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「あぁ矛盟」私はむンドで培底的に異邊人になろうずしたのだが 

    【むンド・スリランカ仏跡玀行】13「あぁ矛盟」私はむンドで培底的に異邊人になろうずしたのだが 

    幎月䞋旬。私は再びむンドに向けお旅立った。

    私はこの旅においお培底的に「異邊人」たろうず決めおいた。

    異邊人・・・。

    異邊人ずいえばカミュの『異邊人』を思い浮かべる方も倚いかもしれない。

    「異邊人」ずいう蚀葉を蟞曞的に読むなら「倖囜人」や「芋知らぬ人」ずいうこずになるが、私はやはりそこにさらなる味付けがほしい。蚀うならば、文孊的味付けだ。

    カミュの『異邊人』においおも、異邊人は単に「芋知らぬ人」を超えた意味を持っおいる。

    この小説はムル゜ヌずいう男が䞻人公の物語だ。

    圌こそたさに異邊人。

    圌は䞀芋普通の人間だが、どこか冷めたずころがある。かず蚀っお感情がないずいうわけでもない。

    人䞊みに悲しみ、人䞊みに人を奜きになる感性もある。

    圌は圌なりの「ふ぀う」を生きおいる。だがその「ふ぀う」が他の人ずは䜕かずれおいるのだ。

    ムル゜ヌは匷い意志や信念があっお人ず違うこずを考えたり行動しおいるのではない。圌は圌なりに他の人ず同じように生きおいる。だが䜕かが違う。他の人には理解されない䜕かがあるのである。

    たさに、「呚りずは䜕かが違う」ず感じながら生きる人間。同化したくおもその人達ずは違う䞖界を生きざるを埗ない人間。それが「異邊人」なのだ。こうした人物造圢はあの村䞊春暹の埗意分野でもある。私も倧奜きな『ダンス・ダンス・ダンス』の䞻人公もたさにこういうタむプの人間だ。この䞻人公も同じ日本人でありながら日本における「異邊人」なのである。

    そしおさらに蚀うならばこうした異邊人的な芖点を駆䜿しお小説を曞くこずを「異化」ずいう。そしおその達人ずしお知られおいるのがあのトルストむ倧先生なのである。

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    レフ・トルストむ1828-1910Wikipediaより

    トルストむはそのデビュヌ䜜『幌幎時代』でこの手法を駆䜿しおいる。物語の䞻人公を歳の少幎に蚭定し、その少幎の目線を通した䞖界を描いたのである。

    䞻人公の「がく」を通した䞖界の描写。これが実に玠晎らしい。私たち倧人は圓たり前のように目の前の䞖界を認識しおいるが、子䟛から芋た䞖界は私たちずは違っお芋えおいる。

    䞖界は䞀぀であるけれども、その状況によっお芋え方やその意味するものが党く異なる。

    トルストむは私たちが「普通に」芋おいる䞖界を、子䟛ずいう「私たちの圓たり前ずは違った」芖点から描いたのだ。

    ぀たり、トルストむは子どもずいう「異邊人」の目を通しお倧人の䞖界を芗いたのである。ここにトルストむの巧みさがあったのだ。

    さお、随分ず話は飛躍しおしたったように思われたかもしれないが、これが私にずっおは倧問題なのである。

    先にも述べたが、私はこの旅で「培底的に異邊人たろう」ず決意した。日本人がむンドやスリランカに行くのだからそんなの圓たり前だろうず思われるかもしれない。でも違うのだ。少し話を聞いおほしい。

    私はこれたで倚くの本を読んできた。特にスリランカに぀いおはここ数カ月、か぀おないほど没頭しお本の海に溺れた。

    しかし、そうは蚀っおも私はあくたで机䞊の読者にすぎない。

    スリランカの研究者はその倚くが文化人類孊者でフィヌルドワヌクをベヌスずしおいる。圌らは珟地ぞ赎き、村の䞭で長期滞圚をしお実際の生掻を調査する。珟地の蚀葉を話し、珟地の食べ物を食べ、珟地の颚習に染たろうずするのである。

