呟いた。
     胸の奥が少しだけ痛む。
    「昔ほどは口を出してこなくなりましたが、やはり言われることはあります。おっしゃるとおり、心配だから言ってくれていることは理解できるんです。けれど、もう無言の圧をかけられることも苦痛になってしまって。いっそ実家には寄り付かなくなってしまったんです」
     生まれ育った家を出てから、実家に帰省する機会は何度かあった。最初の年は、一番マメに帰省していたと思う。そのうち年に一、二回程度になり、回を増すごとに滞在期間も短くなってしまった。
     実家を出るまでは、あの家が私のルーツであり、居心地が良く安心できる唯一の場所だと思っていた。学校で嫌なことがあっても、家に帰れば外界の全てから守られている。そう思えたのだ。

     それがどうだ。
     家を出て、見知らぬ土地で一から自分の生活をスタートさせてみると、あの生まれ育った家にはいくつものしがらみが渦巻いていたことを思い知った。
     父も母も、あまり細かく干渉しないような親だった。
     そのお陰で自由奔放に学生時代を謳歌していたようにも振り返ることができるが、それは単にほったらかされていただけのようにも思う。
     私はいい大人になった今でも親の顔色を伺うことが多く、親を前にすると意思決定が途端にできなくなってしまう。意志がないわけではないが、他の人の考えを無意識に感じ取ってしまう分、それをなおざりにできない。
     母親はきっと私にこうさせたいと思っているんだろう、という思考が先に立つ。自主性の育った子どもであったとは、あまり自分では思わない。
     父は、家庭の一切を母に任せるような人だ。父親とは概ねそういうものなんだろう、とドラマや漫画などの影響からそう理解していた。
     だが。大人になるにつれて、単にそれは他人の努力に胡座をかいて乗っかっているだけだと思うことが増えた。自然と会話は無くなってしまって、口を開けば昔はどうだった、ああだった、という回顧ばかりだ。特に小さい頃の私はよく笑っていたのに、今は笑わなくなったなと嫌味を言われるたびに、無邪気で何も知らなかった頃の私ばかりを慈しんで、今を見てくれないことが苦しかった。まるで、「今のお前はだめだ」と言われているようで。

     母親と父親それぞれの無言の圧力が、私に対し「そうあれかし」と呪いをかける。
     結婚に対しても同じだ。アプローチや説得しようとする内容は異なるけれど、結局二人ともが口を揃えて「結婚はまだなのか」と圧をかける。
     直接的な言葉がなかったとしても、態度が、視線が、暗にそう伝えてくるのだ。そんな二人の言動を見るにつけ、いつまで親の思い通りにならなければならないのか、と少しだけ冷めた気持ちが腹の奥底に芽生える。
     
     自活をするようになり、私は少しずつ自分がどういう人間であったのかを思い知った。学生の頃は、自室にはいつも物が溢れていた。部屋の片付けはどうも苦手で、部屋を片付けろと何度も怒られた。
     他にも、あの頃の私は時間にものんびり構えがちだった。そんな私に、両親はいつもあれこれ口を出してきた。早く寝なさい、早く起きなさい、間に合わなくなるわよ。急かされてばかりの生活。
     確かに『のんびりやさん』だということは、小学校の通信簿にも書かれたことがある。自分でもマイペースだと感じることはあるし、他者から見てもそうなのだろうな、という自覚もある。だが、親からすればそんな生やさしい言葉では済まなかったのだろう。
     どんな家庭でもこういうやりとりはあっただろうと思いながら、あの頃の私はいつも否定されているような気持ちで生きてきた。ダメな子だとレッテルを貼られ、よその大人が褒めてくれるたびに「この子なんて」と言葉を返す。私はいつも親を困らせて、迷惑をかけてしまう。だらしがなく、ルーズな人間。いつしかそんな風に考えるようになった。
     そんな自分が嫌だと落ち込んだこともある。
     そんな私が一人暮らしを始めると言ったとき、両親はやっぱり笑った。「あんたが一人暮らしなんてできるの?」と。
     その言葉に返事もせずに、私は食卓を賑わせていたテレビを眺めた。いつまでも、私を親の思う「ダメな子」だという型にはめようとするところが、窮屈で大嫌いだった。

