【「お待ちしてました」の数分間 】時間は、いちばん静かな思いやり
去年の暮れ、忘年会に招いていただいた場所が、初めて行くお店だった。
夜の街を、地図を頼りに歩く。それでもやっぱり、なかなか見つからない。「どこかな、どこかな」。そんなに迷ったわけではないけれど、初めての場所というのは、あの数分がけっこう心細いものだ。
ようやく、「ここだ」と店を見つけた。
正直に言うと、私は少し早く着きすぎていた。まだ誰もいらっしゃらない。それで、入り口のところで待つことにした。
しばらくして、招いてくださった方が来られた。その方が遅れたわけではない。むしろ、私が早く出すぎたのだ。初めての店で、探して迷ったら困る。そう思って、早めに家を出た。そのぶん、着いてしまった。
楽しい会だった。いやな思いなど、まったくしていない。
ただ、家に帰ってから、ふと考え込んでしまった。
「待つ」ということについて。
心細かったのは、店の場所ではなかった
もし、あのとき。入り口に誰かが立っていて、「大西さん、お待ちしてました」と言われていたら。
私はきっと、あの心細い数分が、すっと消えていただろう。
そう思ったとき、気づいたことがある。私が心細かったのは、店の場所そのものではなかった、ということだ。場所は、自分で見つけられた。心細かったのは、もっと内側のほう。「ちゃんとたどり着けるだろうか」という、あの小さな不安のほうだった。
ここで、一冊の本を思い出した。マルツ博士という方の『自分を動かす』
いわゆる「サイコ・サイバネティクス」の本だ。
マルツ博士は、もともと外科の医師だった。顔に傷を負った患者の傷を、手術できれいに治した。ところが、その人はちっとも嬉しそうではなかったという。傷は治ったのに、心のほうが治っていなかったのだ。
この経験から、博士はある結論にたどり着く。人が本当に安心するのは、外側ではない。内側なのだ、と。
これで、腑に落ちた。
「お待ちしてました」の一言は、私の外側をどうこうするものではない。私の内側に、「もう大丈夫」という安心を、そっと置いてくれるものなのだ。時間の、ほんの数分が、人の内側に届く。
そして、これは商売でもまったく同じだと思う。
「読める時間」と「読めない時間」
ここで、時間というものを少し分けて考えてみたい。実は、大事な違いがある。
「読める時間」と、「読めない時間」だ。
たとえば、お客様のオフィスを訪問するとき。場所は分かっている。道も、かかる時間も、だいたい読める。だから、たとえ早く着いても、近くで一息ついて、ちょうどの頃に静かに伺えばいい。調整がきく。
ところが、初めての飲食店街での待ち合わせは、これができない。
場所が、読めないのだ。「たどり着けるだろうか」「迷ったらどうしよう」。だから、行く側も早めに家を出る。行けなかったら困るから。
すると…着いてしまう。私が、まさにそうだった。
つまり、私が早く着きすぎたのは、いい加減だからではない。むしろ、その会を大事に思うから、早めに出た。思いが強いほど、早く着いてしまう。時間には、そういう不思議なところがある。
誰も悪くないのに、すれ違う
こう考えていくと、面白いことに気づく。
招く側は、先に来て待とうとする。訪ねる側も、遅れたら悪いからと、早めに出る。両方とも、相手を思って動いているのだ。
なのに、すれ違うことがある。私のように、招かれた側が先に着いて、入り口で待つことになったりする。誰も悪くない。みんな、ちゃんと相手を思っている。それでも、ぴたりとは合わない。
時間というのは、本当に難しい。
でも私は、この「難しさ」こそが大事なのだと思う。時計どおりに動けば済む、という話ではないのだ。相手が今どこにいて、どんな気持ちで向かっているか。それを想像しながら、こちらも動く。
正解は、たぶんない。でも「相手を慌てさせたくない」「心細くさせたくない」その心を持って時間に向き合うこと。それ自体が、もう思いやりなのだと思う。
これは、お客様だけの話ではない。家族でも、友人でも、同じだ。立派なことを言うより、そばに安心をひとつ置く。それが、いちばん静かな思いやりだと、私は思っている。
ちょっと笑ってみる。時間の「あるある」三人衆
……と、真面目な話ばかりしてきたので、少し肩の力を抜きたい。
世の中には、待ち合わせに三種類の人がいる。
まず、五分前の人。 優等生である。感じがいい。「できる人だな」と思われる。問題ない。……ないのだが、初めての店だと、この人が一番早く着いてしまう。そして、まだ誰も来ていないから、入り口でひとりポツンと待つことになる。……はい、私です。
次に、ジャストの人。 きっちりしている。時計の針がカチッと重なった瞬間に、ドアを開ける。かっこいい。ただ、これは実は、けっこうな腕前が要る。逆算して、近くのコンビニで三分つぶして、といった具合に。涼しい顔の裏で、相当な段取りをしている。白鳥のようなものだ。水の上はすーっと、水面下では足をバタバタ。
最後に、ちょっと遅れる人。 「すいませーん、道混んでて」。……はい、定番である。でも、正直に言うと、私はこの人を責める気になれない。遅れたときの「すいません」の顔は、たいてい憎めないものだ。人間くさくて、私はわりと好きだ。
問題は、毎回する人。毎回である。口では「はいはい、さようなら」と言いながら、やっぱり許してしまう。なぜだろう、と自分でも思う。
ひとつ、思い当たることがある。
私は、なぜかしょっちゅうハプニングに出くわす人間なのだ。本当に困っている人に、よく出くわす。駅のホームで倒れている人がいたり、エスカレーターで隣の人がこちらへぐらっと倒れてきたり。「今?」というときに限って、放っておけない場面に出くわす。
だから、ふと思うのだ。毎回遅れてくる、あの人。ひょっとしたら、あの人も道中でそういう場面に出くわしているんじゃないか、と。私と、同じで。
そう思うと、不思議なもので、腹も立たない。それどころか、「今度、一杯どうです」と誘いたくなってくる。……我ながら、変な人間だと思う。
おわりに
実は今日の話も、いま私が作り直している講座の、地下水脈にある考え方だ。
「商売繁盛 7つのステップ」。去年、Udemyで大急ぎで作ったものを、63歳の今、全部書き直している。その途中で気づいたこと、拾い直したことを、こうして少しずつ、書き残していこうと思う。
あなたの「お待ちしてました」は、どんな形だろうか。到着の時間かもしれないし、返信の速さかもしれない。ひとつ、思い浮かべてみてほしい。
その数分に、あなたの心が、静かに出る。
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