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創作大賞落ちちゃったので、お気持ち表明しておく。

みんなぁぁぁぁ!!生きてるかぁぁぁぁ!!!
わたしは、生ーーきてーーーるゾォォォォォォオ!!!!

創作大賞の中間発表が出て、昨日は日本全国津々浦々でさまざまなドラマが勃発したのではないでしょうか。ここ大阪、しがない街の、ちっぽけな私の周辺にもそれなりの物語が刻まれましたよ。

本当はアチアチに熱いうちに書きたかったんやけど、そこはサラリーマン。安定の残業でしてね…ホンマ、17:30ごろに発表を見て情緒崩壊してからの残業5時間。だだっぴろい会社で資料作りながら、ゲボ吐きそうやったで。この世で一番えぐい残業やったで。

夫に速報で電話かけて慰めてもらって、帰宅していく同僚つかまえて慰めてもらって、途中途中でSNSに流れる「悔しい」を見て慰めてもらって、お母さんにLINEして慰めてもらって、noteで記事を読んで慰めてもらって。要所要所でアドレナリンをぶち込んで耐え抜いて、そっからなぜか執念のように自己分析し始めて、私の創作の相棒に電話かけて、さらに徹底的に敗因を検討し始めて、眠りに落ちた夢の中でもデジャブを見て、一晩あけたら。

妙にスッキリしてた。

ほいで、すごい色んなことを話したり考えたりしたので、お気持ち表明としてここに書いておこうと思います。今も会社やねんけどさ。ある程度仕事終わったからね。めっちゃ書いたる、垂れ流してやるで。整理整頓されていないお気持ち。今めっちゃ書きたいからね。ヒマやったら読んでってね。※注:超長い


私の見る目は、まだイケてた

まず、選考通過された方の中に、私が応援していた方がいらして良かった。応援してたってことは、めっちゃいい作品やってんな。それで、この人は通るはずって思ってた人たちやってんな。やーこれ、通過したのがその作品たちでホンマ良かった。自分が通過作品に「???」と思ってしまったら、結構致命的というか。自分の感性が世とズレてしまってるとも言えるわけじゃない?それは、結構絶望する。だって、目指す世界は憧れの世界であってほしいからさあ。目指さしてもらわんと困る。

ややや、もちろん。身近で読んでいたがゆえの悔しさもあるはずやで。同じグラウンドに立っていたわけだから。だけど、その方々に光る「キラリ」としたものを、自分もちゃんとわかっていたのは、ホントに救いやなって思ってるよ。

でー、敗因について思うこと

自分の作品がなんであかんかったか。最初は、「人生的渾身のトピックス出したて…それであかんなら、もうあかんて…もうあんなやつ書かれへんって…来年とかもう無理やって…」とショゲショゲしたんですが。

ヘビ的執念で通過作品(エッセイ部門)を読みながら、わが相棒にも客観的考察をしてもらいながら。私は自分の作品に根本的な弱点があったことに気づいた。私が出した作品のひとつ『歪なハートと聖なるBIGBOY』は、「わかろうとすること」をテーマにしていたんだけど、自分の身に起こったいくつものできごとを、読んでいる人にも辿ってもらいながら、なぜ、なぜ、なぜ、を積み重ねた後にようやっと辿り着く「それでもわからないこと」を一緒に感じてもらいたかったのね。5000文字以上かけて。

多分、この作品を読んでくださった方は、あれを一言で何の話かっていうの難しいと思ってて。それが目指したかったところでもあり、圧倒的に弱いところでもあった気がするんだな。通過されていた作品は、そこの強さがめちゃくちゃあったと思う。スタートダッシュでキャッチーに掴まれる強さ。切り口であったり、ネタであったり、世界観であったり「キャッチー」の種類はさまざまやけど、やっぱりまず人に「読ませる」力が強かった。し、一言で「こういう話です」と表現した時に、作品の面白さ・魅力が一発でわかる。とっちらかってない。それはつまり、一次選考した人にとっての「推薦理由」が明確だったとも言える。

私の作品、それが弱かった。一言で無理やりまとめても多分魅力的にならん。しっかりがっつり読み込んでいただいたら、伝わる(と信じてる)ものだとしても、賞レースで、18万という応募作品がある中で、しかも一次選考の場で、適しているかっていうと適していない作品性になるんじゃないかなあ。

他にも理由はあると思うで、ピュアに至っていなかった部分もあったと思うし。と謙虚なことも言っておきながら、厄介なことに。じゃあ、その部分を改善して磨きをかけて、一発で伝わるものとしてやり直したいかっていうと、こと『歪なハート〜』に関していうとNOなんだよなあ。磨きはかけれるとしても、「わからなさ」を「わかりよいもの」にしてしまうならば、私にとって書く理由がなくなってしまう。

