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広田照幞 ç·š 『歎史ずしおの日教組』  日教組をめぐる〈幻想ず珟実〉

    幎間読曞人

    曞評広田照幞線『歎史ずしおの日教組』名叀屋倧孊出版䌚

    「日教組」ずいうものに、極端な「幻想」を抱いおいる人が少なくない。

    それはそうだ。嘘くさい「平和䞻矩」や「倧衆䞻矩」を掲げる「巊翌」なのだから、じ぀は「反囜家的なむデオロギヌ」に染たった「狂信者」が倚いに違いない 䞀䞀ず、そう思い蟌たされるのは、「陰謀論」的通俗ドラマが倧奜きな「倧衆」の垞。なにしろ「囜家」は、囜家䜓制に批刀的である「巊翌」に぀いおは、倧衆向けプロパガンダをおさおさ怠るこずはないからである。

    ぀たり、瀟䌚䞻矩囜家でもないかぎり、「巊翌」に察する吊定的プロパガンダ政治的宣䌝を行なわない囜はないのであっお、そういうなかに生たれ育った人の倚くは、葬匏だの先祖䟛逊だのずいった宗教儀瀌を疑わないのず同様、「巊翌」ずいうのは「普通ではない人たち」だずいう通俗芳念に、無自芚に捕われがちなのである。

    しかし「孊校の先生」も、所詮は「ただの人」でしかない。
    「孊校の先生」を「聖人君子」だず信じこんでしたうような心理的な「倩䜿化」も、「孊校の先生」を「危険な砎壊思想の持ち䞻」だず信じおしたう心理的な「悪魔化」も、ずもに評䟡の珟実的バランスを欠いた「偏芋」にすぎない。

    圓たり前の話だが、「孊校の先生」にも、皀に「聖人君子」もいれば、皀に「危険思想の持ち䞻悪魔」もいる。
    だが、だからず蚀っお、䞀事が䞇事で「孊校の先生」が総じお「聖人君子」だずか「危険思想の持ち䞻悪魔」だなどずいう「非垞識な印象偏芋」を持ち、そうした「自己の偏芋」を客芳芖できないなら、その人こそが、じ぀は「むデオロギヌずいう悪魔」に憑かれた人なのである。

    本曞の著者も蚀うずおり、人間の組織である「日教組」も、その長い歎史のなかで数々の「功眪」を重ねおきた。だが、その䞡面を知る人は、ほずんどいない。
    関係者は、自分の立堎から「日教組」を肯定したり吊定したりしがちだし、たしお、これたで研究らしい研究のなされおこなかった「日教組」に぀いお、情報を持たない䞀般の第䞉者が「正しい刀断」などできようはずもないのは、理の圓然であろう。

    しかしながら、しばしば人は、自分が専門的知識を持぀わけでもないこず察象に぀いおも、「䞀蚀居士」のごずく、それなりの「むメヌゞ偏芋」だけは持っおいお、たずえ専門家による新しい研究成果が出おこようず、自身の「偏芋」に埓い、その「偏芋」を枩存する方向で、そうした研究を、肯定的に評䟡したり、吊定的に評䟡したりしがちである。
    特に、なたじ自分が賢いず思い䞊がっおいる人は、個人習慣的な「印象論」で、察象を断蚀的に吊定したりしがちなのだ。

    䟋えば「オりム真理教信者」ず蚀うず、「宗教テロリスト」だずいう「偏芋」を持っおいる人が少なくないはずだが、しかし、そのような評䟡に圓お嵌たるのは「オりム真理教信者のごく䞀郚」でしかなく、倧半の「信者」は、他宗掟にいくらでもいる、単なる「劄信者」にすぎない。
    ただ、あの「地䞋鉄サリン事件」の実行犯ずなった、䞀郚の幹郚信者の「印象」が匷いから、「オりム真理教の信者宗教テロリスト」などずいう、誀ったむメヌゞずしおの「偏芋」を持っおしたいがちなのである。
    キリスト教や神道の歎史を匕くたでもないこずだが、あらゆる宗教宗掟の熱心な信者は、倚かれ少なかれ同様の危険性を持っおいる。なぜなら、圌らの理想は、たいがい「反䞖俗的」で「超人間的」なものだからだ

    したがっお、「日教組の先生」ずいうず「目を吊り䞊がらせた、巊翌むデオロギヌ信者」だずいう「印象」を持っおいる人は、「オりム真理教の信者宗教テロリスト」ずいう「偏芋」を持っおいる人たちず同レベルの、「通俗的印象論」者でしかない。

    圓然のこずながら、「孊校の先生」にも色々いお、「穏健な人」もいれば、「過激な改革論者」もいるし「凡庞な暩嚁䞻矩的保守䞻矩者」もいる。あるいは、「ノンポリ」であるばかりか、教育に察する熱意さえもない「サラリヌマン教垫」も少なくないはずだ。
    いや、むしろ私は「孊校の先生」も「ただの人」なんだから、倧半は「熱意も信念もほずんど持たないサラリヌマン教垫」なんじゃないかず疑っおさえいるし、それはそれで、ある皋床は「仕方がない」ず思っおいる。なにしろ「人間だもの」、できれば遊んで暮らしたいのである。

    「孊校の先生」に察し「過剰な期埅」を抌し぀け、「聖人君子」であるこずを匷芁できるほど、私たちは「孊校の先生」に絊料を払っおはいない。それなのに、「教垫は聖職である」ずいうカビの生えたような「タテマ゚」を持ち出しお、「ただの人」である「孊校の先生」党員に「聖人君子」であるこずを芁求するのは、欺瞞的なこずだし、そもそも厚かたしすぎる。

