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【えらい人が研究してた、しょうもない仕事術 #4】同じ言葉で、ちゃんとすれ違う

    えらい人が大真面目に研究していた、しょうもない仕事の話を集めています。毎回、最後はだいたい自分に刺さって終わります。

    アンジャッシュのコントを、思い浮かべてほしい。

    二人が会話している。かみ合っているように見える。ところが片方は浮気がバレた話だと思っていて、もう片方は仕事のトラブルの話だと思っている。同じ言葉を、それぞれが自分の文脈で、完璧に正しく解釈し続ける。だからこそ、最後まで気づかない。

    あのコントが秀逸なのは、どちらも嘘をついていないところだ。どちらの解釈も、その人の文脈の中では、ちゃんと筋が通っている。誰も間違っていないのに、会話だけが壮大にすれ違う。

    で、これと同じことが、毎日オフィスで起きている。

    「クイック&ダーティで」が通じない理由

    前回、クイック&ダーティの話を書いた。あの言葉が、人によって正反対に伝わる、という話だ。

    ある人は「方向性を先にすり合わせる高等技術」と受け取り、ある人は「早いだけ&中身なし」と受け取る。同じ文字なのに、だ。これも一種のアンジャッシュで、発した側と受けた側が、それぞれ別の文脈で、それぞれ正しく解釈している。指示した上司は「骨子を早く見せろ」と言ったつもりで、受けた若手は「雑でいいから早く出せ」と聞いた。どちらも、自分の文脈の中では正しい。

    なぜ、こういうことが起きるのか。日本語が、行間を相手にゆだねる言葉だからだ。

    言葉に意味を載せるか、文脈に載せるか

    文化人類学者のエドワード・ホールが、半世紀以上前にこれを整理している。「高文脈/低文脈」という言葉だ。

    ざっくり言うと、コミュニケーションには二つの極がある。意味の多くを言葉そのものに載せるやり方(低文脈)と、意味の多くを文脈の側に——その場の状況、関係性、共有してきた経験に——預けるやり方(高文脈)だ。低文脈なら、言葉を全部言い切る。高文脈なら、「まあ、わかるよね」で済ませる。

    日本語のやりとりは、かなり文脈の側に意味を預ける。一を聞いて十を知る、という美徳は、まさにこれだ。経験を共有した相手となら、異様に効率がいい。説明を省いても、行間で伝わる。

    ただし、これには裏がある。効率がいいのと、誤配が起きやすいのは、同じ仕組みの表と裏だ。文脈に預けた意味は、相手の文脈が自分と違えば、まったく別のものとして受け取られる。一を聞いて十を知る相手と、一を聞いて別の十を知る相手は、見分けがつかない。

    アンジャッシュのコントは、この高文脈の誤配を、舞台の上で戯画化したものだ。日本語が日常的にやっている危ない綱渡りを、わざと落として見せている。

    (念のため言うと、ホールのこの枠組みは「日本は高文脈、欧米は低文脈」みたいな国別のレッテルとして使われがちで、その雑な分類には実証的な批判も多い。ここで使いたいのは国の話ではなく、意味を言葉に載せるか文脈に載せるか、という程度問題のほうだ。)

    すれ違わない相手を、人工的に作る

    では、アンジャッシュにならない相手とは、どういう相手か。

    文脈を共有している相手だ。同じ前提、同じ経験、同じ言葉の使い方を持っていれば、行間を預けても、ちゃんと同じところに着地する。コントが成立しないのは、二人の文脈が最初から揃っているときだ。

    仕事で厄介なのは、初対面の顧客とは、この共有文脈がゼロから始まることだ。放っておけば、こちらの「まあ、わかるよね」は、ことごとく誤配される。

    そこで効くのが、相手の専門用語を覚えることだ。

    これは、たんに情報を正確に伝えるためだけの話ではない。専門用語には、もう一つの機能がある。仲間の見分け札だ。その業界の人間は、相手が自分たちの言葉を正しく使えるかどうかで、一瞬で「こっち側か、外の人か」を判定している。