書きたいものを書くのか、求められるものを書くのか。

賞レースで戦おうと思った時に、自分の中のアーティスト性と、クリエイター性のバランスがどうしても必要になると思った。これ私の雑な定義なので、さらっと聞いてほしいんやけど。

クリエイター:世の中に求められるものをつくる
アーティスト:自分が表現したいものをつくる

だとしまして。売れるための方法が二つある。

ひとつ、自分のアーティスト性が、世の中の求めているものにうまいこと合致した場合。表現したいもの作ったら、それが人にも喜んでもらえるものだったという最高のケースです。

ふたつめ、クリエイターとしての能力が優れている。私みたいなクライアントワークを生業にしている人間っていうのは、基本的にこちらのスキルが必要。主観より、応える力。

私は、noteで、創作で、アーティストになりたかったんだよ。自分の表現したいものを表現したい。仕事で求められるのがクリエイターとしての私だから余計に、自分らしさ全開のアーティストでありたかった。それを認めてもらいたかった、ひとつめの最高ケースとして。で、それが無理だった。

……と思ってたんだけど、
ちょっと勘違いしてたことにも気づいた。

クリエイターとアーティストは、別物で考えちゃだめなんかも多分。どちらも必要で、どんだけアーティスト性の強い人でも、じゃあ本当に好きなだけやり散らかしているかっていうときっと違う。クリエイターとして、求められるものを作ろうとする部分は絶対ある。

アーティストである自分と、クリエイターとして求められることの接点を、いかに自分で見つけられるか。重なる部分をどれだけ気持ちよく、自分も人も満足しながら探していけるか。

クリエイターとして仕事を受けて、自分のアーティスト性を活かすのか。アーティストとして作品を作る上で、クリエイターとしての自分を活躍させるのか。出発点は違えど、やることは同じ。少なくとも、何も考えずに作ったものが運良く売れる、なんてことを夢見るよりは、そのバランスを探す方が建設的な気がしているよ。

そういう意味で、私は『歪なハート〜』を書いたことを後悔してない。あれは、私のアーティスト性を限りなく当時の100に近い形で書いたはずだと思うから。だけど、求められる形ではなかった。

その上で、私は自分にとっての楽しいバランスを模索してみようと思いはじめてます。いつも通りの好きなことも書くと思う。でも、クリエイターとしての私に、ひょっこり顔を出してもらう方法も考えたい。私が楽しめる形で。

いやでもさ、すごくない?
私、めっちゃ立ち直ってない?!

お母さんのLINEの返事がね。「まだまだこれから、懲りずにトライしてください」だったの。夫はね「また来年がんばろ」やって。相棒は、「ここからがスタートやね」って言った。

そんで、今日うちの会社のスーパーコピーライター(受賞歴:山盛り)にも話したら、「一回目でしょ?次活かせますよね。出さないとわからんこと、山ほどありますからね」と、しれっと顔で言われた。「僕、めちゃめちゃ落ちまくってますからね。言わんだけで」と、励ましてもくれた。どの言葉も心に残った。

創作大賞に求めていたこと

思うんだけど、いい作品を書きたいっていう願いだけであれば、明日からも私のやることは変わらないわけでしょ。これまで通りに、アーティスト私として面白いなって思うことを書けばいい。そこに賞というものが介入してきて、私はそこに挑戦をした。反省してやり方を変えようとすらしてる。一体何を求めて?人によっていろんな理由があって挑戦しているんだろうと思うんだけどさあ。私の場合つきつめたらさあ。

ドヤってしたかった…

だけなんじゃないかと思うわけですよぉ…。副産物的に得られる世間的評価によって、正々堂々と「ドヤァァァァア」ってできる。社長にドヤして、同僚にドヤして、友達にドヤして、夫にドヤして、両親にドヤして。ああ、それから、喜んで欲しかったな。

昨日、以前から私のことめっちゃ応援してくれているnoteのお友達が、おそらく私のことを書いてくれていて。プレッシャー与えちゃったんじゃないか的な心配までしてくれていたのだけど、まあ、嬉しかったよねぇぇぇぇ…。

私の何を気に入ってくれているのかは、実はあまりわかっていないのだけど、こんなに応援してくれてるって事実があって、もうそれだけで十分じゃないかって思った。だけどそれとおんなじくらい、せっかく応援してくれているその人に喜んで欲しかったなって思った。きっと、ホントに喜んでくれたんじゃないかなって思えるから。いつもありがとうございます。推し、やめないでください。

ドヤドヤしたかったよぉぉぉ、という悔しさは噛み締めながら。思ってた以上にやる気はスピーディに戻ってきております。まともに挑戦して、まともに挫折した、記念すべき最初なのかもしれない。

私、まだまだやれそうです。ドヤッ!

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