
「できないことを受け入れる」のは、誰かを頼る第一歩。
「歳を重ねると、だんだんできないことが増えてくる」
20代の頃、40代、50代の人たちとそんな話になったことが何度かある。
確かに体のピークは過ぎているだろうし、そういう意味ではできないことも増えるだろうけど。経験が増えることによって、できることも増えるのでは?なんてことを思いながら、当時は話を聞いていた。
けれどよくよく聞いていると、この「できないこと」とは、自分には向いていないことや、自分がやらない方がいいこと、やらないと決めたことなどが含まれている、というかそれらが大部分を占めている。
いま思えばまだ若かった当時は、「自分の限界を決めない方が、人生楽しめるのでは?」なんて思っていたし、そう質問したような気もする。そして30代となったいま。同様に、自分の限界は決めない方がおもしろいと思うと同時に、「自分のできないこと」を理解し、増やしていくことの方が、いろんな可能性は広がり、結果として人生を楽しめるのでは?なんて思っている。
とは書きつつも、まだまだ「自分のできないこと」を認められないことの方が断然多いのも事実で。なんでできないんだろう、どうすればできるようになるんだろうと、自分を責めてしまう。
例えばこの4月から6月は、本当に体調が悪かった。この期間、本調子だったのは1週間もないんじゃないかと思えるほどに。しかしそんな体とは裏腹に、新年度から新たに動き出しているプロジェクトもいくつかあり。そのこと自体、とても喜ばしいことなのだけど、忙しさは増していく。そして「できない自分」が積み重なっていく。
これは「なにもできていない」わけではなく。できる限りのことはしている。それで十分だという声もある。けれど、そんなレベルは求めていない。もっと違うところに、理想の状態はある。そう考えてしまうからこそ、「できない自分」が目についてしまう。という状況に陥ってしまう。とてもよくない。
けれど、さすがにというか、こうも(主観的にみて)できていない状態が続くと、認めざるを得ない。自分には向いていないことや、自分がやらない方がいいこと、つまり「できないこと」が、たくさんあるということ。それは、能力の問題だけではなく、自分の置かれた立場や、周りとの関係性、環境要因も含めて、いまはできないことだということ。それを受け入れなければ、前には進めないということ。
すると不思議なもので、できない自分を受け入れることができ始めると、少しずつ、誰かを頼るという選択肢が見えてくる。この「誰かを頼る」ということが、なぜか本当にずっと苦手だったのだけど、ここにきてようやく、克服できそうな気がしてきた。エースを失った時のルフィのような、自分の無力さを受け入れることで、自分には仲間がいると改めて気づけるような、そんな感覚。
歳を重ねることで、だんだん柔らかく、優しくなれる人がいる。
そんな人の魅力を感じながら、その魅力って、いったいどこからくるのだろうと考えたこともあった。そしていま気づいたのは、その柔らかさ、優しさはきっと、「できない自分」を受け入れることから始まっている。
僕もこれから、すこしずつ、できないことが増えていく予感がしている。
写真・文:三宅康太