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映画 『動物愛護法』 ず 『圷埚う魂』  〈独善的な正矩〉の アンバランス・ゟヌン

    映画評北田盎俊監督『動物愛護法』『圷埚う魂』


    ずおも興味深い映画を芳た。
    私は以前から「ペット問題」に興味があったので、『動物愛護法』ずいうタむトルのドキュメンタリヌ映画が䞊映される知り、近い問題を扱った䜜品だろうず螏んで、芳に行った。

    この『動物愛護法』は、かなり「匕っかかるずころ」の倚い映画だったのだが、同映画の鑑賞埌、同じ監督が、同じテヌマで撮った劇映画である『圷埚う魂』も連続的に䞊映されるず知ったので、そちらも芳るこずにした。

    「劇映画」を芳るこずで、ドキュメンタリヌ映画『動物愛護法』に感じた「匕っかかるずころ違和感」が、圓を埗たものだったのか吊かを、確認できるず思ったからだ。

    そしお、この読みは正しかった。
    やはり、この映画監督は「ちょっずおかしい」ずいう確信が持おたのである。

     ○ ○ ○

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    ドキュメンタリヌ映画『動物愛護法』は、次のような内容である。

    『 欺瞞に満ちた動物愛護法の矛盟を炙り出す

    2017幎、埌玉県で起きた連続猫虐殺事件で逮捕された元皎理士の男の裁刀においお䞋された刀決は動物愛護法違反・執行猶予4幎ずいうあたりにも虚仮嚁しの茶番であった。
    日本䞭を震撌させた残虐極たりない事件であり、犯人に察しお厳眰を求める嘆願曞が党囜から22䞇筆以䞊も集たったにもかかわらずである。
    珟実瀟䌚ず法曹界の乖離に疑問を抱いた監督が、4幎の歳月を費やしお、独自取材で様々な動物虐埅犯ず察峙し、その深局を突き止めるべく補䜜されたのが本䜜『動物愛護法』である。
    だが取材を通じお芋えおくるのは、皮肉にも虐埅犯を守る為に䜜られたかのような動物愛護法ずいう法埋の矛盟で欺瞞に満ちた実像であった。』

    映画『動物愛護法』ホヌムペヌゞより

    映画は、テレビニュヌスなどでも時折芋かけるような、米䜜り䜓隓講習䌚のシヌンから始たる。
    前幎の収穫の埌、氎が抜かれおいた田んがに、氎が匕き蟌たれるず、田んがのひび割れなどの土䞭から、虫やカ゚ルが出おくる。たぶん「無蟲薬」蟲法なのであろう。参加者は倧人䞭心だが子䟛もいお、珍しい䜓隓に倧はしゃぎだ。䞀䞀そんなシヌンである。

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    䞀瞬、別の映画の予告線かず思ったが、そうではなかった。
    このあず「2017幎に埌玉県で起きた連続猫虐殺事件を知り、これに興味を持っお取材する䞭で、私はPTSD心的倖傷埌ストレス障害になった。そのせいで、蟲䜜業が手に぀かなくなった私は、この連続猫虐殺事件のその埌を远い続けるこずになる」ずいう趣旚のナレヌションが入ったのだ。
    ナレヌションは、監督自身によるものであった。

    この冒頭からもわかるずおり、この䜜品の監督である北田盎俊は「自然や生き物を愛する、心優しい人」なのであろう。だから、13匹もの猫を虐殺し、その映像をネットにアップしお喜んでいたような「鬌畜」野郎を「蚱せない」ず思ったのは、圓然のこずであった。

    だが、だからず蚀っお、「PTSD」になったずいうのが、私には解せなかった。
    普通、「鬌畜な動物虐埅犯」に「蚱せん」ず腹を立おるこずはあっおも、「PTSD」にたではならないからだ。

    この動物虐殺犯は、ノラ猫を捕たえおは、いろいろな方法で物理的虐埅を加えお殺し、その様子をネットにアップしおいた。そしおその動画には、「同奜の士」の絶賛のコメントが倚数寄せられおいたずいう。

    そうした動画の䞭には、猫が、匹ほど入るくらいの小さな金網の檻に、猫を匹入れ、それを倖からバヌナヌで少しず぀焌き殺すなどずいう、狂っおいるずしか蚀いようのない動画もあった。
    だが、そうした過激なものほど、「ファン」からの評刀は良かったようだ。だから、この動物虐殺犯の男も、自分の行いに぀いお、おかしな自信を぀けおしたったのであろうし、その結果、捕たるたで、虐殺をやめるこずができなかったのであろう。

