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見えなくなった「視野」を、もう一度取り戻せる日は来るのか ――iPS細胞でつくる「見るための神経」の話

ある病気について、少し考えてみてください

もし、視野の一部が少しずつ欠けていったら。 最初は気づかないかもしれません。でも、それが何年もかけてじわじわと進み、ある日ふと「あれ、ここが見えにくい」と気づいたときには、もう元には戻らない。

そんな病気が、緑内障です。日本人の失明原因の第1位ともいわれ、40歳以上のおよそ20人に1人がかかっているという、実はとても身近な病気でもあります。

今回は、この緑内障の治療に近づくかもしれない、iPS細胞を使ったある研究の話をしたいと思います。

先に結論を言ってしまうと、これは「緑内障を治した」という話ではありません。「将来、失われた視機能を取り戻す治療法に、一歩近づいた」という段階の研究です。でも、その一歩の中身が、なかなか面白いのです。

なぜ視野は「元に戻らない」のか

私たちがものを見るとき、光の情報は目の奥の網膜でとらえられ、「網膜神経節細胞」という神経細胞によって電気信号に変換されます。そして視神経という一本のケーブルのような構造を通って、脳へと送られます。脳がその情報を処理して、私たちは初めて「見える」と感じています。

緑内障は、この網膜神経節細胞が少しずつ失われていく病気です。厄介なのは、一度失われた神経細胞は、自然には再生しないということ。だから今の治療は、眼圧を下げるなどして「これ以上悪化させない」ことが中心で、すでに欠けてしまった視野を取り戻す方法は、まだ確立されていません。

だからこそ、「失われた神経細胞そのものを、新しく作って補う」という発想が、長年期待されてきました。その鍵になるのが、iPS細胞です。

iPS細胞で「神経細胞」をつくる

iPS細胞は、体のさまざまな細胞に変化できる、いわば万能な細胞です。皮膚や血液の細胞に特殊な処理を加えることで作られ、条件を整えれば神経細胞にも心臓の細胞にも育てることができます。

今回の研究チームは、このiPS細胞から、網膜神経節細胞――つまり「目から脳へ見るための情報を伝える神経細胞」を作ることに挑みました。

ただ、細胞を作るだけでは足りません。実際に目に移植して機能させるには、細胞から伸びる「神経の線(軸索)」が、脳へつながる正しい方向にきちんと伸びる必要があります。バラバラの方向に伸びてしまっては、情報を伝える回路にならないからです。

神経の線を「そろえる」という工夫

そこで登場するのが、細かな糸が同じ方向にきれいに並んだ、特殊なシートです。研究チームは、このシートの上でiPS細胞由来の神経細胞を育てました。

すると、細胞から伸びる神経の線が、糸の向きに沿ってきれいにそろっていったのです。線路の上を電車が走るように、決まった方向へと神経の線を導いてやる。そんなイメージの技術です。

これは、細胞をただ目にたくさん注入するのではなく、あらかじめ方向のそろった「まとまりのある組織」として移植することを見据えた、重要な一歩だといえます。

うまくいかなかった最初の壁

とはいえ、最初からすべてが順調だったわけではありません。iPS細胞から作った神経細胞は、当初シートにうまく接着できず、多くが生着せずに死んでしまうという問題に直面しました。

せっかく神経の線をそろえる工夫をしても、そもそも細胞が生き残らなければ意味がありません。

そこで研究チームは、細胞が周囲の環境にしっかりくっつく働きを助ける薬剤を加えるという工夫をしました。すると、細胞の生存率が改善しただけでなく、伸びる神経の線もより長くなることがわかったのです。

さらに、こうして育った細胞が、光や電気などの刺激にきちんと反応することも確認されました。これは、作られた細胞が「神経細胞のような見た目」をしているだけでなく、神経細胞として機能する性質を備えていることを示す、大事な結果です。

目指しているのは「バラバラ」ではなく「まとまり」

これまで、幹細胞を使った神経の再生医療といえば、細胞をバラバラの状態で患部に注入する方法が一般的でした。ただ、視神経のように「方向性」が命の神経の場合、バラバラに注入するだけでは、脳へ正しく情報を伝える回路をうまく再構築できない可能性があります。

今回のように、あらかじめ神経の線の向きがそろった状態のシート状組織として移植できれば、目から脳への配線を、より正しい方向に再構築できるのではないか。そんな期待がこの研究の背景にあります。

まだ「治った」わけではない

ここで大事なことをもう一度書いておきます。今回の研究は、あくまで「治療の土台となる技術」を作った段階です。実際に動物や人の目に移植して、視力の回復につなげるためには、まだいくつもの壁があります。

移植した細胞が目の中で長く生き続けられるか。目の組織の中できちんと機能するか。そして何より、伸ばした神経の線が本当に脳まで届き、正しく情報を伝えられるか。神経の線が目の中から脳まで届くというのは、決して簡単なことではありません。これから先も、長い検証の道のりが続きます。

おわりに

今回の研究を一言でまとめるなら、「緑内障を治した研究」ではなく、「将来、失われた視機能を取り戻すための新しい治療法に、一歩近づいた研究」です。

派手な成果に見えなくても、細胞の生存率を高める工夫や、神経の線を正しい方向にそろえる工夫といった、こうした地道な積み重ねこそが、いつか「見えなくなった視野を取り戻す」治療を実現する土台になっていきます。

いつか、この一歩の先に、視野を取り戻せる日が来るかもしれない。そんな未来を想像しながら、今後の研究の進展にも注目していきたいと思います。

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