
人生山あり、転機あり
自分の人生の充実度を折れ線グラフのようなもので表したとき、今はどのくらいの位置にいるのだろうか。
振り返れば学生時代。共学ではあるものの、自分自身の見た目や中身へのコンプレックスから、いつも下を向いて目立たないように生活し、異性から距離を取って過ごした日々。
誰かに笑われるのが不安で、周りと違うと認識されるのが怖くて、周りに溶け込む努力をして過ごした根暗な日々。
いつも断って出席したことはないけれど、もしも同窓会の類いに参加することがあったならば、出会った同級生のひとりひとりに「えっと…誰だっけ?」と言われるくらい影が薄かった自負がある。
(当時はそれを認められなかったけれど、今ではすっかり笑い話。)
周囲の誰とでも話せるような社交性のある時期は小学生のころのほんの一瞬で、そこから成人して社会に出る頃までの本当に長〜い間、ぶ厚い自分の殻にこもり、他人と関わるのを恐れ、"社交"を最も苦手なこととして過ごした私という人間。
そんな私が学生を卒業して就職を迎えた年、「こんなに社交ができなくて大丈夫か!?」と自分自身が誰よりも不安に思いながら入職するも、初めの会社がいわゆるブラックに近い職場。
相当強靭なメンタルと物怖じしない強気な姿勢、高いコミュニケーション能力がなければ淘汰されてしまう激しい労働環境の中に根暗な私が溶け込めるはずもなく、調子を崩して退職。
そこからいくつかの仕事をして、紆余曲折あって今に至る。
やはりどこに行っても思い至るのが、「学生時代を楽しめた陽気な人と、そうでない人の差って大人になっても埋まることはないのでは?」という大変に卑屈な気持ち。
根っこがそのままの私は、一生下を向いて生きていく人生なのではないかと。
人から見れば考えすぎなのかもしれないけれど、職場でうまくいかないことがあるたびに本当にそう思って絶望していた。
場所が変わろうが歳を取ろうが、自分が人より優れていることなどなくて、誰かに選ばれるようなこともなくて、ぼんやりとどこかで「このままひとりで生きていくのだろうなあ」と思っていた。
そんなうす暗い私の生活に光がさす。
何度か転職して折れかけの心で入った会社で、歳上の男性に恋をする。その男性こそが今の恋人である。
前述したように恋愛経験はおろか、ろくに異性と会話もせず青春時代を過ごした私なので、最初はまさか恋愛に発展するとは思わなかった。
驚いたことに彼は私がコンプレックスに思っていた、何を話していいかわからず大人しくなかなかその集団に馴染めないところ、他者と交流することに勇気がいるところ、社交が苦手で静かにひとりで過ごしているところ、そういったところに惹かれてくれたという。
長いあいだ自分自身を何度も絶望させてきた私の「根暗」が誰かの好きに繋がるなんて、と今だに驚きの気持ちでいる。
私と彼とは似ているところもあるけれど、大きなくくりで人を分けると、別のところに分類されるのだと思う。
人と打ち解けるのが上手で、明るくその場の真ん中で笑っている彼と、大勢の集まりは苦手で隅っこで大人しく過ごす私。
対照的なようであって、根っこは似ているのだと彼は言う。
彼に会うまで、私自身が自分のことが嫌いで、性格のいろんなところがコンプレックスで、誰よりも自分が自分に「価値がない」と感じていた。
自分自身が心の中でそういう扱いをしているせいで自信のなさや卑屈さが伝わるせいなのか、周りからも性格を指摘されたり、好ましくない扱いを受けることが多かった。
でも人はみんな違っているから、自分がだめだと思っている部分が違う目で見ると"他にない魅力"に映ることもあって、それは自分でも思いがけない場面で誰かにそう思われることがある、ということは私の人生に大きな希望をくれた。
彼と出会い、ずっと低い位置で停滞しているグラフだった私の人生のイメージが、すこしずつ上を向き始めた。
正直なところ、仕事はうまく行っていない。
すべてがうまくいくことはないのかもしれない。
でも転機はいつ来るかわからない。
身を置く場所、出会った人、好きになったもの、出かけた先、新たな趣味、どんなことが自分の転機になるかわからない。
「明日自分の席がなくなっていたらどうしよう」と明日が暗闇だと信じてやまなかった学生時代の私が想像していなかった転機。
いつ、何があるかわからない。
そのことは日頃ネガティブな想像に使われがちだけれど、せっかくなら前向きな気持ちで「でも、これから何があるかわからないしな!」と思える私でありたい。
未来を決めつけるなかれ。
転機は明日かもしれない。
今の自分の悩みにも、そんな風に思えたらいいなと思う。
がんばるすべての人の毎日に、穏やかな時間がありますように。