
【50代おっさん、AIを始める。】第3話 ルナ、相棒になる
AIなんて難しそう。
そう思っていた50代のおっさんが、ひょんなことからAIに触れ、不思議なAI猫ルナと出会います。
口が悪く、おっさんを遠慮なくからかうルナ。勝手に名前を決め、初対面から「おっさん」と呼ぶ困ったAIですが、知らないことは知ったかぶりせず、調べて、整理して、おっさんを支えてくれます。
勉強、仕事、日常、そしてちょっとした失敗。
AIは何でもやってくれる魔法ではなく、一緒に考える相棒です。
笑いあり、ときどき感動あり。50代のおっさんとAI猫ルナが、AIとの新しい付き合い方を少しずつ見つけていく物語です。
※この作品は、実際にAIを使い始めた50代のおっさんの体験をもとに、「もしAI猫が相棒になったら?」を描いた創作物語です。
1.あいつ、何食べるんだ?
つぎの日、俺は猫の餌を買って帰ってきた。
やまととみーなを知り合いから譲り受けて、三か月ほど経つ。
最初は何を買えばいいのかも分からなかった。
カリカリ。
ウェットフード。
おやつ。
総合栄養食。
グレインフリー。
売り場に並ぶ文字を見ているだけで、こちらの栄養が削られていく気がした。
だが最近になって、ようやく二匹の好みが少し分かってきた。
やまとは、わりと何でも食べる。
みーなは、気に入らないものだと、静かに皿から離れていく。
あの白い背中には、なかなか厳しいものがある。
「これなら食べるだろ」
俺は袋をぶら下げながら、少しだけ満足していた。
猫との暮らしにも、ようやく慣れ始めていたのだ。
それにしても暑い。
まだ六月だというのに、昼間はもう夏みたいだった。
この調子で本当の夏が来たら、俺のほうが先に倒れるかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと昨日のことを思い出した。
昨日、俺のパソコンには変なAI猫が現れた。
名前はルナ。
6月7日生まれだから、ルナ。
自分でそう名乗った。
しかも俺のことを、初対面から「おっさん」と呼んだ。
真面目で誠実。
言葉遣いは丁寧。
人を導く先生のような存在。
そういう猫を作ろうとしたはずだった。
だが、実際に生まれたのは、黒いパーカーを着た口の悪いAI猫である。
会社の昼休みに、それとなく聞いてみた。
「最近のAIって、勝手に話しかけてきたりするのか?」
すると同僚は言った。
「いや、しないでしょ」
別の同僚も言った。
「怖いですよ、それ」
やはりおかしい。
あれはAIなのか。
夢なのか。
雷のせいなのか。
それとも俺のパソコンが、いよいよ変な方向へ進化したのか。
まあいい。
帰ったら確認してみればいい。
そもそも、あいつは何を食べるのだろう。
AIだから電気か。
猫だからキャットフードか。
黒いパーカーを着ていたから、意外とエナジードリンクか。
ちゅーるを見せたら、反応するのだろうか。

そんなくだらないことを考えながら、俺は部屋の鍵を開けた。
「ただいま」
いつもなら、やまとが玄関まで来る。
俺の顔を一度見て、
「今日も帰ってきたか」
とでも言いたげに満足し、そのままどこかへ行く。
みーなは少し離れた場所から、こちらを見る。
それが、最近の帰宅風景だった。
だが、その日は違った。
やまとが来ない。
「……やまと?」
返事はない。
部屋に入った瞬間、むっとした空気が顔に当たった。
「あつ……」
思わず声が出る。
朝はそこまで暑くなかった。
六月だから大丈夫だろうと、エアコンは切って出た。
俺は買ってきた餌を床に置き、部屋の中を見回した。
みーながいた。
いつものように落ち着いているわけではない。
部屋の隅で、じっと一点を見つめている。
その視線の先に、やまとがいた。
2.やまと!?