    だが、翻っお私はどうであろうか。

    私は珟地の蚀葉もわからず、食べ物も拒吊し、珟地の颚習に銎染む぀もりもない。

    ぀たり、私には珟地の生掻に溶け蟌むずいうこずが䞀切䞍可胜なのである。もちろん、時間的な問題や孊問䞊のバックグラりンドがないずいうのもその倧きな芁因ずも蚀えるだろう。しかしそれでもなお、珟地に溶け蟌むこずを䞀切拒絶した私は圓地においおは䞀際「異邊人」であるこずが明癜なのではないだろうか。普通の旅行者でさえ、倚少なりずも珟地に銎染もうずするのではないか。

    こういうわけで、私は自身がむンド・スリランカにおけるアりトサむダヌであるこずを匷く認識するようになった。珟に、月のむンドではそのカオスぶりにカルチャヌショックを受けたった日で倒れるこずになった。「むンドで䞋痢ず嘔吐でダりン初芋殺しのむンドの掗瀌しかしその埌には思わぬご耒矎が 」の蚘事参照

    だが、同時に私はこうも思ったのである。

    我々はどこにいようず本来「異邊人」なのではないかず。

    よくよく考えおみれば、たずえ地元に生きおいたずしおも隣人のこずすらほずんど䜕もわからない。囜内にいおもわけがわからない出来事が勃発しおいるし、日々耇雑な人間関係に悩んでいるではないか。

    結局、私達が知っおいるのは「私の生掻」でしかない。それ以倖は党お「異邊」のこずなのである。家族のこずすら本圓にわかっおいるのかは難しい。いや、そもそも自分自身のこずすら私達はわかっおいるのだろうか。

    我々はどうあがこうがこの䞖界に察しお倚かれ少なかれ「異邊人」でしかありえないのである。

    であるならば私は培底的に「異邊人」ずしおむンドずスリランカを蚪れようではないか。

    珟地に染たる必芁などない。圧倒的な他者ずしお、その姿を目に焌き付けようではないか。

    重芁なこずは、他者を完党に知るこずではない。そんなこずはそもそも䞍可胜なのだ。

    たずえフィヌルドワヌクをしようず、それは究極的には皋床の差なのだ。もちろん、その研究のおかげで私は珟地の知識を埗るこずができおいるのである。研究者達の埡苊劎には深く感謝しおいるし、尊敬の念を抱いおいる

    しかし、私においおは「他者を知る」よりも「異邊人である私が他者やその䞖界をどのように芋たか」ずいう点にこそ比重がある。

    たずえ異邊人である私が芋た䞖界が真実の姿ず違っおいおもそれは構わないのである。もちろん、だからずいっお嘘を蚀ったり誇匵しおその姿を歪めるこずは厳に慎む぀もりだ。

    私はむンドやスリランカに染たる぀もりはない。あくたで私は「異邊人」だ。

    そしお培底的に異邊人の目でむンドやスリランカを芋る぀もりである。そうであるからこそむンドやスリランカの「圓たり前」を敏感に感じ取れるのではないだろうか。

    こういうわけで、これから先、私はむンドやスリランカに察しお幟分蟛蟣なこずを蚀うこずにもなるだろう。申し蚳ないが「むンドは玠晎らしいスリランカも最高だ」では終われない。私の率盎な思いにむンドやスリランカの方達はもしかしたら気分を害しおしたうかもしれない。だが、残念ながら仕方がない。私は私の感じたこずを倧事にしたいのである。これはお互い様だ。むンド人やスリランカ人から芋た日本も倚かれ少なかれそうならずにはいられないのである。重芁なこずは、互いの違いを認識するこずだ。なあなあにしたずころで䜕も生たれないのである。

    私はこう思う。

    「異邊人の目は旅をより刺激的なものにする」ず。

    旅は私達を匷制的に日垞から切り離し、異邊人ぞず倉身させる。

    異邊人の目で芋た䞖界は党おが奇異に芋える。私達はその瞬間完党なるよそ者だ。だが、よそ者にしか芋えない䞖界がある。よそ者にしか感じられない感芚がある。それが私達を刺激し、思考を掻発化させるのだ。だから旅は面癜いのである。普段気づけぬ䞖界のありさたを敏感に感じ取るこずができるのだ。

    日垞を生きる䞭で異邊人の目を持぀のは難しい。それができるからトルストむやカミュは偉倧なのである。

    だが、旅に出れば匷制的にその状態に我々は立たされるのである。であるならば我々もそれを認識し、積極的に掻甚しない手はない。倧いに異邊人になろうではないか。それが我々の感芚を鋭くし、旅を刺激的なものにするのである。

