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Event Report:第6回「日記祭」

    2025年4月6(日) 、東京・下北沢の商業施設 BONUS TRACKにて第6回「日記祭」(にっきさい)を開催しました。このレポートでは、イベント当日の様子のほか、トークショーの内容を一部抜粋してお届けします。最後までお楽しみいただけますと幸いです。

    ​​- 日記祭とは?

    その名の通り、日記をたのしむイベントです。
    誰かの日々の日記を"本"にまとめた「日記本」即売会や、日記にまつわるテーマのトークショーや音楽ライブ、作品展示なども行っています。
    2022年4月にスタートし、毎年4月と12月に開催しています。

    -「自分の日記を形にして売る」即売会の風景

    日記祭のメイン企画「日記本」即売会は、日記屋 月日スタッフの話し合いの中から生まれました。開催日にあわせてつけ始めた日記や、普段ご自身がつけている日記を本にして本人が販売するというスタイルで、出店方法は2種類あります。

    1つは「直接販売」と呼んでいて、出店者が直接お客さんに本を売る方法。もう1つは「代行販売」と呼んでいて、当日までにお預けいただいた本をスタッフが代わりに販売するというものです。

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    直接販売の様子1(屋内会場)
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    直接販売の様子2(屋内会場)

    「日記屋 月日」は、日記の魅力について考えたい方や、これから日記をつけてみたいと思った方が集まれる拠点を作りたいという願いからできたお店です。ドリンクスタンド併設の書店を運営しているほか、オンラインコミュニティ「月日会」を運営したり、ワークショップを企画したり、出版部門があったりと、拠点としての活動は多岐にわたります。

    書店として取り扱う本は、
    (1)新刊本(ISBNバーコードがついていて、出版社から出ているもの)
    (2)古書
    (3)リトルプレス(一般流通していない自主制作本)
    の3つに分類しています。もちろん、すべて日記の本です。

    そしてこの3つのうち、売上のほとんどはリトルプレスで成り立っています。
    文学、文芸のフィールドですでに活躍している方の本もありますが、「普段は別の仕事をしていて、日記をつける習慣がある」という方が自分のために作った小部数の冊子や、創作したい気持ちの先にあったのが日記形式で、それを形にした本といったように、いろいろな方の暮らしが綴られたものが並んでいます。

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    代行販売の様子1(屋外会場)
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    代行販売の様子2(屋外会場)
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    今回の日記祭では、初の試みとして、日記本の装画なども手がける花原史樹さんに「花原史樹の似顔絵屋さん」として出店していただきました
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    今回は、あいにくの雨予報。ブースの位置を変更しての開催となりました。

    出店者の方々には臨機応変に対応していただき、とても助かりました。一緒に日記祭を盛り上げてくださったこと、心より感謝いたします。

    また、日記祭に足を運んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。日記祭が、日記を読むこと、書くことのきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。

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    -それぞれの目線からじっくり考える、トークショーのレポート

    日記祭では、第1回から様々なトークショーを企画してきました。

    <これまでのトーク>
    第1回
     福尾匠さん×栗本凌太郎(月日)「個人サイトを立ち上げて日記を書く」
       阿久津隆さん×柿内正午さん「他者に日記を公開することについて」
       金川晋吾さん×内沼晋太郎(月日)「ワークショップ『日記をつける三ヶ月』を終えて」
       鷹取愛さん×中村暁野さん「日記を出版することについて」

    第2回 田中祐介さん×内沼晋太郎(月日)「人はなぜ日記を綴るのか」
       野中モモさん×藤原隆充さん「日記を「わざわざ」自主出版する -最も私的な個人メディアとして-」
      植本一子さん×滝口悠生さん「あなたを書く/わたしが書かれる日記」

    第3回 古賀及子さん×phaさん「どうしてオンライン上で日記を書くのか」
      松本篤さん×月日スタッフ「わたしたちは思い出す――”私”の記録は”あなた”の記憶とどう交差するのか」

    第4回 古賀及子さん×マンスーンさん「内省したり反省したりする私たち」
       大崎清夏さん × ウメヤさん × ヒライシカナコさん「私たちは日記を連ねる」

    第5回 植本一子 × 山本浩貴「 日付のなかで表れる 」
        樋口直美× しらい弁当「 忘れてもなくならないこと 」(聞き手:日記屋 月日スタッフ 荒田もも)