     家を出てから、当然のごとく生活の一切の責任が己にのしかかった。
     初めはそれが不安だったけれど、いざ生活を始めてみると、だらしのない自分なんてどこにもいなかった。
     定位置に物が置かれていないと気が済まない、掃除機は二日に一回はかけなければ落ち着かない、どんなに疲れていても取り込んだ洗濯物を片付けないと就寝できない……むしろ神経質かと思うほどに、部屋は整えられている。
     全てを完璧にやろうと思ったこともないし、時々は何もかもが嫌になって手を付けられない時もあった。それでも、かつて怒られたような言葉をかけられるような人間は、どこにもいなかった。
     振り返ってみると、物心着く頃から実家は常に物に溢れていた。父も、母も、それぞれ部屋は物が散乱していて、片付いている部屋に居た状況を思い出すことができない。
     だからこそ、私自身も混沌とした部屋に対して違和感を感じなかったのだ。ものが溢れていることが、あの頃の私にとっては当たり前だったから。
     だが、家を出てみれば当時の生活は紛れもなく「だらしのない」と言わざるを得ないものだった。両親の部屋も、そしてそれを良しとする両親自身に対しても、私は少しずつ価値観の違いを感じるようになった。 

     ここまで育ててもらったことへの恩はある。実家に帰れば、何か美味しいものをと準備して、明確な言葉にはしなくとも喜んでいてくれていることは伝わってくる。二人ともに、悪い人なわけではない。
    ——だからこそ、難しい。
     悪意があってしていることなら責められる。だが、あの生活は彼らにとっての日常だ。人の思う「当たり前」ほど個人差が生じやすく、ずれに気づきにくいものはない。だが、もう私にとって、あの暮らしを日常だとは思えない。仮にあれが二人の「当たり前」だったとしても、今の私からはそうは思えない。過去を思い返すたび、私の日常からは掛け離れていく。
     そうしていつしか居心地の悪い家に寄り付かなくなってしまった。
     あの家は、私にとってずっと変わらぬ還る場所だと思っていたけれど、今はもはや他人の家だとしか思えなかった。

    *

    「……あら、大丈夫?」
     隣の席から、おばあさんが私の顔を覗き込んできた。彼女の瞳と目が合って、私は電車のなかにいたことを思い出した。
    「すみません、ちょっとだけ実家のことを思い出していたんです」
    「いいのよ。私こそごめんなさいね。みんながみんな、実家のことを大切に思えるわけではないわ」
     その一言にほっとした。と、同時に苦い気持ちを呼び覚ます実家を恥じた。
     きっとこのおばあさんの家で過ごせていたら、大人になってもこんなことに悩む必要はなかったかもしれない。いや、むしろこんな人間に育っていなかっただろう。
    「実家は居心地悪いぐらいで良いのよ。あなたにはもう、あなたの生活があるんでしょう? だったらそれでいいのよ。立派なことよ」
     そうでしょう、とおばあさんは優雅に笑う。長く感じていた罪悪感が少しだけ薄らいだような心地がする。
    「父と母と、極端に仲が悪いわけではないんです。ただ、大人になっていくにつれて両親の不完全さだったり、同じ大人として釈然としない部分を見つけてしまう瞬間が増えてしまって……」
    「そりゃあ、戸惑うわよねえ。幼い頃から、両親はあなたにとってルールのようなものだもの。絶対的な存在なように見えていたとしても、両親だって完全な存在ではないわ。だから、その不完全な姿を見て戸惑ってしまうのね」
    「ずっと苛ついてました。なんでこんなに違うんだろうって」
    「それだけ、きっとあなたがきちんと自分の価値観に合う生活を見つけて実践しているってことなのね。だとしたら、あなたは立派に自立できているわよ。きちんの自分に合う生き方を選んでいるってことよ」
    「……なんだか、全てを自分のわがままのように感じていました。でも、そんな風に思う必要はないんですかね」
     おばあさんがゆったりと笑みを浮かべて「あなたらしいわ」と呟いた。
     低く、穏やかな声だった。
    「どんなに仲のいい親や家族であっても、あなたとは別の価値観を持つまったく異なる人間なのよ。あなたの価値観が育まれていくなかで、少しずつずれ始めることは当たり前だわ。大切な誰かとすれ違って行くことは切ないかもしれないけれど、あなたがあなたの人生を選ぶことは何の間違いでもない。相手がそれで苦しみを感じたとしても、あなたが耐えていい理由にはならないわ。覚えておいて。どんなに苦しい時があっても、あなたが責任を持てないほどに誰かを優先する状況からは線引きしていいの。背負いきれないものまで背負っていたら、あなたが壊れてしまう」

