
[エッセイ]氷河期世代の損なところ
氷河期世代の損なところだなんてタイトルで大層なことを書いてみたが、やれ就職に苦労しただのやれブラック企業だなどは他の方々が散々書いてくれているので、今回は書かない。多分次回も書くことはないだろう。
こんなことを書いている僕は昭和50年代生まれの氷河期世代である。僕が地味に、しかしながらここが氷河期世代の損なところじゃないかなと思うところを書いてみる。
それは、テレビのチャンネル権についてである。
氷河期世代というのは幼少期はぎりぎり昭和であり、親の、特に父親の権力の残滓が残っていた時代なのである。この残滓はテレビのチャンネル権にも色濃く影響を及ぼしていた。
午後7時台・・・押しも押されぬゴールデンタイム、それなのにテレビに映されるのは、父親ひいきのプロ野球巨人戦。
子供の頃の僕はプロ野球観戦にあまり興味がなかった、それなのに・・・
このことから分かるように、僕が子供の頃にはチャンネル権などというものはなかったのだ。
逆に言えば、僕が子供の頃の親にはテレビのチャンネル権はあったのだ。で、あるならば僕が親になった時にはテレビのチャンネル権はこの手に握られて好きな番組を見ることができるのだ。
だが、僕の手にテレビのチャンネル権が握られることはなかった。
時代が、テレビのチャンネル権を親の手から奪い去っていたことを僕は知る由がなかった。
時は過ぎ、令和のテレビのチャンネル権は無条件に子供の手に握られることになっていた。
この一点でもってしても、氷河期世代はババ引いた世代であると言えるのではないかと僕は確信している。
幼少期に昭和の価値観の洗礼を浴び、大人になった時には昭和の価値観は通用しなくなっていた。
バブルうんぬんは置いといて、幼少期は昭和、成長したら平成、令和、幼少期はアナログ、成長したらデジタル化と、時代の変革期・・・ちょっと大げさに言うとパラダイムシフトに直面したのが氷河期世代なんじゃないかと思う。
テレビのチャンネル権だってそうだ。幼少期には親にあったのに、いざ自分が親になった時にはしれっと子供の観たいものを観させるという価値観になっているではないか。
チャンネル権と熱く語っても今は昔、子供達、ウチの子供もテレビで観るのは地上波でもBSでもなくユーチューブである。
子供が寝たあとにテレビで僕がこっそり観るのもユーチューブ・・・
生きているうちにメディアの覇権交代をも目の当たりにしているのが氷河期世代なのだ。
時代は進んで進んで進みすぎて、僕なんてついて行けてるかどうかすら不安になってしまう。
時代の急流に精神は置いてけぼりになって肉体だけはしっかり時代について行って老化していきそうである。
時代は繰り返すと言うけれど、僕が老人になった頃には親孝行がブームになることをこっそり祈っておこうではないか。
いや、親孝行はかつての単なる義務的なものであってブームになったことなどないか。