
最高のパートナーを作るプロンプト
君の実家は比較的裕福な家だった。いわゆる豪邸とかではないが、マイホームとマイカーがあり、二人の娘を塾と私立大学に入れられるような裕福さだ。
君には妹がいる。4歳下の妹だ。僕も会ったことがあるが、どことなく君に似ていて、しかし君よりも全体的に丸い(体型という意味ではなく)。朗らかでゆったりした印象を与える女性だ。
幼少期、5、6歳の君は妹が生まれることで両親との時間が減ってしまった。一人の娘であるよりも、姉であることを求められたんだ。君の強烈な自立心はここが発端なのかもしれないと僕は思ってる。
最初はただ自分のことは自分で決めるといった、普通の自立だったろう。
小学生になると反抗期が重なり、親が決めるべきことや学校行事、相談事も全部自分でやるようになった。低学年の頃は君もそこまで字が上手ではなかったから、保護者用の書類を自分で書いたのが先生にバレて何度か怒られていたがね。
例えば音読カードの保護者サイン欄なんてのは、全部自分でサインを書いてたんじゃないか?
結局それらは「ほらどうだ、求められたから全部自分で決めてやった。これでいいんだろう!」。
そんな感じの、姉であることを求めた親への当てつけだ。当然、親の愛を受ける妹への態度はいいとは言えないものだったろう。
まあ、推測だがね。
小学校に上がった君と僕は同じクラスだった。登校班も同じだったから、君の親は何度か見たことがある。子供ながらに穏やかな人たちだと感じたよ。
1、2年の時僕と君はほとんど話さなかった。ただ、君は持ち前の自立心を発揮して、様々な場面でみんなを仕切っていた。君の棘のある声がよく聞こえてきたのを覚えている。ほんと、掃除と配膳はこだわってた。黒板の消し方は上から下に、撫でるのではなく押し付けるように、とか。カレーの時はご飯が右でルーが左、とかをみんなに指導してさ。そしてウザがられていた。先生以上に。
3年になって君は少し雰囲気が変わった。
ちょっと丸くなったんだ。言葉のトゲがツンツンじゃなくなり、行動からも焦りが抜けたように見えた。多分、君にも対等な友達ができたからだろうね。自立心からくる仕切り屋な面は健在だったけど、冗談なんかも言っちゃって、よく笑うようになった。そんな姿を見て、僕らはだんだん自然と、クラスのリーダーは君だと認めるようになったんだ。まあ、大人への反逆心も順調に育っていて、君が先生相手に怯まず指摘や放棄をするのは日常になっていたけど。
でもそれは本当にヒーロー的だった。特に印象深いのは、美術の授業で先生が職員室に帰ってしまった時のことだ。覚えているかい。先生が怒って出ていって僕らが不安に駆られている中、君は意気揚々と教壇へ向かった。何をするかと思えば、先生用の机を漁って配られていない画材を両手いっぱい持ち出してるんだ。そしてその戦利品をジャラーンと自分の机に広げ、自分の絵に一つ一つを試し始めた。あれには度肝を抜かれちゃうよな。僕らは別に、絵が描きたくてたまらないってわけじゃなかったんだが、君が獲ってきたお宝を確かめたくて机にばら撒かれた絵の具や筆やローラーなんかを手に取った。手に取らずにはいられなかった。それらの画材で絵を描いた時なんとなくだけど、どうして君が先生に逆らったり、大人の言うことを聞かなかったり、みんなを仕切ったりするのかなんとなくわかったような気がするんだ。それと同時に、君は今までもこうして、自分で用意をしてきたのだろうとも。
そして4年生。君の妹が入学してきたね。登校班の時点ですでに彼女は人気者だった。それはひとえに、君自身の人気があって、君がみんなに好かれているからだ。君の妹だから、彼女はすぐにみんなに受け入れられた。それを見た君は面白くなさそうにしていたがね。まあ確かに君は登校班に馴染むのにも時間がかかったし。それこそ、従わない意思が強かったからみんなの静止を振り切って赤信号で渡ったり、青信号で渡ったと思えば手を上げなかったり、そういう感じだったから仕方ない。