     ふと、今朝会社を休むと決めたときのことを思い出した。
     大きな出来事があったわけではないけれど、何もなかったわけではない。だが、このまま日常を続けていけば、きっとどこかで壊れてしまうという不安があった。私が私ではいられなくなる。それどころか、明日、目を覚ませているかもわからなかった。
     日常で積もりに積もったものが、真綿のように私をじわりと苦しめていた。その気配にうっすらと気付いていながらも、「今日はまだいける」と奮い立たせ続けた。その結果、ゆるやかに動けなくなってしまったのだ。
    「今日、ほんとうは会社に行くことが怖くなったんです。淡々と仕事ができればいいんですけど、人に会うのが怖くなっちゃって。何かが起きたわけではないんです。ただ、日常の疲れが少しずつ溜まっていったような感覚があって……この状態で職場に行ってしまったら、私きっと自分のことを嫌いになってしまいそうで」
    「……お仕事が嫌い?」
    「会社自体は働きやすくて不満はないです。でも、最近じわじわと板挟みを感じるようになりました。年が四、五つ離れた後輩からは、もはや私のことはお局のように扱われてしまって。ちょっとした会話に入りたくても、なんだか若い子に混じって何してるんだろう、って思われているんじゃないかって。それに、立場上その子たちに注意をしないといけないこともあって。仕事と普段とは区別すべきものだと思っているんですが、やっぱり仕事で注意した後は休憩室で会っても気まずそうにされちゃって」
     おばあさんは両手を折り重ねて、狭い座席でも私の方にできるだけ身体を向けて話を聞いてくれる。その姿勢が丁寧で、私の心をそっとほぐしてくれるような心地がした。それだけで、今の私には十分な救いだ。
    「……昔から、逃げ癖があるんです。嫌なことがあるって思うと、心が重たくなって『学校行きたくないなあ』ってそればっかり考えてしまって。回避できる方法を探してばかりで。でも、それで避けられないこともあるんですよね。ただ先延ばしにしてしまっただけのこととか。やってみたら、思ったよりもあっさり終わったことも多いんですが、それでも逃げてしまった経験が多くて」
    「ええ、分かるわよ。どうしても不安が付きまとうのよね。しなければならない、と思うと余計に」
     おばあさんがシワだらけの手をぎゅうと握り拳を作った。その仕草に、何かを思い出させてしまっただろうかと不安になる。
    「私も、そんなことが何度もあったわ。その度に、自分のことを嫌になってしまうの。それでも、嫌なことは生きていれば付き纏うもの。その度に心がすり減ってしまうのよね」
    「……はい。そんな自分のことが嫌いで、嫌なことを全て避けてきたわけではないんです。向き合ったこともありました。でも、時々ふっとダメになってしまって」

     昔、父に怒られた記憶が蘇る。
     気にしすぎな自分が災いして、ストレスでいっぱいになってしまった時に学校に行くのが怖くなった時期があった。母はそんな私に寄り添って、あるいは腫れ物に触るような接し方をしていたけれど、学校に三日目の休み連絡を入れたあとで急に父親から叱られた。逃げ癖をつけるな、嫌なことなんて人生にはいくらでもある、と。
     そんなことは頭でも分かっている。言われなくても、痛いほど知っている。
     それでも、時々前に進むことが苦しくなって、前に進むことができなくなる。それどころか、自分の殻に閉じこもっていないと自分自身が崩れてしまいそうで、誰とも会話すらできなくなる感覚を何度も味わっていた。
     単に勉強が嫌だったわけでも、友人関係で何かトラブルを抱えたわけでもない。
     少しずつすり減らしていった心が、たまたま臨界点を超えてしまっただけで。

     父の言葉は深く私の心をずたぼろにして、これ以上休むことで余計に傷つくかもしれないと思い、翌日からは学校に戻った。母からは、体調不良だと学校に伝えてくれていたので、長い休みのあとで登校すると友達から「風邪ひどかったんでしょう?」と心配をされた。ちくちくと胸が痛んだけれど、私は笑って大丈夫だと返事をした。
     それ以来、逃げることをしなければ自分が保てなくなってしまう感覚と、逃げようとすることでこだまする父からの叱責で苦しみは増えた。大人になって、実家を出た今でもふとした時に当時の言葉が蘇る。

