
コンビニのおでん担当を3年やって、人間のことが少しわかった気がする話
わたしはコンビニで3年間バイトしてた。
大学2回生から4回生まで。担当は主に「おでん」やった。秋になるとおでんの季節が来て、わたしの地獄もいっしょに来る。毎年10月になると、店長が嬉しそうな顔で「おでんの仕込み、よろしく」と言う。わたしは「はい」と言いながら心の中で小さく叫ぶ。
コンビニのおでん担当というのは、世間が思っているよりずっとむずかしい仕事やった。
まず、おでんの補充に失敗すると地獄が始まる。
具の在庫が切れた場合は、補充するまでの間、空いたスペースに「準備中」のプレートを置くルールになっていた。でも、これがよくない。お客さんが鍋を覗き込んで「大根ないやん」と発見したとき、あの顔。責めてはいない、でも哀しそうな顔。こっちも哀しくなる。わたしはいつも大根を切らさないように、在庫を何度も確認した。
気づいたら、わたしは「大根を愛でる人間」になっていた。
コンビニのおでんには、常連さんが来る。
特に秋冬の夜、仕事終わりらしいスーツのおじさんが一人で来て、決まった具を買っていく。たまご、大根、牛すじ。同じ組み合わせを、毎週月曜と木曜に買う。わたしは顔を覚えた。名前は知らない。でも「月曜と木曜の人」として認識してた。
ある木曜の夜、その人が来なかった。翌週の月曜も来なかった。
ものすごく気になった。仕事変わったんかな、引っ越したんかな、それとも体調でも、と。会ったこともないのに心配した。
2週間後、また来てくれた。いつもと同じように、たまご・大根・牛すじを買って、無言で帰っていった。
わたしはこっそり、ほっとした。
この仕事で知ったことがある。
人は「習慣」を買いに来るんやな、ということ。
コンビニに来るお客さんの多くは、同じ時間に、同じものを、買っていく。コーヒー一杯、おにぎり二個、デザートひとつ。毎朝7時22分に来て、7時25分には出ていく。その人の一日のリズムに、このコンビニが組み込まれてる。
「今日もいつもの?」とは聞かない。聞かなくてもわかる。そして聞かない方がいい、とも学んだ。習慣というのは、言語化されると壊れることがある。「いつもの」を「いつもの?」と確認された瞬間、お客さんが少し照れる。照れると、急に選択肢を考え始める。スムーズだったルーティンが揺らぐ。
だから黙って、先に準備する。
3年間で一番困ったお客さんは、おでんの汁だけ買いにくる人やった。
「おでんの汁だけ、もらえますか」と、初めて言われたとき、マニュアルに載っていないことで頭が真っ白になった。確認しに行ったら店長が「いや……どうしよう」と一緒に固まった。結局、カップに汁だけ入れて、値段は50円にした。店長が即興で決めた。
そのお客さん、次の週も来た。
また「汁だけ」。店長はもう固まらなかった。「はいはい」とカップを出した。レジに「おでん汁」という謎のボタンが増えた。
常連になった人には、世の中の仕組みを少しずつ変える力がある、とわたしは学んだ。
おでん担当を3年やって、1番刺さった出来事は、11月のある夜のことやった。
閉店2時間前、外は冷たい雨やった。20代後半くらいの女の人が、ずぶ濡れで入ってきた。傘を持っていなかった。ビニール袋を頭に乗せていた。レジに来て「こんにゃく一個だけください」と言った。100円ちょっとやった。
財布を出しながら「今日ほんまに最悪で」と、誰にともなく言った。
わたしは「そうなんですか」と返した。それだけ。お客さんは「うん」と言って、こんにゃくを受け取って、また雨の中に出ていった。
あの「最悪で」の続きを、わたしは今でも考える。
何があったんやろ。こんにゃく一個だけ買って雨の中を帰って、そのあとどうしたんやろ。なにか食べたかな、あったかくなれたかな。コンビニのレジに立ってると、そういう「続き」を知ることのない人間の断片に毎日出会う。
一瞬だけ交差して、消えていく。それがすごく、おもしろかった。
バイトを辞めたのは就職が決まった春やった。最後の夜、おでんの鍋を洗いながら、なんか泣きそうになった。
泣かなかったけど。
コンビニのバイトで何か学んだか、と聞かれたら、「人間のことをちょっとだけ見た」と答える。履歴書には書けない種類の学びやった。月曜と木曜に牛すじを買う人のこと、汁だけ持ち帰った人のこと、こんにゃく一個で雨の中に消えた人のこと。
そういう断片が積み重なって、世の中は動いてる気がする。
コンビニのおでん担当は、その断片がいちばん集まる場所のひとつやったと思う。
今でも、コンビニのおでんコーナーの前に立つと、つい鍋の中を確認してしまう。大根はあるか、たまごは切れてないか。職業病というより、もはや習慣になった。
そういう意味では、わたしも「習慣を買いに来る人」のひとりなんかもしれない。