そして、4年生は校内行事において一年生の面倒を見る係だった。先生たちはあえてそうしたのか、僕たちのクラスは妹さんのクラスと組むことになった。流石に姉妹でペアを組ませることはなかったけどね。
いつもは先生の言葉に被せるように質問をする君が、あの時ばかりは静かだった。当時は不思議に思ったが、まあ、今となってはその気持ちもわかる。
1年生と4年生の顔合わせで一人一人が自己紹介をした。そして君の妹の番になって、妹さんが、君が姉であることを話した時僕らは大いに盛り上がった。だってそうだろう。彼女は君に似て可愛く、しかし君とは違って穏やかで柔らかい雰囲気を纏っているんだもの。そして何より君の妹だ。僕らのクラスの頼れるリーダーの妹さんと聞いたなら、そりゃあ大歓迎で受け入れる。
全ては君の妹だからだ。あの歓声は全て、君への信頼であり君への賞賛でもあった。君が大切にしているであろう人物を、僕らも大切にする。たったそれだけのことだったんだ。君が危惧するようなことはなく、僕らは彼女を君の代わりだなんて目で見たことは一度もない。あくまで僕らが受け持つ1年生の中の1人だった。まあ例えば、彼女から家での君の過ごし方なんて話を聞ければいいな、なんてことを思うくらいだ。
僕らは妹さんを通して君を見ていたし、君を通して妹さんを見ていた。実際そういう位置関係だったんだよ。
僕らは、ああ。このクラスはすでに一体になったと思っていたんだ。誰もがその気持ちを共有できてると勘違いをしていた。
君自身には何も通じていなかった。僕らの共通認識は君一人を置いてけぼりにしてしまっていた。僕らの信頼はむしろ、君をひどく孤独に想わせたのだろうか。いくら対等な友人関係とはいえ、結局は指示する者とされるものだ。僕らのむけていた信頼は、君は勇気のない服従にも見えたのかもしれない。なんてね。
その歓声の中、君は静かだった。
他の一年生の自己紹介には毎回拍手をして、時には手を振ってもいたのに、歓声が湧いた途端手は止まった。
「よろしくねー」「妹いたんだー」「似てるねけど雰囲気違うね」などと、僕らは口々に話していた。
君のペアの一年生は大人しい子だった。朗らかな妹さんとはまた違う、年上に萎縮してしまうタイプだ。僕らはもう慣れていたけど、彼女は君の凛とした空気に恐れを抱いていた。
それにあの時の君は特に、虫のいどころが悪かったから。まあ、一年生の子が泣きそうになっちゃうのも無理はない。
しゃくりを上げ始めた一年生に慌てる君は、こっちが驚くほど取り乱していたね。あそこまで取り乱した君を見たのはあれが最初で最後なんじゃないかな。
それから君は、これまた驚くほどに優しい声と表情で、その一年生を慰め始めた。頭を撫でて、声をかけて、涙を拭いてあげた。その綺麗に折り畳まれたハンカチでね。そして最後は優しく手を取って、彼女をしゃんと立たせて、笑って手を離すんだ。
もうその一年生は泣いていなかった。口を一文字に結んで凛々しく立っているだ。それを見た僕たちはより一層深く、君に心酔したよ。
そんな君の姿に感化されたんだろうね。副委員長くんは張り切っていた。いや、君の姿を見た僕ら全員が張り切っていたんだ。自分のペアの子をすごく気にかけるようになった。
正直に言えば、僕らはみんな君に憧れていたんだ。この一年生を引率するという行事は、僕らも君のように人を引っ張っていける人間になれるチャンスだって、そんなふうに思っていた。