     言葉とは、教育とは、時として呪いだなと思う。
     こんな大人になった今でも、当時の言葉が呪いのようにあちこちで付き纏ってくる。それを振り切りたくても、ふとした瞬間に揺り戻されてしまう。
     いつかこの呪縛から逃れることができるだろうか。そればかり考えて、幸せなど程遠いといつも悲観的になってしまう。
    「きっと本当にいろんなことを頑張ってきたのね。あなたは」
     その言葉が優しく染み込んでいく。過去を思い出すだけで、優しさを向けるだけで目元が熱くなってしまう。俯いて、このままだと涙が出てしまうと堪えていたところに、おばあさんの優しい声色が染み渡る。
    「完璧じゃないと済まないんじゃないかって、無意識のうちに考えてしまっているのかもしれないわね。でもね、全てを完璧にできる人なんていないわよ。得意もあるし、不得意もある。でこぼこがあるからこそ、人って味があって面白いのよ。あなたは親の操り人形でも、ロボットでもないでしょう。でこぼこしていたっていいのよ」
     先ほどまで己を握りしめていたおばあさんの手が、そっとこちらに伸びてきた。膝の上に置いていた両手を、やわらかく包み込んでくれる。シワのある、それでいて温かな手。どことなく懐かしく、よく知っているような手の感触。不思議な感覚に襲われたが、ひどく安心できた。目元に集まっていた熱は、少しずつ凪いでいった。
    「小さい頃から、きっとあなたはよく頑張ってきた。いい子でいようと頑張りすぎたのよ。でも、もうそんなことであなたを叱りつけたり、理不尽な思いをさせてくるような人はいないはずよ」
    「頑張りすぎ……? 私が?」
     おばあさんの言葉が処理できず、思わず反芻してしまう。
     いや、違う。そんなのはおばあさんの買いかぶりにすぎない。
     私はもっと、人一倍努力しなければみんなに追いつけなくて、それでいて逃げ癖もあって、ダメなところばかりで、現に今日は仕事をさぼってしまっている。

     頑張りすぎているはずがない。仕事にだって、何の熱意もない。本音を言えば、人間関係が辛いから「会社」という枠組みで働きたくはない。でも、会社員を辞めて別の道を探すことの勇気がいつまでも持てないまま、なんとなく仕事を続けているだけだ。
     何か大きな目標や展望があるわけでもない。
     ただ漠然と、社会の歯車になることで「生かされて」いる。それだけなのだ。
    「ふふ、私からしたらあなたは随分頑張り屋さんのように見えるわ。きっと、あなたが今自分に対して『頑張っていない』と思うのなら、あなたが理想を高く見積りすぎているだけなのよ」
    「私、理想なんて……」
    「たとえばね、さっきの仕事の話でもそう。『ここまで頑張らないと』、『責任もってこれをやらないと』って、あなたはきっと思ってしまうのね。でも、それってきっとあなただけが頑張らなければいけなかった話でもないはずよ」
     仕事をしていると、いつも『なぜ私ばっかり』という思いが付き纏った。私ばっかりが頑張っているような気持ちになるたびに、自惚れているようでそんな考えを持つ自分が嫌だと思いながらも、私が一人で処理に追われているときに同僚や後輩がのんびり私語をしているのは、やっぱり理不尽に感じてしまう。人一倍仕事が降りかかってきて、それでもこなさなければ評価してもらえない。
     もうこれ以上頑張れないと思う自分と、頑張り続けなければと思う自分。そのどちらもの間で、いつも私は苦しめられていた。
    「きっと、そんな風に頑張りすぎていたのも今までたくさん周りのことを考えてきたからだと思うの。——……少し、おばあさんのお話を聞いてくれる?」
     優しく握ってくれていた手を解放して、おばあさんが優しく笑う。
     その笑顔は穏やかで、でもどこか寂しそうだ。
    「私の家はね、昔から両親ともに働いていたの。物心着く頃にはすでに二人とも忙しそうにしていたから、母は私が生まれてそう経たずに仕事をしていたんじゃないかしら。両親がそうだったから、小さい頃は、よく祖母が面倒を見てくれていてね。だから、一人にされて寂しい思いはしなかったけれど、祖母は客商売をしていたのもあって私の周りには、いつも大人がいたの。それも祖母ぐらいの年代の方がね。まだ小学校に入る前の子どもなんて、駄々をこねることなんて当たり前じゃない。でも、大人ばかりの場所にいるとね、子どもって自然と我慢をすることが増えてしまうのよ。幼いながらに、駄駄を捏ねて見捨てられないように、大人に可愛がってもらって生き抜く生存手段を身に付けて行くのよね。だから、周りの大人から見れば聞き分けのいい子どもだったと思う。でも、いつも私は我慢し続けていたの。無意識にね」
    「……私の家も、共働きだったので祖母が面倒見てくれていました」
    「ふふ、どこの家も似たようなことをするわね。子どもって、どこか敏感だからそういう扱いをされると、無意識のうちに『自分が邪魔者なんじゃないか』って怯えるのよ。だから、いい子に振る舞って少しでも嫌われないようにって……今考えても、あの頃の自分が可哀想だわ。とにかく、そういう幼少期を過ごしたの」
     おばあさんの話に思い当たる節が多くて何も言えなくなってしまう。
     確かに私も、小さい頃から大人たちに「かしこいね」「えらいね」と言われていた。それは別にそうありたいと振る舞ったわけではなく、もしかしたら、自然と、あるいは無意識のうちにそう振る舞っていたのかもしれない。
     母親は外で騒ぐ子どもが嫌いで、それを察していた私は出先で泣き喚いたことなどほとんどなかった。母親が「あんたは大人しいわね」という度に、それがかえって私の感情を縛りつけた。嬉しくて大騒ぎすることもなければ、泣きじゃくることもない。感情の出し方が、よくわからなかった。
    「そういう人生を続けると大人になっていくにつれて、人の顔色を窺う癖が拭えなくなってしまうのよ。そりゃそうよね。小さい私にとっては、親や面倒を見てくれた祖母が社会のすべてだったもの。その頃に、そういう人との接し方を学んでしまうと社会に出ても同じようになってしまうの。……そんな自分に気づかない限りはね」
     おばあさんの声は淡々としていて、どこか鋭い。
     先ほどまで朗らかに微笑んでくれていた人とは、どこか違う印象を受けた。それでも、話の内容は深く私に突き刺さる。まるで、私のことかのように追体験をさせられてしまう。
    「友達、先生、そしてもちろん両親……どんな時も無意識に人がどう思っているのかが不安になって、先回りしてどうにかしようとしたり常に完璧を目指そうとしたりして。自分自身の失敗や不完全さを許せなくなるのよ。分かるでしょう」
     思い当たるどころではない。
     おばあさんの話を聞きながら、まさに私の幼少期を準えていた。

