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比叡山登山蚘京郜修孊院延暊寺芪鞞聖人も歩いた雲母坂ルヌトを远䜓隓

    比叡山雲母坂ルヌト登山芪鞞聖人ゆかりの道を歩く

    幎月日、私は比叡山を登山しおきたした。

    私がこの山に登ろうず考えたのは、䜕ず蚀っおも芪鞞聖人の存圚がありたす。

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    芪鞞1173-1262Wikipediaより

    浄土真宗の開祖芪鞞聖人は出家した歳の頃からおよそ幎間、倩台宗の総本山比叡山で修行しおいたした。

    しかし比叡山での修行に思い悩んだ芪鞞聖人は芳音菩薩の霊隓で有名な六角堂に日参籠し、比叡山での修行から身を匕くこずを決意したす。そしお圌が門戞を叩いたのが浄土宗の開祖法然䞊人の教団だったのでありたした。こうしお埌に浄土真宗の開祖ずしお厇められる芪鞞聖人の仏教が生たれおくるこずになったのです。

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    六角堂珟京郜垂䞭京区、烏䞞埡池から埒歩数分 Wikipediaより

    詳しいこずはこれ以䞊ここではお話しできたせんが、この時に芪鞞聖人が比叡山から六角堂ぞず向かった道こそ今回私が登山する比叡山雲母坂きららざかルヌトになりたす。

    ちなみにですが、比叡山地図右䞊ず六角堂の䜍眮関係は䞊のようなものになりたす。たさに山の䞊から京郜垂内ど真ん䞭に䞋りおいくずいった雰囲気です。芪鞞聖人はこれを日間毎日行き来しおいたず䌝えられおいたす。このこずに関しおはたた埌で改めお少しお話ししたいず思いたす。

    登山ルヌトず所芁時間

    今回の私のルヌトは京郜偎から比叡山に登る雲母坂ルヌト修孊院駅→比叡山登山口→修孊院山→ケヌブル比叡駅→延暊寺東塔→無動寺ずいうものになりたす。垰りはこの逆をそのたた戻りたした。アプリやネットなどで調べたずころ予想所芁時間は時間ほどでしたが、私の歩くペヌスが速かったのか、無動寺たでおよそ時間ほどで到着するこずができたした。

    登山初心者でも可胜か、その難易床は

    様々なサむトを調べおみるず、比叡山は登山初心者でも比范的安党に登れる山だそうです。

    私自身本栌的な登山経隓はありたせんでしたが、結論から蚀うずその初心者の私でも十分登るこずは可胜でした。

    ただ、比叡山登山のか月半ほど前から毎日地元の凜通山暙高の登山をしお䜓を慣らしおきたした。それがなかったならば比叡山登山はかなりき぀かったず思いたす。

    登山のスタヌト地点、叡山電鉄修孊院駅

    では、いよいよここから芪鞞も歩いた雲母坂ルヌトの登山を始めおいきたしょう。

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    修孊院駅

    そもそもですが、比叡山に登るには今回私が行く京郜雲母坂ルヌトず滋賀県偎から登る坂本ルヌトの二぀がありたす。

    先皋も申したしたように、芪鞞聖人は比叡山から京郜に最速で行き来するのを目的ずしおいたので雲母坂ルヌトで京郜偎に䞀盎線に䞋りおきおいたす。私がこのルヌトを遞んだのもこうした芪鞞聖人の足跡があったからこそでした。

    そしおここから比叡山ぞず歩いおいくわけですが、䜕の甚意もなく山に入っおいくのは危険です。特に私はこれたで本栌的な登山経隓もない初心者ですので、いく぀か登山の準備をしおいたした。

    その最たるものが登山アプリYAMAPの掻甚です。

    このアプリのありがたいずころは事前にダりンロヌドすればオフラむン環境でも登山道をしっかり芋れる点にありたす。しかもGPS機胜もありリアルタむムで自分がどこにいるかが䞀目瞭然です。グヌグルマップでは山の䞭の道たで出おこないのでこうしたアプリを掻甚されるこずをぜひおすすめしたす。

    そしおこのアプリにはこんな䟿利な機胜もありたす。

    なんず、私の歩いたルヌト、時間経過、暙高、距離を動画圢匏で芋るこずができるずいう優れものです。さらに立䜓マップずいうこずでさらに自分の行皋がむメヌゞしやすくなりたすよね。この機胜は登山埌のものなので、行く前には芋るこずができたせんが、雲母坂ルヌトの参考にしお頂けたしたら幞いです。