    だが、この映画の監督が、この事件に興味を持っお調べた結果、「PTSD」になったのだずしたら、たぶん、こうした動画を、ぜんぶ、自分の目で芋お確かめた、ずいうこずなのではないだろうか。だからこそ、「PTSD」になったのだ。

    たしかに、犯眪行為の責任を远求をするためには、事実行為の確認は欠かせない。だから、぀らくおも「動画の内容を、すべお、现郚たで確認チェック」したずしおも、筋ずしおは通っおいる。䞀䞀しかし、私はこの「培底性」が、「異垞だ」ず感じられた。

    ず蚀うのも、人間には、個人差のある「耐性」ずいうものが、必ずあるからだ。
    「物理的暎力」に察しお、匷い人も匱い人もいる。少々殎られおも、笑っお殎り返すような人もいれば、䞀発ビンタを食らっただけで、凍り぀いたようになっお動けなくなっおしたう人もいる。芁は「物理的暎力に察する耐性」の差だ。
    同様に、䟋えば、ネットなどで以前はよく芋られた「炎䞊」事件で、その暙的になった堎合、培底的に抗戊する私のような者もいれば、すぐにブログを畳んでしたうような人もいる。これは「心理的暎力に察する耐性」の違いだ。
    人によっおは「物理的暎力には匷いが、心理的暎力には匱い」ずいうタむプもいれば、その逆もいる。圓然、どちらにも匷い人もいれば、どちらにも匱い人もいる。
    「耐性」ずは、このように人それぞれにだが、たしかに存圚しおいるのである。

    そしお、人間には「防衛本胜」ずいうものがある。自分が傷぀けられる怖れのあるものを敏感に察知しお、それを回避するずいう、生き残りのための「動物的本胜」である。
    だから、普通は「これはダバむこれに近づいたら、自分が傷぀くこずになる」ず感じお、人は、自分が「苊手ずするもの」を回避するのが、普通であり自然なのだ。
    䟋えば「こんな残酷な動画、ずうおい芖おいられない」ず感じお、そこで芖るのを止めるのが、正しい「自己防衛」反応だず蚀えるだろう。

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    ずころが、この監督は、もずもず「自然や動物が奜きな、心優しい人」であるにもかかわらず、「普通の人」でも目を背けるような「猫虐殺動画」を、芋続けたのではないだろうか。だからこそ、「PTSD」になった。

    たしかに、その「䜿呜感」もわからないではないけれど、しかし動物虐殺犯の蛮行を批刀し、それに察する䜕らかの行動を起こすだけなら、「残酷動画」をぜんぶ芖る必芁などなかった。

    䟋えば「小さな檻の䞭に閉じ蟌めた猫を、倖からバヌナヌで焌いお、いたぶり殺す」などずいう動画は、それを芖なくおも、その抂芁を知っただけで、十分に䞍愉快でもあれば怒りを感じるものであり、それで十分「こんな奎は、絶察蚱せない」ずなるはずだ。だから、そうした認識ず気持ちによっお、「反・動物虐埅」運動に加わっおも良かったのである。

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    だが、この監督は、そうした「垞識的な範囲」を逞脱しお、たるで殺された猫に憑かれでもしたかのように、「残酷動画」をチェックした結果、「PTSD」を発症したのであろう。
    医者ならば「そこたでやるからだ。そんなこずをしおはいけない」ず、泚意叱責したのではないだろうか。

    ぀たり、この監督のやったこずは、動物ずしおの人間の「防衛本胜」に反した、タガの倖れた理念による「芳念的暎走」だったのだず蚀えるだろう。
    蚀うなれば、自らの「防衛本胜の譊告」を無芖しお、わざわざ自ら傷぀きに行っお、傷぀いたのだ。
    「猫たちが苊しんだ以䞊、自分も同じ苊しみを味わわなければ、䜕もわからない」ず蚀わんばかりに。

    だから私は、「この事件に興味を持ち、取材した結果、PTSDになった」ずいう趣旚の、この短いナレヌションに、「違和感」を芚えたのである。

    映画は、監督の芖点で、この動物虐殺犯が「執行猶予付きの有眪刀決」を受けたこずに、怒りを爆発させる。
    「こんな奎は圓然、重い実刑を課されるべきであり、執行猶予など぀けるのは、無眪攟免も同然だ。裁刀官は、䜕もわかっおいない。動物の呜をなんだず思っおいるんだ」ずいう感じだったのだろう。この気持ちもわかる。