     世の中には、親からの虐待を受けていたり、崩壊した家庭環境で生活をしている子どもがいる。私はそんな家で育ったわけではないし、衣食住に困ったこともない。それに、愛情だってそれなりに受け取ってきたはずだ。
     だからこそ、この苦しみの一端に親がいることに気づいた時に、どうすることもできない痛みが胸に突き刺さった。悪意のあるものであれば、こちらも怒りを正しく向けることができる。そうではないから、誰かのせいにしたり責めることもできずにやり過ごすしかできなかった。
     自分を責める時に、いつも過去の両親の言葉が過ぎる。こんなにも大人になったというのに、それでもまだ、かつて子どもだった私が傷ついた記憶が通り過ぎていく。
    「私がそんな自分に気付いたのはね、大人になって随分経ってからなの。それまでうっすらとした自覚はあっても、きっと自分の過去と向き合うことすら怖かったんだわ」
    「……今、苦しむことはありますか」
    「ふふ、実はね。今はそうでもないのよ。時々、確かにふと思い出すことはあるの。けれど、それに強く引っ張られてしまうようなことは無くなったわ。それはきっと、自分の心に目を向けるようになったからなの。人のことが気になったとしても、でも私の本当の気持ちを知っているのは私だけで、それを守れるのも私しかいない。そう、強く思うようになったからなの。大丈夫、そんな自分に気付けた日から、少しずつ過去のあなたを癒すことができるようになる。これまでのあなたは、きっと他の人のことを大切にしようとして自分のことを後回しにしすぎただけよ。これからは、少しずつ自分のことにも目を向けてあげなさい」
     その優しくも、どこかこちらを射抜くようなおばあさんの目を見つめながら、どこか不思議な感覚があった。初対面の女性なのに、私の母親と重なるような感覚。決して似ているわけではないのに、どうしてそんなことを考えたんだろう。
     この感覚は、恐らく親近感がそう思わせているのだろうと思った。
     もしかしたら、声をかけられたあの瞬間から、どこかそんな直感を抱いていたのかもしれない。だから、こうして見ず知らずの人にもあけすけに話ができているのかもしれない。
     過去の自分を思う時、いつもどんな気持ちだったろうと思い返すと苦しくなる。
     もちろん、楽しかった日々はあった。花の美しい公園に連れ出してくれたとき、家族で毎年訪れる蛍の見える保養施設。でも、その瞬間の前後には幼いながらに大人たちの顔色を伺い、泣きじゃくったりわがままを言わないように努めていたことを思い出す。
     過去の恋人たちに、どうしてそんなに強がるのかと、もっと甘えて欲しいと言われるたびに、そうしたいと願いながらもできなかった自分が居たことをうまく説明できなかった。甘えることで嫌われないように、面倒だと思われないように。

     それは、私の幼少期から無意識に身に付けた、生存戦略に過ぎない。
     完璧主義であることにも自覚はあった。職場ではしょっちゅうそんな自分に苦しんでいたからだ。そんな自分を変えようと本を読んでみたけれど、それでも耳触りの良い言葉と無責任な「大丈夫」が並んだ言葉たちは何の参考にもならなかった。
     結局は自分自身が過去と向き合い、一つひとつの過去を、思いを手放していかなければならない。一朝一夕で叶うような話ではない。数ヶ月も、もしくは何年もかかるかもしれない。
     そんな気の遠くなるような話に「もう変わることはできない」と何度も絶望した夜もある。それなのに、今日の私はまたそんな未来を信じたくなっていた。
    「私も、おばあさんのようになれますか」
    「なりなさい。きっとなれるわよ、あなたなら」
     その言葉は力強く、そして全てを包み込むような温かさだった。

