
大阪のめでたい旅
JALダイヤモンド プレミアラウンジ
ごく平凡な家庭に生まれ育った僕にとって、JALのダイヤモンドラウンジで優雅に出発便を待つ日が来るなんて、夢にも思っていなかった。いつもはラウンジに入る人たちを横目に見ながら我関せずといったふうに通り過ぎていくのだが、今は混雑した待合スペースとは無縁の場所で、しとやかに流れる時間をゆっくりと楽しんでいる。
新幹線のグリーン車すら乗ったことがない庶民の僕がどうしてエリートビジネスマンやお金持ちしか使えないようなラウンジに入れたかというと、すべてはお義父さんのおかげである。JALのダイヤモンド会員であるお義父さんのおこぼれに与って幸運にも入れたわけだ。
妻と義両親がソファー席で軽食を嗜んでいるあいだ、僕はカウンター席で頬杖をついて窓の外を飽きもせず眺めていた。次から次へと飛行機が降り立ち、次から次へと離陸していく。遠くの場所から東京にやってくる人もいれば、これから遠くの場所へと向かう人がいる。さまざまな旅が行き交う巨大なターミナル空港は、同じ旅の交差点である東京駅と比べても旅情感をたっぷりはらんでいる。こういう風景を無為に眺めるという物好きは僕のほかにもいて、コーヒーを飲みながら窓辺に映る景色を凝視している人や軽食のパンをつまみながら出発時刻がくるまで飽きずに眺めている人もいた。
ラウンジの一角にある軽食コーナーはどれも食べ放題だったので、欲望のかぎり食べていいものではあるが、周りにがっついている人はいなかった。ジュースとお酒も同じように飲み放題だったが、お酒を煽っている人もあまり見かけなかった。やはりこのラウンジを使う方々は紳士の嗜みというやつを必然的に備えているのだろうか。あるいは毎回使っているから食べ飽きているのかもしれない。僕は高級ラウンジの軽食を食べる機会なんてこの先そうそうないだろうから、置かれていたカレーパンと辛子明太子のおにぎりとオニオンスープをいただいた。味はまあまあだった。


大阪へ
14時半ごろに伊丹空港に到着。飛行時間は約45分間で文字通りあっという間だった。羽田から離陸してシートベルトの着脱サインが出たと思ったら、一息つくまもなく着用サインが出たような感覚だ。山崎豊子の「沈まぬ太陽」の続きをじっくり読み進めようとしたが、30ページもいかないうちに着いてしまった。
空港でレンタカーを借りて帝国ホテルへと向かう。生まれた時から生粋の大阪人である妻と義両親にとって大阪は勝手知ったる街で、その証拠にお義父さんはナビを使わずにぐいぐいと車を走らせていく。道中、変わりゆく街並みについて「なんであんなもんつくったんや」「ビルに神社が入ってますわ」「あ、ここがそうなん?」とあれこれとツッコミが入る。
「すみませんね、車内がうるさくて」とお義母さんが僕に向かって言う。
だが僕は別にぜんぜん気にならない。むしろ口下手な僕にとって、家族でいろいろと話してくれてありがたい。その間にずっと窓の外の風景を見ていられる。
実のところ僕は大阪には両手で数える程度しか来たことがなかった。しかも、そのうちのほとんどは仕事の出張で、しっかりと観光したことがない。
僕はたこ焼きもお好み焼きも大好きだし、お笑いも大好きだし、阪神タイガースも小さい頃から好きなわけだが、大阪という街に対してはあまり縁のない人生を送っていた。
そんな僕が妻と結婚してから、大阪との距離が少しずつ近づいていった。義両親のお土産でりくろーおじさんのチーズケーキや551の豚まんを食べることが増え、今回の大阪訪問も義妹の結婚式に出席するためだった。
帝国ホテルで用事を済ませたあと(妻方の親戚のおばさんと会ってお茶をした)、義両親とは別れ、その場所からそれほど離れていない大阪城へと向かった。大阪城は一度も訪ねたことがなく、万城目学の「プリンセス・トヨトミ」を読んだばかりということもあって興味があったのだ。
「私は何度も来たことあるんだけど。お母さんたちと買い物に行きたかったな」と妻は興味なさげに言った。
「じゃあいいよ、おれ、一人で行ってくるよ」というと、
「なんでそんなこと言うの?」と頭からツノをはやし、僕のあとを渋々といった様子でついてきた。