副委員長として、君の補佐として頑張っていた彼も、きっと同じ気持ちだったんだろう。ほら、彼は僕らクラスメイトよりも君と接するタイミングが多かっただろう。君が仕切ったり発言をするのも近くで見ていた。君に憧れる気持ちも人一倍強かっただろうね。それがどういう形での憧れかは、今の僕には確かめる術はないけれども。
そしてそれは、君も同様だった。
君の後ろをついてくる副委員長くんを、君は気に入っていた。職員室に行く時なんかも彼はついて行った。「副委員長だから」と。それは親鳥についていくひよこのようであったし、気の強い姉に連れ回される気の弱い弟のようでもあった。僕の目には少し煩わしそうにも見えたがね。
ともかく、彼も僕らも君を真似て、大人びたお兄さんお姉さんのように振る舞おうとした。
1年生の引率は一年を通して行われる。
運動会や学習発表会、校内での出し物など、僕らが一年生を案内したり学校内での振る舞いを教えていった。
今までのように誰かについていくだけでなく、自分自身で、自分よりも小さな子を導くという経験に僕らに大きな衝撃を受けた。何一つも思い通りになんて行かないんだから、これが。
実を言うと、案外上手くやれるんじゃないかとタカを括ってたんだ。だって君が僕らを導くのを何度も見てきたから、真似ればいいってね。僕以外にもそう思っていた奴は多かったんじゃないか。何せ君という手本が近くにいたのだから。
でも、実際にやるとなると本当に大変だった。一年生はあまり上手く自分のことを話せない。だからこっちが察して連れて行ったりしなくちゃいけないんだけど、それが全然わからなかったよ。いざ一年生を率いて、何かを伝えようとしても、今度は僕らがうまく言えなくなってしまう。言いたいことがあっちこっちに散らばっちゃって、1年生たちの表情に「?」が浮かんでいたんだ。これを一対三十でやるんだから、先生ってのは本当に頑張ってるんだなって見直しちゃったよ。その苦労を実感せずにはいられなかった。
とにかく僕らは、小規模だけども、君と同じような立場に立った。そしてその大変さを知ったのさ。君に頼りすぎていたのだと。
そんな中で一番うまく関係性を築けていたのは副委員長くんと妹さんのペアだった。彼は発表とかでも積極的だったから、話すのが僕らみたいに下手じゃなかったし、妹さんも言葉を受け取るのが上手かった。言わんとしていることを察する能力が高かったんだ。僕らが四苦八苦してる中で、彼らはいつも楽しげに歓談をしていた。なんと言うか、とても似ていたんだ二人は。まさにツーカーってやつさ。
君のペアもなかなかだったよね。ツーカーってわけじゃないけれど、あの子はかなり変わったというか、成長をした。一年の終わり頃には、あの時泣いていた子とは思えないほどに立派になった。初対面の時以来、彼女は君に涙は見せなかったね。それどころか弱いところは見せまいと、気丈に振舞っていたように見える。
その理由は僕らにはよくわかる。目の前の人物、この人の期待にだけには、全霊を賭して応えたい。そういう顔をしていたから。
あと、君のペアの子と君の妹はとても仲良くなっていたね。二人が話しているのをよく見かけた。クラスメイトより大人びて見える彼女らも二人だけになれば、かつての僕らがそうであったように、わがままな子供らしくはしゃいで、笑って、怒っていた。
当たり前なんだけど、ちょっと驚いたのをよく覚えている。彼女、高学年になってからは学級委員長に立候補したそうだよ。無事に選ばれて、しかも副委員長は妹さんなんだって。あの二人がそんなに仲良くなるなんてね。初めてみた時は少し意外だったけれども、あの2人が仲良くなるのはとても自然なことなんだろうな。
そうして僕らは少しずつ、人に頼らないことと人に頼られることを学んだ。