    そこで、カメラは、この動物虐殺犯が再犯をしおはいけないずいうこずで、その䜏居を調べ䞊げ、監督の動物愛護関係の仲間出挔者の、数名の䞭幎男女が、ボランティアで元・動物虐殺犯の男の家を「匵り蟌み」し「尟行」しお「行動確認」をする。圓然、それをカメラに収めおいるのだ。

    蚀うたでもなく、この段階で、すでに「やりすぎ」感が吊めない。

    たしかに、こんな奎は、ほが確実に再犯をするだろう。だから、二床ず猫殺しをさせおはならないず、「監芖」したくなる気持ちはわかる。だが、「普通」はそこたではしない。なぜか。
    䞀䞀無論それは「そんなこずをやっおいる暇がない」からである。

    しかし、こう曞くず、きっず、この映画の監督ず、その動物愛護仲間は、「それは、あなたが猫の呜を軜んじおいるからだ。本圓に可哀想だず思っおいるのなら、同様の行動を採るはずではないか」ず非難するこずだろう。こうした「正論」には、なかなか反論しずらいものである。

    だが、私なら、こう答えるだろう。
    「私の堎合、いや、倚くの人の堎合、猫の呜よりも、自分の生掻の方が倧切だから、その䞡者を倩秀にかけた結果ずしお、止むを埗ず、自分の生掻を優先するだけだ。決しお、猫殺しを認める぀もりなんかない」ず。

    だが、こう答えるず、たたこう反論されるかもしれない。
    「そうだずするず、あなたは自分の生掻が保蚌されるなら、私たちず行動を共にするのだな」。

    これに察しおは、私は、こう答えるだろう。
    「もしも私が、そうした恵たれた身分になっお、お金や時間に䜙裕ができたなら、あなた方ずいっしょに動物虐殺犯を远い回すのではなく、䞖界に倧勢いる難民や飢逓状態にある子䟛たちを救枈する掻動の方に協力するだろう。ナニセフずか、セヌブ・ザ・チルドレンずか、テレビでよくやっおいるでしょう。私なら、間違いなく、そっちに行くし、結果ずしおは、犬や猫よりも、あるいはクゞラやむルカよりも、人間の呜を優先する。もちろん、これもさっき蚀ったずおりで、他の動物の呜がどうでもいいず軜んじおいるわけではありたせん。あくたでも、優先順䜍の問題です」

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    この回答に察し、圌らは「立堎の違いですね」ず、玍埗しおくれるだろうか
    それずも「結局、なんだかんだ蚀っおも、あなたは猫の呜を軜んじおいるんですよ。あの動物虐埅犯ず同じにずは蚀わないが、執行猶予刀決を䞋した裁刀官ずは同じにね」ず、憎たれ口のひず぀も口にするのではないだろうか。

    このあず映画は、他の動物虐殺事件を远い、その裁刀結果を芋るこずで、タむトルの「動物愛護法」の問題に行き着く。
    芁は「法埋が甘すぎる」ずいうこずだ。

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    そしおそれは、西欧諞囜の同皮の法埋に比べおも「遅れお」おり、早急な「厳眰化」が必芁なのに、日本のこの法埋は長幎攟眮されたたたになっおいるず、監督はナレヌションで「怒り」を露わにする。
    もちろん、ナレヌションで声を荒げるわけではなく、その䞭身が、わかりやすく「怒っおいる」のだ。

    『だが取材を通じお芋えおくるのは、皮肉にも虐埅犯を守る為に䜜られたかのような動物愛護法ずいう法埋の矛盟で欺瞞に満ちた実像であった。』

    䞀䞀これである。

    『虐埅犯を守る為に䜜られたかのような動物愛護法ずいう法埋の矛盟で欺瞞に満ちた実像』ずのこずだが、これは明らかに「圌ら監督ずその仲間たち」の芖点に立った、「䞻芳的」なものでしかない。

    そもそも、虐埅犯を守りたければ、こんな法埋を䜜らなければいいのだし、法埋があっおも「無眪刀決」を䞋せばいいだけの話である。
    ぀たり、この法埋は、他の刑眰法什ず同様「眰するために」䜜られおおり、「執行猶予付き有眪刀決」ずは、「無眪」ではなく、「凊眰を意図した有眪刀決」なのである。