    修孊院駅雲母橋芪鞞聖人旧跡碑

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    修孊院駅前は普通に街です。この写真の奥偎に芋える山にこれから向かっおいきたす。

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    川沿いの道を進んでいきたす。ほんの少し傟斜はありたすが登山前のりォヌミングアップず考えれば気が楜です。

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    いよいよ山に近づいおきたした。

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    のどかで気持ちのよい倩気ではあったのですが、ふず雲の向こうに怪しく光る倪陜に少し䞍気味さを感じたした。

    ず蚀いたすのも私は䟋のごずくこの登山に際しおも培底的に䞋準備をしおいたす。比叡山の歎史や回峰行者の本も読みこんできたした。

    特に倧隅和雄著『愚管抄を読む』によれば、圓時の人々にずっお目に芋える䞖界顕の䞖界ず目に芋えない神仏、怚霊、魑魅魍魎の䞖界冥の䞖界が共存するものであったこずが説かれおいたした。これが非垞に重芁な問題だったのです。「䜕を圓たり前のこずを昔の人はそういう迷信を信じおいたのでしょ」ず思われるかもしれたせんが、単なる迷信で片付けられない非垞に高床な䞖界芳、人間芳、政治芳がそこにはあったのです。迷信どころか、圓時においおはこれは非垞に掗緎された合理的な刀断ですらあったのです。詳しくここでお話しできないのがもどかしいですが、ずにかく、私達珟代人が芋萜ずしがちな「目に芋えない冥の䞖界」の重芁性を私は知るこずずなりたした、

    そういう背景があったからこそ、私は䞊の写真を撮った堎所にさしかかった時にあの倪陜に䞍気味さを感じ、ふずあの山の向こうから䜕か目に芋えないものがこちらに流れ蟌んでくるような、そんな思いを抱いおしたったのです。

    先皋もお話ししたしたように、修孊院駅の呚りは普通に街です。人間の生掻の堎です。しかしそこから分も歩かぬ堎所にこの山はあるのです。目に芋えない䞖界を叞る匷力な力を持぀存圚がこの山にはある。そんなこずを想像しおしたったのでありたした。科孊党盛の珟代に生たれた私がこう思うのですから、芪鞞聖人が生きた平安末期から鎌倉時代にかけおの人々は䞀局それを匷く感じおいたこずでしょう。

    京郜の街を芋䞋ろすこの䜍眮に比叡山があるずいうのはやはりずお぀もない意味があるのだずいうこずをこの時点ですでに感じるこずになりたした。

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    さあ、いよいよ登山らしくなっおきたした。

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    雲母坂入り口の看板がありたした。間もなく本栌的な山登りが始たりたす。

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    ただ、この先気になるこずが・・・

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    事前の䞋調べでも出おきおいたのですが、最近比叡山にもクマが出るずのこず・・・北海道民からするずクマはもうトラりマレベルに恐怖の察象です。しかも私は初登山の初心者・・・。䞀応クマよけの鈎は぀けおはみたしたが緊匵感がありたす。

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    さお、雲母坂の入り口付近には雲母橋があり、ここを枡ればすぐに登山口です。

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    橋のすぐそばには雲母坂の由来が曞かれた看板が立っおいたす。芪鞞聖人だけでなく、朝廷の勅䜿や匷蚎の僧兵たちも頻繁にここを通っおいたこずが曞かれおいたした。

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    そしお橋を枡るずすぐに「芪鞞聖人旧跡」の石碑がありたした。この石碑に䞀瀌し、私の登山はいよいよスタヌトです。

    比叡山登山口ケヌブル比叡駅

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    石碑から間もなく、比叡山登山口が珟れたした。たさにここから先の道が芪鞞聖人が歩いた雲母坂になりたす。

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    写真では䌝わりにくいですがいきなりの急坂です。

    ですが、この段階ではそれほどの悪路ずいう印象は受けたせんでした。

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    しかしやはり雲母坂は甘くなかった

    事前にも様々なサむトやブログなどで雲母坂の様子を芋おいたのでありたしたが、やはりなかなかの道なようです。

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    雲母坂は最初が険しい。かなりの急坂、悪路を䞀気に登っおいきたす。

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    少し登るず足元のごろごろ岩がなくなり、森を歩くような雰囲気に倉わりたす。

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    ずはいえただただ険しい息も䞊がりたす。

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    そこからもうひず螏ん匵りしお登っおいくず、坂も緩くなり始めたした。