    そして、ここが肝心なのだが——「こっち側」と認定された瞬間、相手はこちらに行間を預けてくれるようになる。全部説明しなくても、「まあ、わかるよね」で話を進めてくれる。つまり、高文脈の効率のいい側に、自分を入れてくれる。逆に用語を外すと、相手は「この人には一から説明しないと」と警戒して、低文脈の、よそ行きの話し方に切り替える。商談は、急に遠くなる。

    以前、初対面の顧客に「お、この人わかってるな」と思わせる、という話を書いた。あの「わかってる感」の正体の、かなりの部分は、これだ。中身そのものより先に、相手の言葉を話せること。それが、共有文脈をショートカットで作る。

    ただし、覚えただけでは、すぐバレる

    便利な話に聞こえる。だったら用語を丸暗記すればいい、となる。

    ところが、ここに罠がある。人は、相手が用語を「知っている」だけなのか、「理解している」のかを、驚くほど正確に見抜く。聞きかじった単語を、文脈を外して使った瞬間、見分け札は偽造バッジに変わる。そして偽バッジは、本物以上に信用を失わせる。

    これは前回までの話と地続きだ。「わかってる感」だけ出して中身がないと、結局は見抜かれる。それが、用語のレベルでも起きる。用語は、共有文脈への入場券だが、その券が偽造だと判明した瞬間、入場どころか出入り禁止になる。

    だから、顧客の専門用語を覚える、というのは、丸暗記の作業ではない。その言葉が、どういう文脈で、どういう含みで使われているのか、までを理解しにいく作業だ。入場券は、買うものではなく、中身ごと身につけるものらしい。

    と、偉そうに書いていたら

    ここまで、用語を理解することの大切さを、さんざん説いてきた。

    その口が乾かないうちに、こんなことがあった。

    うちはIT企業なので、やりとりの多くはチャットで流れていく。ある若いメンバーが、私の出した改善案に、こうコメントをつけた。「これ、つよつよっすね」。

    つよつよ。語感からして、なんとなく圧が強い、ごつい、もっと言えば「重い・やりすぎ」と言われている気がした。私は「ああ、変えすぎたか」と受け取って、神妙に「元の案もよいと思うよ」と優しさを出したつもりだった。

    「つよつよ」が、ネット界隈では純粋な称賛——「強い、すごい、頼れる」の意味だと知ったのは、その日の夜だった。

    私は、褒められたのに、しょんぼり謝っていたのだ。完璧なアンジャッシュである。彼の文脈では正しく、私の文脈でも(間違って)正しく解釈され、誰も嘘をつかないまま、チャットだけがすれ違った。しかも今回は、対面ですらない。テキストだから、表情という最後の手がかりすら、なかった。

    笑いごとではない。私はついさっき、「相手の言葉を理解しろ、さもないと共有文脈の外に置かれる」と書いたばかりだ。そして私はいま、ネットスラングという言語の、完全に外の人だった。顧客の専門用語をカンニングしているのと同じ熱量で、私は今度、彼らの言葉を覚えにいかないといけないらしい。

    入場券は、どの世界に行っても、その都度買い直すことになる。しかも、買ったつもりでいると、たいてい偽造を疑われる。

    たぶん私は、また当分、褒められては謝る。それが称賛か、苦言かは、例によって、その日の夜になってから、わかる。

    ——と、ここまでは「言葉」を相手に丸投げして起きるすれ違いの話だった。だが、もっとたちの悪い丸投げがある。言葉ではなく、結論そのものを、まるごと読み手に投げてしまう資料。それは、次回。


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    キャリアの迷いと、職場の小さな違和感について書いています。 7回転職して4職種を渡り歩き、いまは事業責任者。それでも迷っています。 n=1のキャリア論/考えすぎて、鳩サブレ/えらい人が研究してた、しょうもない仕事術 答えは出しません。出せないので。

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