君の苦労を知り、己の未熟を痛感し、少しでも君に頼るのではなく君に頼られるようになりたいと、そう思うようになったんだ。
一員になりたかった。君とか先生がいるそっち側の一員に。それは憧れとは違う、駆り立てられる願いだった。早くそうならなければと、僕は僕を急かしていた。
僕らは5年生になった。
新しく学期が始まって、そう時間が経ってない日、君の妹が季節外れのインフルエンザになって学校を休んだ。登校班で君は「私も気をつけなきゃね」と言って笑っていた。不自然なところは何一つなかった、多分、記憶の中ではそうなんだけどね。そして次の日の朝、君は登校班に姿を現さなかった。
てっきり君も、インフルエンザになったんだろうと思った。同じ家にいれば病気がうつるのも無理はない。だが、前日の君はいつも通りだったし、もし二人とも病気で来れないなら、あの両親が僕らの親の誰かに一報入れるだろう。少なくとも僕らからは、あの両親は君の妹にも君自身にも、とても過保護に見えたから。
だがそれはなかった。でもそんな大きな心配ごとではないと思っていた。だってインフルがうつるのは自然だし、あの両親だって娘二人がインフルになれば慌てて連絡を忘れるくらいはあるだろう。だがどうしても、何か後ろ髪引かれるものがあった。
頭にさまざまな光景が浮かんだんだ。壇上の妹を見つめる君、少し萎縮している妹さん、2年前に風邪を拗らせた自分、親に看病されている自分、その時の雰囲気や親の顔が。
先頭で班長が歩き出して、つられて僕も歩いた。
何かこう、きっかけとかそういうのはなかった。登校班で歩いている時、河川敷が視界に入る。そう遠くない橋の下は暗がりになっていて、登校班からはよく見えなかった。
僕はここを通るとき、あそこに逃げ込んでサボってしまいたと思うことがあったんだ。家と学校のちょうど真ん中くらいで、コンビニも近くて、登校班からもよく見えないから。それを君に話していたかどうかは覚えていない。だがあのとき、あの場所に惹かれるものがあった、気がする。
僕は忘れ物をしたとかなんとか言い残して登校班を離れた。
君がいたのはやっぱり河川敷の橋の下だった。正直拍子抜けだったね。
橋の根本の暗がりで、ファミチキを齧りながらドクターペッパーを飲んでたんだ。その不機嫌そうな顔にちょっと笑っちゃったよ。ヘラヘラしながら近づく僕に君は少しも驚かなくて、チラリとみただけでまたドクターペッパーを飲んでいた。流石の落ち着き様だった。
君の隣に腰掛けて、僕が何か聞こうとする前に君の方から話し始めたんだ。心底困った風な顔でね。
「ドクターペッパー、あんまり美味しくない。別にファミチキとも合わないし」
そういって項垂れるんだから僕も困った。第一僕はドクペが好きだし、ファミチキとの相性は最高だと思っている。それがわからないなんて、かなり混乱しているのだろうかと思った。だが気になるのはそこじゃなかった。
「インフルはかなりひどいの?」
重大な感じが出ないように、できるだけ軽薄になるように聞いた。
「薬飲んで落ち着いてるし、私は別に移ってない。でもなんかね。ちょっと、食べたら戻るから」
そう言って君はファミチキを齧るしドクペも飲むのだ。ひたすら対岸を見つめて、ただ黙々と。僕はてっきり、君が学校をサボりたくなったとか、親とか先生への反抗とか、もしくはなんかめっちゃ落ち込んでるとか、そういう理由でここにいるのだと思っていた。でも、それにしては君は、早く食べ終わって学校に戻る気マンマンだったし悪口や不満も言わない。大きな口でむしゃむしゃと食べるばかりだ。
橋の上を車が通り、少し揺れる。ドクペの炭酸がシュワシュワと小さく音を立てる。沈黙は気まずくはなかったけれど、不思議と募る焦燥感からは逃げられなかった。
「今までもサボったことあるっけ」