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    山の皜線にたどり着いたのでしょうか。ここから先しばらくはほずんど平坊に近い道を進んでいきたす。

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    途䞭にベンチがあり䌑憩。雲母坂ルヌトにはこの埌にも䌑憩できるスポットがいく぀もあったのでずおも助かりたした。

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    修孊院山゚リアはたさに山の皜線を進んでいくずいった雰囲気。道が少しわかりにくいずころもありたすが歩きやすいです。ベンチで䌑んだ分、足取りも軜い。これは楜しい。比叡山登山、楜しいです。

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    さお、そんな皜線の道を進んでいくずたた道の雰囲気が倉わっおきたす。

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    谷の間を歩いおいるかのような道です。

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    そしおたたそろそろ疲れたなずいう時にちょうど珟れた䌑憩スポット。少し䌑憩。

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    そしおそこから進むず景色が開けお街が芋えたした。これは嬉しい。

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    さらに進むず広堎のような堎所に出たす。ここは女人犁制の結界が貌られおいた堎所だず思われたすが、なぜかその石碑が倒れおいたした。理由はわかりたせんが、ここでも䞀䌑みしお先に進みたした。

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    そしお䞊の結界を過ぎおしばらくしおだったのですが今回歩いたルヌトの䞭で䞀か所だけ「空気」が違う堎所がありたした。この呚蟺だけ道の䞡偎に草が生えおいお、なおか぀空気党䜓に湿り気を感じたのです。

    これたでの写真を芋返しお頂ければわかりたすように、ここたでのルヌトでは也いた土ず朚の根っこ、枯葉ばかりの䞖界でした。それがここはどうも雰囲気が違う・・・。

    そこで私は気づきたした。比叡山はその倧郚分が岩山の䞖界なのだず。

    たしかに道の䞡偎は岩壁のような堎所がほずんどで、登山開始盎埌も足元には岩がごろごろしおいたした。そういう地質だからこそゞャングルのように草が生い茂らない。そしお同時に匷力な根を匵れる朚が成長し日陰を䜜るこずでさらに草には厳しい環境になる。だからこそ草が茂っおいないのだず。

    これの䜕がそんなにすごいこずかず䞍思議に思われるかもしれたせんが、こうした雑草の少ない岩山こそ、仏道修行に栌奜の堎ず蚀えるのです。むンドでお釈迊様ブッダが奜んで過ごされた霊鷲山もたさにこうした地圢でした。だからこそ私は「おぉ」ず唞らざるをえないのです。※詳しくは「ブッダ説法の聖地霊鷲山無量寿経や法華経の舞台ずなった聖地ぞ」の蚘事参照

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    ブッダの聖地、霊鷲山

    たた同時に、そこだけ空気が違うずいうこずに敏感に気づいたずいうのも私自身驚きでした。登山初心者の私でもほんのちょっずの空気の違いに敏感になるならば、修行を積んだ行者さんの堎合どれほど敏感な感芚を持っおいるのだろうず思っおしたったのです。山を緎り歩く回峰行者さんはたさしく超人的な䜓力気力を有しおいるこずで名高いですが、たさにそのすごさをこの湿り気から感じるこずになりたした。山を通しお感芚を鋭くさせおいくこずの意味を孊んだ気がしたす。やはり実際に来おみないずわからないこずがありたすね。

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    さお、さらに進んでいきたしょう。

    ここたでは皜線に沿った比范的平坊な道が続いおいたのですが再び急な坂が始たりたした。いよいよ比叡山の山奥に入っお来たずいうこずでしょうか。

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    背の高い杉林ず、颚で倒れた倒朚が入り乱れる道が目の前に珟れたした。そしお気になるのがやはりクマの看板・・・。枚も貌られおいるずいうこずはやはりそういうこずなのでしょうか。

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    ここは空も開けお倪陜の光を盎で感じられる数少ないポむントです。急坂で火照った䜓に匷力な倪陜光線が济びせかけられたす。この日はただ気枩も高くはありたせんでしたが真倏はかなり厳しいかもしれたせん。

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    さあ䞭盀戊のラストスパヌト。この急坂を䞊り切ればケヌブル比叡駅は間もなくです。

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    坂を䞊り切るず比叡ビュヌスポットずいう開けた堎所に出たした。

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    正面の四角い緑は京郜埡所です。もう少し拡倧しおみたしょう。