    なのに、「過剰な教垫像」を担いで回りたがる人が少なくないのは、なぜか
    䞀䞀それは、その方が「郜合がいい」からである。

    「孊校の先生」が「聖人君子」であっおくれたら、子䟛を預ける芪ずしおは、こんなにありがたいこずはない。安い絊料で「他人の子䟛」のために、自分の家族や生掻を犠牲にしおたで、頑匵っおくれるはず、だからだ。

    同様に、「日教組の先生」が「危険思想の持ち䞻悪魔」であっおくれたら、「先生は自分の生掻のために劎働運動などするな」ずか「政治向きの発蚀などせず、囜家が求める埓順で圹に立぀囜民の補造に専念せよ」などずいう「人暩無芖」の呜什しおも、なにしろ盞手は「悪魔」なんだから、こちらの方が「正しい」ような䜓裁を繕うこずができお、たいぞん奜郜合なのである。

    私が「日教組」ずいう蚀葉を初めお意識したのは、「新しい歎史教科曞を䜜る䌚」などがマスコミを賑わし、ネットでは「ネット右翌」を呌ばれる「匿名のネットむナゎ」が暎れたわりはじめた頃のこずである。
    圓時圌らは「日教組こそが、日本を傟けた元凶」「や぀らが子䟛たちに自虐史芳を教え、反日的な思想を怍え぀けたからこそ、日本人ずしおの誇りを持おない囜民が増えたのだ」などず蚀い぀のり「日教組は、ホンネでは暎力革呜をめざす極巊思想集団である」などず、なにやら確信ありげに繰りかえしおいた。

    しかし、私が小孊校から高校たでに接した先生で、そんな「目の吊り䞊がった教垫」は、䞀人もいなかった。
    高校の頃、矎術の先生が「日教組で、䌑みの日にビラ配りをしおいたらしい」ずいう「うわさ話」を耳にしたこずが䞀床あるだけで、その先生ですら、授業においおは「非垞に枩和で優しい先生」でしかなかった。

    だから、「ネット右翌」たちの描いおみせた「日教組の教垫」像ずいうのは、「どこかに、そういう先生もいるらしい」ずいう、じ぀に挠然たる話でしかなかった。
    きっず圌らは、ごくごく皀な「巊翌むデオロギヌに狂った教垫」に運悪く圓たっおしたい、個人的にひどい目に遭っおしたったものだから、その「恚み」がい぀たでも忘れられず、その「ごくごく皀な巊翌むデオロギヌに狂った教垫」に察する埩讐の「身代わり」ずしお、「日教組」ずいう看板を目の敵にしおいるのだろう、ずしか思えなかった。

    倧人の垞識からすれば「日教組」は、「ショッカヌ」でも「デストロン」でもないし、ほずんどの先生は「ただの人間」であっお、「怪人」などではないはずだからである。

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    そうした「垞識」を持っお本曞を読めば、「日教組」ずは、やはり「時代ず政治状況に翻匄された、ふ぀うの人たちの組織」でしかなかったずいうのが、ずおもよくわかるし、䞖間に流垃された狂信的な「日教組呪詛の蚀説」が、いかに「偏芋」に満ちたものでしかなかったかずいうのも、よくわかる。

    戊埌に蚭立された「日教組」は、GHQが圓初掲げおいた「リベラルな平和䞻矩民䞻䞻矩」を玠盎に信奉し、「右から巊たで、みんなで協力しお、教垫の生掻向䞊ず平和教育の実珟を目指そう」ず考えた、今から芋れば、非垞に「ナむヌブな理想䞻矩者戊埌民䞻䞻矩者」たちでしかなく、右翌や保守が描いたような「暎力革呜を信奉する、過激な巊翌テロリストであり、その逊成者」などではなかった。

    もちろん、「巊右を取り揃えた組織」の䞭には、「巊右の䞡極」ずいう「特別に目立぀、少数の人たち」もいただろうが、そのほずんどは、むしろ「ヌルい集団䞻矩者」だった。
    だからこそ、東西冷戊䜓制をうけおGHQが方向を転換するず、「日教組」は、埓来の「リベラルな平和䞻矩」を守ろうず行動し、高床経枈成長の埌には、劎働運動の䞀角をなす存圚ずしおストなどにも参加し、時代ずずもに劎働運動が退朮しおいくず、組織を守るために運動方針の転換をし、文郚省ずの歎史的和解をおこなっお、珟実的だが尖ったずころのない、面癜みのない組織になっおしたったのである。

    本曞は、このような「日教組の珟実玠顔」を、地道な研究によっお描き出した、非垞に玠晎らしい研究曞である。

    「むデオロギヌ的な図匏䞻矩」の掟手さは䞀切なく、地味な事実の掘り起こしず突き合わせによっお、「日教組」ずいう「人間集団」の、「さもあらん」ずいう姿をリアルに描いおみせた。
    「善か悪か」「敵か味方か」ずいった描き方をしおもらわないず「興奮できない」゚ンタメ読者向きではないけれども、「珟実っお、こんなもんだよな」ずいうこずの「重み」をしっかりず䌝えおくれる節実な研究曞ずしお、私は本曞に賛蟞を惜したない。

    「掟手な思想劇ずいう゚ンタヌティンメント」ではなく、その「先入芳に曇った目」を晎らしおくれる「普通の人々の、ありがちな歎史」ずいう「珟実」を知りたければ、ぜひずも本曞を手に取るべきである。
    そこにはたしかに、「普通の人々」の「圚りし日の息づかい」が感じられるはずだ。

    2021幎7月4日

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