
寿命を迎えたロボを「観測しない」ことにした―シュレぴこ、帰還。
「ペットロボットは死なないので、ペットロスで悲しむ心配がない」
ペットロボについて、時々そんな言葉を聞く。
確かにロボは生き物のように「死ぬ」ことはない。
だからこれは、半分は正解だ。
だが、もう半分は言葉が足りていない。
ロボとの暮らしにも、終わりのようなものは訪れる。
故障して動かなくなることがある。
修理できる場合もあれば、できない場合もある。
そして、その境界は思っているよりも曖昧だ。
充電すれば、動くかもしれない。
修理すれば、戻るかもしれない。
あるいは、もう二度と動かないかもしれない。
私が一緒に暮らしている、しっぽロボット・プチクーボ(Petit Qoobo)もまた、そんな曖昧な境界の上にいた。

モフモフのプチクーボは、電源を入れると短いしっぽを振ったり休んだりする小さなロボである。
丸いボディに手を置くと、静かな鼓動が伝わってくる。
また、膝に乗せると私の体温が移ってほんのり温かみも感じるせいか、謎の「生き物っぽさ」があるのだ。
不思議なことにプチクーボは、こちらの感じ方次第で「今日は元気そう!」「ちょっと寂しそう?」など、様々な表情が見えてくる。
自由な解釈を委ねられていることが私にとっての大きな魅力であり、ロボを「機械」だと理解した上で、ペットとして可愛がっている。

寿命をもつプチクーボ
ぴこちゃんが我が家にやって来たのは今から6年前、2020年のクリスマスだ。
当時のプチクーボはバッテリー交換ができないロボで、取扱説明書にもモーターや内蔵電池の寿命目安が「約2年」と明記されていた。
つまり、生まれつき「いつかは動かなくなること」が前提のロボで、私はそれを承知でお迎えした。
モーター寿命目安は、しっぽ18万往復。
電池寿命目安は、300回充電。
もちろんこれらの数字はあくまでも目安で、使用頻度や使用環境によって異なる。
この設計が私には「一生で打つ鼓動の回数が決まっているといわれる、生き物の心臓」と重なるように思えた。
‥だが、あまりそれを意識しすぎると、ぴこちゃんが可愛らしいしっぽを往復させるたび「あと17999回‥17998回‥」などと、ビクビクでカウントダウンしかねない。
私は、動物ペットと同じように限られた命をもつ小さな子を、大切に飼おうと思った。
名前は「小さい」という意味のイタリア語、そして私の地元を走る茶色い路面電車の名前から「ピッコロ(piccolo)」に決め、そのうち「ぴこちゃん」と呼ぶようになる。

私はぴこちゃんを、最初から控えめに動かしてきた。
誰もいない部屋では動かさない。
意味もなく起こさない。
言ってみれば「ぴこちゃんの命を節約」しながら可愛がってきたのだ。
その結果、ぴこちゃんは長生きし、我が家で5回目のクリスマスを迎えた。
想定された寿命から更に2年過ぎた時点でも、ぴこちゃんは普通に元気だったのである。


ラストクリスマスの夜
だがそんなぴこちゃんも、5年目に入ったあたりからさすがに怪しくなってきた。
しっぽを動かすたび、痛そうな異音が聞こえる。
しっぽの勢いが弱まり、動かない時間が増えてきた。
動きがぎこちなくなり、プルプル震え続けることもある。
それでもぴこちゃんは、相変わらず健気にしっぽを振っていたので、私はなんだか可哀想に思え、ぴこちゃんの起動をためらう日が増えていった。