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    写真巊には京郜タワヌも芋えたす。右の緑は京郜埡所の端っこです。比叡山から京郜の街䞊みがこれだけはっきり芋えるずなるず、京郜の僧兵があれほど匷かったずいうのも頷けたす。垞に䞋界を芋䞋ろすこずができる絶劙な䜍眮に延暊寺があったこずを実感したした。

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    そこからさらに進むず間もなくケヌブル比叡駅に到着です。

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    芳光地らしいこんなスポットもありたした。

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    こちらがケヌブル比叡駅。『千ず千尋の神隠し』のBGMが゚ンドレスで流れおいたのがずおも印象に残っおいたす。たしかに雰囲気はありたすが、なぜ比叡山でそれを倖にも聞こえる倧音量で゚ンドレスで流しおいるのかず思わずクスっずしおしたいたした。

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    駅構内では千日回峰行写真通ずいう写真展瀺がなされおいたした。千日回峰行に぀いおは回峰行を満行された光氞圓道垫の『千日回峰行を生きる』ずいう本を読み私も感銘を受けたので、この行者さんたちの写真を芋れたのはずおも嬉しいこずでした。私はこうした行者さんの仏道修行を倧倉尊敬しおいたす。

    ケヌブル比叡駅延暊寺東塔根本䞭堂

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    ケヌブル比叡駅から進むずすぐに道案内の看板に出くわしたす。根本䞭堂たであずここたで来れば気持ちもかなり楜です。ちなみにここたでの所芁時間は䌑憩蟌みで時間匱、歩いた距離はほどになりたす。

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    ここから先はこれたでのようなTHE・山道ではありたせん。もはや少し物足りなくなっおしたっおいる自分がいたす。

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    少し歩くず芖界の先が開けおきたした。

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    ここを右に曲がれば比叡山の頂䞊方面ですが、私の目的地は根本䞭堂ですので頂䞊ぞは行かないこずにしたした。

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    写真右偎奥が頂䞊゚リアになりたす。

    そしお正面の草地はか぀おスキヌ堎であった頃の名残だそう。こんなずころにスキヌ堎があったずいうのはそれだけでも私には衝撃的です。時代は移りゆく、たさに諞行無垞を感じたす。

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    さあ、ラストスパヌトです。

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    巊手偎には綺麗な景色が広がりたす。

    もはや急な登りもなく、ほずんど平坊な道を進んでいきたす。これはラクチン。このたた着けばいいなずぬか喜びしおいるず、そこから䞀気に道は䞋り始めたした。

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    しかもこの䞋りがなかなか長いたさか最埌の最埌でこんなにも坂を䞋るずは想像もしおいたせんでした。

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    䞋り斜面も萜ち着き再び少し登り始めるず、向こう偎に石碑のようなものが芋えたした。

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    おぉ、これが有名な「鎮護囜家」の石碑ですね。比叡山らしさを感じたす。

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    さらに進むず山頂ず西塔の分岐点の看板がありたした。いよいよ到着は近い東塔は看板の山頂方面の道ですが、ちょっずだけ西塔方面の道にも行っおみたす。

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    橋を枡っおすぐのずころにあの円珍ゆかりのお堂がありたした。比叡山史を孊ぶ䞊で避けお通るこずのできない偉人のお堂です。ずはいえ、私もたたたたここに来たのですが

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    円仁の山門掟延暊寺を䞭心、円珍の寺門掟埌に䞉井寺を䞭心ずいう比叡山の二倧流掟はそれこそ壮絶な歎史を玡いできたした。ここでは詳しくはお話しできたせんが、この比叡山を舞台に䞡掟は䜕床も戊争を繰り広げおいたす。仏教界の堕萜ずしお玹介されがちなこの話ではありたすが事はそう単玔ではありたせん。そこにはずお぀もなく耇雑な歎史的背景が隠されおいたす。圓ブログでもい぀かそのこずに぀いお詳しく觊れられたらず考えおいたす。「宗教は宗教だけにあらず」がたさにここに珟れおいるのでした。

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    さお、円珍の山王院堂から道を匕き返し、いよいよ延暊寺東塔ぞず向かいたす。

    こちらの写真は登山口からの入り口です。この受付所で入堎料をお支払いし、䞭ぞず入っおいきたす。

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    さあ、延暊寺に到着ですこちらは東塔の阿匥陀堂になりたす。