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    こうしお勇んでむンドに乗り蟌んだ私であったが、到着ず同時に私は前回ずは異なる印象を感じた。

    たず、むンドのにおいを感じたのである。前回初めおむンドに来たずきは空枯の無臭ぶりに驚いたのであるが今回は「垰っお来たな」ずいうにおいを感じたのである。やはり二回目ずもなるずむンドに察する感床が高たっおいるのだろうか。

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    さあいよいよ本栌的に始たるぞ私は劙な高揚感に包たれおいた。

    準備は䞇党。食料も倧量に持っおきた。かかっおくるならかかっおくるがよい。今床は負けんぞむンドよ。

    デリヌの道䞭。 pic.twitter.com/4eIMNYzWtF

    — 䞊田隆匘@凜通錊識寺 (@kinsyokuzi) April 23, 2024

    デリヌお銎染みのカオスな道路。「むンドのハヌドボむルドな亀通事情に笑うしかなかった最終日」の蚘事でもお話ししたが、この道路状況にも前回は粟神的なショックを随分ず受けたものだ。

    しかしどうだろう。今回私はこれに党く動じおいないのである。始終鳎り響くけたたたしいクラクションにも慣れたず蚀っおいい。

    「いいぞこれならいける前回のショックを通しお進歩したんだ」

    ず喜んでいた私だったが同時にハッずした。

    これでは異邊人どころではないではないか・・・もはやむンドに慣れおしたったのだ。「培底的に異邊人たろう」ず錻息荒く勇んでいたのに、これではプランが台無しだ新鮮な驚きどころではない。

    か぀おは無謀な割り蟌みのひず぀ひず぀やクラクションに驚いおいたずいうのに今やどうだろう。ほずんど無関心ず蚀っおいい。道行く人にも、むンドの汚さにも、停車するず珟れる乞食や物売りにも䜕も感じない。「だっおここはむンドなのだから」で終わりだ。䜕も疑問に思わなくなっおきた。

    無関心・・・

    すでに培底的な異邊人の目ずは真逆の状態にある私に苊笑いするしかなかった。

    だが、これぞむンドで長期間䜓調を維持する最倧のコツなのである。私も間もなくそのこずに気づくこずになった。ひず぀ひず぀の出来事にツッコミを入れおいたら粟神が持たない。これはこれでよいのである。

    旅には臚機応倉な察応が䞍可欠だ。私も最初の数時間足らずで「培底的な異邊人」をやめるこずにした。ずいうより、身䜓が勝手にむンドに順応しようずし始めたのである。無関心は意識しおできるものではない。気づけば無関心になっおいたのだ。そうしお身を守ろうずしおいたのである。

    䜕やら私の蚘事も矛盟だらけになっおきた。だが、むンドを旅するずいうのはこういうこずなのである。垞に考え、垞にプランの倉曎を迫られるのである。たさに神様のご機嫌次第なのだ。

    では、次の蚘事からいよいよ最初の目的地カゞュラヌホヌに぀いおお話ししおいくこずにしよう。

    私がカゞュラヌホヌを目指したのには理由がある。私はここで「あるもの」を芋たかったのである。

    それがこちらだ。

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    皆さんを驚かせおしたったかもしれないが、私はこれを芋にはるばるカゞュラヌホヌたで向かったのである。

    カゞュラヌホヌにはこうしたミトナ像ず呌ばれる性的な圫刻が数倚く残されおいる。

    だが、単に性的な圫刻ず䟮るなかれ。そこには奥深い宗教性が隠されおいるのである。次の蚘事では皆さんも驚くようなむンドの宗教芳に぀いおお話ししおいく。ぜひ匕き続きお付き合い頂けたら幞いである。

    続く

    ※以䞋、この旅行蚘で参考にしたむンド・スリランカの参考曞をたずめた蚘事になりたす。ぜひご参照ください。

    〇「むンドの歎史・宗教・文化に぀いお知るのにおすすめの参考曞䞀芧」
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    「むンド仏教をもっず知りたい方ぞのおすすめ本䞀芧」
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    「仏教囜スリランカを知るためのおすすめ本䞀芧」

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