    日記祭では、お招きしたゲストの方に、日記について縦横無尽にお話していただくトークの時間を設けています。

    「日記」と一口に言っても、様々な切り口や考え方があります。すでに日記をつけている人にもそうでない人にとっても、日記が開かれた存在であってほしいと考え、このトークショーを企画しています。

    第6回日記祭でも、様々な視点のお話を聞くことができました。

    〈トーク1〉石川瑠華 × 山﨑朋子「失ったもの、残したこと、その宛先」

    昨年『喪失の日記』を自費出版した俳優の石川瑠華さんと、「不便な本屋」の活動をはじめ、『労働日記 vol.1,2』を自費出版されている山﨑朋子さんをお迎えし、「失う / 残す」をテーマに、本や日記という媒体を通じて言葉を誰かに手渡すことについてお話いただきました。

    石川瑠華(いしかわ・るか)
    埼玉県出身。1997年生まれ。2018年にスクリーンデビュー。その後、『イソップの思うツボ』・『うみべの女の子』で主演、『猿楽町で会いましょう』でヒロインを務め、第31回日本映画批評家大賞新人女優賞(小森和子賞)を受賞。近年の主な出演作に映画『市子』『三日月とネコ』、ドラマ『バントマン』(東海テレビ)、MV『あてもなく』(Aimer)『結び』(This is LAST)など。自身初となる7インチシングルレコード『それはぼくぢゃないよ』も発売中。
    Instagram:@___rukaishikawa 
    X:@ishikawaruka322

    山﨑朋子(やまざき・ともこ)
    文章を書いたり不便な本屋(ほぼお休み中)をしたり。これまでにzine『29歳』、『労働日記 vol.1「花屋にて」』、『労働日記 vol.2』を作りました。

    『喪失の日記』を本にした経緯

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    山﨑:まず、瑠華ちゃんが『喪失の日記』という日記本をつくった経緯を聞いてみたいなと思っています。

    石川:私は、今まで文章を書く機会がぜんぜんなかったんですけど、読書は好きだったんですね。25歳ぐらいの時にきちんと文章を書きたいと思ったけれど、自分ひとりで坦々と書き溜めるというよりは、、誰かに読んで認めてもらいたいという気持ちがあった。そんな時、近所の「不便な本屋」を通りかかったらフリーペーパーを配っていて。なんの経験もなかったけれど「私も書きたいです」って初対面でお願いしたのを、快くざきさん(山﨑さん)が受け入れてくれたんです。 私が文章をはじめたきっかけは、本当にざきさんなんだよね。

    その後、2022年の12月に、私の義父(お母さんの再婚相手)が亡くなったんですよね。身近な人の死を経験するのは初めてで、どうしていいかわからなくて。それで、自分の持ってた日記帳に、なんていうんだろう、もう、ずっと書いていたんです。書くことで死を受け入れることができたわけじゃないけど、少しずつ気持ちが楽になっていきました。

    その日記は、母に読んでもらおうとは思っていたけれど、他の誰かに見せる予定はなかったんです。でも、それは、自分にとってまぎれもなく「本当のこと」だったので、本にしてざきさんに渡したの。そうしたら、ちゃんと読んでくれて、言葉をかけてくれた。これは、もしかしたら、多くの人に届けてもいいんじゃないかと思いました。

    山﨑: 私も、初めて読ませてもらった時のことをすごく覚えていて。出会ったばかりなので、急に寄り添うような言葉をかけるのも変かな、と迷った記憶はありますね。でも、なにより瑠華ちゃんに「書く場所」があったことにすごく安心して、勝手にうれしくなって。自分自身も救われた部分があったので、「絶対いろいろな人に読んでもらったほうがいい」って伝えたのを覚えています。

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    月日スタッフ:「救われた」というのは、どういう気持ちだったんでしょうか。

    山﨑:私も幼い頃に父を亡くしていて。わざわざ人に話すことでもないけれど、誰かと共感したいなあと、ずーっとどこかで思っていました。そういう時、本を読むことが私の心を救ってくれました。似た経験をした人が書いていたり、キャラクターとして出てきたりするから。でも、実際に会って話せる距離感の人が心の機微を書いて手渡してくれたことが、すごくうれしかったんですね。苦しんでいた瑠華ちゃんには失礼な話だと思うんですが。

    それと、瑠華ちゃんはリアルタイムで書いているのもすごかった。

    石川:気持ちがぐるぐるしている渦中で。

    山﨑:そう。私が何十年も経ってから書きはじめたことを、瑠華ちゃんはリアルタイムで書いていて。自分だったら書けない日記だなと思いました。いっぽうで、時が経ったから書けることもあるなと思います。


    お母さんに日記を読んでもらう

    山﨑:日記本は実際にお母さんに読んでもらったの?