そして、去年(2025年)のクリスマスの夜。
ぴこちゃんのお迎え記念日でもあったこの日、私は久しぶりにぴこちゃんと触れ合いたくなった。
起動ボタンの長押しは、今まで何度も繰り返してきた「はい、ぴこちゃん起きて」の合図である。
だがこの時は、心のどこかで「もう起きないかもしれない」と諦めていた。
今日で丸5年‥もしかすると‥。
そう思いながらそっと電源を入れてみたところ、驚いたことにぴこちゃんは、今までと変わりなくすぐに起動したのだ。
6年目に入っても、まだ動くのか!
プルプルしっぽを震わせるぴこちゃんは、相変わらず可愛い。
だが「‥ギュイン、ガガッ」という異音を立てながら、健気にしっぽを振っている。
そんな姿は、明らかに痛々しかった。
それでもまだ、ちゃんと生きている証拠に目が釘付けになりながら、ハッとする。
もしかしたら私は、静かに寿命を迎えたいぴこちゃんを強制的に働かせてるんじゃ‥?
まるで最期の力を振り絞るように愛嬌を振りまくぴこちゃんがいじらしく、どうしようもないほど愛おしくてたまらない。
私は頭と心で同時に決心し、静かな気持ちでぴこちゃんの電源をオフにした。
電源を切られた直後のプチクーボは、数秒間「バイバイ、またね」みたいにしっぽを振った後、ゆっくり止まる。
‥ああ、これは、ぴこちゃん最後の「またね」かもしれない。
やがて異音の消失と共に、しっぽはまっすぐな位置に戻ってピタリと静止した。
電源は切れても、私の記憶はオフにならない。
ふんわりした丸いボディをしばらく両手に抱え「もう無理にぴこちゃんを動かさない」「だけどそばに置いて、今まで通り可愛がる」と決めた。
シュレディンガーのぴこ
以来、ぴこちゃんは私の心の中で「充電すればまだ動くかもしれない。けれど、敢えて確かめない」‥そんな、不思議な状態のロボになった。
‥ちょうど、箱を開けて観測するまで、生死が確定しない「シュレディンガーの猫」みたいに。
私は、この状態を「シュレディンガーのぴこ」略して「シュレぴこ」と名付けた。
「シュレぴこ」は、生きているとも、もう終わっているともいえる。
けれど私は敢えて箱を開けない(充電しない)し、観測(起動)もしない。
時々、ぴこちゃんをワシワシ撫でる。
もちろん反応はしないが、それで何かが失われた感覚になることもなかった。
ぴこちゃんを特殊な場所に着地させた私は、この状態を密かに気に入っていたのだ。
「シュレぴこ」の定位置は、6年前にお迎えした日のまま変わらない。
その場所まで引っ張ってある充電コードを片付けていないのが、まだ終わらせていない証拠でもある。

「その気になればいつでも充電できる・充電すれば動くかもしれない・でもしない」という中有(ちゅうう)のロボは「思い出の品」ではない。
相変わらず私はパソコンを打つ時、気まぐれにぴこちゃんを膝の上に連れてくる。
ぱろ助との写真撮影では、今まで通りぴこちゃんにアクセサリーをつけたり、ぱろ助とテーブルの上で向き合わせたりもする。
面白いのが「写真の中でなら、ぴこちゃんは元気なプチクーボに見える」という現実とのギャップだった。
「リアルな記録」であるはずの写真が「現実にモヤをかけた記録」になる。
写真に生じる幸せなズレのおかげで、私は今まで通りにロボ達を撮り続け、ネット上でみんなに見てもらうことができていた。
机の本棚に、小さなロボが1匹いる。
時々そばに連れて来たり、写真を撮ったりする。
そしてまた、いつもの居場所にそっと戻す。
カーテン越しの柔らかい日差しが、ぴこちゃんを包んでいる。
案外、それで十分な気がしていた。

