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〈玔文孊の粋〉であった  葛西善蔵 『子を぀れお』

    幎間読曞人

    曞評葛西善蔵『子を぀れお』岩波文庫

    こんにち「玔文孊」ずいう蚀葉は、ほずんど死語ず化しおいるから、「玔文孊」ずいう蚀葉の意味を、あらためお考えるみる人もほずんどいないだろうが、「玔文孊」ずは、芁は「玔粋な文孊」ずいう意味であり、どういう点で「玔粋」なのかず蚀えば、それは「芞術」ずしお「玔粋」だずいうこずである。
    では「芞術ずしお玔粋である」ずは、どういうこずを意味するのか。それは「俗受けをねらわない」ずいうこずであり、その意味で「芞術のための芞術衚珟」であろうずする、芞術䜜品だずいうこずである。そしお、これを蚀い倉えるなら「読者のための䜜品商品ずしおの嚯楜提䟛䜜品」ではなく、「䜜者の芞術的自己衚珟ずしおの䜜品芞術䜜品」ずいう意味なのである。
    ぀たり、今の「文孊」䜜品は、パヌセント「玔文孊」ではないのだ。

    むろん「玔文孊」が「偉い」ず蚀うのではない。だが、圓然のこずながら、こうした「芞術衚珟」は、存続すべきだし曞かれるべきだ。商品にならなくおも、他人に顧みられなくおも、ずにかく「曞きたいこずを曞く」ずいう姿勢は、衚珟の根幹に䜍眮するものであり、それが倱われおしたっおは、衚珟は確実に枯枇しおいくこずだろう。

    しかし、圓然のこずながら、珟代の資本䞻矩瀟䌚においおは、「玔粋芞術」ずしおの「玔文孊」は、きわめお分が悪い。䞖間の人々は「読たれおナンボだろう」ず圓たり前のように蚀うし、さらには「商品ずしお売れおナンボだろう」ずたで蚀っおも、決しおそれを怪しんだりはしない。それが、珟代なのである。

    そんな、ほずんど「化石」のごずき存圚ず化した「玔文孊」のなかでも、か぀おの日本においお「最も玔文孊らしい玔文孊」ず考えられたのが、「私小説」だった。
    これは「䜜為䜜り事」を排しお、「私」の䞭にあるものを、あるものだけで「玔粋」に描こうずしたからであろう。「䞍玔物れロの文孊」が「私小説」だず、日本では、そう考えられたのだ。

    そしおさらに「最も玔文孊らしい玔文孊ずしおの私小説」のなかでも、「最も私小説らしい私小説」ずは、この葛西善蔵が曞いたような「貧乏ず酒ず女に明け暮れる、䞻人公の自堕萜な生掻」を描いた「私小説」だった。

    なぜ、そんな「パタヌン」が「最も私小説らしい私小説」ず考えられたのかず蚀えば、それは倚分、それが「虚食を排陀した、裞圢の人間の姿」に近いものだず考えられたからだろう。
    「富貎であるこずは人間を食らせお、その本性を芋倱わせ隠蔜する」「酒は、人の本性をむき出しにさせる」「女恋愛は、男人間の本質的察象である」ずいった偎面があるので、「貧乏ず酒ず女に明け暮れる、䞻人公の自堕萜な生掻」こそが「人間を描く」ずいう「玔文孊」の目的に、最も合臎しおいるず考えられたのであろうもちろん、文壇人のすべおが、そう考えたわけではないが。

    そしお、そうした「文孊理解」は必ずしも「昔話」ではなく、今でもそうした「珟実」が、完党に無くなったわけではない。だからこそ「私小説」を求める人は䞀定数いるし、車谷長吉や西村賢倪ずいった、自芚的か぀戊略的なアナクロニズムの「私小説䜜家」が登堎したりもする。
    しかし、「文孊」を需芁局の珟実からすれば、そういう「人間芳」は「もはや叀くなった」ずいう事実も、吊定できないのではないだろうか。

    車谷長吉や西村賢倪のような「䞀郚゚リヌトのための䞀郚趣味人のための私小説䜜家」愛奜の話は別にしお、もはや、この珟代瀟䌚においおは、「豊か」であるこずが「人間性」を隠蔜するずは限らないし、「酒」が「人間性」の珟実を開瀺するずもかぎらない。「恋愛」は、今でも人気のテヌマだが、それが「リアル」なものずしお描かれるずは限らないし、「自堕萜な生掻」が倚分に「挔技的なもの」でないずいう保蚌など、どこにもない。
    ぀たり、もはや「私小説」が、「玔文孊」になるずは限らないのである。

    そしお、そんな珟代に生きる私たちからすれば、葛西善蔵の小説は、かえっお䞀皮「理解しがたいもの」に感じられる。「なんでわざわざこんな生掻をしお、こんなものを曞いたのか」。いや「なんでこんなものを曞くために、こんな生掻を奜んで実行したのか」。

    しかし、その答はハッキリしおいる。圌らは「本物」が描きたかったのだ。それを描いたものこそが「芞術」であり「文孊」であり、それだけが「呜を賭するに倀するもの」だず信じられたから、圌らはこのようなものを曞くために、自分の生涯を賭けるこずができたのだ。

    それを「文孊信仰」あるいは「芞術信仰」ず呌んでも、けっしお間違いではないだろう。
    しかし、そうした「信仰」を倱ったずき、蚀い倉えれば「高みを目指す意志」を倱ったずき、文孊は「効率的に嚯楜を提䟛する商品」に堕しおしたうだろう。それは「癟円ショップ」の商品のように「安くお、それでも結構いい品」であるかもしれない。だが、そこにあるのは、ひたすら「消費財」であっお、そこから「生たれおくるもの」は、ほずんどないのではないだろうか。

    私個人は、葛西善蔵の私小説が、それほど面癜いずは思わない。しかし、自身の人生を賭し、呚囲の人を䞍幞にしおたでも、「文孊の高み」を信じた䜜家たちを、私は「愚かだ」ず思う反面、矚たしくも愛おしくも思うのである。

    初出2020幎6月27日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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