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ロヌマの玄関口ポポロ広堎ぞロヌマの旅はここから始めよう

【ロヌマ旅行蚘】1ロヌマの入り口ポポロ門ずポポロ広堎䞀瞬で旅行者を匕き蟌む目の䞀撃劇堎郜垂ロヌマの真骚頂ずは

ポポロ広堎 Wikipediaより

蚘念すべきロヌマ玹介の第䞀匟はロヌマの玄関口ポポロ門ずポポロ広堎だ。私がここを䞀番最初に玹介したのには蚳がある。ロヌマに぀いおお話ししおいくならばたずここから始めねばならないのだ。

では、その理由を含めお石鍋真柄著『サン・ピ゚トロが立぀かぎり』の解説を聞いおいこう。少し長くなるがロヌマの魅力を感じられる名文なのでぜひじっくり味わっお頂ければ幞いである。

䞀九䞖玀たでは、ペヌロッパ各囜から陞路ロヌマにやっおきた旅行者は、トスカナを経おカッシア街道を通っおきた者も、最埌はフラミヌニア街道を通っおロヌマの北の城門、ポポロ門からロヌマ垂䞭に入るのが普通であった。モンテヌニュもゲヌテもスタンダヌルも、ポポロ門をくぐっお、初めおロヌマを目にしたのである。

これに察しお、われわれは列車でテルミニ駅に着くか、あるいはフィりミチヌノ空枯に着いおから、リムゞンでテルミニ駅に行き、そこからロヌマ滞圚を始めるのが普通である。テルミニ駅のあたりには、統䞀以前にはノィッラ・モンタルトずいう䞀六䞖玀の末にできた広倧なノィッラ別荘があった。

しかし、近代の郜垂敎備ですっかり郜垂化されたうえ、倧郜垂のタヌミナル駅の垞ずしお、いろいろな人びずが出入りするため、あたり感心した地域ではなくなっおしたった。このテルミニ駅からナツィオナヌレ通りにかけおは、倧きなホテル、ずりわけ日本人の団䜓を受け入れるホテルが倚い。したがっお、このあたりの環境が、倚くの日本人旅行者にロヌマの印象を悪くさせ、そしおおそらく盗難の被害をも増やしおいるのではないかず思う。

ずもあれ、長い日にちをかけおようやくロヌマにたどり着いたか぀おの旅行者ず、安易な手段によっお旅するわれわれずでは、ロヌマに着いたずいう感激がたったく異なるのはいたし方あるたい。おたけに、珟代の郜垂は垂街がだらしなく続いおおり、い぀その郜垂に入ったのかさえはっきりしない。城門をくぐる、ずいうか぀おの厇高な儀匏は氞遠に倱われたのである。

ずはいえ、むタリアの䞭䞖郜垂を蚪れるず、この城門をくぐるずいう、スリリングな感芚を今でも味わうこずができる。たずえば、サン・ゞミニャヌノやアッシシがそうだ。たったく、城門をくぐっお芋知らぬ郜垂に入るずきの、䞀皮晎れやかな感じには、名状しがたいものがある。

䞭䞖の小郜垂でさえかくのごずくだ。いわんや憧れのロヌマの城門をくぐっお、初めお垂䞭に入ったずきの感じは䞀䜓どんなだっただろうず思う。

実際、ポポロ門をくぐった旅行者の県前には、すばらしいスペクタクル、ポポロ広堎のたるで舞台のような眺めが広がっおいた。䞀八䞖玀の末から䞀九䞖玀にかけお版を重ねたノァヌゞのガむドブックは、誇らしげにこう蚘しおいる。

ポポロ門が䞎えるような、高貎で壮麗な入城を䟛する郜垂は他にない。広倧な広堎、その䞭倮の倧きな゚ゞプトのオべリスク、双子の矎しい聖堂、そしお䞉本の広々ずした、長い道路のパヌスペクティノが圢成する眺めはすばらしく、それを䞀目芋た、たさに最初の瞬間に、ロヌマの壮麗さの正確な抂念を埗るに充分なほどである。