大阪城
初めて目にした大阪城は、僕がぼんやりと思い描いていた「お城」とは少し違っていた。
白い壁、重なり合う屋根瓦、石垣の上にどっしりと構える姿は、たしかにお城そのものなのだが、そこに散りばめられた金の装飾が、想像以上にまばゆかった。遠くから見ても、光を受けた金色がちらちらと目に入る。慎ましく歴史の中に佇んでいるというより、「どうだ」と胸を張っているような城だった。
城のことに詳しいわけではないので、これが建築としてどういう意味を持つのかはよくわからない。ただ、その派手さを前にすると、どうしても豊臣秀吉という人物の顔を勝手に思い浮かべてしまう。数百年もあとに生まれた僕のような人間が、天守を見上げながら「ああ、秀吉っぽいなあ」などと好き勝手に想像しているのだから、歴史と向き合う後世の人間というのはなかなか図々しい。

大阪城を取り囲む公園は、思っていたよりも緑が多く、気持ちのいい場所だった。ベンチに腰かけている人、芝生に寝転んでいる人、ランニングをしている人、ゆっくり歩いている人。ただぼんやりと木陰に身を置いている人もいる。かつては戦のために築かれた場所が、いまは人を休ませる場所になっている。その変化を思うと、少しだけ時代のやさしさに触れたような気がした。
もっとも、そんな静かな感慨を吹き飛ばすように、エレクトリックカーという小型のバスが、賑やかな音楽を鳴らしながら園内を走っていた。歌舞伎町の宣伝カーかと思うほどの存在感で、城と緑と歴史の風景にはまるで馴染んでいない。だが、それすらも含めて大阪城なのかもしれない。由緒と商売っ気、歴史とサービス精神が、同じ敷地の中で平然と肩を並べている。そういうところが、なんだか大阪らしかった。


魚はん
枝葉の落ちる影が長くなり、空がうっすらと赤らみ始めた頃、僕たちは思い出したように急いで公園を出て、地下鉄に飛び乗った。このあと夕食の約束があったことをすっかり忘れていたのだ。危うくすっぽかすところだった。あぶない。冷や汗をかきながら電車に揺られること数分、心斎橋で降りて地上に上がると、人の賑わいに体がたじろいだ。
ここが、心斎橋か。ものすごい熱気だ。
アーケード街に足を踏み入れると、どこを振り向いても、人、人、人。地元の人も、観光客も、食べ歩きの人も、みんなまとめて流れ込んでくる。
妻に聞けば、かの有名な道頓堀も、アメリカ村も、大阪名物のたこ焼き屋もすぐ近くにあるらしい。なるほど、人が群がる理由には事欠かない街なのだ。
大阪をたっぷり浴びれそうな場所にせっかく来たのだから、いろんなところに立ち寄ってみたかったがそんな余裕があるはずもなく、「ほら、行くよ、こっちこっち」と妻がすたすたと肩で風を切って先導する。
だが、少し歩くと「ここどこ?」と道に迷っていた。妻は生粋の大阪人だが、生粋の方向音痴でもあった。
しかたがないので妻と交代して僕がGoogleマップを開いて引き連れて行った。向かったのはアーケード街から少し外れたところにある「魚はん」というお店。なんでも義両親一家が35年通っているほど惚れ込んでいる料理屋で、ハレの日やちょっとしためでたい日に利用するとのことだ。かなりの人気店らしく当日ふらっと入れるかはわからないため、何ヶ月も前に予約していただいていた。そんな何から何まで準備していただいた夕食をすっぽかすところだった。危なかった。
時間ギリギリになんとか到着してお店の暖簾をくぐると、すでにお義父さんとお義母さんと途中から合流した義弟が席についていた。
「遅くなってすみません」
「私たちもさっき着いたばかりですから」とお義母さんが手を横に振った。お義父さんはむすっとして腕を組んでいる。
ああ、もうちょっと早く公園を出るべきだったなあ、と反省。まあ、忘れていたのがいちばんいけないのだが。

