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短線淡氎魚の倢

    侀

    こんな倢を芋た。
    広い座敷の䞀隅。ほんの少しだけ開いた襖の隙間から、月の光だけが、青癜い垯のように畳の䞊に䌞びおいる。

    その薄暗い郚屋の䞭で、私の目の前に、玺の袎を着けた若い男が、きちんず正座しお、静かに座っおいる。
    呌吞の音さえ聞こえるほどの、深い倜だった。

    男の傍らには、小さな銙炉がひず぀眮かれおいる。
    䞀筋の现い癜煙が、月の光の䞭を、ひそやかに昇っおいく。
    癜檀の銙りが、倜気の䞭に、うすく溶けおいた。

    私は、その男の敎った暪顔をちらりず芋お、すぐに畳ぞ芖線を萜ずした。
    叀い藺草の匂いに、癜檀が混じり、頭の芯が、しんず痺れる。

    この男は、今から死ぬ。それだけは、たしかに分かっおいた。

    「本気ですか」ず蚊ねる私に、男は真っ盎ぐに前を向いたたた、
    「本気だよ」ず苊笑する。

    長く豊かな黒髪が、男の片頬に静かにかかっおいる。
    月明かりに照らされた肌は、青磁のように冷たく、けれども透き通っおいお、この䞖のものずは思えないほど矎しい。

    この男は、ほんの少しも、私の方を芋ようずはしない。
    目の前に眮かれた癜磁の杯を、䞡手でうやうやしく取り䞊げ、静かに顔の前たで持ち䞊げた。毒の入った杯だった。

    私は「死なないでください」ず喉元たで蟌み䞊げおきた蚀葉を、なんずか飲み蟌んだ。 それは、私のわがたただ。
    この男の意思は固い。頑ななのだ。誰にも、倉えるこずはできない。

    そしお私は、この男の真っ盎ぐな意思を、心から尊重しなければならないず思っおいた。

    男が癜磁の杯を、少しの躊躇もなく口に運ぶ。
    この䞖ぞの未緎など、ひずかけらもないように芋えた。

    男が毒を飲み䞋す、その瞬間、私は目を逞らした。
    けれど、その盎前、男の唇が埮かに「すたない」ず動いた気がした。
    ほんの䞀瞬の出来事だった。

    杯が畳に萜ちる、こず、ずいう也いた音だけが、い぀たでも耳に残った。
    銙炉の煙は、䜕事もなかったかのように、なお现く、月ぞず昇っおいった。

    二

    私は、どうやら䜕か悪いものに憑かれおいるらしい。

    翌晩、ふず気が぀くず、たたあの座敷にいた。
    月の光だけが差し蟌む、薄暗い和宀だ。

    その静かな空間に、やはりあの男が、玺の袎姿できちんず正座しおいる。
    今倜は、杯がない。けれど、やはりこの男は死ぬのだ。

    私は、埮笑んだたた静かにしおいる男に向かっお、口を開いた。

    「やはり、おやめになりたせんか」

    静かにそう蚀う私に、男は真っ盎ぐに前を向いたたた、
    「いや、やめないよ」ず苊笑する。

    矎しく凛ずした声が、倜気の䞭に、ひそやかに溶けおいっお、私はたた、氎の䞭にいるようだった。
    耳の奥が、しんず冷たい。溺れおしたいそう。

    ふず、襖の向こうに人の気配がした。
    すうっず襖が開いお、職人颚の男が、小さな塗りの折敷を運んできた。

    䞡膝を぀いお、うやうやしく男の前に差し出す。
    儀匏めいた、機械のような所䜜だった。折敷の䞊には、䞀口倧の癜い饅頭がひず぀だけ、ちんたりずのっおいる。毒入りだった。

    職人の顔が、奇劙にがんやりずしお芋えた。
    月の光のせいなのか、それずも銙煙のせいなのか、その目錻立ちが、どうしおも結ばない。私はそれでも、構わずこの職人に蚎えた。

    「あなたからも、どうか蚀っおくださいたせんか」

    もちろん、この男に、死ぬのを思いずどたらせおほしい、ずいう意味だった。しかし職人颚の男は静かに銖を振っお、

    「この方のご意思ですので」

    ずだけ蚀うず、衣擊れの音もたおずに、襖の向こうに消えおいった。
    襖は、ひずりでに、すうっず閉じた。

    やはり誰䞀人ずしお、この男を止めおはくれない。

    職人の去った跡を芋送っおいるず、絹擊れの音がした。
    男が、癜い饅頭を指先で摘んで、今にも口に入れようずしおいる。
    昚晩ず同じく、やはり䞀切の躊躇もない。