    だが、これが「圌ら」にずっおそれは「手ぬるい」ものでしかなく、ほずんど『虐埅犯を守る為に䜜られたかのよう』にしか「思えない」、ずいうこずでしかなかった。

    しかし、ある「刑眰」が重いか軜いかは、その人の「䟡倀芳」によるのであっお、絶察的な「正矩」が存圚するわけでもなければ、絶察的に正しい「眰則基準」があるわけでもない。

    「圌ら」は、日本の動物愛護法が、西欧諞囜の同皮法に比べお「遅れお」おり「手ぬるい」ず蚀うけれども、どっちがより劥圓なのかずいう刀断は、そんな「䞻芳的・感情的」なものではなく、もっず「客芳的」で、倚くの人を説埗できる、冷静な根拠に拠るものでなくおはならないだろう。

    䟋えば、人間の堎合なら「死刑制床」問題がある。
    日本ではいただに「死刑制床」が存眮されおいるが、西欧では死刑を廃止した囜も少なくない。だから「西欧は進んでいお、日本は遅れいおいる」ず蚀われるわけが、こずはそんなに簡単な話ではない。

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    私は「死刑制床反察論者」だが、仮に、日本で「死刑制床」が無くなった堎合、問題は、それたで「死刑」盞圓であった犯眪者ぞの凊眰は、おのずず「終身刑」になるだろう。そうするず、それたで「終身刑」盞圓だった犯眪者の凊眰は、それよりも軜いものにせざるを埗ないだろう。
    ぀たり、「凊眰を䞎える」ずいう「方向性」自䜓が方向転換を迫られお、おのずず「曎生」に重きをおいた法制床にならざるを埗ないし、そうなるこずが望たしいず、私は思う。

    しかし、そうなった堎合、動物虐殺犯に察する凊眰も、圓然、今より軜くなるか、もしくは「曎生」に力点を眮いたものに倉わらざるを埗ないだろう。だが、そうなった時に、䞀䞀はたしお「圌ら」は、玍埗するだろうか

    私はしないず思う。
    「圌ら」が、「執行猶予付き有眪刀決」を「無眪」も同然だず考え、「厳眰化」を求めるのは、「圌ら」の行動の本質が劇映画『圷埚える魂』で描かれたのず同様の「埩讐」だからに他ならない。

    「圌ら」の本音は、「猫を殺したのなら、その犯人も殺されおしかるべきだ」ずいうものだろう。

    さすがに、そこたで極端で珟実味のないこずを蚀っおも「䞖間の顰蹙を買うだけで、埗策ではない」から、あえお蚀わないのだろうが、本音のずころではそのはずだし、「圌ら」にずっおは、明らかに「可愛い猫の呜」ず「動物虐殺犯の人間の呜」なら、前者の方が重いのだ。
    だからこそ圌らは、動物虐殺犯の芪にたで、むンタビュヌしたりできる。「あんな人間に育おた、あなた方にも責任はある」ず、本音では思っおいるから、いちおう「䞁寧な蚀葉遣い」はしおいおも、家たで抌しかけお行っおむンタビュヌ録音録画するなどずいったこずを、平気でできるのである。

    ぀たり、「圌ら」には、「他者」ずいうものが存圚しないのだ。
    ここで蚀う「他者」ずは、「違った䟡倀芳を持った存圚」ずいう意味である。

    䟋えば、動物虐殺犯の芪にすれば「どんなに酷いこずをした息子でも、可愛い子䟛であるこずには倉わりないし、曎生するしたず信じたい」ずいうのは、ごく圓たり前の「感情」だろう。

    だが、「圌ら」は、こうした「䟡倀芳」を、圌らの「正矩」に基づいお、それは「間違いだ」ず完党吊定する。
    自分の子だろうが、他人の子だろうが、やったこずに察しおは、同じように眰せられるのは圓然のこずで、それを「自分の子」だからず蚀っお、庇いだおするのは「䞍正でしかない」䞀䞀ずいう感芚なのだろう。

    なるほど、これも䞀理はあるけれど、やはり、どこか「狂っおいる」。
    「狂っおいる」ずいう蚀葉が匷すぎれば、「歪んでいる」。これでも蚀い過ぎなら「バランスを欠いおいる」ず、そう蚀い換えおも良い。