店内はすでに満席状態で、そこかしこから大将や店員さんの威勢のいい声が飛び交っている。なんだか魚市場にいるような、街の活気に負けない賑やかさだ。
僕と妻がおしぼりをもらったときに「揃ったから出していいよ」とお義父さんが伝え、「はーい」と店員さんが答えていた。そのくだけた口ぶりから馴染みの客と店員の間柄がみてとれる。カウンターにいる大将とも軽い口調で話している。
「このお店、ほんとうに美味しいから」とお義父さんが念を押すように言う。僕は「とても楽しみです」と答えるも、これで口に合わなかったらどうしようと少し心配になる。魚料理は好きではあるが、肉料理ほどの愛好はない。寿司屋だったらまだしも、日本料理の店だ。こういう類のお店は僕はあまり得意ではなく、どうかなあ、と不安を覚えたが、それはまったくの杞憂に終わった。
一品目から、逸品だった。
まず通されたタコのお通しは、添えられている辛子味噌が無茶苦茶に美味い。滑らかで甘ったるくない。続けていただいた豆腐もふつうの豆腐と違った。弾力性とハリがあり、ほんのり甘味がある。それにウニがついてくるんですよ、たまらない。

それから、刺身の盛り合わせ。これがまた絶品でした。いか、たこ、まぐろはどれもぷりぷりで、噛むたびに頬が緩む。イカには嫌な臭みがなく、えびは一口でいけてしまうほど身が弾んでいる。そして中トロ、大トロである。厚みがあるのに、歯を入れるとケーキのようにすっと切れ、脂の旨みがあとに残る。
こりゃうまいぜ。


お次は焼き魚。身がとっても柔らかい鮎焼を一匹丸ごといただいて、お義父さんおすすめのポテサラが運ばれてくる。これもよくあるマヨネーズたっぷりのポテサラとは一味も二味も違って上質だった。ジャガイモも小ぶりでほぐれていて食べやすい。
お腹がどんどん膨れていくが、お構いなしにどんどん口に放り込んでしまう。意思の制止よりも体が勝手に反応していく感覚。そういうものを美味しい料理と呼ぶのだろう。


お皿が空くと、わんこそばの二杯目を注ぐように待ち構えていた店員さんが次の料理を運んでくる。金目鯛の煮付け。
「魚はん」という店名から予想できたことではあるが、ほんとに魚づくしである。たぶん人生でいちばん魚を食らった日かもしれない。まあ、うまいから言うことはないんだが。金目の煮付けも例にもれずひどくうまい。だが、それ以上に感動したのが一緒についてきた牛蒡です。タレがうまいのか僕のバカ舌ではよくわからなかったが、とにかくうまい。一瞬で二本ともぺろりと平らげてしまった。
茹で上がった白子もかなりいける。ぷにぷにで噛むといくらみたいにプシュッと潰れてその食感も良い。
そして鰻巻きね。分厚い卵焼きに鰻が包まれていて。タレがどことなく焼きそばのソースっぽかったんだけど、それがまたなぜかうまいんだ。いったいどんな魔法を使っているのでしょう、大将は。



まだ出てくる。続いて現れたのはエビフライとカボチャの揚げ物。車海老を揚げたもので、ぷりぷりで厚みがあってこれまた食べ応え十分。エビフライは妻の大好物で「一本ちょうだい」と懇願されたが「ノー」と即刻断った。正直お腹はいっぱいであったが関係ない。「これは食べなきゃダメだ」と脳が指令を出している。
そしていよいよラストの一品。さいごに僕たちのテーブルの前に現れたのは鯛めしとあさり汁。締めくくりにふさわしい美味でやさしいご飯でした。刺身、焼き物、煮付け、フライと魚料理のほぼフルコースをいただいて、お腹はいっぱいどころか許容量をオーバーしていた。もう動けません。うっぷ。
ちなみに今回出されたお料理はコースではありません、お義父さんが次から次へとオーダーし、ときどきお義母さんの注文が入っていた。「どんどん食べなさい」とお義父さんが僕にすすめ、僕は出された料理をひたすら口に入れていった。
いやあ、本当にご馳走だった。大阪に魚のイメージはなかったのですが、一晩で覆されました。