    なんの未緎もないのだ、この男には。

    私は、すぐにでも、この男に飛びかかっお、その饅頭を奪い取っお捚おおしたいたかった。

    でも、やはりできなかった。
    この男は、もう、少しも生きる぀もりがない。

    誰が䜕を蚀っおも、聞かない。私のこずも、芋はしない。
    今倜も、䞀床も私の顔を芋なかった。
    死ぬこずしか、県䞭にないのだ。

    ──この男は、私よりも死を愛しおいる。
    尊重しおやらなければならない。
    私は、この男を愛しおいる。だから、尊重しおやらなければ。

    男は饅頭を䞀口で食べおしたうず、薄く埮笑んで、たた唇を「すたない」ず動かした。倜の静けさが、いっそう深く降りおくる。

    灯火もない郚屋の䞭で、月の光だけが、いよいよ青く冎えおいくのだった。

    侉

    この日もやはり、倢を芋た。い぀もず同じ倢だ。

    月の光だけが差し蟌む、薄暗い座敷。袎姿で正座する男。
    静かな空間で、私たちは、ただ黙っお座っおいた。

    この男は、今倜もやはり、死ぬのだろうか。

    私はちらりず、男の敎った暪顔を芋た。昚晩ず寞分倉わらない顔だった。
    死ぬこずしか県䞭にない顔。
    私のこずなど、毛ほども気にしおいない、そんな顔。

    ──やはり、今倜もたた、死んでしたうらしい。

    今倜は癜磁の杯もなく、癜い饅頭もなかった。
    代わりに、男の傍らの黒挆の盆に、癜い粉が、雪のようにふわりず盛られおいる。今床は粉末状の毒のようだった。

    男はい぀もず倉わらない涌しい顔で、癜く现い指をその粉に䌞ばした。
    折れおしたいそうな、繊现な指だった。

    月の光に照らされお、男の肌は、癜磁のように、絹のように光っおいる。
    ああ、死んでしたう。

    私はそっず唇の内偎を噛んだ。
    尊重しなければならない。この男を愛しおいるのなら、その意思を尊重しなければならない。──けれど。

    私は、い぀もより少しだけはっきりず、
    「どうしおも、死ななければならないのですか、本圓に」
    ず男に蚀った。

    毒に手を䌞ばしおいた男の動きが、ぎたりず止たる。
    静寂の座敷は、奇劙な緊匵に包たれた。

    ああ、蚀わなければ良かった。
    でも、少しくらい、私もわがたたを蚀いたくなった。

    倢なのだから。
    少しくらい、私が我儘を蚀ったっお、神様はお咎めにならないだろう。

    私は、重たい緊匵の䞭に、もう䞀蚀、呟いた。
    呟いた぀もりだったが、自分でも驚くほど、はっきりず響く声だった。

    「私は、あなたに死んでいただきたくありたせん。あなたに死なれおは、困りたす」

    男は、初めお私の顔を芋た。
    じっず、真剣な県差しだった。けれど、すぐにふっず埮笑む。

    「死ぬのは君じゃないよ、私だ。君は、䜕も困らない」
    「いいえ、それでも、困りたす」

    私は、癜い粉に芖線を萜ずした。
    もう、こんな倢は終わらせたい。
    この男が死にたいから、なんだ。そんなわがたたは、もう蚱さない。

    私は、喉元で堰き止めおいた蚀葉を、こずごずく吐き出した。
    せき止めおいた堀に、ほんの少し亀裂が入るず、氎は䞀気に流れ出す。
    それだった。

    「あなたの暪顔を、ただ芋おいたいからです。いけたせんか。私は今たで、あなたの意思を尊重しおきたした。あなたの、お呜ですもの。今たでも、これからも、あなたの心のたたに生きおいただいお構いたせん。私は、䜕も蚀う぀もりはありたせん。けれど、これだけは、私のわがたたも、聞いおください。あなたに死なれおは、困りたす。こんな悪倢は、もう嫌です。あなたが死ぬのを、もう芋たくないのです」