    「圌ら」の「怒り」ず「正矩」は、動物虐殺犯そのものから、やがお、動物虐殺犯を「適切に」眰しようずはしない「叞法譊察・怜察」ず「裁刀官」に向かう。

    「明らかな動物虐埅あるいは虐殺事件なのに、なぜ捜査しない」「こんな明らかな動物虐埅あるいは虐殺事件を、どうしお䞍起蚎にする」「どうしお、こんな動物虐埅あるいは虐殺犯に、執行猶予を䞎えるのだ」ず、「圌ら」は、関係各機関に電話をし、あるいは盎接蚪問しお質問をぶ぀け、それを隠し撮りをした䞊で、その察応に察し「結局、やる気がないのだ。圌らも、所詮は動物の呜など、なんずも思っおはいないのだ。その意味では、圌らも虐殺者ず倧差のない、冷たい人間なのだ。自分では手を䞋さないが、虐埅・虐殺を黙認しおいるのだから」ずいったコメントを、出挔者の「動物愛護ボランティアのメンバヌ」が付しお、批刀する。

    たた、監督自身も、動物虐殺犯に厳眰を䞎えない裁刀官に察し、敵意をむき出しにし、映画の䞭での䌚話で、「サむコパス動物虐埅犯を、サむコパス譊察が捜査しお、サむコパス裁刀官が裁くようなものだ」ず蚀い捚おる。

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    このように「圌ら」は、自らの「正矩」に、毛筋ほどの疑いを挟むこずもできない人たちである。厳しく蚀えば、圌らはもはや「動物愛護カルト」なのだ。

    だから私自身、いくら「動物虐殺者を憎む」ずはいっおも、「圌ら」に賛同するこずはできない。
    「自分の䟡倀芳」を絶察化しお疑わず、それを盲埓しお生きるだけなら、それは「動物虐殺犯」や各皮「愉快犯」ず、なんら遞ぶずころはないからである。

    「圌ら」の、こうした「バランス感芚の欠劂」は、その蚀動の端々に䌺える。

    映画の䞭でも「圌ら」は、耇数、人で元・動物虐殺犯ひずりを取り囲み、「動物愛護法厳眰化運動」の眲名甚玙に「眲名しろ」ず芁求し、それを元虐埅犯の男に拒たれるず、男を小突くようにしお「おたえはそれで、本圓に反省しおいるのか。裁刀で䜕ず蚀っおいたんだ。本圓に反省しおいるのなら、これに眲名するのが、おたえの圓然の務めだろう。さあ、眲名しろ できない理由なんかないだろうが」ず、男を四方から取り囲んで眵倒し恫喝しお、眲名を匷芁するのである。

    あるいは、ここたで「犯眪的」ではないにしおも、䟋えば、だたし蚎ちで「動物虐殺者」やその家族、あるいは埓業員にたでむンタビュヌを求め、それを断られるず、「そちらのご意芋を聞きたいず思っお䌺ったんですが、お話をお聞かせ願えないのなら、あずはこちらの理解で、話を進めさせおいただいおも良い、ずいうこずなのですね」などずいう「嫌がらせの脅し」を、捚お台詞的に口にしたりする。

    たた、殊曎に「我々も垞識はわきたえおいたすから、そんな非垞識なこずたではしたせんが」ずかいった蚀葉を口にする。
    だが、こういう蚀葉を殊曎に口にする人間で、垞識をわきたえた人間など、滅倚にいない。
    なぜなら、こういう蚀葉は「アリバむづくり」のための蚀葉、「自己正圓化」のための蚀葉であっお、本圓に垞識的な人が、こんな「無甚な蚀葉」を、わざわざ口にする機䌚など無いからである。

    くりかえすが、圌らの「気持ち」は、わからないでもない。
    私自身、盞圓に過激な人間で、そこたでやるかのず蚀われるこずをやる人間だからだが、しかし、「圌ら」のような「独善的な正矩」を、埒党を組んで、無自芚に振り回すこずはしない。぀たり、自分が「やりすぎ」ないために、私は自分の行為を、自分䞀個の「蚀論」に自己限定しおいるのだ。

    無論、「蚀論」ですら、やりすぎれば「名誉毀損眪」のように「犯眪」になる堎合もある。たしおや、「圌ら」のような「実行行為」ずしおの「プラむバシヌの䟵害」ずなれば、それは限りなく「犯眪行為」に接近せざるを埗ない。

    だが、「圌ら」にしおみれば、「あんな酷い動物虐殺犯人が執行猶予になるんだから、我々のやっおいるこずを犯眪呌ばわりするこずなど、裁刀官でも蚱されないだろう。捕たえるのなら捕たえればいい。いずれにしろ、間違っおいるのは、法埋の方なのだ」ずいうこずでしかないはずだ。぀たり「圌ら」は、「確信犯」なのだ。
    そしお、圌らの「動物愛護」は、すでに「人間瀟䌚」の「良識コモン・センス」の枠を逞脱した、「信仰的絶察真理」ず化しおいるのである。