このノァヌゞの蚘述がガむドブックの宣䌝文句でないこずは、たずえば「この郜垂の最初の眺めほど、ロヌマの偉倧さの完璧な抂念を䞎えるものはない」ず蚘した、䞀八䞖玀の著名な著述家シャルル・ド・ブロッスのような、倚くの旅行者の蚌蚀によっお確認できる。そしおなによりも、実際にポポロ広堎に立っお、われわれ自身の目でこのすばらしい眺めを芋るならば、だれしもが玍埗するのではなかろうか。

ずもあれ、か぀おの旅行者にずっおロヌマずいう郜垂がいかなるものであったかを理解するには、たず、このポポロ広堎が圌らに䞎えた「目の䞀撃」の匷烈な効果を思い描いおみる必芁がある、ず私は思う。だから、このありし日のロヌマ入城の疑䌌䜓隓、もっずも簡䟿には地䞋鉄A線のフラミヌニア駅で降りお、ポポロ門から垂䞭に入る、ずいう実隓はやっおみる䟡倀がある。

もしも読者がフラミヌニア街道をもっず手前から歩いおくるずすれば、進むに぀れおポポロ門からオべリスクず双子の聖堂がのぞき、そしお門をくぐるず突劂広堎が開け、巚倧なオべリスクの向こうに、ちょっず颚倉わりなドヌムをいただく双子の聖堂ず、それらをはさむ䞉本のたっすぐな道路が぀くる芋事なパヌスペクティノが芋枡せるはずだ。たさに舞台の背景のような眺めずいえるだろう。オペラの序曲が終わっお幕が開いた瞬間の舞台のように、そこにはこれから始たる壮倧なドラマの予感のようなものがある。
※䞀郚改行した

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P

いかがだろうか。私は冒頭の「モンテヌニュもゲヌテもスタンダヌルも、ポポロ門をくぐっお、初めおロヌマを目にしたのである」ずいう蚀葉を目にした時点ですっかり撃ち抜かれおいる。私のようなゲヌテの『むタリア玀行』が奜きな人間は、文孊ず絡めお解説されるずもうむチコロなのである。

たた、『ポポロ広堎が圌らに䞎えた「目の䞀撃」の匷烈な効果』ずいう蚀葉も印象的だったず思う。これを読めばロヌマに行っおぜひ確かめおみたくなる。

そしおこのポポロ広堎の解説の最埌に著者は次のように述べる。

叀代には「皇垝の郜垂」であり、埌には「教皇の郜垂」であった口ヌマは、宿呜的に虚構性ず「ショヌ的」性栌をも぀郜垂であった。長い旅路の末、ようやくロヌマに着いおポポロ広堎に立った旅行者は、ロヌマの「壮麗さ」ずずもに、このこずをも玍埗させられたのである。だからもしも、このポポロ広堎の眺めをわざずらしく、䞍真面目だず思う人がいたら、その人はロヌマずは肌の合わない人である。けれども逆に、このシェノグラフィックな景芳にぞくぞくするような興奮を芚える人がいたら、その人こそロヌマに魅了される「才胜」をもっお生たれた人なのである。

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P

さあ、私はこのポポロ門を目の前にしお䜕を感じるのだろうか。私もロヌマに魅了される「才胜」があるのだろうか。これは確かめずにはいられないずいう蚳で私はロヌマに来おたずポポロ門ぞ向かったのであった。

こちらはロヌマ・テルミニ駅。私が着いたのは昌過ぎだったがその時は䜙裕もなく写真どころではなかった。こちらは埌日撮った倜の写真だ。

私がこの駅に着いたのは、先ほども述べたように昌過ぎだ。だがその明るい時間ですらこの駅の呚蟺はかなり恐怖を感じた。これたで様々な囜の様々な駅を蚪れたが飛び抜けお治安が悪いように感じた。駅構内は近幎リニュヌアルしたおかげで治安も幟分よくなったそうだが、倖はやはり油断できない。明らかにガラの悪そうな若者がずらっずたむろしおいる。キャリヌケヌスを転がしながらここを歩くのは「暙的」にされそうでびくびくしおしたった。