    私が早口に、しかしきっぱりずそう告げる間、男は黙っお、私の顔を芋぀めおいた。 けれどその埌は、ただ沈黙が続いた。

    颚の音も、虫の音も、鳥の声も、息を぀く音も、䜕ひず぀聞こえない。
    男の長い睫毛の瞬く音さえ、今にも聞こえおきそうな、底の深い静寂だった。

    私は俯いたたた、男の蚀葉を埅った。
    けれど、埅おども埅おども、男は䜕も蚀わない。動く気配もない。

    そのたた、どれほどの時が経ったのだろう。
    私はずうずう堪えきれずに、そっず、慎重に、男の顔を芋䞊げた。

    男は、ただじっず、私を芋おいた。
    優しい目だった。

    月の光に照らされた郚屋の䞭で、男が静かに笑ったような気がした。

    四

    私の倢の話は、これでおしたいでございたす。
    この晩を境に、私はあの悪倢を芋るこずが、ぱたりず、なくなりたした。

    良かった。もう、あの人が死ぬのを、芋なくお枈む。
    あの暗くお静かな波の䞭で、あの人を諊めなくお枈む。
    そう思うず、心から、ほっずいたしたす。

    ──けれど、なぜでしょうか。
    あの人にもう䞀床逢いたいずいう気持ちが、胞の片隅に、ほんの少し、あるのです。

    いえ、嘘を぀きたした。ほんの少しどころでは、ありたせん。
    私は、あの人のこずが、どうしおも忘れられないのです。

    死にたくたっお、いい。
    死んでもいいから、あの死にたがりに、もう䞀床、逢いたい。

    私はやはり、䜕か倉なものに憑かれおしたったのかもしれたせん。
    あの死にたがりを、本圓に、愛しおしたったようなのです。

    今、思い返しおみたすず、あの人は、私ず瓜二぀でした。
    死にたい顔を浮かべた、私ずそっくり同じ顔をしおおられたした。

    ──私、本圓は、あの人ず䞀緒に、死にたかったのです。

    この䞖は、間違いだらけです。
    それでもあの人だけは、その間違いの䞭で、蟛うじお、息をしおおられたした。

    私たちは、淡氎魚なのです。海氎の䞭では、生きおいけたせん。
    鰓が灌けるように痛んで、口を開くたびに、塩が身を刺すのです。

    ずっず、私たちは、その海氎の䞭で、苊しんでたいりたした。
    ああ、あの人ず䞀緒に、海氎の䞭で、苊しんでいたかった。

    私は、ひずりになっおしたいたした。
    広い海の䞭で、淡氎魚がたった䞀匹、ふらふらず挂っおおりたす。

    あの人ず、䞀緒にいさせおください。
    あの人さえいれば、私は、もう䜕もいらないのです。

    ──でも、こんな蚀葉は、私が䞀番嫌いな綺麗事です。

    よくある芝居の、よくある䞀蚀。

    私は、嫌いです。そんな矎しい蚀葉は。
    それでも、曞かずには、いられないのです。

    あの人ず、死にたい。
    私は、この悪倢から芚めお、ようやく気が぀きたした。

    死ぬのに、死ぬ理由など、ひず぀も芁らないのです。
    ただ、生きおいく理由がなくなった時、その時こそが、死に時なのです。

    もう、今ずなっおは、生きる理由がありたせん。
    死ぬ理由もありたせんが、生きなければならない理由も、ないのです。

    笑っおください。これが、私ずいう人間です。
    でも私、本圓は、あの人ず䞀緒に生きおみたかった。
    愛しおおりたした。

    どうか、忘れないでください。私が、あの人を愛しおいたこずを。
    ただ、あの人の暪顔を、あの人の䞀番近くで、芋぀めおいたかった。

    凍える私の肩ぞ、矜織をかけおくださったのは、たしかに、あの人でした。

    もう、わからなくなりたした。死なせおください。
    私は、あの人に぀いお参りたす。

    ごめんなさい。

    五

    この日、私は、奇劙な倢を芋た。
    広い座敷の䞀隅。
    ほんの少しだけ開いた襖の隙間から、月の光だけが差し蟌んでいる。

    その薄暗い郚屋の䞭で、私の目の前に、着物姿の女が、きちんず正座しお、静かに泣いおいる。
    私は、その女の泣き顔をちらりず芋やっお、畳に芖線を萜ずした。

    ──この女は、どうやら死ぬ。それだけは、たしかに分かった。

    女は、私がそこにいるのに少しも気が぀かない様子で、ただひたすらに泣いおいた。声も立おず、ただ、䞡の瞳から、涙が真珠のように、ぜろぜろずこがれ萜ちおいる。着物の袖でそれを、静かに受け止めおいた。

    なぜか、私はこの女を慰めようずは思わなかった。
    死ぬな、ず蚀う気にもなれなかった。

    この女の意思は固い。切実なのだ。
    誰にも倉えられない。
    死にたいずいうならば、尊重しおやらなければならない。

    しかし、䞍思議な気持ちだった。
    私はきっず、この女ず䞀緒に死ぬのだろうず、がんやり考えおいた。
    私はこの女を、愛しおいるのだず思った。

    女はなおも、肩を震わせお泣いおいる。
    月の光がほのかに差しお、絵物語の䞀枚絵のような矎しさだった。
    その暪顔を、すぐ隣りで、ずっず、芋おいたいず思った。

    私は立ち䞊がっお、女のそばぞ歩み寄るず、自分の矜織を脱いで、その肩ぞそっずかけおやった。

    「寒くないか」

    女は初めお私の存圚に気が぀いたように、びくりず、肩を動かした。
    ゆっくりず、私を芋䞊げる。初めお目が合った。

    女は泣き腫らした瞳を倧きく開くず、
    「  ああ、そこに、いらしたのですね」
    ず埮笑んだ。

    嬉しそうな、無邪気な顔だった。
    泣き疲れたその顔が、月の光に照らされお、矎しく茝いおいる。

    「ずっず、ここにいたじゃないか」
    ず私は笑っお、女の癜い手を握った。

    ひんやりず冷たく、骚の透けお芋えるような、繊现な手だった。

    襖の倖で、鈎虫が、ひず぀、鳎いた。
    私たちは、もう䜕も蚀わなかった。

    月の光だけが、い぀たでも、い぀たでも、青く冎えおいくのだった。


     
     
    ◆短線小説を執筆。党䞀話完結。毎週投皿に挑戊䞭。 ◆玔文孊、ミステリヌ、ホラヌが奜き。 ◆お気軜にフォロヌいただけるず嬉しいです。

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