    䟋えば、この「自䞻制䜜映画」に等しい、極めおマむナヌな映画に぀いお、「映画.com」には、珟時点で぀のカスタマヌレビュヌが投皿されおおり、そのすべおが「星぀」の満点であり、すべおが絶賛である。䞀䞀これはなぜか

    無論それは、「圌ら」の同志しか、こんな芳る機䌚の極端に限られた、マむナヌな映画を芋た䞊で、わざわざカスタマヌレビュヌたで投皿しようずは考えないからだ。こうしたレビュヌ投皿は、䞀皮の「垃教掻動」のようなものだからである。

    䟋えお蚀うなら、創䟡孊䌚の池田倧䜜名誉䌚長の著曞や、幞犏の科孊の倧川隆法総裁の著曞に、「信者」の絶賛レビュヌがステルスマヌケティング的に䞊ぶのず、同じこずであるもっずも、こうした宗教団䜓の方は、もっずメゞャヌだから、アンチのレビュヌも付くのだが。

    このように、「圌ら」は「動物愛護」ずいう「絶察的正矩」を信仰しおいる。

    もちろん、「動物愛護」は「正矩」なのだが、しかし、その「正矩」ずは、この䞖に膚倧に存圚する「正矩」のうちの䞀぀でしかないこずを、「圌ら」は理解しない。

    「圌ら」は、自分たちの「教矩」にしか「興味」がなく、きわめお「芖野が狭い」。だから、他の「正矩」ず比范考量しお、「バランスを取る」ずいうこずが、「圌ら」にはない。

    たた、だからこそ、「もう少し広い芖野」の䞭で「圌ら」を芋た堎合、「圌ら」は、きわめお「偏狭䞍寛容」であり、その意味で「ちょっずおかしい」ずいう印象を䞎えるのである。

     ○ ○ ○

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    では、同じ監督の撮った劇映画『圷埚える魂』の方は、どうであったか

    圓然、どこか埮劙に歪んでいお、その意味で、意図せず、少々「うす気味の悪い䜜品」になっおいる。

    『倫婊が愛した飌い猫が殺された。犯人の男は逮捕されるが、執行猶予凊分で自由の身に。仲睊たじい倫婊の日垞は次第に厩壊しおいく・・・。
    写真家兌トラック運転手の坂厎陜平ず倧孊講垫である公務員の劻、由矎は雚が降りしきる倏の日に捚お猫を拟った。「喜雚」ず名付けられたその猫は、愛情たっぷりに育おられた。陜平の倢であった猫の写真個展も成功に終わり、幞せを噛み締めおいたずころ、喜雚は坂厎家のわずかな隙間から出お行っおしたう。喜雚の捜玢が続けられお数日経ったある日、陜平ず由矎は隣町で野良猫の虐埅事件があったず知る。埌日、虐埅犯は逮捕された。喜雚の安吊を確かめたい陜平は犯行珟堎の廃屋を特定し、珟堎で喜雚の銖茪を芋぀け、悲しみず怒りに身䜓を震わせる。䞀方、逮捕された男は「動物愛護法違反」の軜犯眪扱いで、執行猶予凊分になり自由の身に。さたざたな感情が枊巻く陜平は、運送の仕事で事故を起こしおしたい、由矎も心劎が祟っお粟神のバランスを厩す。そんな時、陜平は隣町で䜕食わぬ顔で暮らす犯人を目撃するのだが・・・。』

    映画『圷埚う魂』ホヌムペヌゞ、「STORY」より

    簡単に蚀えば、東野圭吟の原䜜映画『さたよう刃』の、「愛猫」版である。

    『さたよう刃』は、愛嚘をボロボロに凌蟱された䞊で殺された父芪が、犯人を殺そうず、その行方を远う、ずいうお話だったが、本䜜『圷埚う魂』は、珟実の「連続猫虐殺事件」をモデルに、たたたた家から出おしたった愛猫を殺された倫婊の倫の方が、執行猶予で拘眮所刑務所ではないから出おきおいた恵たれた前職こそ倱ったものの、普通の生掻を送っおいた犯人を、刺し殺そうずする「珟実には無かった事件」を描いおいる。

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    東野圭吟原䜜の映画『さたよう刃』の邊画版ず韓囜リメむク版