    石川:義父が亡くなった1年後に、製本した形でプレゼントして読んでもらいました。

    山﨑:なんか言ってた?

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    石川:渡した時は「もうちょっと経ってから読むね」って言って読まなかったの。その後すこししてから、「読んだよ。泣いちゃった」ってメッセージをくれた。「ママも感化されて文章を書いてみる」とも言っていて。なんかすごく可愛いんだよね。

    山﨑:たぶん、『喪失の日記』を読んだ人は分かると思うんですけど、お母さんは「悲しい」とか「寂しい」とか、ちゃんと言える人だよね。

    石川:言える人。その言える言えないを考えてしまうから私は言えないっていう部分もあるんだけど、それが母の長所だと思う。

    山﨑:うん。そうだね。

    石川:やっぱり、私にとって一番大切な人って、お母さんなんですよね。

    山﨑:その気持ちはすごく伝わってくるし、日記に書いてくれていると思う。

    私は、『喪失の日記』を読んで、瑠華ちゃんは、お義父さんを失ったのと同時に「お義父さんがいた状態のお母さんを失った」のだなと思ったんだよね。最初に読んだ時はすごく心配だったけど、最近はお母さんとすごくいい時間を過ごしているんだなと感じて、勝手に嬉しくなっています。これはただの報告。

    石川:ありがとう。


    全部読んでも、ぜったいにわからないからオープンでいい

    石川:日常生活のなかで、嫌なこと言われたり、立ち止まりたくなる場面があったり。 そういう時って、このまま流しちゃうのはもったいないみたいな気持ちがすごいあって。だから日記をつけている部分もあると思う。
    でも、日記って難しいよね。なんでも書けるから、キリがない。

    山﨑:うん。どうしたらいいかわからなくなるよね。人生長いし、キリないし、いろんなこと思うしね。

    石川:だから、ざきさんは本にする時に『労働日記』ってテーマをつけたんだもんね。

    山﨑:そうそう。瑠華ちゃんは、いつもノートを持ち歩いていて、びっしり書いているよね。けっこう憧れているんだよね。

    石川:ざきさんは、日記やメモはパソコンで書いているの?

    山﨑:私は、Xの2、3人しかフォローされてないアカウントに書きまくっていて。

    石川:その2、3人はめちゃめちゃラッキーだね。

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    山﨑:瑠華ちゃんは手書きで、しかも割とこまめに書いている。電車に乗りながら書いていたりする。私はあんまり、まめではなくて。

    石川:書かないと、忘れちゃわない?

    山﨑:そう。忘れちゃう。だから、忘れていないことだけを書いてるんだけど、『労働日記』を読み返したら全然覚えてなかったことが書いてあって。いや〜、書き留めておくべきだと思った。いつも、日記にはなにを書いてるの?

    石川:読んだ本とか観た映画とか、夢を見た日は夢のこととか、周りの出来事を自分が今どういう状態だからどう感じているとか。いつか私がいなくなった時に、その日記を見つけてもらえたらめっちゃいいなと思う。ちゃんと足跡が残る感触がある。でも、もっと、なんてことない出来事も書きたい。

    山﨑:でも、キリがないんだよね。

    石川:そうそう。今は制限してるけど、ずーっと書いていたいと思ってる。かなり細かく。誰も知りたくない、なんかそういう、自分のためだけのもの。でも、日記本をひとつでもつくると、やっぱり読者を思い浮かべながら書いているなと思う。それをやめたい気持ちがあるな。

    山﨑:ちなみに、すごく不吉なことを聞くんだけど、自分がこの世界からいなくなった時に、その日記は読まれてもいいって思える?

