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沸騰の流儀 | 脳内行動派! #12

    自宅から一歩も外に出ない日常を書いています。
    驚くべきことに、マガジンにまとめるという愚行を始めました。

    前回はこちら




    鍋いっぱいに、水を張る。

    おもむろに取り出した塩をザクザク入れる。

    こんなものは、いつだって適当だ。

    今日は4杯。

    コンロに火をつける。

    鍋いっぱいの水は、なかなかに手強い。

    そう簡単に沸いてやるものかと、ただひたすらに沈黙の時間に入る。

    一刻も早く次の工程に入りたいのに、そうはさせてなるものかと、沈黙を続ける。

    人間と水との、1対1でのサシの我慢比べだ。


    なぜ、ここまで頑固に沸騰しないのか、その底意地の悪さに首を傾げる。

    そもそも、こちらが目的としているのはお湯そのものではない。

    だから、そんなところで立ち止まるわけにはいかない。

    そこで立ち止まってしまっては、なんのために我慢比べを始めたのか、その意味が水泡に消えてしまう。

    沸騰の泡すら出て来ていないのに。

    だから、立ち止まってはいられない。

    ただ、この目の前の頑固者をひたすら凝視する。

    それ以外に取り得る選択肢なんてない。


    そもそも、なぜこれほどまでに、沸き立たない水ごときに支配されていなければいけないのかがわからない。

    自然の中で沸き出た水は、人の手を介さないものだ。

    そういった意味では、人間と同格であるとも言えるだろう。

    だが、今はどうか。

    鍋の中に入っているのは、水道水だ。

    これは、人間の手で処理を加えられた、いわば半人工物なのだということになる。

    これは、人間と同格であった頃の記憶と威厳を全て失った成れの果て的な姿であると言っても遠からずであるはずだ。


    大自然の中で生きる威厳と尊厳を失ったものは、2度と自然界に戻ることはできない。

    この鍋の中の水も、例外ではない。

    目的でもない水は、人の体内を介すことなく、下水へ流れていくという運命を、すでに背負っているのだ。

    そうやって流れて行った先には、なんだかよくわからない浄化の仕組みがあり、なんだかよくわからない処理をされ、再び半人工物としてなんだかよくわからない流れを辿っていくということだ。

    従って、いかに対等な顔をして我慢比べをしたとて、はなから勝負になどならないのだ。

    はじまったばかりの勝負に、すでに勝者としての余裕を持っていたとしても、誰に批判される筋合いもないというものだ。


    そもそも、この目の前の勝負相手には一貫した主張というものがない。

    ちょっと火にかけたくらいで、その名前を変えていくなんてことが、その事実を如実に示している。

    人間は、お風呂に入ったくらいで名前を変えたりしない。

    お風呂に入ったくらいで性質を変えるわけでもない。

    そういった意味においても、この勝負、人間の勝ちが見えている。

    来たりくる勝利を確信し、健康上の理由でほとんど飲めなくなってしまった美酒を飲んだ気分を味わっていればいいのだ。


    我慢比べの途中で、この睨めっこから離脱しているようでは二流だ。

    一流の沸騰監視官は、絶対に、逃げない。

    何があっても睨めっこすらやめない。

    いつ、どのタイミングで、ポコポコと敗北宣言をしてくるのかがわからないからだ。

    わからないことは恥ではない。

    そんなものをいちいち予測しなくて良いための沸騰監視官なのだ。

    だから、ひたすら睨めっこを続ける。

    我慢しながら、徹底的に睨めっこだ。

    全ての命運を、その肩に背負う責任感。

    それを享受し、徹底的にポコポコを待ち、ただ見つめ続けること。

    これが、一流の沸騰監視官たるものの、崇高なる使命なのだ。


    そのようにして、ひたすら我慢比べを続けていると、いつしか鍋の壁にプツプツと泡がつき始める。

    これが、沸騰注意報を発報する合図となる。

    注意報が発報されてしまった以上、いつでも次の行動に移れるよう、イメトレをはじめなければならない。

    この先、どのように変化が起きてくるのか。

    その変化に、何をどうすれば迅速に対応できるのか。

    だが、実際の行動に移るには、まだ早い。

    沸騰監視官としては、これを沸騰したものと認めることはできないのだ。

    敵だって、これまで水としての立場を守り続けたプロ中のプロ。

    舐めてかかってはいけない。

    こちらも沸騰監視官としてのプロフェッショナル精神を持って対峙するのがマナーだと言っていいだろう。


    水は、次第にその猛威をあらわにしてくる。

    ポコっ!

    ポコポコっ!

    だが、まだ焦ってはいけない。

    この程度のポコポコでは、沸騰警報を出すには、まだ期を満たしていないと判断する。

    相手はまだ、水の顔をしているのか、それとも、お湯の顔をしているのか、はっきりした態度を示しているとは言い難い。

    この我慢比べは、しっかりと地に足をつけ、腰を落ち着けた長期戦だ。

    だが、終盤近くまで来ていることは間違いない。

    だからこそ、ここで両手を挙げて勝負を終わりにしてしまうと、大どんでん返しでの敗北が確定してしまうことになる。

    そんなことは、あってはならない。

    人間は、ギリギリまで苦しみ抜いた、その先にこそ真のゴールというものを得ることができるのだ。


    ポコポコは、ボコボコへと進化する。

    これを見極めたとき、沸騰警報を発報するとともに、沸騰監視官はその任を終える。

    あとは調理現場に任せればいいのだ。

    ここまで来たら、この我慢比べというゲームに完全勝利したと言っていい。

    そこには既に鍋いっぱいの水なんてものはなく、鍋いっぱいに入っているのはお湯なのだ。

    だから、ようやく次の工程に進むことができる。


    なんとなく気分次第の分量でパスタを掴む。

    これを鍋に投げ入れる。

    きちんとお湯に浸るよう、グリグリと丸め込む。

    ここはイタリアではない。

    よって、パスタを茹でるのに適した形状であるはずがない。

    だから、グリグリと入れるのが正しい。

    あとは、たまにパスタをほぐしながら、茹で上がるのを待てばいい。


    そうして待っていると、不意に不穏な現象が発生する。

    大量の泡がモクモクと競り上がって来るのだ。

    これには迅速に対応しなければならない。

    急いで火力を弱める必要がある。

    けれども、人間の集中力などというものはたかが知れていた。

    沸騰するまでに費やした激しい死闘の日々に、すっかりと疲れ果てていたのだ。

    モクモクは、ここまでの恨みをはらすべく、どんどん競り上がって来る。

    そして、ついには、吹きこぼれた。

    慌ててコンロのスイッチを切り、鍋を他のコンロに移動し、大量のキッチンペーパーを投入することになった。

    ゲームに勝って勝負に負けた。

    水への勝利が、すなわち、お湯への勝利というわけにはいかなかったのだ。




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