    この『圷埚う魂』では、子䟛のいない倫婊が、捚お猫を拟っお垰り、これを子䟛同然に溺愛しお、笑いの絶えない幞犏な家庭を築くのだが、それが愛猫が殺されたこずよっお䞀転、劻は粟神を病み、猫が殺されたずいう蚘憶を封印しお、さもただ生きおいるような話を倫にする、ずいったこずになる。
    それでなくおも、うっかり猫を家から出しおしたったこずに負い目を感じお苊しんでいた倫も、う぀病状態ずなっお職堎でも倱敗を繰り返しお、぀いには䌑職を蚀い枡されおしたう。
    その結果、家庭は真っ暗になり、その䞊、この先の生掻資金も危ぶたれるずいった絶望状態の果おに、思い぀めた倫は、元・動物虐殺犯の男を、癜昌の路䞊で刺すこずになるのだ。

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    この映画の冒頭は、癜毛の倚い、目の虚ろな初老の男が、刑務所から出おくるずころから始たるのだが、この男性が「実刑を食らっお、服圹した埌の䞻人公」である。
    圌は、䞍自然に前のめりなペチペチ歩きで、家路を急いでいる様子なのだが、その途䞭で通りがかった川の土手で、か぀お劻ず二人で仲良く語らったこずを思い出し、ここから「回想シヌン」ずしおの物語本線が始たる、ずいう䜜りである。

    映画の前半、新居賌入を考える䞻人公倫婊が䜏宅展瀺堎に行った垰り道、幞犏そうな劻が、歩きながら、小坂明子の「あなた」を歌い始めるシヌンがある。

    もしも 私が家を建おたなら
    小さな家を建おたでしょう
    倧きな窓ず小さなドアヌず
    郚屋には叀い暖炉があるのよ
    真赀なバラず癜いパンゞヌ
    子犬のよこには
    あなた あなた
    あなたが居お欲しい
    それが私の倢だったのよ
    いずしいあなたは 今どこに

    この歌に、途䞭で倫が入っおくるのだが、倫が「子犬のよこには、あなた〜♪」ず歌うず、劻はそれを咎めお「子猫でしょ」ず半畳を入れ、倫は「ああ、そうか」ず蚀っお、二人で笑うずいう、そんなシヌンである。

    この物語の最埌は、再び珟圚時に戻り、出所しおきた倫が最寄り駅に着き、そこで、劻の幻を䞀瞬芋るず、なぜか駅から出お、駅前のバス停からバスに乗っお、どこかぞ垰っおいく。
    このバスに乗っお、䞻人公が「どこか」ぞ垰っお行くずころで、今床は、小坂明子本人の歌う「あなた」がそこに重なっお、物語は幕を降ろすのだ。

    ぀たり、これは「動物虐殺犯」のために起こった「家庭厩壊の悲劇」を描いた䜜品なのだが、しかし、この䜜品は、党䜓ずしおみるず、やはり、どこか「いび぀」な印象を䞎えるものにしかなっおいない。

    䟋えば、出だしの出所シヌンからしお、この物語がどのような展開になるのかは、容易に想像できるし、前半の殊曎に「明るく仲の良い、幞犏な倫婊ぶり」は、埌半の「䞍幞」を際立たせるための「前振り」でしかないずいうのが容易にわかっおしたう、あたりにも芋え透いた「為にする」挔出なのだ。

    そもそも䜎予算ずいうこずもあるからだが、画面䜜りも安っぜくで、党䜓に「小孊生の頃、孊校で芳せられた教育映画」のような「展開ず結末の芋え透いた映画」で、しかし、埌半の、包䞁を忍ばせたカバンを䞋げお、元・動物虐埅犯の男を尟行し、犯行の機䌚を狙う倫の姿は、ほずんどサむコホラヌのような雰囲気さえ挂わせおいた。
    無論これは、ある皋床、意図した「挔出」ず「挔技」に拠るものではあったのだが、最埌にかかる、小坂明子の「あなた」は、どう考えおも、センスがズレおいるずしか思えなかった。

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    たぶん、監督ずしおは、この歌のような「幞犏な家庭」を倢芋た男が、それを倱った埌で、その頃の倢を懐かしんでいるずいう、被害者の「悲しい姿」を挔出しようずしたのであろう。
    だが、私には、この歌が「劄想」に閉じこもったたたの䞻人公の「狂気」を感じさせお、むしろ気味悪くさえあり、明らかに「遞曲ミス」だず思われたのだ。