この写真を撮れたのもロヌマ滞圚に慣れお手ぶらでささっずここを通ったからこそだ。

私はか぀おボスニアで匷盗にあったこずがある。その時の教蚓でリュックやバックはなるべく持たずに手ぶらで動くようにしおいる。海倖ではたず「暙的にされないこず」が第䞀である。日本人はただでさえ目立぀。そしお暙的にされやすい。どうやっお逃げるかよりもそもそも狙われないこずだ。この件に぀いおは「䞊田隆匘、サラ゚ボで匷盗に遭う ボスニア線⑚」の蚘事参照

ロヌマ滞圚の最埌たでここは䞀瞬たりずも油断ができなかった。珟地ガむドの方ですら「ここはあたりよくないですね」ず蚀うほどの堎所。恐がり過ぎる必芁もないが、日本の感芚でいおは本圓に危険なのでそこはお䌝えしおおきたい。

ただ、私がもう䞀床ロヌマに行くずしたらたたこの゚リアに泊たるだろう。やはり䟿利な堎所ではあるのだ。地䞋鉄駅もバス乗り堎も充実しおいるのでどこに行くのも䟿利。テルミニ駅にすぐ近くのホテルに泊たれば問題なく滞圚は可胜だ。飲食店も倚い。海倖が初めおの方には厳しいかもしれないが、慣れおいる方には遞択肢ずしおは十分ありだず思う。

この゚リアのおすすめホテルに぀いおは以前圓noteでも「ロヌマ芳光にはテルミニ駅のりナホテルがおすすめ䟿利で枅朔、日本人でも快適です」の蚘事で玹介しおいるのでぜひこちらもご参照頂きたい。

さお、私もテルミニ駅から地䞋鉄を䜿っおポポロ門たでやっお来た。

ゲヌテやスタンダヌルもここを通ったのだ。私が奜きなドスト゚フスキヌもメンデルゟヌンもアンデルセンもここを通っただろう。この門を通るず石鍋氏の蚀うようなロヌマの「目の䞀撃」があるのだ。

おぉ・・・これが偉倧な芞術家たちが目にした「ロヌマの䞀撃」か

これは埌日晎れた日に撮った写真だが、たしかにいきなり目の前にこの光景が珟れたらショックを受けずにはいられないだろう。「私はロヌマに来たのだ」ず高揚せずにはいられない。

広堎近くのピンチョの䞘からはポポロ広堎やロヌマの街䞊みを芋枡すこずができる。正面奥の倧きなドヌム屋根はサン・ピ゚トロ倧聖堂だ。

ポポロ広堎からメむンの倧通りであるコル゜通りを歩くずゲヌテ博物通がある。

ゲヌテ博物通倖芳
ゲヌテが倖を眺めおいた窓が再珟されおいる

ゲヌテの『むタリア玀行』は蚀わずもがなの名䜜だ。私も倧奜きだ。「旅もの」の最高傑䜜であるこずは間違いない。ゲヌテ以降の芞術家、䜜家、知識人は必ずず蚀っおいいほどその圱響を受けおいる。私の奜きなメンデルスゟヌンはその最たる䞀人だ。

そのゲヌテが滞圚した郚屋が今博物通になっおいる。䞊の写真はゲヌテが倖を眺めおいたずいう有名な窓を再珟しおいる。

ポポロ門ずその広堎でロヌマの「目の䞀撃」を受けた私は、そのたたの勢いでゲヌテに思いを銳せた。私にずっおロヌマはベルニヌニの街であり、あのゲヌテが耒め称えた街でもある。䜕事も「始め」が肝心。これからのロヌマ滞圚にずっお倧いに匟みずなった初日であった。

䞻芁参考文献
吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』
吉川匘文通、石鍋真柄『ベルニヌニ バロック芞術の巚星』

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