    *
     
     座席足元のヒーターが熱くなって、ふと意識が呼び戻される。おばあさんと話をしていたはずなのに、いつの間にかどうやら眠ってしまっていたらしい。
     ずっと同じ体勢をしていたからか、流石に腰が疲れてしまった。座席でぐぐ、と上半身を伸ばして「そういえば、」とおばあさんの方を向き直した。
    「あれ?」
     先ほどまでそこにいたはずのおばあさんは、もう何処にもいなかった。眠ってしまったと言っても、せいぜい十分とかそこらだろう。あんなに色々と荷物を持っていたのに、こんな短時間で居なくなってしまうだろうか。前の駅を出発してからは随分と経つ。次は私が目指している終点の駅だ。
     どこかに行ったのだろうかと立ち上がって、車両の連結部分に向かってみる。けれど、やっぱりそこにはおばあさんは居ない。車内を見返してみたけれど、終点まで乗車している客はすっかり減っていて、車両にはぽつりぽつりと人が乗っているだけだった。
     もう一度車内を注意深く見返した。あの白髪が美しい老人は何処にもいない。あんなに鮮やかで美しいワンピースを着ていたから、遠くにいてもすぐに見つけられそうなのに。

     少しだけその場で立ち尽くしていると、先ほどまでの会話がどんどん曖昧になっていく。実は、夢か幻でもみていたのだろうか。
     そもそも、電車の中で眠ってしまったのは何年ぶりだったんだろう。いつもなら、どんなに足元の暖房や揺れが心地よくても、眠ってしまうことはない。首をもたげていても、眠ることはなくただ揺られているだけ。
     おばあさんと話をしていたはずだったけれど、実は全て夢の中の出来事でだったのだろうか。夢の中で、私はあの笑顔の素敵なおばあさんと話をしていたのだろうか。こんなにもリアルに、おばあさんが握りしめてくれた手の感触が残っているのに。

     窓から見える風景が、少しずつ海に近づいている。
     出発した頃はあんなに青空が広がっていたけれど、いつしか雲が青空を覆い隠している。それでもどんよりとした曇り空ではないことは幸いだった。むしろ日差しがきつくないので、散策はしやすいかもしれない。
     そういえば、現地で何をするのか考えていなかった。
     電車に乗ったら調べればいいと思っていたから、海以外に行きたい場所を決めていなかったのだ。せっかくなら海鮮が安く食べられたら嬉しい。あまり調べすぎずに、ふらりと気になった店に入ってもいい。
     行きたい場所が見つからなければ、ただ海沿いでぼんやりするだけでもいい。
     なにせ、今日は海が見たかったのだ。今住んでいる地域には海がないので、海のある県で生まれ育った私は、無意識のうちに海を求めていた。昔ふらりと海を見に行って、何をするでもなく眺めて帰ることがあった。大学生の頃の話だ。
     マリンスポーツにも興味はないし、水着に着替えて海で泳ぎたいわけではない。ただ、遠くまで広がる海岸線を眺めて、波の音を聞いて、潮風に吹かれたい。
     おばあさんが言っていたように、波の音を聞いていると、誰かの声が聞こえてくるような気がする。それは決して辛い言葉などではなく、やさしく私を包み込むような。何となく、そんな気配がある。

     立ち上がったついでに捨ててしまおうと、連結部分のダストボックスにゴミ袋を入れかけた。手を離す直前に、その中身がふと目についた。
     おばあさんがくれた大福の包み紙が、くしゃくしゃに捨てられていた。
     ……やっぱり、おばあさんはいたのだ。
     「ひとつどうかしら」なんて見ず知らずの私に声をかけてくれて、私のとりとめもない話を聞いて、寄り添ってくれた。全てを理解して、包み込んでくれた。
     まだ、おばあさんのように完全に前を向くことは難しいけれど。せめて話を聞いてくれたお礼だけは伝えたい。
     けれども、やっぱりどこを探してもおばあさんは居なかった。

     あの出来事が幻だったのかどうかも確かめられないまま、ようやく辿り着いた駅に降り立った。びゅう、と強い風が吹く。海が近い街は、そういえば海風が街を巡るんだったなとそれすらも懐かしく思う。
     初めて降りた場所だというのに、案内板をちらりと見ただけで海辺へと歩き出した。途中には海産物や練り物の店、時折最近オープンしたらしい店構えのカフェや雑貨店が並んでいる。思ったよりも往来する人は少ない。