義妹の結婚式
翌朝、義妹の結婚式に出席するために早くにホテルを出る。場所はザ・ガーデンオリエンタル大阪という旧迎賓館をリノベーションして造られた式場。迎賓館って外国の主要人物など各国の国賓を招く場所であり、そういう施設は東京にしかないと思っていたが、そういうわけでもないんですね。大阪にだって賓客はやってくる。そりゃそうか。
元迎賓館という歴史ある場所からして、建物は上質で格を備えていたが、緑に包まれた広い庭園が厳かな雰囲気を柔和に緩和していた。五月上旬の季節も相まって気持ちの良い風が吹いている。
待合室で待っている間、親族間の挨拶の時間があった。
僕は義妹のことをほとんど知らないし、義両親一家とも昨日の魚はんで少し打ち解けたとはいえ、まだ東京と大阪くらいの距離はある。当然ながら婿の親族との付き合いはない。この空間で僕はもっとも蚊帳の外の一人であり、ただの挨拶とはいえ、ちょっとした緊張が走る。
新郎側の親族から一人ずつ父、母、兄妹と進んでいき、お爺さんの番が来た。
「初めまして、新郎の祖父です。名前は、えーっと……、なんだっけ? 自分の名前を忘れちゃった」と照れ笑い。その瞬間、全員に笑みがこぼれ、場が和んだ。僕の緊張の糸もするするとほぐれていった。
式が始まり、感動的な風景が通り過ぎていく。自分たちの結婚式よりも、こうして参列者として出席する方が、ジーンと来てしまうのはなぜだろう。
神父が「愛を誓いますか?」と新郎と新婦に向けて投げかける。
「新郎、愛を誓いますか?」
新郎が口を開く前に神父が「さあ、愛を」と催促する。
つづいて新婦に向かって
「愛を誓いますか?」とたずねる。
同じように新婦が愛を誓う前に「愛を」とすぐに投げかける。
なんだか、その様子を見ているとアイフルのCMを思い出してぷっと笑ってしまった。
そこに愛はあるんか。
で、新婦が「誓います」と言った瞬間、ひと呼吸も間を置くことなく、ツッコミのように「アーメン」と言ってこれまた吹き出しそうになった。まさか神父まで大阪のお笑いの間を身につけているのかしら。
もちろん式自体はとても良かった。素晴らしいものだった。


たこ焼き
12時半ごろに式が結びとなり、他の方々の着替えを待っていると、同じく控え室で待っていた新郎の弟さんとその奥さんが実は吉本に勤めているということがわかった。聞けばわりと名の知れた芸人のマネージャーをしており、彼らの結婚式は担当芸人が司会をしてくれたとのことだ。芸人が好きな僕としては純粋に羨ましいと思ったし、いろいろミーハー的な質問をしてしまった。なかでも「M-1の準決勝は本当に倍率が高い」と聞いた時は、やっぱりか、と肩を落とした。毎年応募していても当たらないわけだ。
飛行機の便まで数時間ほど時間があったので僕と妻は難波まで移動し、吉本の夫婦から聞いていたおすすめのたこ焼きを食べにいった。二つあって、一つは「わなか」というお店。僕は知らなかったけど、妻はもちろん知っていた。大阪を中心に10店舗以上あるチェーン店で、かなり有名なお店らしい。大阪のたこ焼き屋としてまっさきに挙がる場所で、実際、千日前本店に行くと人気店を証明するように列が連なっていた。
大阪人の妻は銀だこがひどく嫌い(僕はとても好き)で、「あんなのたこ焼きじゃない」と銀だこの店舗を見るたびに悪態をついていたのだけれど、「わなか」のたこ焼きを食べているときは、「久しぶりに大阪のたこ焼きを食べれたわぁ」と嬉しそうな顔をしていた。たしかに評判通りうまい。柔らかい表面にとろとろの中身で銀だこのカリカリとはまるで違う。ああ、これがたこ焼きかぁとホンモノを食べた気がする。