    石川:うん。ぜんぜん読んでもらっていい。スマホのロックもぜんぜん解除してもらっていいよ。

    山﨑:すごいね。

    石川:読んでほしいです。たとえ全部読んでも、私がなにを考えているか分かんないと思うから。だから、全部オープンでいい。


    忘れることと、忘れたくないこと

    月日スタッフ:「忘れる」というワードが出てきましたが、なぜ忘れたくないのか、なぜ残しておきたいかについて、おふたりが考えていることはありますか?

    石川:私は、20代前半のすごく嫌な思い出をすっかり忘れていたんですね。忘れていたっていうか、記憶から消してたの。息苦しくて仕方がなかった時のことを、私は全部なかったことにしてた。最近、書きはじめてから思い出したんだけど、なんかそれって、昔の自分にめちゃくちゃ失礼というか。あんなに一生懸命生きていて、魅力的な自分を忘れちゃうんだ、って。
    それと、自分が苦しい中で書いていたものは、これから同じ経験をする人を救えるかもしれない。大げさかもしれないけど、そう思って書いています。

    山﨑:私は、けっこう真逆の考え方で、人間って忘れられるからいいなって思いがすごく強くて。人間、生きていたらいいこともあるけど、よくないこともいっぱいあって。でも、忘れるから生きていける。
    でも、瑠華ちゃんに出会ってたくさん話しているうちに、「残すことっていいなあ」って思えるようになりました。さっき瑠華ちゃんが言っていた「忘れたら過去の自分に失礼」って、今の自分を大事にできているということだと思うんだよね。

    もちろん、忘れることも自分を大事にするための方法だし、これからも残したいものだけを残していくと思う。でも、瑠華ちゃんの「忘れたくない」も同じ、自分を愛する方法なんだなって。

    石川:忘れることも、忘れないことも、救いの形なのかもしれないね。

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    〈トーク2〉小沼理 × 和田拓海「小さな声をひらく ― 日記という記録と抵抗」

    「小さな声を大きく届ける」をコンセプトに掲げる本屋メガホンの和田さんと、2023年に『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』を刊行した文筆家・小沼理さんをお迎えし、目まぐるしく変化する世界の中で、日記という媒体が持つ個人的・社会的な意味や可能性についてお話を伺いました。

    小沼理(おぬま・おさむ)
    文筆家。1992年富山県生まれ。著書に自主出版の日記ZINEを書籍化した『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)、日記にまつわるエッセイをまとめたZINE『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』(つくづく)、エッセイ集『共感と距離感の練習』など。

    和田拓海(わだ・たくみ)
    1997年兵庫県生。2023年より本屋メガホンを主宰。社会的マイノリティについて書かれた本をメインに取り扱い、自らもZINEを制作販売しながら「小さな声を大きく届ける」ことを目指す。

    メールマガジンは「弱さを開く」練習

    小沼:和田さんのzine『本屋メガホンの営業日誌1』は、いつごろ発行したんでしたっけ?

    和田:『本屋メガホンの営業日誌1』は、メールマガジン「本屋メガホンの営業日誌」で配信していたものをまとめてzineにしています。ここに収録されているのは2024年の営業日誌で、去年の秋ぐらいに出しました。日記屋 月日さんから取り扱いたいという連絡をもらって、その時初めて「ああ、確かに、これも日記か」と気がつきました。

    小沼:これまではXでお店のことを発信していたけれど、ヘイト的な投稿が増え、マイノリティにとって安全な言語空間ではなくなったため、Xでの発信を一旦やめてみた。そして、別のオルタナティブなやり方にしたというのが、このメルマガ「本屋メガホンの営業日誌」の成り立ちということですよね。

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    和田:そうですね。「社会的マイノリティについて書かれた本をメインに扱う」というコンセプトを掲げているのに、マイノリティにとって安全とはいえない場所で発信を続ける違和感はずっと感じていて。

    その点、メールマガジンは、SNSよりも双方向性が薄い発信方法だなと思います。ヘイト的なコメントが並べられてしまうこともなく、メールを送って終わり。その潔さ、単純さがいいなと。小沼さんも、メルマガをやってますよね。

    小沼:そうですね。メルマガもやっていますし、あと、書籍になった『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』は、もともとはてなブログで書いていたものなんです。僕も、コロナ禍くらいから、Xで個人的なことを書きにくくなってきたなという感覚がありました。ここじゃない場所だったらなにか書けるかもしれない、と思っていろいろと探すなかで、ブログというプラットフォームに落ち着いた。だから、和田さんがメルマガをはじめた理由と似ているなと思いました。

