
缶詰を開ける。人生を歩む。 | 脳内行動派! #9
自宅から一歩も外に出ない日常を書いています。
驚くべきことに、マガジンにまとめるという愚行を始めました。
前回はこちら
日常生活にほんの少しだけの潤いを求める。
そんな権利は、誰にだってある。
だから、ほんのちょっとの楽しみを密かに楽しんでいい。
なんでもいいから見つけてしまいさえすれば良いわけなので、目新しいものや目立つものである必要はない。
ただ、ふと心が軽くなるようなもの。
明日を生きる活力になるようなもの。
そんなものでいいのだ。
そして、これは心変わりしても構わない。
必要なことを言葉にするならば、瞬間をあらわす一文で十分だ。
今、このときを生きる。
それを実感することができるものならば、なんだっていい。
ところが、この、今を生きるということというのは、深く考え込んでしまうと、なかなかに難しい。
息を吸って吐けばいい、というものではない。
寝て起きた、だから生きているということでもないのだ。
生物としてはそれでいいのかも知れない。
だが、人間の尊厳、人生のこの瞬間をあらわすには、それだけでは足りないというものだ。
そもそも、人生とは何か。
これはもちろん、人によって違う。
自分なのかそれ以外なのか。
これも違う。
今日食べるおやつは、ポテトチップスだったりプリンアラモードだったり、柏餅だったりするのだ。
違っていて当たり前だ。
だから、人のおやつを羨んで人生を語るなどということをしてはいけないのだ。
人はときとして冒険を好む。
そして、自由を謳歌する権利がある。
昨日まで毎日のようにアイスクリームを食べていたとする。
これが今日突然、大福推進協議会の会員になったとしたって、誰にもその選択を否定する権利はない。
おやつとは、自由なのだ。
人類が長い争いの歴史を経て掴み取った、勝ち取った、そんな権利だと言っても過言ではないのだ。
だからと言って、おやつを自由に選ぶ権利を人生と置き換えるのは、少々無理がある。
これは全ての日本国民に認められた権利の話であって、人生の話ではないというわけだ。
従って、私はあえて、楽しさのシンボルとしてあるべきおやつを選ぶという立場には立たない。
そういったものは、慎重であるべきなのだ。
ここはあえて、もっと生きることに密接したものを探してみるというのはどうか。
嗜好品ではなく、もっと生を謳歌する、そんなもの。
楽しくなる瞬間というのは、贅沢に根ざす必要はない。
むしろ、もっと生きること自体に近い立場であるほうが、人生に感謝というエッセンスを加えてくれるはずだ。
だから、あえて加える一品よりも、血となり肉となり糧となるものであるほうが、喜びというものは大きくなるはずなのだ。
そういった意味では、おかず選択の自由というものに着目するのは、悪くないはずだ。
ただし、問題もある。
1週間前に食べた豚カツを次に食べるのはいつになるのか。
それを明確に答えるのは難しいのだ。
従って、もっとお手軽な何かを見出す必要があるのだ。
お手軽かつおかずである。
これは単純明解な条件であると同時に、実は少し難しい面もある。
お手軽という要件を、どこまで仕様書に盛り込むのかということに、意見が大きく割れてしまうリスクが潜んでいるのだ。
作ることがお手軽なのか。
洗い物まで含めるのか。
あるいはこの際、作ることまで放棄してしまって良いのか。
私という、おサボり業界の重鎮は、そのあたり、目の肥えすぎた困ったクライアントなのだ。
当然、そこに求められる仕様というのは厳しさを極める。
何も作らない。
何も洗わない。
ここにいかにして近付くのか。
とは言え妥協点は、ある。
食器を洗う手間を増やさないこと。
ここを満たしてくれる何かであれば、Goサインを出さないでもないのだ。
そう考えると、瓶詰めなのか、箱詰めなのか、缶詰なのかの三択くらいになんとなく絞ることができるというものだ。
そして、今日、このときを生きるために私が選んだのは、缶詰だった。
昔の缶詰というのは、缶切りを使ってシュッシュシュッシュとテコの原理を大いに利用し、少しずつ開けていくという楽しみがあった。
これを伝統様式美的缶詰開封方式と呼ぶ。
対して、近年主流になっているものが最新完全手動式簡便型缶詰開封方式だ。
指を引っ掛け、プスっと取っ手を持ち上げる。
シャーっと手前に引っ張る。
最後の瞬間は、ちょっと緊張する。
カツっと開け切る。
缶の中にこれでもかと詰め込まれた汁を、少しでも飛ばさないように。
けれども、これがなかなか難しい。
どんなに注意しても、充填されている汁は、どうしても少し、周囲に飛んでしまう。
しかし、この一連の洗練された最新方式が、とても心地良いのだ。
そのようにしてサバ味噌の缶詰を開ける瞬間。
古くからの作法と、現代の方法の違いに想いをはせるその瞬間。
今日のおかずを手に入れた喜びというのは、未来へ向かうための希望とも言えるのだ。
食べることそのものなんてものは、ちょっとした飾りに過ぎないのだ。
だからこそ、声高らかに訴えたい。
サバ味噌の缶詰を開けるということは、人生を謳歌するために必要不可欠な潤いを与え続けてくれる行為なのだ、と。
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