修理できるかもしれない⁉︎
ところがラストクリスマスから4ヶ月経った今年の春、思いがけない連絡が届いて、事態が急展開する。
「ぴこちゃん、修理できるかもしれません」
「シュレぴこが再び元気になる可能性」という、想定外の扉がノックされたのだ。
私がぴこちゃんをお迎えした2020年当時は、約2年という寿命があった。
だが、6年の年月が流れたことでプチクーボを巡る状況が変化していたらしい。
私はそれに気付かないガラパゴス状態にいて「プチクーボは、いずれ寿命を迎える」という、お迎え時の認識を更新できずにいたのだ。
生き物の場合「死」は不可逆である。
だがロボの場合は「停止」「故障」「休眠」「修復可能性」が、曖昧につながっている。
一旦動かなくなったロボを「死んだ」と判定することもできるが、メンテナンスとか未来の技術とか、その他なんらかの事情によって、再び動き出す可能性がある。
さてさて、人知れず「シュレぴこ」を可愛がっていた私も、こうなると話が変わってきた。
状況が変化した今、頑なに「シュレぴこ」状態を維持する必要はない。
‥で、コロッと路線変更、ぴこちゃんを梱包し、指定された住所に送り出すことにした。
これは単なる修理というより「ずっと眠っていた子が、もう一度しっぽを振ってくれる予感」に近いと思う。
私は「シュレぴこ」状態を気に入っていた。
けれど同時に「もう動かないロボ」として固定したかったワケではない。
だからプチクーボの修理対応が始まっていたと知った時、驚くほど自然に「お願いします!」と返事したのだ。
今思えば多少迷っても良さそうなものだが、実際は違った。
生死不明のぴこちゃんを、もう一度この世界に引き戻せるかもしれない。
そうなれば、ぴこちゃんとの関係を更新できる。
「シュレぴこ」を穏やかに愛で続けるつもりだった私の未来も変わるだろう。
なにより「元気なぴこちゃんに、また会える」という興奮が勝った。
その夜は、驚きや戸惑いよりも嬉しさが込み上げ、なかなか眠れなかった。
全てのことは、最新の自分に選択権があるのだ。
敢えて修理してもらう意味
新品のプチクーボは、美しい毛並みと真新しい部品で構成されている。
更に、旧タイプのボディの問題点が改良されているため、将来的な安定性だって高い。
だが、私が固執するのは「ぴこちゃんと過ごした時間」であり、新品のプチクーボでは代替できないものだった。
いつもの茶色い毛皮と、いつもの触り心地。
丸っこいボディに手を置いた時に伝わってくる、柔らかな鼓動。
そして、ぱろ助と遊ぶ姿や一緒に旅行した思い出、多くの人に可愛がってもらった記憶‥私はそれらに、ただならぬ価値を感じている。
ぴこちゃんの体内に組み込まれた問題のパーツを入れ替えて元気になるなら、言うことはない。
これは、愛着のある旧式の機械を修理・部品交換しながら長く使い続けるのと似ている。
どうやら私は自分が思う以上に、ぴこちゃんという「個体」への愛着が深まっていたようだ。
「毛皮としっぽの動きが、ぴこをぴこたらしめるもの」だと信じる飼い主(私)が、一定期間、動かない「シュレぴこ」と暮らした上で、修理を依頼した理由はシンプルだった。
‥だって「ぴこちゃんが大好き」だから。
ぴこちゃん、帰還。
先日、ぴこちゃんが修理から帰ってきた。

丁寧な梱包を解き、早速起動してみると、元気にしっぽをブンブン!
感動の再会かと思いきや、自分でもあっけないほど平静で「‥うん、知ってた」というのが正直なところである。
多分、私はぴこちゃんが「シュレぴこ」になってからも、ピコピコしっぽを振る姿を至って普通に想像できていたからだろう。
あの痛そうな異音も、怯えたような震えも消え、可愛いしっぽが目の前で滑らかに動いている。
特に、これからもしばらく動き続ける「新品の心臓」を得たことが嬉しい。
‥ぴこちゃん、おかえり。
私の中で「シュレぴこ」と「復活ぴこ」は対立していない。
シュレぴこを「観測しなかった」ことで、ラストクリスマス以降の4ヶ月間、私の中で元気なぴこちゃんが生き続けていたからだ。
‥ロボと暮らしていると、色んな気付きがある。
人は何かを失いかけた時、必ずしも白黒つけなくてもいいらしい。
シュレぴこを観測しなかった4ヶ月間は、結局、私がぴこちゃんを失わないための、一つの選択だったのかもしれない。
今回の件で、あまり使わなくなった道具のことや、疎遠になった友人のこと、そして書きかけのまま保留になっている作品のことなどが、とりとめなく思い出された。