謎解き
見知らぬ土地なのだけれど、そこを通ると顔を動かしふと見る景色がある。
初めは街に行こうと車で通りかかった時だった。何気ない雑木林の端、木と木の間から見えるのどかな景色で意識して見たわけではない。その帰りもなぜか同じことをしていた。初めて通る道なのでもちろん土地勘はない。ふと顔を動かすとその景色が目に入った。あれ?と感じながらも、それ以上考えることはなく知人と話を続けた。それから数ヶ月後に通りかかった時も、やはり同じだった。その道は県道らしいが、特に何もない。住宅もまばらな2車線の道路である。
雑木林の木と木の間からは田園風景が広がり、その先には山がある。山はやや霞んでいるが、田園風景が数キロに渡って広がっているからだろう。そんな風にはっきりとした理由も分からず、何度となく其の風景を見続けた。話をしていても話の内容に関心を寄せていても、ふと顔を動かしている。木々の隙間から、1秒に満たない一瞬なのに必ず目にする景色で、見たあとに「ああ、ここだ」と思うのである。これが既視感ってやつなのだろうとその時だけ考えた。
数年後、その近くに住むことになり其の風景を見る機会が増えた。相変わらず理由が分からないままだった。何かあるのかなとも思ったが、初めて見た時から数年経っても何も変わらない、手付かずの雑木林である。それ以上想像をめぐらすことはなかった。その後、訳あってその土地を離れた。
そのまた数年後、その土地近くの友人を訪ねた際、友人の車でその場所を通りかかった。やはり其の景色を見た。またも「ああ、ここだ」と思った。あらためて「既視感」を検索した。
確かに憶えのある景色である。違和感はない。もともと田園風景が好きだった。田園だけでなく、遠くまで続く平地を見ると気分が高揚し、穏やか気分になる傾向があった。ただそれは、そのような場所で生まれ育ったからだろう。
其の景色を見ても高揚感や安堵感を感じたわけではない。ただこの景色を見ていた感はある。好きな田園風景でもある。車で通りかかったときから複数回見続けたからなのか、よく分からなかった。
さらに数年後、今度はひとりでレンタカーを借りてその土地近くの目的地に向かった。今回は其の場所を意識していた。数年ぶりの来訪にワクワクしながら、確かこの辺り・・・とナビを見ながら進んだ。そろそろだろうと進行方向を見ると、其処は綺麗に整備され芝生が広がっていた。「公園にでもなったんだ」とゆっくり車を走らせながら横を向くと、整備された芝生の端に僅かに雑木林とあの隙間が残っていた。そしてあの風景が広がった。ナビで確認すると、そこは古墳公園となっていた。
それを見た瞬間、今まで味わったことのない程の強烈な鳥肌が立ち、簡素な布の服を着た男性が木箱のような物に座って山の方向をずっと見ている映像が頭の中に流れた。時折近くの掘立て小屋に出入りするが、またその木箱のような物に座り、同じ方向を見続けている。そして何故か「ああ、自分は此処で墓守りをしていたんだ」と全身鳥肌にうろたえながら妙に納得した。
毎日その木箱のような物に座り、常に北西を見続けた。身体中に刻まれた景色を魂が覚えていたのだろう。だからあの場所に行くと、北西に続く田園風景をふと見たのかもしれない。
見たに違いない。