目的のない人生に手段はいらない
手段が目的化してしまう
学歴、会社、年収──どれも目的ではなく、あくまで手段にすぎない。
にもかかわらず、多くの人は手段をゴールだと勘違いしている。
「良い大学に入る」「有名企業に就職する」「高収入を得る」──
その先に何をしたいのかを考えないまま、「手段を得ること」自体が目的化している。
だが、本来は逆だ。
目的が定まっていれば、手段はその都度選べばいい。
必要なら学歴を使えばいいし、不要なら使わなければいい。
手段の正解は人によって異なる。
問題は、「何のために生きるのか」が曖昧なまま努力してしまうことだ。
その問いから逃げ続けている限り、どれだけ手段を積み上げても意味がない。
目的なき努力は、空回りするだけだ。
目的がある人間にとって、手段はただの選択肢にすぎない。
というのが今のところの思考です。
目的がなくても、準備はできる
──とはいえ、現実には「人生の目的なんて分からない」という人のほうが圧倒的に多い。
正直、自分もその一人だ。
ただし、目的がまだ定まっていないこと自体は問題ではない。
むしろ、模索中だからこそできることがある。
それは、できるだけ汎用性の高い手段を集めておくことだ。
応用の利くスキル、広い視野、人とのつながり──
将来どんな目的にも応用できる手段を備えておけば、
目的が見えたときに柔軟に動ける。
ある意味、この時期は「手段を集めること」自体が仮の目的になるフェーズだと言える。
何のために使うかはまだ分からないが、選択肢を広げておくことが合理的な判断になる。
ただし、一つだけ重要なことがある。
汎用的な手段を集めていられる時間には期限があるということだ。
ずっと「選べる状態」に甘えていると、
気づいたときには選択肢ばかり多くて、何も決められないどころか、何もできない人になっている。
いつかは、選び、絞り、動き出す必要がある。
そのときに行動できるかどうかは、今の時間の使い方で決まる。
だから、模索はしていい。
ただし、永遠に模索し続けられるわけではないという前提は持っておいたほうがいい。
他人の言葉に振り回されない
ここで一つ意識しておきたいのが、「世の中の声」との向き合い方だ。
周りの大人やSNSでは、矛盾するようなことが日常的に飛び交っている。
「いい大学に行きなさい」「大学なんて行っても意味がない」
「知識を蓄えろ」「とにかく行動しろ」──
なぜこれほど意見が割れるのか。
それは、人によって人生の目的も、今いるフェーズも違うからだ。
学びの途中にいる人は、学ぶことの重要性を語る。
現場で動いている人は、行動の価値を強調する。
キャリアを振り返る人は、過去の選択を正当化する。
どれもその人の立場や経験から出ている“正しさ”であって、自分の正しさとは限らない。
だからこそ必要なのは、他人の言葉を鵜呑みにせず、
「今の自分はどのフェーズにいるのか」
「何を目的に生きていきたいのか」
をベースに、自分なりの判断軸を持つことだ。
そもそも、多くの人にとっての人生の目的は「幸せになりたい」だと思う。
けれど、それではあまりに抽象的だ。
だからこそ、自分自身に問い続ける必要がある。
「何をしたいのか」
「なぜそれをしたいのか」
「それは本当に、自分にとっての幸せなのか」
今のところの考え
自分もまだその答えは出ていない。
むしろ、今のところの考えはこうだ。
「人生に意味なんてない」
「死ぬまでの暇つぶしだ」
だからこそ、「やりたいことをやるしかない」と。
たぶんこの考え自体も変わっていくとは思う。
では、「やりたいこと」はどうやって見つければいいのか──
この問いについては、また次回書こうと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
記事がいいなと思ってもらえたら、チップで応援していただけると嬉しいです!!
こらからもnote投稿頑張りますので、よろしくお願いします!