    和田:このトークショーが決まってから、日記についていろいろと考えていて。本屋lighthouseがやっている「web灯台より」というメディアのなかで連載をさせてもらっているんですけど、その最新回で「自分にとってある種メルマガは『弱さをひらく練習』として機能しているのかもしれない」と書いているんですね。

    お店のSNSアカウントで弱さを提示すると、消費されやすい気がしていて。たとえば「今日お客さんがぜんぜん来なかった」というような投稿をしたとすると、やっぱり本は売れないよねとか、独立系書店は厳しいよねといったコメントがつきやすい印象があります。そんなことは言っていないのに、勝手に大きなテーマに結びつけられる違和感がありました。いっぽうで、メルマガでもお店の売上金額や、お店をやっているなかで違和感を抱いたこと、その日に考えたことなどをかなり正直に書いてるんですけど、こちらはあまり消費されている感じがしない。だから、弱さを開くことができるのかもしれません。


    宛名のない手紙を書くことは、ゆるいネットワークをつくること

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    小沼:僕もSNSに関しては思うところがあって。僕はシスジェンダーのゲイなんですけど、たとえば誰かがLGBTQ+に対する差別的な発言をしたというニュースがあったとして、それを自分が嘆いたり、怒ったりするようなポストをした際に、それがすごく伸びる(いいねの数が多い、たくさんの人に拡散される)という感覚があるんですね。伸びること自体を否定したいわけじゃないんです。前提に社会的な不均衡があって、それにみんなが怒ったり、悲しんだりしているわけなので、当たり前のことだと思うんですよ。でも、それが消費に見えてしまうタイミングが自分にはあるんです。このSNS自体がカードゲームのバトル場のようになっていて、みんな強い言葉が書かれたカードを出したがっている。自分の経験や感情がそのカードの1枚として消費される感覚がありました。でも、その強い言葉からは個人の生活はなかなか見えてきません。もっと自分の生活全体を書くことで実感を伝えられないかと思って、日記をはじめた側面もありますね。

    それと、もうひとつSNSに感じていたことは、言葉を伝えたい人の顔が浮かびすぎるんですよ。それで上手く書けなくなった。この人にこう言いたい、この人に見られたらどう思うか、みたいな。逆に、ブログだと読んでいる人の顔がぜんぜん浮かばないんですよね。だからこそ書けると僕は思っていて。宛先がないからこそ書ける。そのほうが、気持ちが楽だったんですよね。

    和田:『欅(けやき)』という文芸同人誌の第3号のテーマが「だれか宛の手紙」だったんですね。僕も、「"宛名がない"から書けたこと」というタイトルのエッセイを寄稿しました。本屋を運営することって、宛名のない手紙を書くような行為だよねということを書いていて。だから、小沼さんからも同じ言葉が出てびっくりしました。宛名がないほうが書けることもありますよね。

    本屋を運営したり、zineをつくったりするのって、宛名のない手紙を書いて紙飛行機にして飛ばすみたいなこと。それが、最終的には「ゆるいネットワーク」をつくると思ってやっています。SNSより反応が薄くて遅いからこそ、自分たちのペースでつながることができる。


    記録を残すこと自体が、抵抗につながる

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    小沼:日記のzineをつくっているクィアの方、マイノリティの方もたくさんいらっしゃいますよね。本屋メガホンでもたくさん取り扱ってると思うんですけど、読みながら思うことはありますか?

    和田:僕は日記本を読むと自分でも書きたくなって、そのあと日記を3ヶ月くらいつけてまたやめる、みたいなことがわりとあるんですけど(笑)。日記は、そういった、自分が書いてみたくなる効果が強いというか。僕がつくっているzineや、メガホンで取り扱っている本を通じて、誰かがなにかを書いてみるとか、つくってみる、表現をしてみることにつながればいいなと思っています。本屋メガホンも、マイノリティの人たちの発信の場が少なすぎると思ってはじめたんです。日記を書く行為は生活が基盤にあるから、他の文章表現よりはじめやすいし、自分でも書くことができると思える。そういう側面があるんじゃないかと思います。

