
【メモ】大人になる
幼いころ、よく親や教師に怒られたものだ。くだらない悪戯をして、つまらない嘘をついて。ときには拳骨を喰らいながら、こう諭された。
「大人になりなさい」と。
あれから40年は経つ。大人になるにはなったのだが、悪戯をすれば嘘もつく。周りの大人を見たってそうだ。下手をすると、子どもの僕より酷い人だっている。あの頃の僕らは、そこまで露骨に人を貶めようとはしなかった。
大人の方が、よっぽど悪人じゃないか。
子どもだった頃は、親や教師は絶対的存在だった。彼らの言うことはいつも正しかったし、指示されたことはやらないといけなかった。彼らのことを「正解を持っている人」だと思っていた。だって自分は何も知らない未熟な存在だから。
やれと言われたことはやったし、質問の答えはそれが正しいと妄信して学んだ。だって大人が言うことなんだから。彼らが口うるさく「大人になれ」と言っているように、子どもたちが目指すべき存在なんだから。さぞ立派で、完成された人間のはずだ。
大人と呼ばれる歳になって思う。大人ほど下衆で未完成なものはない。子どもと一緒で知らないことはたくさんあるくせに、人に聞かずに過ちを犯す。ともすれば知ったかぶりをしたりもする。間違ったことを正解のようにも話す。たとえそうだと知っていても。
大人も噓をつく。子どものように無邪気な保身じゃなく。人を貶めるため、自分をよく見せるため。混じりっけなしの悪意で嘘を練り上げて投げつける。
それがわかっていて、大人は子どもに「大人になれ」という。どういう了見でそれを目指せと言っていたのだろうか。
ならばこう言って欲しかった。
「今やっているダメな行為に、ちゃんと悪意をこめなさい。そうじゃないと大人同士でやりあったときに生き残れないよ」
それでも不思議なことに、そんな大人たちの中にも尊敬できる人はいた。完璧だからじゃない。自分が間違えるということを知っていた人だ。
大人になるって年齢を重ねるってことじゃない。そして、完璧な人間になるってことでもない。大人だって無知で未熟で未完成な生き物だ。
自分が未熟であることを知っている。これこそが大人なのかもしれない。ただ残念なことに、知っていることと出来ることは別モノらしい。
いざ大人になってから「大人になる」って、むずかしい。
みんな、なれてるのかな?
少なくとも僕はまだだ。
昨日も悪戯をしたし、くだらない嘘もついた。
ただ、子どもの頃より一つ知っている。
僕が未だ未熟であることを。