
海外移住『英語力ほぼゼロ』のメリット
英語力ほぼゼロで、家族でヨーロッパに移住し、やっていけるのか。と多少なりとも、不安を抱いていた1年前の私に言いたい。
英語を話せないことがメリットになる、と。
もちろん、英語を話せるにこしたことはない。実際、相手が何を言っているのか分からないことや、自分の思いをうまく伝えられなくて困ることは多々ある。当然、英語が話せたほうがいいに決まっている。スムーズに意思疎通ができるし、その分ストレスも減る、そして可能性が広がるから。
ただ、1年前の私のように英語力に悩んでいる人(私の場合それは今でもだけれど…)、英語が話せないことが留学や移住を諦める理由になってしまっている人に伝えたい。
強がりで言っているわけではなく、心の底から「英語、話せないほうがいいこともあるよ」と言いたい。
その理由を以下に書いていく。
余計なことを言わなくて済む
日本にいるとき、家族や友人との会話で、つい余計なひと言を言ってしまうことはないだろうか。
私はよくあった。
あとになって、「あんなこと言わなきゃよかった」「また要らぬ情報を出しすぎてしまった」などと悩むことがよくあったのだ。
英語でしかコミュニケーションがとれない相手と話をしていると、「言いたいけど言えない」と思う場面は多々ある。
しかし、多くの場面、それは補足的なことで、言わなくてもいいことだったりもする。もしもあとでどうしても伝えたいと思ったなら、後日、もしくはメッセージアプリなどを利用して伝えればいい。
それに、伝えたいけど伝えられない悔しさも、英語を勉強する原動力にもなる。次に同じことを話す場面がきた時につまずかないように、復習しておくこともできる。
変な人が寄ってこない
これは主に勧誘のこと。以前家に勧誘のお兄さんがやってきたことがあった。
色々ペラペラと話してきたが、本気で分からなかったので、なんどもしつこく聞いてみた。そしたらお兄さん、「…オーケー(苦笑)、それじゃあまた今度くるよ…」と言って帰って行った。その後1度も来ていない。
次に別の業者が来た時も似たような感じで帰っていった。
ただ単に呆れられたのだと思うが、それでよし。断るのがとても苦手な私には、この方が楽だ。
周りがみんないい人に見える
子どもの幼稚園の先生方には心から感謝している。言語も違うのに子どもをヤル気にさせたり、子ども一人ひとりの課題にあった対応をしてくれている。…と私は思っている。
しかしながら、英語が堪能なママたちからは、苦情も聞かれる。ただ単に、私が分かっていないだけかもしれない。
しかし、常に「あの人いやだな、あの先生いやだな」と思って接するのと、「みんないい人だなぁ」と思って接するのとでは、感じるストレス度合いがちがう。それに、相手にもその気持ちが伝染していることだろう。
いい人に囲まれてラッキーだわ、と考えていた方が幸せだと思う。
見たり聞いたりしなくて円満にいくこともある。
厳選された友人ができる
日本にいる外国人を思い出してほしい。こちらから積極的に話しかけるだろうか。
私はそもそも、言葉が分からない人に話しかけようとは思わない。道を聞かれたり、なにか話しかけられたら話す、くらいの心構えだった。
こちらに来ても、ほとんどの人はそんな感じだ。はじめましての挨拶はするものの、そこから特に進展はないことがほとんどである。
しかしながら、そんな私に対して、ウェルカムなオーラで熱心に声をかけてくれる人も中にはいるのだ。
子ども同士が友達、とか日本に興味がある、とかが主なきっかけではあるが、同じ状況でも仲良くなる人、そうでない人が分かれてくる。
言葉は分からなくても、本音か建前かは雰囲気で伝わってくるものだ。仲良くなった人は、本音で色々話してくれる。そういう人との関係は大事にしたいと思っている。
私はもともと広く浅くの交友関係が苦手で、数人とじっくり付き合うほうが好きだ。集団が苦手で、多くても4人くらいまでしか同時に話せない。
だからこそ、心地いいのかもしれない。
そして、相手も同じことを考えることが多い。「大人になってから友だちを見つけるのって難しい」「少人数の方が好き」と言っていた。
類は友を呼ぶ、という感じだと思う。
そしてそういう人たちは、私がいくら話せなくても、しっかり話を聞こうとしてくれる。本当にありがたい。だからこそ、英語をもっとがんばろうとも思える。
できないひとの気持ちがわかる
英語が話せないことで、困ることはたくさんある。そんなとき周りに優しくされてとても嬉しかった。