    小沼:そうですね。「はじめやすさ」は日記の特徴のひとつだと思っていて。僕のzine『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』でも、その日の夜や翌朝に、「今日は/昨日はなにをやったっけ?」と思い出して言葉をつないでいけば、日記という形のテキストが出来て、それを1ヶ月続ければ薄いzineくらいにはなるよ、という話をしていて。もちろんテクニックが必要な場面もあるし、自分が書きたいことと書きたくないことの取捨選択も出てくるとは思うんですけど、そんな風に簡単にはじめられるということは評価されるべきだと思っています。その手軽さもあって、これだけ多くの人が日記をzineにしているのかなと思いますし。

    マイノリティの人たちの生活や感情の記録って、やっぱりなかなか残らないと思うんですよね。ある特定の属性の方たちの人生が不可視化されてしまう社会のなかでは、ちゃんと形にして残していくということに重要な価値があると思いますし、記録すること自体が抵抗になっていると思います。

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    和田:僕の一番最初につくったzine『透明人間さよなら』は、まさにそういう気持ちでつくられたもので。ゲイとして生きてきて、パートナーがいるけどひとり暮らしだと嘘をついたりして、すごくモヤモヤしていて。そんな時期に、嫌さが爆発してつくってしまった。自分がこれまでゲイとして生きてきたことを、どこかに書き残しておかないと、丸ごと消えてなくなってしまうって気づいてしまって、焦りというか、やばい! と恐怖心を抱いたんですね。自分のことについて書いて、綴じてzineにして、それを売ることで、100部売ったら100人の家に僕の記憶が残るんじゃないか、ということを考えてつくったんです。

    小沼:今の『透明人間さよなら』の話を聞いて、僕も最初に日記のzineを作った時、まったく同じことを考えていたなと思い出しました。 最初に刷ったのは50部くらいだったんですけど、これが50人の本棚に置かれるんだ、みたいな。

    あと、ウェブではなく、本であることの存在感って大きいと思っていて。好きなzineが本棚にあるだけで、その部分がほのかに明るく見えて勇気づけられるようなことも起こり得ると思う。

    今、印刷技術が発達したこともあって、zineをつくるハードルって低くなったと思うんですよね。コンビニのコピーでもいいわけですし。自分が書いたものを本にして手渡す。それによって、緩やかにコミュニティができていって、勇気づけられるひとたちは本当にたくさんいるんじゃないかなと思っています。


    日記を書くことで、内的な表現が豊かになっていく

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    和田:小沼さんの『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』を久しぶりに読んだんですが、「日記をはじめてから自分の内的な言葉を獲得していった」というようなことを書いていたじゃないですか。すごくわかるなと思って。

    小沼:ありがとうございます。マイノリティでも、マイノリティではなくてもそうだと思うんですけど、ロールモデルのような人がいたとして、その人のすべてが自分の感じ方と同じわけではないと思うんですよね。でも、他人の考え方が強く、はっきりした言葉でそこにあると、なんとなく自分もそう感じているように思い込んでしまうことがあると思います。そしてそこにあった微細な違和感を見失ってしまう場合がある。

    そういう時に日記を書くと、違和感を感じていた部分がなんとなく言葉になったりとか、言葉にならなかったとしても、少なくとも自分はどうやら違うことを思っているらしいとわかったりとか。日記を書くことが訓練になって、内的な言葉が豊かになっていくというのは起こりうるなと思いますね。

    和田:僕も、「こういうことを考えているから→書こう」という矢印ではなくて、自分の書いた文章を見て、ああ、こういうことを思っていたんだ、と発見することがけっこうあって。書いた言葉が、自分の思考や感情を反射させることが多々あるなと思います。時々、自分の書いた文章で泣きそうになることがあるんです。自分の文章、好きなんですよね。


    日付によって肯定されている

    和田:さっきのメルマガの話でもありましたけど、日記も弱さを開く練習の側面があるなと思っていて。日記は取りとめもなくはじまっていいし、終わっていいという形式が、弱さや葛藤を混ぜ込みやすいのかもしれない。

    小沼:そうですね。モヤモヤしたことをモヤモヤのまま書いても大丈夫というか。日記にはその安心感があると思っていて。生活は今日、明日、明後日と続いていくものだから、今日の時点では無理に答えを出さなくてもいいということを、日記は言ってくれている気がする。日付によって肯定されている感じが確かにあるんですよね。