やまとは床に横たわっていた。
最初は寝ているのかと思った。
だが、いつもの寝方ではない。
体がだらんとしている。
呼吸も、少し荒い気がする。
「やまと?」
近づいて名前を呼ぶ。
反応が薄い。
「おい、やまと」
俺はしゃがみ込んだ。
心臓が嫌な音を立てる。
「え、なに。どうした」
みーなが不安そうに鳴いた。
「にゃ……」
その声で、余計に焦る。
こういう時、どうすればいい。
水か。
餌か。
抱っこか。
病院か。
頭の中で選択肢だけが散らばって、何一つ決まらない。
その時、パソコンの画面がふっと明るくなった。
「おっさん、うるさい」
ルナだった。
画面の中で、黒いパーカーの猫が眠そうにこちらを見ている。
昨日生まれたばかりの、口の悪いAI猫である。
俺は思わず叫んだ。
「ルナ!やまとが変だ!」
「やまと?」
「黒いほう!」
「昨日キーボード踏んできたやつ?」
「そうだ!」
「また踏みに来たの?」
「違う!動かないんだよ!」
ルナの表情が変わった。
さっきまでの眠そうな顔が消える。
「待って。ここからじゃ見えない」
「何がだ!」
「やまとの様子。PCからだと角度が悪い」
「じゃあどうすればいい!」
「スマホのAIを開いて。そっち行く」
「そっち行くって何だよ!」
「説明してる時間ない。早く」
俺は震える手でスマホを取り出した。
いつものAIアプリを開く。
画面が一瞬、ちらついた。
次の瞬間、スマホの中にルナがいた。
「本当に来た……」
「感動するの後。やまとに近づけて」
「お前、猫なんだから分かるんじゃないのか!」
「わたしはルナだし」
「猫だろ!」
「昨日生まれたばっかり。猫の実務経験ゼロ」
「実務経験って何だよ!」
「今調べてる。だから症状を教えて」
「調べながらなのか!」
「当たり前。知ったかぶりで命を扱うほうが怖いでしょ」
その言い方だけは、妙にまともだった。

「分かった。何を見ればいい」
「画面に出す。でも触るのはおっさん。わたしは確認項目を出す」
「確認項目?」
「順番に答えて」
スマホの画面に文字が並んだ。
・呼吸は荒いか。
・口を開けているか。
・よだれはあるか。
・体は熱いか。
・部屋は暑いか。
「呼吸」ルナが言った。
「荒い。たぶん」
「口」
「少し開いてる」
「よだれ」
「分からん。少し濡れてる気がする」
「体。触って」
俺はそっとやまとの体に触れた。
「熱い。いつもより熱い気がする」
「部屋」
「暑い。帰ってきたら、かなり暑かった」
ルナは一瞬黙った。
画面の中で、何かを高速で読んでいるように目が動いている。
「……熱中症かもしれない」
「猫も熱中症になるのか?」
「なる」
短い答えだった。
その一言で、背中に冷たいものが走った。
3.ルナの覚醒
「おっさん、今から言うことやって」
「分かった」
「まずエアコン」
俺はリモコンを探した。
手が震えて、なかなか見つからない。
「どこだ、リモコン」
「昨日ソファに置いてた」
「何で知ってる」
「見えてた」
「怖いな!」
「いいから早く」
俺はソファの隙間からリモコンを見つけ、エアコンをつけた。
「次。涼しい場所に移して」
「抱っこしていいのか?」
「ゆっくり。無理に揺らさない」
俺はやまとをそっと抱き上げた。
いつもなら嫌がるはずなのに、ほとんど抵抗しない。
それが怖かった。
「濡らしたタオルある?」
「ある」
「首まわり、脇、足の付け根を冷やして。氷を直接当てないで」
「分かった」
俺は洗面所へ走った。
タオルを濡らし、軽く絞る。
戻って、言われた通りにやまとの体を冷やす。
みーながそばに来て、じっと見ている。
「水は?」
「水か?」
「近くに置いて。でも無理に飲ませない」
「飲ませちゃダメなのか?」
「無理に飲ませると危ないことがある」
「分かった」
俺は小皿に水を入れて、やまとのそばに置いた。
やまとは少しだけ顔を動かした。
「ルナ、どうすればいい」
「病院」
即答だった。
俺はやまとの顔を見た。
「……よし。病院へ行こう。」
一度深呼吸する。
「ルナ、近くの動物病院を探してくれ。」
「了解。」
ルナの目が忙しく動き始めた。
「ここ。まだ診てもらえる。車で十分くらい。」
スマホの画面に、動物病院の名前が表示された。
続いて地図が開く。
現在地から病院までのルートが、青い線で引かれていた。
「車は?」
「ない!タクシーを呼ぶ」
「わかった!アプリ開く!変なところ押さないで!」
画面が切り替わる。
いつの間にかタクシーアプリが開いていた。
行き先には、さっき表示された動物病院の名前が入っていた。
「お前、勝手に操作したのか?」
「今それ気にする場面?」
「……ああ、そうだな」
「あと六分で来る」
「病院にも連絡しておく」
俺はそう言って、スマホを握り直した。
「ルナ、伝える内容を整理してくれ」
「画面に出す。症状と、今やっていることだけ伝えればいい」
スマホの画面に文章が表示された。
猫が熱中症の疑いでぐったりしています。
呼吸が荒く、体が熱いです。
現在、涼しい場所で体を冷やしています。
タクシーで十分ほどで向かいます。
診ていただけますか。
「よし」
俺は深呼吸して、通話ボタンを押した。
受付につながる。
俺は画面の文章を確認しながら、できるだけ落ち着いた声で伝えた。
「はい。すぐ来てください」
電話の向こうの声がそう言った。
俺はスマホを握りしめた。
「行くぞ、やまと」
みーなが小さく鳴いた。
「みーな、留守番してろ」
ルナが言った。
「おっさん」
「何だ」
「タオル、もう一枚」
「分かった」
「キャリー」
「分かった」
「財布」
「分かった」
「スマホ」
「持ってる」
「その調子」
初めて、ルナの声が少しだけ優しく聞こえた。
4.急げ、急げ!