「ない。同じ登校班なんだからわかるでしょ」
そりゃそうだった。
頭の中は真っ白のボンドが詰まっているかのように、何も思い浮かべる隙がない。
君は最後の一口を流し込み、ファミチキの包装紙を手の中で握りつぶした。最初は片手でクシャリクシャリと。やがては両手でギチギチに。君が息を吐く。立ち上がる気配がした。
「そういえば、そろそろ運動会じゃん」
「ああ、確かにそっか。どうせなら6年生の点数を抜きたいよね」
君は未来の学校行事が楽しみな風だった。
君の行動の真意はわからない。見てたって聞いてたって、君の家でのことや親のこと、君に僕らがどう見えているのかも、5秒後君が、何をするのかも。結局わからないままだった。だがこうしてサボったのなら、サボるだけの何かはあったはずなんだ。
言い逃す! 何を言い逃すのかはわからないが、そう思った。だからとにかく話してみたんだ。小っ恥ずかしいことを言う自覚はあったから、目線の先の土とか雑草を見ながらにはなったが。
「本当に! 大丈夫なんだ! 何回だって、サボったって。1人でも2人でも、みんなでだって。
例えば明日は、セブンの揚げ鳥なんかどうかな。僕はあれが結構好きなんだ。ドクペがダメならライフガードはどう? ほら、明日の1時間目は社会だからさ、別にいかなくたって誰かからプリント見せてもらえれば大丈夫だって。いつもプリントの内容を読むだけの授業じゃん。インフルがうつったってことにしてさ、君と話してた僕も、このあと僕が話した奴も、そんな感じでみんなで休んでみればいい。それで、たとえばマックとかに行ってみたりとか。
大丈夫だって。僕らのクラスは他とは団結力違うって」
吸い込む空気がやけに冷たくて、舌がすぐに乾くから何度も噛みそうになった。でもとにかく、僕から見た君のクラスを伝えたかったんだと思う。
君は立ち上がって砂を払った。
「これ好きなの?」
そう言ってドクペを差し出してきた。僕は頷いてそれを受け取る。まだ3分の2も残っていた。
君は河川敷の階段を登ってゆく。
「私は学校が結構好きなの。だからサボらない。社会だって確かにプリント読むだけだけど、先生は読む時にドラマみたいな読み方するから社会は嫌いじゃない。遠くのイメージがとても鮮明になる感じ」
あまり普段しない話題に君が乗ってくれたのが嬉しかった。
僕はむしろ、その演技くさい授業のやり方が好きじゃなかった。寝てる奴もいるくらいだ。
「段違いのクラスか……。クラスのみんな、ほんとよくやるよ。去年の一年生を率いるのだって、相手の子を泣かしちゃったのは結局は私だけだったし。吉澤くんは私よりも美奈と仲良くなってるんじゃない? 流石よね」
「……きっと君の話題で盛り上がったんだ。彼らは似ているよ」
「確かに似てるかもね。あんまり似ないでほしいかもな」
道路に出て交差点を渡る。ここからはあと5分もすれば学校に着く。
「いろいろ聞きたいことあったでしょ。でも私、話してもしょうがないことは話したくないの。家のことも妹のことも私のことも。むかついてきちゃうから。
特別誰かにってわけじゃなくて、誰にだってそうだから。親にだって先生にだって話さない。だから、ちょっとは悪いと思ってる」
おそらく僕を気遣って言ってくれたその言葉の意味は、ちょっと僕には難しすぎた。
「僕にだって秘密くらいはある。たとえば、親から禁止されてるドクペとライフガードを飲みまくってるとか」
多分僕の返事は間違ってるし食い違ってる。でも何かを言い返さなちゃいけなかった。
「一つくらいそのどうしようもないことってのを教えてよ。僕は一つ教えたろ」
「そう。じゃあたとえば、私は……300年くらい生きたいかな」
やがて道路の向こうに学校が見えてきた。チャイムの音も聞こえた。