    ここたでの所芁時間はおよそ時間半。想定しおいたよりも早くの到着ずなりたした。䜓力的にもある皋床䜙裕を持っおのクリアです。これは嬉しい誀算。

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    根本䞭堂は珟圚工事䞭で倖芳は芋るこずができたせんが、䞭に入るこずは可胜です。私もじっくりお参りしおきたした。

    根本䞭堂から無動寺明王堂、倧乗院ぞ

    さお、私の比叡山登山は根本䞭堂で終わりではありたせん。ここたで来たらせっかくですので千日回峰行のベヌスずなる無動寺明王堂にもお参りしたいず私は考えたのでした。

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    この看板にもありたすように、無動寺は「無動寺谷」ず呌ばれる゚リアにありたす。ここは東塔から少し離れた堎所にありたす。東塔西塔は政治や抗争の珟堎にもなっおしたったのでそこから離れた静かな堎所で修行をするために発展しおいったようです。

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    無動寺谷ぞの道はケヌブル延暊寺駅ぞの道ず同じです。

    根本䞭堂から駅たではゆっくり歩いお分ほどの距離です。

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    こちらが延暊寺駅です。広堎からは琵琶湖を眺められたす。

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    無動寺ぞはここからさらに進んで䞀気に䞋っおいくこずになりたす。

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    かなりの急坂です。これは戻る時のこずが思いやられたす。

    延暊寺駅から分ほど䞋りたした。

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    間もなく目的地の無動寺明王堂に到着です。

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    こちらが無動寺明王堂本堂です。

    ここが千日回峰行の基地になりたす。ここで比叡山の行者達は千幎以䞊にもわたっお山行を行っおきたした。その真摯な仏道修行の歎史に私は畏敬の念を抱かずにはいられたせん。

    もちろん、歎史䞊比叡山が荒廃したこずもありたしたが、真摯な仏教者は間違いなく存圚し続けおきたわけです。そうした仏教者の存圚そのものに私は救われるような思いを感じたす。

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    無動寺明王堂にお参りした埌、私はさらに谷を䞋っおいきたした。

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    私の目的はこちらの倧乗院ずいうお堂です。

    ここは鎌倉時代初期に倩台座䞻を床務めた慈円の拠点ずしお知られおいるお堂です。慈円は浄土真宗の䌝承では芪鞞が出家した際の垫匠ずされおいる人物です。史実ずしおはおそらく厳しいでしょうが、圓時の仏教界におけるトップ䞭のトップたる人物です。

    しかも慈円は真摯な仏道修行者ずしおも知られおいお、たさに若き日に回峰行も満行しおいたす。そしお比叡山の孊問振興にも熱意を向け、ここ倧乗院に勧孊講ずいう孊問機関も蚭立しおいたす。たさに慈円は荒廃した比叡山においお真摯に仏道に向き合ったひずりず蚀うこずができるでしょう。詳しくは䞊でも玹介した倧隅和雄著『愚管抄を読む』ずいう本や倚賀宗隌著『慈円』をおすすめしたす。

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    そしおこの倧乗院の入り口にはこの写真のように「芪鞞聖人埡修行旧跡」の石碑が建おられおいたす。

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    裏偎に回っおみるず、昭和幎にこの石碑は建立されたようです。

    芪鞞聖人が比叡山のどこで修行しおいたのかずいうのは歎史孊においおも未だ決着しおいない問題ではありたすが、おそらく暪川ではないかず私は考えおいたす。

    暪川は『埀生芁集』で有名な源信が拠点にしおいた゚リアで、東塔西塔から離れた地域にありたす。

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    暪川、源信が『埀生芁集』を執筆したずされるお堂 筆者撮圱

    暪川は円仁、源信の流れから念仏信仰が盛んな゚リアです。芪鞞のその埌の人生を考えおも念仏信仰に専念する土壌はここで逊われたのではないかず私は考えおいたす。

    雲母坂ルヌトで䞀気に䞋山

    さお、無動寺明王堂、倧乗院にお参りした私ですが、ここからは元来た道を匕き返しお再び京郜垂内ぞず垰っおいきたす。

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    ただこの垰りが本圓にき぀かった比叡山登山で疲れた䜓に远い打ちでこの急階段はかなり応えたす。

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    行きは䞀気に䞋っおきたしたが、それを今床は䞊っおいかなければならないわけです。比叡山登山で䜕が䞀番き぀かったかず聞かれれば私はここを挙げるず思いたす。さすが「無動寺谷」ず蚀われるだけあり、たさに谷でした。回峰行者達の拠点ずなるだけあっおやはり険しい環境でした。

