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炎の城にて


    彼女は幼い頃、伊賀の忍びの村で育った。

    そこは静けさの中に、常に緊張が張りつめている村だった。

    土を踏むわずかな音と、呼吸の乱れだけがすべてを決める。

    子どもたちは遊ぶ前にまず、生き残るための動きを叩き込まれる。

    その中でも、ひときわ異質な存在がいた。

    服部半蔵。

    まだ少年でありながら、動きには無駄がなく、気配は薄く、判断はすでに大人のそれだった。

    同じ年の兄は、その半蔵と競うように訓練を受けていた。

    彼女は幼い頃から、いつもその兄の背中を追いかけていた。

    その姿を見て、ただ憧れていた。

    年に一度の祭りの日。

    神社の境内には村の子どもたちが集まっていた。

    その中に、彼女と兄、そして半蔵の三人がいた。

    いつもと違う空気の中で、ふと彼女が言った。

    「半蔵様のお嫁さんになりたいわ」

    その場が一瞬だけ静まる。

    兄は少しだけ間を置いて、笑いながら言った。

    「……じゃあ俺は、半蔵の兄になるのだな」

    半蔵は何も言わなかった。

    ただ一瞬だけ彼女を見て、ほんのわずかに口元を緩めた。

    その時間は、まだ誰もが“人として生きていた時間”だった。

    しかし忍びの世界では、目立つことは死に直結する。

    彼女はやがて、“表には立てない側”として扱われていく。

    やがて時は流れ、彼女は侍女として敵の城へ潜入する任務に就いていた。

    それは偶然ではない。

    すべては最初から計画された作戦の一部だった。

    服部半蔵。

    徳川に仕える忍びの頭領となった彼が、この夜の指揮を執っている。

    その作戦には、ひとつの影があった。

    兄の死である。

    兄は半蔵と同じ現場にいた。

    誰よりも妹を気にかけていた男だった。

    任務の最中、想定外の動きが起きる。

    敵でも味方でもない、ただ一瞬の判断。

    兄は彼女を庇った。

    その結果、戻らなかった。

    彼女はそれを「任務の一部」として受け取るしかなかった。

    悲しみは作戦を止める理由にならない。

    侍女として城に残り続ける。

    笑い、働き、頭を下げながら、情報を積み重ねていく。

    そのすべてが、終わりへ向かう準備だった。

    そして今夜。

    作戦は最終段階に入った。

    城は燃え、外では徳川の兵が動き始めている。

    終わらせるための夜だった。

    炎の中、逃げ道は塞がれていく。

    そのとき、彼が現れた。

    服部半蔵。

    何も言わず、彼女の腕を掴む。

    迷いはない。動きはただ任務として正確だった。

    「兄は……」

    問いは途中で途切れた。

    半蔵は答えない。

    ただ一瞬だけ、視線が止まる。

    それだけで、すべてが終わっていると分かった。

    外へ引きずり出されるように、炎の外へ出る。

    崩れ落ちる城の音が背後に遠ざかっていく。

    安全な場所に出た瞬間、半蔵の手が離れた。

    彼女はその場に立ち尽くす。

    救われたという実感はない。

    ただ、まだ生きているだけだった。

    半蔵は背を向ける。

    振り返らないまま、短く言った。

    「ここまでだ」

    それは別れでも慰めでもない。

    ただ任務の終わりを告げる声だった。

    彼女は追わなかった。

    ただ炎に沈んでいく城を見つめる。

    兄は、守ろうとして死んだ。

    その死さえも、この夜の中に組み込まれていた。

    炎だけが、最後まで音を立てていた。

    #創作大賞2026 #ファンタジー小説部門

     
     

    Rea

     
     
    Lifestyle artist Drifting words, floating quietly into the sea.🌊

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