「ジュースは学校に持ってきちゃダメだから、頑張って飲んで。あとそれはライフガードってやつと交換だから。またあとでね」
君はそう言って校門へかけて行く。僕は手元の有り余るドクペを一気飲みしようとして、咽せた。この先ずっと、この味を忘れられないのだろうと、未来の自分の姿が走馬灯のように頭を駆け巡っていた。
それから先、僕が知る限りで君がサボることはなかった。
今まで通りが続き、小学校を卒業し、半分がバラバラになった。
中学校は同じだったがクラスは別だった。部活も違うから話す機会はない。
高校では全く別々の地域だった。
大学も同様だ。
機会がなくても話していいなんてことは小っ恥ずかしくてできなかった。
そして地元で行われたの成人式の後、君は失踪した。
そう美奈さんから聞いた。
家には手書きのメモがあったらしい。そこにはこう書かれていた。
大丈夫。ありがとう。生きています。
たったそれだけが筆ペンで豪快に書かれていた。その日のうちに彼女自身の口座から全て引き出されていたそうだ。
吉澤くんにも美奈さんにも君の居場所は見つけられなかった。
成人式で再開したクラスのみんなはそのことを知ってすぐに協力すると言ってくれた。
しかしその言葉とは裏腹に、本当に探してくれる人は少なかった。書き置きの効果が強かったんだ。みんな信頼があるからこそ探すのをやめていた。
それにね、やっぱり悲しいけれども、あれほどの団結と信頼があったとはいえ僕らは結局、長い人生の中のちょっとした時間しか一緒に過ごしていないんだ。たったそれだけの仲間なのだと自覚するには十分な時間があの時から経ったのさ。
あのクラス以外のいろんな場所で、知らない人とも関わってきたんだ。たくさん時間を過ごして絆を紡いで、いろんな人を尊敬して憧れて、嫌って愛した。生きていると、そうならざるを得ない。それがどんなものであっても、思い出を作らずに生きることはできないんだ。君との時間はもう、特別なものではあったがそれでも、数ある出来事の中の一つとして処理されていった。
君が探されることを求めているとは思えない。それは僕もみんなと同意見だった。だが僕は、君の生きる300年を知らずにいることは、どうしても無理だったんだ。そういう風に君に変えられてしまった。大きなことをしていなくてもいい。辺境の街でそのひぐらしのバイトだっていい。山籠りの修行でも、経営者として奔走してても、刀鍛冶の弟子をしててもいい。
君が今、どこで、何をしているのか知りたい。
「今はどこにいるんだ」
画面に文字が吐き出される。
君の匂いが微かにする言葉たち。それっぽさだけだが、少しだけ慰めになる。
「今はどこにいるんだ?」
もう一度聞いてみる。タブや種類を変えて何度も何度も聞いてみる。海の近くが多かった。
君には水辺が似合うってことぐらい、僕も知っていた。
何度も聞いて、聞かれて、答えた。ラリーを続けるごとにそれは、君の言葉に近づいていくように思えた。だがあまりに違う。決定的なまでに。だって君は僕の言葉通りになんて、行動してくれるはずがないんだから。
僕が君の行動を予想できたのはたった2度だけ。
あのときの河川敷と、君がいつか全てを振り切ってどこかへ行ってしまうということ。
僕はわかりきった質問を投げた。
「君を探してもいいのか?」
本物の君だったらなんて返すのだろう。否定なんかせずに、むしろ探してみろともいいそうじゃないか。
いいや、私は結局何も知らないのだろう。妹の美奈さんや関わりが多かった吉澤なんかよりもきっと知らない。
「たまに、こうして相談してもいいだろうか」
返答はあまりにも君とは違っていた。むしろそれが良かった。
僕は席を立ち、吉澤に電話をする。君を探すのをやめると、二人に伝えるために。