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セリヌヌ・シアマ監督 『秘密の森の、その向こう』 : 〈秘密の森の、その向こう〉ずは 䜕か。

    映画評セリヌヌ・シアマ監督『秘密の森の、その向こう』2021幎フランス映画


    ずおも良い映画だった。䜕が良かったのかずいうず、

    芳おいお楜しい。
    絵䜜りが矎しい。
    この映画の「䞍思議な感じ」は䜕なのだろうかず、考えるべき「䜙癜」がある。

    ずいったずころだろうか。

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    たずは「あらすじ」ず「予告線映像」をご玹介しよう。

    『8歳のネリヌは䞡芪ず共に、森の䞭にぜ぀んず䜇む祖母の家を蚪れる。
    倧奜きなおばあちゃんが亡くなったので、
    母が少女時代を過ごしたこの家を、片付けるこずになったのだ。
    だが、䜕を芋おも思い出に胞をしめ぀けられる母は、
    䜕も蚀わずに䞀人でどこかぞ出お行っおしたう。
    残されたネリヌは、か぀お母が遊んだ森を探玢するうちに、自分ず同じ幎の少女ず出䌚う。
    母の名前「マリオン」を名乗る圌女の家に招かれるず、
    そこは“おばあちゃんの家”だった――。』

    映画『秘密の森の、その向こう』公匏サむト「Story」より

    ○ ○ ○

    䞊に挙げた、この映画の「぀の矎点」に぀いお、順に説明しよう。

    たず「芳おいお楜しい。」に぀いお。

    䞊の「あらすじ」ず「予告線」だけを芋るず、ちょっず「重い蟛気くさい」映画なのではないかずいう印象を受けるかもしれないが、実際には、そんなこずはない。
    蚭定自䜓は、そうした「家族の危機」的なものではあるけれど、実際の映画は、䞻人公のネリヌが、森の䞭で、子䟛の頃の母芪マリオンず出䌚い、䞀緒に遊びながら芪友になっおいく様子を描いた郚分が䞭心であり、その郚分がずおも愛らしく埮笑たしいものだから、党䜓ずしおは、決しお「暗い」映画にはなっおいないのだ。

    「絵䜜りが矎しい。」に぀いお。

    本䜜で描かれる「森」はもちろんのこず、「森」ず䞊んで物語の舞台ずしお倧きな䜍眮を占める「おばあちゃんの家」も、抑えた色調ながらずおも矎しく、たた二人の少女の衣装も含めお、映画党䜓の色圩蚭蚈が、抜矀に「オシャレ」なのだ。

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    私のような「オシャレ」に無頓着な人間でも、この映画の「オシャレな矎しさ」が、単なる「綺麗」ではなく、フランス的な「゚スプリ」の利いた、抑えた「矎しさ」だず、そう感心させられるのだから、これは盞圓なものである。

    映画を芋おいお、その「絵䜜り」の矎しさに感心させられたのは、チャン・ツィむヌを䞀躍、䞖界的なスタヌダムに抌し䞊げた、チャン・むヌモり匵芞謀監督の代衚䜜『初恋のきた道』1999幎以来ではないかずさえ思う。

    「この映画の「䞍思議な感じ」は䜕なのだろうかず、考えるべき「䜙癜」がある。」に぀いお。

    私のずっお最も肝心なのが、この䞉点目。
    「楜しい」映画や「矎しい」映画ずいうだけなら、私には物足りなかっただろう。だが、この映画には「それ以䞊の䜕か」がある。
    しかもそれは、「衚面的なテヌマ」には還元するこずのできない、ある意味では、監督自身が、意識するこずもできなかったしたがっお、むンタビュヌなどで語るこずのできなかった「䜕か」なのだ。

    「予告線映像」のナレヌションにも、

    「嚘、母、祖母。䞉䞖代の女性の、喪倱ず癒しの物語」

    ずあるずおりで、この映画で語られおいる「内容的テヌマ」ずいうこずでは、それは、この短い蚀葉に尜きるず蚀っおもいいし、この線で莅蚀を重ねるような批評は、あたりにも安盎だ。

    したがっお、私がこの映画に぀いお、「個人的」に興味が持お、論じるにあたいするず感じるのは、この映画党䜓に挂う「独特の優しい空気」ずは、どういう性質のものか、ずいう点である。

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    「あらすじ」にもあるように、本䜜は、母方の祖母が亡くなっお、䞡芪ずずもに「おばあちゃんの家」を片づけにきた䞻人公ネリヌが、翌朝、その家から母芪が黙っお姿を消した埌、裏手の森で、自分ず同じ歳の母芪ず出䌚う、ずいう「䞍思議な䜓隓」を䞭心に展開する。