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    分ほどで倧乗院からここたで延暊寺駅たで戻っおきたした。

    さすがに疲れがどっず来たので延暊寺駅で䌑憩したした。

    さお、ここからの䞋山ルヌトはたた蚘録があるので掲茉したす。

    この蚘録動画にもありたすように、ここから修孊院駅たで時間少々で䞋るこずができたした。やはり䞋りは早いですね。

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    先皋も芋たしたように、延暊寺登山のラストは長い急坂でしたが、今床はその道を再び垰っお行きたす。぀たり今床は長い登り道です。

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    ただ、駅で䞀䌑みした私は䜓力も回埩。元気に進んでいきたした。

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    千ず千尋のBGMが流れるケヌブル駅たで戻っおきたした。

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    お昌時を過ぎた時間垯ずいうこずで芳光客の姿も芋られたした。

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    さお、䞀気に䞋っおいきたす。

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    登りよりもペヌスが早くなっおしたう分、足元にはさらに泚意したした。転んで足を捻るのは䜕ずしおも避けたい所。

    垰りは少し䜙裕も出来おきたのか、動画を撮るこずもできたしたのでご玹介したした。

    おわりに芪鞞聖人の足跡に思う

    こうしお䞀気に䞋っお来た私でありたすが、ゎヌルの修孊院駅たでおよそ時間ほどでの到着でした。

    出発時刻が時半、ゎヌル時刻が時分頃ずいうこずで埀埩時間ほどかかかりたした。もちろん、途䞭に䌑憩やお参りの時間も含みたすので玔粋な移動時間そのものはさらに短くなりたすが、やはり埀埩ずなるずかなりの時間が必芁なこずを実感したした。

    しかも芪鞞聖人はここ修孊院駅から六角堂たでも歩いおいるわけです。

    この地図ですずどうしおも埒歩の時間が出ないのですが、およそ時間半ほどかかるずグヌグルマップでは出おきたす。぀たり、芪鞞聖人は普通ならば埀埩時間かかる距離をさらに歩いおいたずいうこずになりたす。しかもそれを日連続で行っおいたのでありたした。

    ただ、正盎申したしお実は私は぀い最近たで芪鞞聖人が本圓に毎日山から䞋っお来おいたのか信じるこずができおいたせんでした。毎日山を䞋っおいたのではなく、実は京郜垂内のどこかに滞圚しながら毎日六角堂に通っおいたのではないかず思っおいたのです。

    しかし比叡山の歎史や千日回峰行に぀いおの本を読むこずで、こうした䞍可胜にも思える行皋が実際に可胜であるこずを知るこずになりたした。

    䟋えばですが、回峰行者は倜の時頃に出発し、遅くずも朝の時にはお寺に戻っお日垞のお勀めを果たし、倜の時に寝お、再び倜の時に出発するずいう毎日を送るのだそうです。そうです。芪鞞聖人もおそらくこのような日皋で比叡山ず六角堂を行き来しおいたのでしょう。

    楠淳證線著『回峰行ず修隓道』ずいう本では回峰行の行者は比叡山から六角堂たで片道時間半で行くこずも可胜だずいうこずが曞かれおいたした。片道時間半で行けるなら深倜に出発し朝に垰っおくるこずも可胜でしょう。やはり芪鞞聖人は比叡山の䌝統に則り、自身の回峰行を行っおいたのです。

    それにしおも、回峰行者の方々の超人ぶりには驚くしかありたせん。私は晎れた倩気の良い日にこうしお登山したわけですが、行者は雚の日も颚の日も䌑むこずは蚱されたせん。雚で川のようになるであろうあの山道を駆け䞋り、登っおいくなど想像もできたせん。

    さらに蚀えばそもそも回峰行は倜䞭に行われたす。小さな明かりしか持たない䞭でどうやっお歩いおいるのでしょう。明るい状態ですら私は足元にかなりの泚意をしなければなりたせんでした。それを真倜䞭に行者達はほずんど走らんばかりの速床で移動しおいくわけです。もう信じられたせん。

    机の䞊で勉匷するこずも倧事ですが、こうしお珟地で䜓感したからこそわかるものもありたす。芪鞞聖人がどのような道筋で仏道を歩たれたのか、それを考える䞊でも今回の登山は私の䞭で倧きな意味を持぀こずになりそうです。

    以䞊、「比叡山雲母坂ルヌト登山蚘芪鞞聖人も歩いた道を远䜓隓」でした。

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