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恐怖の長野マラソン

    せっかくだし、長野マラソンでも走るか!と昨年10月にエントリーをした。
    フルマラソンエントリーにおいてありがたく、かつ憎いところは、まだ時間があるからきちんと練習を積めば当日までには走れるようになるだろうという、楽観的な見立てでエントリーできてしまう点である。そして月日は風のごとく過ぎさり、気づいたら大会まで残り1ヶ月を切っている、なんてことはざらにある。というか、そうであった試ししかない。以前東京マラソンに出場した際は、肉体改造が間に合うはずのない大会前日、代わりに銀座のCWXに駆け込んでスポーツタイツやらなんやらに重課金し、スポーツ科学に支えられてなんとか完走した。

    しかし今回はそんな付け焼き刃は通用しない。東京マラソンの制限時間は7時間だが、長野マラソンは5時間なのだ。全国的にみてもかなり厳しい設定。鬼大会。私の自己ベストは5時間15分、ちなみに10年前である。しかも直近の記録は5時間35分。とにかく、スポーツ科学の力だけではカバーしきれないのは明白である。

    私は追い込まれてこそ強いのだ。
    制限時間5時間をモチベーションにすればさすがの私も4月の本番に向けて計画的にトレーニングをこなせるだろう。
    しかし、大きな誤算があった。それは長野に移住して初めての冬。長野の冬は、寒いのである。
    走ったら血液が凍ると思った。だからずっと家にこもっていた。結局色々と言い訳をして、1月と3月に参加した東京のハーフマラソン大会以外はまったく走らなかった。今まででいちばん走り込まずに大会当日を迎えることになる。

    曇りだったものの、朝から既に日差しは強い。今日の最高気温は24℃近くになりそうだ。いちばん後ろのLブロックでスタートを待ちながら、私のスタンスは「ここに来ただけでえらい。走れるところまで走って楽しい思い出にしよう。関門にひっかかるのもいい経験だ」に定まった。スペシャルゲストの高橋尚子さんも開会式で言っていた。「この大会にエントリーしてるだけで皆さんはすごい」と。「絶対に皆さんが帰ってくるのを待ってますから」と激励してくれたときは、本当に素敵な人だなと思った。恐らく私はゴールには辿り着けませんが、Qちゃんに会えただけで満足です。

    号砲が鳴り響いた。マラソンのスタートはいつだって緊張と高揚とともにある。Qちゃんに手を振り、生演奏に心を奮い立たせると、すぐに満開のハナミズキが迎えてくれた。
    何よりも驚いたのは、沿道の応援がずっと続いていることである。正直、東京マラソンに比べて寂しい大会を想像していたけれど、全然そんなことなかった。東京マラソンは確かに沿道に人は多いが、たまたま通りがかっただけの人も当然多い。しかしここは車社会の長野。普段は歩いている人がほとんどいないであろう道に、この日はどこまでも人が連なっている。皆、応援という確かな目的をもってそこにいるのである。母数自体は少ないかもしれないけど、全員から心からの応援を浴びて走るのはとても濃密な幸せだった。空間のすべてが、長野マラソンだった。

    さらに、飽きることない素晴らしいコースにも感動することになる。善光寺前の石畳を走りゆくランナーたちを坂の上から望むのは圧巻の光景。そして堤防から見渡す広大な千曲川や残雪の北アルプス、土の匂いがする春の田園、日陰をくれる恵みの新緑。長野の自然は美しい。加えて、残酷な上り坂がないことも大事な魅力ポイントだ。

    エイドステーションにも救われた。私はずっとランナーの後方を走っていたけれど、食べ物も飲み物もちゃんと豊富に残っていて大会運営からの愛情を感じた。
    給水係をはじめ、大会を通して地元中高生の姿も多く、本当に元気をもらえた。学校や部活単位でボランティアや応援を命じられた子もいるだろうに、ちゃんと精一杯声をかけてくれる。お調子者男子のひょうきんなエールに、ランナーたちの顔も綻んでいた。
    ただ今回わかったのは、学生の声援にはどこか他人事の雰囲気があり、大人からの応援には一種の切実さが感じられるということ。それは学生らに少しも非はなく、当然のことである。成長期の君たちがフルマラソンの魅力とつらさを経験するには早すぎるし、理解する必要性もたぶんない。それでも、それなのに、大会とランナーを支えてくれたことに深い感謝と敬意を。きっと彼らの中の何人かは、いつの日かランナーとして長野マラソンに参加するだろう。そんな子が1人でも増えることを願っているが、その割にあまりにもつらそうな顔を見せてしまったことは反省点である。