     せっかくならなにか食べようかな、と思いながらも一人という気恥ずかしさに見るだけになってしまって、結局商店を素通りしながら浜通りを歩いて行く。
     道中、おしゃれな作りの店構えのアクセサリーショップの前を通りがかった。中には品のいい作品が並んでいる。ガラス越しに商品たちをちらりと見て、そのまま吸い寄せられるように店に入った。どれもこれも好みに合っていて、シンプルだけど品のあるデザインだ。せっかくなら記念に何か一つ買っていこうと見繕う。
     店内をぐるりと一周して、中央に置かれていた棚の上に飾られていたピアスが気になった。華奢なチェーンの先に、一粒だけきらりと光る石が揺れている。先ほどのおばあさんも、これと似たような耳飾りを付けていた。なんだかお揃いのようで嬉しくなって、今日のことを忘れたくなくてそのピアスをお迎えすることにした。
     気の良い女性が一人で切り盛りしているらしいその店は、つい一年ほど前にオープンさせたそうだ。最近はこの辺りも古い店から新陳代謝が盛んに行われるようになり、その女性も趣味のアクセサリー作りが高じて、勤めていた会社を辞めこの場所に店を構えることになったそうだ。
     趣味で元々始めたことを形にしたこともすごいが、かなりのクオリティのアクセサリーばかりで驚いた。そのうえ店舗まで持つとなると相当な覚悟もあったはずだ。年はそこまで離れていなさそうな方なのに、努力も決意もすごいなと心の底から思ってしまう。
    「せっかくなら、付けていかれますか? 今日のお洋服にもお似合いだと思いますよ」
     店員さんが嬉しそうに提案してくれた。自分の耳に触れると、そういえば今日は何も身につけていなかったことを思い出した。電車の中で、おばあさんのピアスを眺めていた時に自分の耳たぶに触れて、そこが寂しかったことに気づいたのを思い出した。
    「あ、じゃあ付けていきたいです。いいですか?」
    「もちろん。タグや収納用のポーチは袋にお入れしますね」
     そう言って、アクセサリーに付属するオーガンジーの巾着と商品タグを小さな袋に入れてくれた。鏡は自由に使ってくださいね、と促される。
     近くの鏡の前に立って、その揺れるピアスを片耳ずつ身につけていく。
     華奢な作りをしているので、頭を少し動かすだけでもきらりとした石が揺らいだ。両耳に付け終えると、「お似合いですね」と店員さんが褒めてくれる。
     その言葉がお世辞などではなく、心からそう感じてくださったのだと伝わってくる。
     素敵な人が手作りをして、同じく素敵なおばあさんが同じようなピアスを身につけていた。私もこれを付けていれば、少しでも二人に近づくことができるだろうか。
     
     元の道に戻って、再び海へと歩き始めた。 
     海が近いせいか、風が思ったよりも冷たかった。日差しはあるけれど、どうせならもう少しだけ暖かい格好をしておけばよかったなと後悔する。建物の隙間から、ちらちらと海岸が見えた。海が近い。
     はやる気持ちを抑えて道の切れ目を目指した。途切れた道から、拓けた方を見てみるともうあと数メートル先が浜辺であったことに気づいた。
    「海だ」
     そう呟いて、少しだけ早足でそちらに向かって歩く。
     海が見たかった。ただ波が押し寄せては引いていく。波音が穏やかに流れて、時折鳥たちの群れが狩りをしようと空中で会話をする。そんな海が。

     季節外れの海岸には、まったく人が居なかった。それもそうだ。こんなまだ寒さも残る時期に海を目指す人など居ない。つまり、この瞬間だけはこの海は私が独り占めできるのだ。
     こんなに天気がいい日なのに。風も相変わらず冷たいけれど、なんだか普段よりも空気が澄んでいて美味しいような気さえしてしまう。
     近くの自動販売機で温かいお茶を買って、舗装された歩道から砂浜へと降り立った。
     ああ、思ったよりも歩きにくい。砂が入りにくいようなブーツを履いてきたけれど、重みもあって足元を砂に取られてしまう。
     流石に水の近くに行くのは遠慮して、見つけた岩場に腰掛けてぼんやりと景色を堪能することにした。