「わなか」のすぐ隣にある「なんばグランド花月(NGK)」のよしもと芸人のグッズ売り場に入る。芸人好きとしては外せないところで、難波に来たからには是が非でも行ってみたかった場所の一つだったが、店内を何周もしながら思ったのは僕はよしもと芸人の推しはあまりいないんだ、ということだった。
よしもと芸人のいろんなグッズがあったけれど、あれもこれもほしいとはならない。
思えば、ラジオでよく聞く芸人はオードリー、爆笑問題、ハライチ、マヂラブ、四千頭身都築、さらばあたり(さらばはYouTubeもよく見る)が多い。純粋に漫才のネタが好きな芸人として、和牛はかなり好きだったが残念ながら解散してしまった。
どれにしようかなあと悩みつつ、よしもとの中で唯一ラジオを聞いていたマヂカルラブリーのステッカーとネタが好きだったヨネダ2000と何とはなしに千鳥のステッカーを買った。
それからグッズ売り場の目と鼻の先にある「吉たこ」でもたこ焼きをいただく。吉本夫婦がおすすむめするもう一つのたこ焼き屋で彼らの情報によると、「わなか」と材料は基本的には変わらないらしいが、味は違うとのこと。作り方で変わるらしい。店員は若手芸人で構成されているらしく、そのせいか、焼き加減にどこか不慣れな感じがあった。ある種の雑さがノイズとして混じっているというか。個人的には「わなか」の方が断然うまかった。

野田クリスタルさん
その昔、妻はある芸人の追っかけをしていたらしく、NGK周辺の事情に少し詳しい。
「楽屋口を案内するよ。もしかしたら、出番の終わった芸人が出てくるかも」
とはいえ、そう簡単には会えるもんじゃないだろう、と半信半疑でついていくと、出番を終えた野田クリスタルがちょうど出てきた。
なんというタイミングだ。まさかほんとうに出くわすとは。
僕は突然の出来事にびっくりして固まってしまい、声をかけるという考えすら浮かばずにその場に立ち尽くしていると、妻から「絶対に声をかけた方がいいよ」と背中を押され、後方に消えた野田クリスタルを追いかけたら、角を曲がったところで他のファンにサインを書いていた。
で、その人のサインが終わったあとに僕は意を決して話しかけた。
「ラジオ聴いてます! 写真撮ってもいいですか」とおそるおそるお願いをしたら
「あざす!いいっすよ!」と二つ返事で快く承諾してくれた。
嘘だろ、マジかよ、これが大阪の力か、と胸の高鳴りが抑えられなくなっている。
妻にスマホを渡して写真を撮ってもらおうとしたら「ごめん、なんか撮れない」とごたごたしているときも、野田クリスタルは嫌な顔ひとつせずに待っていてくれて、そのあとしっかり写真を納めることができた。
さらにサインと握手もねだると「いいっすよ!」とこれまた快諾してくれて強い力でぎゅっと手を握ってくれた。
ほんとにいい人でした、野田クリスタル。彼のステッカーを買っといてよかった。そのおかげでひょっこり巡り会えたのかもしれない(そんなわけはない)。

興奮冷めやらぬなか、伊丹空港に向かい、再びダイヤモンド会員用のラウンジを利用した。
大阪のラウンジも静かで軽食があり、ゆっくりと出発を待つことができる場所だった。昂った心をクールダウンするにはちょうどいい場所だ。まるでベンツの車内で移動しているような、外の喧騒から切り離された心地よさがあった。
こういう俗世間から少し浮いた場所が、この世界にはひっそりと存在していて、一部の人たちは当たり前のようにその扉を開けていく。僕には縁のない世界だと思っていたけれど、この旅では少しだけ、その向こう側を覗かせてもらった。
高級ラウンジ、絶品の魚料理、緑に囲まれた大阪城、和やかな結婚式、そして野田クリスタルとの写真。そこにあったのは、観光案内に載っている大阪というより、妻と妻の家族が連れていってくれた大阪だった。そうやって少しずつ案内されるうちに、大阪という街は僕にとって「縁のない街」ではなくなっていく。
義妹の結婚式という大きなめでたさの周りに、小さなめでたさがいくつも転がっていた二日間だった。帰りの飛行機の中で「沈まぬ太陽」を開いたが、また30ページも読めなかった。今度はぐっすりと眠ってしまったからだ。