    長野マラソンに魅了されながら35km地点まで来た。30kmまでには収容関門にひっかかる予想だったけど、なんとかここまで来れた。
    ただし20.8km地点の第4関門からギリギリの攻防は続いていた。おおよそ5km間隔で設定されている関門だが、毎回1km手前あたりから、スタッフの方々が「まだ間に合うよ!」「この先はもっと沿道に人が増えるからそこまでがんばって!」と愛ある激励をくれるのだ。そんなこと言われたら力を振り絞りたくなるじゃないか。しかし問題は、「次の関門は12時15分だよ!」と時間を親切に教えてくれるのだが、年末に買ったばかりのガーミン、ランニング用の画面に時刻表示がない。恐らくどこかを触ればすぐ表示されるのだろうが、ペース管理が命のこの戦い、ちょっとでも計測を崩してしまったら終わりである。次の関門まで残された時間も距離もあと少しという情報だけを頼りに、なんとかペースをあげてみるが、どれだけ頑張れば間に合うかもわからない。身体的にも精神的にも心臓に負荷がかかり苦しい。そんな感じで毎回労力をかけて関門を通過してきたこともあり、35km地点でもう、私はヘロヘロなのである。
    でも残り7km。あと少しと言うには長すぎるが、途方もない距離でもない。しかしフルマラソンの本当の厳しさはここからであることも事実。それでも一歩ずつ積み上げてきた35kmを思うと、欲が生まれる。完走したい。

    今のところ足はどうにか動くが、大きな問題が残っている。制限時間に間に合うのか。走りながらペース配分を計算するための酸素と糖分は残されていない。そもそも次の関門がいつ、どこなのかも把握していない。

    このペースで大丈夫なのだろうかと不安を抱えながらも走り続けていたら、40km近くで悪魔のような救世主、いや、悪魔のような鬼が後ろからやってきて私たちに声をかけた。
    「この車に抜かされたら間に合いません」
    制限時間に間に合わないランナーをあぶり出すための大会運営車である。
    自分でペース配分を考えなくていい代わりに、車と私の恐怖のデスゲームが始まった。すぐそこに車が迫っていることは確実だったが、1回も後ろを振り返ることはできなかった。車と目が合えば最後、あっという間にのみこまれる気がした。後ろを振り返っても車との距離が広がるわけでもないし、私がやるべきことは少しでも早く前に進むことである。しかしさらなる追い討ちがかかる。
    「この車は予定よりも1分遅れて走行しています。ランナーの皆さんはもっと前を走ってください」
    怖い、怖い、苦しい。怖い、苦しい、怖い。
    息を吐くたびに苦しさと恐怖の混ざった悲鳴のような声をあげながら、必死に手と足を動かした。身体が重い。でもやっぱり何より怖い。捕まりたくない。
    どこからか「あそこの角を曲がったらセーフだから!」という声が聞こえてくる。100mほど先に曲がっていくランナーたちの姿が見えた。前には地獄の出口、後ろには容赦のない鬼。あと少し。あと少し。

    それは私の人生史上、最も思い出に残る左折とななった。よかった、よかった、逃げ切った。私はもう、完走できる。

    車道から南長野運動公園の敷地内に入り、搬入口を抜けると、オリンピックスタジアムに縁取られた青空が広がる。大会Tシャツと同じ澄んだ水色だった。
    そしてグラウンドでQちゃんが迎えてくれた。本当に待っててくれたんだ。恐怖からの開放感と達成感と感謝、万感の思いをQちゃんとのハイタッチに込めてから、最後の直線を走り切って両手をあげてゴールした。

    ろくに練習もしていないのに自己ベスト更新は少し複雑な思いもあるが、どんなかたちであれ、完走できたことがとんでもなく嬉しい。恐怖の力がなければ絶対に無理だった。
    やっぱり、私は追い込まれてからが強いのだ。

    それにしても本当に怖かった。素晴らしい景色を沢山見たはずなのに、あの日を振り返って最初に思い浮かぶのは車に追いかけられたアスファルトである。
    それから、きらきらと思い出す。
    車から拡声器で私たちを追い立てる声に「なんとか完走してほしい」という優しさがあったこと。暑さもつらさも共有したランナーたちの後ろ姿。一日中支えてくれた運営とボランティアの皆さんの心意気。途切れることのない、沿道の応援。

    走るには少し強すぎる春の光を浴びた信濃路の42.195km。私は1秒だって1人じゃなかった。

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