     街からの音もほとんど聞こえない。波と風の音だけだ。
     天気がいい日で良かった。写真に残したくなるような風景が広がっている。

     頭の中で、先ほどのおばあさんとの会話を思い出していた。小さい頃から私の中に染み付いてきた思考。価値観。
     ずっと、それらを悪いものだと考えてきた。捨ててしまえたらいいのに、もっと別の人のように生きられたらと。
     しかし、そうすることが自分自身を否定して、余計に自分にはないものを探し続けてばかりで、自分のたくさんの部分を見落としてきてしまった。楽しいことも、好きなことも、嫌なことも。自分を一番知っているようで、実は何も知らないままだった。
     そんなことに失望しながらも、それでも明日からも生きていかなければならない。
     変われるだろうか、今更。
     こんな自分を、否定せずに好きになれるのだろうか。

     今日の、たった二時間弱で気付けた私の部分を、それを愛していくことをやめたくない。すぐには無理かもしれない。それなりの年月が身につけてきた思考なのだから、すぐには変われないかもしれない。
     それでも、自分のために変わってあげたいと思う。そして、小さな頃から抱えてきた思考にも、否定をせずに耳を傾けてあげたい。
     私の全てを、自分でもう否定せずに済むように。

    「すみません」
     不意に声をかけられる。
     今日はなんだかよく話しかけられるな、とそちらを向くとあまり歳の変わらない男性がそこに立っていた。白い無地のシャツのうえにインディゴブルーのジーンズ素材の上着を羽織り、ベージュのパンツを履いた人。清潔感があり、どことなくこの海と同じで穏やかな雰囲気がある。
    「あの、一人でいらっしゃる時にすみません。……良かったら話しませんか。実は、今日が誕生日でして」
     照れくさそうに後頭部をかきながら、その男性が話を続けた。思いがけない誘いに驚いてしまうが、不思議と不快感はあまりない。
    「年甲斐もなく、誕生日に仕事をしたくなくて有給を取ったんです。海が見たくて、せっかくだからと電車を乗り継いでここまで来たんですが、少しだけあそこに座っていたら誕生日に一人でいるのも寂しくなってしまって。……いや、怪しいですよね。すみません、はは……今日はちょっと、はしゃいでしまってるみたいで」
     この人も海を見に来たのか。仕事を休んで。
     悪い人ではなさそうだし、不誠実なようにも見えない。それに、私も一人で誕生日にこんな場所に来てしまったら、寂しくて話し相手ぐらい欲しくなってしまうかもしれない。何だかこの男性の気持ちが分かるような気がして、ついこちらからも話しかけた。
    「海を見るのがお好きなんですか」
    「そうなんです、昔から好きで……。一人で海を見ているなんて友人に言ったら茶化されてしまいそうですけど、海って誰かの声を運んできてくれるような気がして」
     その言葉にはっとする。
     この人もおばあさんと同じだ。今日まで海を見るのがどうして好きなのか、考えたことはなかったけれど。おばあさんに言われて納得した言葉だ。
     誰かのやわらかな言葉、自分自身に言ってあげたかった言葉。
     波を一人静かに見ていると、どこかそんな声が聞こえてくるような気がして。この人も同じように思うのだなと嬉しくなって、それだけで目の前の男性への警戒心がほどけていく。
    「あちらの道沿いに、練り物やさんの店があったんです。できたてで美味しそうだったんですけど、一人で買うのは少し気まずくて。良かったら、一緒に買いに行きませんか」
     食いしん坊な返事をしてしまったけれど、目の前の男性はひどく喜んだように顔を綻ばせた。真面目そうな顔をしているが、笑うと少しだけ幼くなる。
    「僕も気になっていたんです。でも、同じく一人で買うのは虚しくて……一緒に行ってくれますか」
    「はい、せっかくですし。何か見繕って、またここに戻って話しましょう」 
     ありがとうございます、と男性が笑うので、私もつられて笑顔を向けた。今日はもう、とことんゆきずりを楽しみたい。来た道を戻る時に、その男性が「そのピアス、素敵ですね」と褒めてくれた。
     なんだか胸を張りたくなってしまって、先ほど訪れた店のことを話した。
     素敵な店主さんが独立して始めたこと、朝出会った素敵な人が似ているデザインのものを身につけていて思わず私も欲しくなってしまったこと。
     不思議とそんな他愛もない話が次々と溢れてくる。
     その男性も熱心に聞いてくれて、「そんなに素敵なピアスなら、ますます僕も気に入りました」と答えてくれる。素直で優しい人だった。

     ふと、おばあさんの顔が浮かんだ。
     今日が誕生日の旦那さんのためにおしゃれをしたあの姿を、ちゃんと見せることはできたのだろうか。今日、旦那さんのお墓の前でどんな話をするんだろう。
     あのかりんとう、帰りに買って帰ろうかな。せっかくなら、この人にも美味しいかりんとうを勧めてあげようか。
     先ほど一人で歩いてきた道を、見知らぬ人と並んで歩いた。

     少しだけ、新しい自分に生まれ変わったような、そんな思いがした。 

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