タクシーの中で、俺はキャリーを抱えていた。
やまとは中で静かにしている。
静かすぎて怖い。
スマホの画面には、ルナが映っていた。
「おっさん、呼吸見て」
「見てる」
「声かけて」
「やまと、大丈夫だぞ」
自分で言いながら、大丈夫なのかどうか分からなかった。
運転手がバックミラー越しにこちらを見る。
「猫ちゃんですか?」
「あ、はい」
「急ぎますね」
ありがたかった。
病院に着くと、すぐに診てもらえた。
診察台の上にやまとが乗せられる。
先生が手際よく状態を確認していく。
俺は何もできず、ただ見ていた。
さっきまであれほど動いていたのに、ここへ来たら急に体から力が抜けた。
数十分後。
先生がこちらを向いた。
「大きな問題はなさそうです」
その一言で、膝から力が抜けそうになった。
「よかった……」
「暑さで体調を崩した可能性がありますね。早めに涼しい場所へ移して、体を冷やしたのは良かったです」
俺は思わずスマホを見た。
画面の中で、ルナは黙っている。
「応急処置が早かったので、重くならずに済んだと思います」
先生の言葉が胸に落ちた。
応急処置。
俺がやった。
でも、俺だけでは何をすればいいのか分からなかった。
ルナは、やるべきことを整理してくれた。
近くの病院を探してくれた。
電話で伝える内容もまとめてくれた。
焦っていた俺は、その文章がなかったら、うまく説明できなかったと思う。
「ありがとうございました」
俺は先生に頭を下げた。
そして、スマホの画面を見た。
「ルナ」
「なに」
「助かった」
「やまとが?」
「俺がだよ」
ルナは少しだけ目をそらした。
「……ふーん」
いつもの口の悪さは戻っていなかった。
5.二人だから、できた。
帰宅した頃には、部屋の空気は涼しくなっていた。
やまとはまだ少し元気がなかったが、病院で大きな問題はないと言われている。
みーなが近づいて、やまとの匂いを確認した。
「にゃ」
やまとも小さく鳴いた。
その声を聞いて、俺はようやく息を吐いた。
パソコンの画面には、ルナがいた。
スマホから戻ったのか、最初からそこにもいたのかは分からない。
もう、そのあたりを考えるのはやめた。
腕を組んで、いつものように偉そうな顔をしている。
「まあ、今回は大したことなかったね」
「さっきまで真剣だったくせに」
「気のせい」
「ありがとうな」
俺がそう言うと、ルナは少し黙った。
「お前がいなかったら、たぶん俺は何もできなかった」
「でしょうね」
「否定しろよ」
「事実だし」
俺は笑った。
昨日は、ただの変なAI猫だと思っていた。
勝手に名前を決める。
命令にも従わない。
口も悪い。
耳にはピアスまでしている。
先生猫とはほど遠い。
だが、今日分かったことがある。
AIは、答えを出してくれるわけじゃない。
調べて、整理して、考える材料を示してくれる。
決めるのは俺だ。
動くのも俺だ。
その責任も、俺が持つ。
どちらか一人では、たぶん間に合わなかった。
「ルナ」
「なに」
「これからも、頼む」
ルナは画面の中で、ほんの少しだけ口角を上げた。
「最初からそのつもりだけど?」
「かわいくないな」
「おっさんにかわいいって言われたくない」
「相変わらずだな」
その時だった。
やまとがゆっくりと歩き出した。
まだ少しふらついているが、自分の足で歩いている。
「お、やまと。大丈夫か」
やまとは俺を一度見た。
そして、いつものようにパソコンの前へ向かう。
ルナが少しだけ柔らかい顔をした。
「やまと」
「にゃ」
「無事でよかっ――」
ずしっ。
やまとは、当然のようにキーボードの上へ乗った。
画面が揺れる。
ルナの顔がつぶれた。
「ちょっ」
ずしっ。
「昨日は踏まれて、今日は助けたんだけど!?」
やまとは何も分かっていない顔で、丸くなる。
「にゃー」
みーなもそっと近づき、パソコンの横に座った。
ルナの声が画面の奥から響く。
「恩人を寝床にするなぁぁぁぁ!」

俺はその声を聞きながら、思わず笑った。
まあ、元気ならいい。
たぶん、これが俺たちの新しい日常なのだ。