    和田:たしかに、日記って、その日付が打たれることによって連続性が前提になる感じはありますよね。今の自分はその連続性の中の一点でしかなくて、この先変化を重ねても、それは変わらず自分なんです。だから、葛藤や迷い、弱さを書きやすいという側面はあるかもしれないですね。

    小沼:あと、これは自分がゲイの立場で日記を書いている時に思うことなんですけど、社会の状況がどんどん変わっていくんですよね。同性婚の訴訟が進んでいるいっぽうで、いまだに差別発言が野放しになっている。そういった社会のあり様を、個人の生活や思考と一緒に記録できるのが日記なんですよね。「この時、この場所に、こういうことを思っている人が存在したんですよ」と世界に示すという意味でも、日記はものすごく力をもったツールだなと思います。

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    -デザイナー佐藤豊さんによる店内展示

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    展示タイトル:「NUE」
    場所:日記屋月日 店内(〒155-0033 東京都世田谷区代田2-36-12)
    会期:2025年4月6日(日)〜 4月30日(水)

    第6回日記祭では、デザイナーの佐藤豊さんにメインビジュアルやグッズのデザインをしていただきました。また、日記祭当日からの約3週間、佐藤さんの作品展示「NUE」を開催しました。

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    展示された、100個ものマッチ箱サイズの作品。なかには文章が入っていて、実際に手にとって読むことができます。じっくり観賞するお客さんも多くいらっしゃいました
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    日記祭のメインビジュアルに使用したデザインなどのポスター作品は、日記屋 月日の店内の雰囲気にもマッチしていました
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    佐藤さんにデザインしていただいたグッズの数々
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    -私たちの心構えについて

    日付から書けばどんな表現も受け止めるのが日記の面白さであり、懐の広さでもありますが、本来であれば人目につかない「個人の話」が書かれたものを取り扱っているため、色々と気をつけたい部分があります。 
    大前提として、その文章が「ただの日記」だからこそ、読む人の心を強く揺さぶる可能性があるということです。
    それをポジティブなこととして受け止める人もいれば、ある日記に書かれている一文によって、とても悲しい気持ちになる人もいます。
    どちらも、「日記」という形式で書かれた文章が引き起こす感情です。そこに書かれた個人の感情や、読んだ人の抱いた感情は、決してなかったものにはできません。

    けれど、今後も日記のお店を運営しながら考えていかなければならないポイントは様々なところにあり、書き手の方やお客さんと一緒に、考えていきたいと思っています。
    日記の楽しみ方は人それぞれなので、その自由を制限する意図はありませんが、私たちの運営する場では、なるべく安心感をもって集まれるように、差別的・暴露的な表現、のぞき見的な関心、個人のプライベートに迫るような態度については、助長させたくないと考えています。

    そのため、日記祭の即売会に応募される方に向けたフォーマットや、お店のサイト上に載せているステートメント文章に、その時々で加筆したり、アナウンス事項を増やしたりしています。「日記屋 月日とは」というページにも記載しておりますので、お時間がありましたら、ご覧いただけますと幸いです。

    「自分でつけた日記を本にして売る」。そんな一見妙な催しが開催され静かな熱気が起こるのも、誰もが「日記」そのものを知っていることが支えているのだと、あらためて感じる一日でした。

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    日記をみずからつけ始める人は、どれくらいいるのでしょうか。学校で誰かに「つけなさい」と言われて始めた場合でも、あとから振り返ると生活の一部になっていて、その時々の自分の姿をうつす鏡になっていた、ということもあるかもしれません。
    日記はその時の空気をしまっておける「箱」でもあります。しっかり鍵をかけてもいいし、いつでも開けておいたっていい、おもしろい箱です。
    これからもお客さんとの会話やワークショップ、イベントなどを通して日記についての考えを更新していきながら、毎回少しずつ違って新しい日記祭を企画していきたいと考えています。

    どのような方とも一緒に、日記の魅力について共有していくことができたら嬉しいです。


    写真:赤木遥
    トークレポートまとめ:荒田、その他テキスト:久木、荒田

     
     
     
    「日記」のためのお店です。 私たちは、日記を書くこと、読むこと、そして日記に書かれる言葉に関心を持つ方々の拠点でありたいと考えています。 その思いのもと、店舗の運営や雑誌の刊行、ワークショップ、イベントの開催などを行っています。

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