そんな体験を何度もしてきた。
よく子どもの勉強を見ていると、「なんでこんなこともわからないの」とイライラすることがある。そんなときには自分の英語体験に置き換えて考えるようにしている。
「こうしたら?あーしたら?そうじゃないでしょ」と今までは言ってしまっていた。でも、私の英語を辛抱強く聞いてくれた人たちは、そんなこと言っただろうか。いや、1度もない。
会話中、私の間違いをいちいち指摘するかわりに、何が言いたいかをじっくりと聞こうとしてくれていた。
それを思い出すと「この子も分からないことで苦しんでるのか…どんな風に考えてるんだろう」と1歩離れて落ち着いて考えることができる。
できないことは焦らせても、すぐにはできるようにならない。むしろ焦らせることで悪化することが多い。1番モヤモヤしているのはできない人自身なのだから、まずそれを受け止めてあげないことには始まらないのだ。
想像力が鍛えられる
この単語、なんだっけ?と思うとき、いちいちGoogle翻訳をしている暇はない。スマホ立ち上げて、翻訳アプリ開いて、入力して、答えを待って……なんて、場がシラケてしまう。
日常のちょっとした会話で、あの単語が出てこない…ということはないだろうか。
実は英語だけではなく、日本語でもよくある。
そんなときはどうするかというと…「あの、オレンジ色で、丸いヤツで、テーブルテニスで使うやつ」というような感じで説明することがあると思う。
どのように言えばいいのか分からないことを伝えるとき、脳内ではこの連想ゲームが繰り広げられる。
私の場合、脳内だと答えが出ないので、直接相手に聞いてもらう。当然「は??」と言われるけど、伝わると「あ〜それね!!」とスッキリ感がハンパない。
その甲斐あってか、「あなたの英語、好きだよ。分からない言葉はあっても、色んな方向から答えに辿りつくのが面白い」と言ってもらえた。お世辞かもしれないけれど、ありがたく受け取りました(^^)
子どもとの会話でも連想ゲームのような事はよくあるけれど、そんな感じかもしれない。周りの外国人が私と接するときは子どもと話すように接してくれているのかも。
だとしたら、その人たちは子育ても上手そう。絶対否定から入らない。相手の考えていることを想像する。それがどれだけ子どもを安心させるか。
外国人からの学びが絶えない。
それからもうひとつ、海外生活でかなり実感することを書いて終わろうと思う。
そもそも、日本語でできない事は英語でできるわけがない
あたりまえかもしれないけど忘れがちなこと。
海外来たばかりのときって、自己紹介がやたら多い。あとグループでの集まりも。もっと英語が話せたら楽しめるのにな…と思っていた。
でも、なんだか違う。そういえばこれ、日本でも楽しめてなかった、と言うことに気づいたのだ。
私は自己紹介がとにかく苦手。小さいときから克服できずにいる。それから、グループでの集まりも嫌いである。まわりの空気を読んでしまうために、疲労感が尋常ではない。だから多くても4人までの会話しか楽しめない。
なんとなく、海外にきたからにはオープンな雰囲気だろうし自分の性格も変わるのかも…という気になっていたが、そんなことは全然ない。
英語ができれば多少は気楽に過ごせるだろうけど、海外にきたからといって、苦手が克服できるわけではないし、性格はそんなに簡単に変わらない。
できないものはできない。苦手なものは苦手なのだ。
絶望的に思えるかもしれないけれど、逆に、すっきりする。そして、自分が何が苦手なのか、はっきりする。
いい意味で開き直れる。自分はありのままでいればいいんだと思える。
その中で変えたいこと、挑戦したいことがあれば、やってみればいいと思う。勉強のように、やればやっただけ身になるものならやるべきだとは思う。
でも、変えられないことに関しては粘り強くやるよりも、いったん自分を見つめなおして、いいところを伸ばしていくのも十分ステキなことだと思う。
まとめ
英語が出来ないということは「見ざる聞かざる言わざる」が無意識にできているということだ。
その中でおのずと厳選された交友関係が築ける。
できない人の気持ちに寄り添える。
想像力が会話の度に鍛えられる。
ありのままの自分を再確認できる。
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さいごまで読んでいただきありがとうございます。ではまた。