
「かもしれない」で生きてみる?-仮説大全-Episode 1
仮説: 「普通」じゃないと生きていけない
私は「親ばか」という言葉が全くそぐわない人間だ。
私にとって「子供」は、どちらかというと、「元気にちゃんとした人に育ててね」というプレッシャーの塊でしかない。
上の子は、全く手がかからず、自宅で仕事をしながらの子育ては、自分のペースが崩れることもほとんどなく、ぶっちゃけ楽だった。
社会からドロップアウトして、家で仕事をする自分。
そこにペースを乱さず、加わった娘。
心地よかった。
ところが。
その心地よさをぶち壊す事件が起きた。
スーバー育てにくい子どもが、二番目の娘としてやってきたのだ。
生まれてすぐから・・・寝ない。そして不機嫌。
それがずーーーっと続いていた。
そんなだから、仕事も家事もしてる時間がない。
ずっと私に引っ付いてる。
ずっと保ってきた「心地よい暮らし」が総崩れだった。
挙句の果てに不登園になってしまった。
やっと手が離れる。
自分のペースで動ける時間ができる。
そう思ったのに。
幼稚園からは、「来てしまえば、人一倍ちゃんとやってる。お母さんが心配しすぎ。」と言われる。
だけど、家ではずっと不機嫌で、時には暴れて手が付けられない。
「どうして『普通』のことができないんだろう。優秀じゃなくていいの。『普通』でいてくれさえいれば…」
ずっと心で叫んでた。
「バスが嫌」「給食が嫌」
理由を聞いては、それをなくせば行ってくれるかと
あれやこれやと手を尽くすけど、結局どうにもならない。
幼稚園の先生に相談しても、理解してもらえない。
「それだったら、無理せず、お家で様子を見たらいい」
そう言ってほしかったんだと思う。
家にいるこの子、そしてそれに対応している私。
それらをすべて見て、平らな目で、何が一番正しいのか。
誰か。教えてほしい。
ずっとそう叫んでた。
ある時、園長先生に
「パジャマでもいいから連れてきて」と言われた。
あなたが間違ってる。本人は本当は行きたいんだから。
少し強引な手を使っても、連れてくるぺき。
そう言われている気がした。
そうか。私は間違ってるのか。
そう思った私は、泣き叫ぶ娘を無理やり幼稚園に置いてきた…
「楽しそうに過ごしてましたよ」
帰りにそう言って、娘を引き渡す先生の笑顔に反して、
娘の目は絶望に満ちていた。
そんな時、ふと気づいた。
「普通」ってなんだ?
本人が嫌だと言って、泣き叫んでいる。
幼稚園は別に必須じゃない。
どうして行かせなきゃならない?
行きたくない理由なんて、どうでもいい。
もう行かせるのはやめよう。
私はやっと、そこで「普通」を手放すことができたのだと思う。
実験結果:『普通』なんてものはない