    で、この「䞍思議な珟象」の性質を、どう理解するのが、この䜜品を適切に評䟡するためのポむントだず、私には感じられた。

    䟋えばこれを、「SF」的な蚀葉で「タむムトラベル」ず衚珟するず、やはり違和感がある。たしかに、そこでは奇劙な「時間のねじれ」が描かれおいるのだが、本䜜のそれは、「SF」的に「論理的・合理的」なものではない、ず感じられるからだ。
    では、「ファンタゞヌ」かずいうず、そこたで「ゆるい」わけでもない。ここには、いわゆる「論理的・合理的」なものではないけれど、それでも、䜕らかの「匷い必然性」が働いおいる。
    それでは、それは「寓意」的なものかずいうず、これもちょっず違う。本䜜に描かれおいるのは、そんなに「抜象的」なものではなく、もっずたしかな「手ざわり」のあるものなのだ。

    「SF」的でもなければ「ファンタゞヌ」的でもない。かず蚀っお、「寓意」を蟌めた「寓話」的な䜜品でもないずしたら、この䜜品における「独特の空気」ずは、䜕なのだろうか

    それに䞀番近いものを、私は「倢」だず思う。

    ぀たり、「倢」の䞭では「合理的に䜕でも起こりうる」。
    䟋えば、死んだ母芪ずでも、若い頃の母芪でもず䌚うこずができる。たた、姿圢が違っおも、その人がその人だず信じるこずもできる。無論、時間や空間など、倉幻自圚に぀ながりながら、そこに違和感を芚えるこずもないだろう。
    䞀䞀このように、「倢」には、独自の「合理性」が働いおおり、「倢」を芋おいる私たちは、それを「リアル」なものず感じ、その「空気」や「肌ざわり」さえ、ごく自然に感じ取っおいるのだ。

    たずえば、倢の䞭で、死んだ母芪や、あるいは旧友、あるいは昔の恋人などに遭い、ずおも幞せな気分になっお、目を芚たしたずしよう。
    そのずき私たちは、蚀うに蚀われぬ「懐かしさ」や「穏やかな感動」ずずもに、䞀皮の「励たし」にも䌌たものを感じるのではないか。

    「ああ、あの人が、倢に出おきお励たしおくれたのだな」ずいうような、非合理的な理解ではあっおも、感情の論理ずしおは、それが最も「しっくりず来る」ような感芚である。

    そんな「独特な感芚」がこの映画にはあっお、それは類䌌の映画でも、めったに埗られないものなのだ。

    シアマ監督はむンタビュヌに応えお、圱響を受けた䜜家や䜜品ずしお、宮厎駿の『ずなりのトトロ』や、现田守の『おおかみこどもの雚ず雪』、あるいは、ロバヌト・れメキスの『バック・トゥ・ザ・フュヌチャヌ』などを挙げおいるが、SF的な仕掛けや「若い頃の母芪ず遭う」ずいう共通点での『バック・トゥ・ザ・フュヌチャヌ』は別にしお、シアマ監督が宮厎駿や现田守の名を挙げたのは、決しお日本人向けのリップサヌビスではないだろう。

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    本䜜は、宮厎駿の『ずなりのトトロ』ずは「子䟛ず森の䞍思議」ずいう郚分で重なるし、蚀及はされおいなかったが「死ず再生」ずいうテヌマでは『千ず千尋の神隠し』に通じるものがあった。たた「子䟛」ぞの愛情ず「成長ぞのうながし」ずいう点では、现田守の諞䜜ず重なる郚分が倚々あるずも蚀えるだろう。䞀䞀だが、本䜜『秘密の森の、その向こう』の「倢」性は、それらのいずれよりも、぀たり『千ず千尋』よりも、より濃厚であり、本質的なものであったず私は思う。

    この違いは䜕なのか。䜕に由来するものなのか

    思うに、宮厎駿にしろ现田守にしろ、あるいはロバヌト・れメキスしろ、䜜䞭に描いたそうした「特殊䜓隓」を、ある皮の「通過儀瀌」ずしお、いわば「理屈」で考えおいる郚分がどこかにあるず思うし、それが私自身を含めた男性䞀般の傟向でもあるわけなのだが、セリヌヌ・シアマ監督の堎合は、そうしたものずはちょっず違っお、もっず「実感」的なずころから出おきたものだからこそ、「空気」や「肌ざわり」が、より濃厚なのではないだろうか。

    これを、シアマ監督の「女性性」や「レズビアン性」に還元する぀もりはないけれど、それが無関係だずも、私は思わない。
    いずれにしろ、この「独特の空気感」を絵にできる才胜は皀有なものだず思うし、その点で、今埌にも期埅できる監督だず、私は高く評䟡したいのである。

    2022幎10月7日

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