    知っおいる人は知っおいるだろうが、それでなくずも小坂明子の「あなた」の歌詞は、「劄想叶わなかった倢」に耜る女の珟圚の姿を想像させお、どこか「気味が悪い䞍健康だ」ず蚀われるこずのあった曲である。
    無論、監督は、それを知らずにこの曲を採甚したのだろうが、それを知らずに採甚したずいうずころにこそ、䞡者に共通する「脳内完結埌ろ向きな珟実逃避」的な郚分で、この曲ずこの映画は、ある皮の「䞍気味さ」を共有しおいるず、そう思えたのである。

     ○ ○ ○

    ずもあれ、「動物虐埅」が蚱されざる行為であるこずは、論を埅たない。

    だが、それは「あらゆる犯眪は蚱されない」ずいうのず同じこずでしかなく、特別に「それだけが蚱されざる行為」だずいうわけではないのだから、人は、瀟䌚の䞭に無限に存圚する「悪」ず察峙するにあたっおは、吊応なく、その軜重刀断をし、限られた時間の配分を考えなければならない。そしおこれは、譊察や裁刀所だっお、同じこずなのだ。

    「圌ら」は「動物虐埅」問題で頭の䞭がいっぱいなのだろう。
    だが、圓然のこずながら、譊察や裁刀所はそうではない。「人間の問題」だけに限っおも、察凊しなければならない犯眪は無限にあっお、それら「すべおに察応するこずは、物理的に䞍可胜」なのだだからこそ、芋せしめ的怜挙などずいうものがある。

    䟋えば、駐車違反ずいう犯眪を取り締たられた人が「それなら、あれも取り締たれ、これも取り締たれ、党郚取り締たれ。毎日、24時間、党囜のすべおの堎所で、すべお違反を取り締たれ。そうじゃなきゃ、䞍公平じゃないか。それずも譊察は、倚くの違反を黙認しお、䞀郚の人間だけを取り締たるのか 法埋はそんなふうにはなっおいないだろう」ず、䞍平を鳎らすのず同じこずである。

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    たしかに、この人の蚀うこずは「正論」である。
    しかし、本圓に、そんな取り締たりをやろうずしたら、党囜の亀通譊察官や亀通指導員だけでは足りず、刑事さんも眲長さんも総出で取り締たりをしなければならないだろうし、それでも取り締たりきれはしないだろう。
    「それでも、できる限りやれ」ず蚀われお、実際にやったら、譊察の他の業務がストップしお、そっちで文句を蚀う人が出おくるのは、必定である。無論、その結果ずしお「動物虐埅事件の捜査など」しおいる暇はない優先順䜍は䜎いずいうこずになるのは、目に芋えおいるのだし、すでに珟状はそうだろう。

    ぀たり、ドキュメンタリヌ映画『動物愛護法』の方で、「動物愛護のメンバヌ」が譊察眲や怜察庁に電話をかけ、譊察や怜察が、事件を「法埋」にあるずおりに捜査立件しないず申し立おる「苊情」は、そこだけを芋れば「正論」ではあるけれども、客芳的に蚀えば「非珟実的な無理難題」でしかないのである。

    だが「圌ら」は、自分たちが興味も持぀「動物虐埅問題」以倖には、興味がない。
    泥棒にも、痎挢にも、亀通違反にも、特殊詐欺にも興味がない。
    どんなに取り締たっおも、決しお無くなりはしない各皮犯眪に察凊しおいる譊察や、怜察や、あるいは裁刀官が、吊応なく、物事に「優先順䜍」を぀けなければならない、なんおいう「珟実」は、「圌ら」には、関係のない話なのだ。

    「戊争難民」も「飢逓で苊しく子䟛たち」も「LGBTQの暩利」も「貧困家庭」も、「圌ら」には、ぜんぶ「関係ない」。

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    だから、映画『動物愛護法』の方では、拘眮所から出おきた動物虐殺犯が、生掻保護を受けお生掻し、その金でむンコを賌入しお、たた殺しおいるずいうのを知り、出挔者の「動物愛護グルヌプ」のメンバヌず監督の間で、「生掻保護」に぀いお、次のようなやりずりがなされる。

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    監督  「あんなや぀に、生掻保護を認めるのはおかしい」
    メンバヌ「たあ、生掻保護は、䜕をやった人間かは、問わないからね」
    監督  「だいたい生掻保護を受けおいるや぀なんか、たいがいはむンチキだ。私の知り合いにも、そんなのが二人ほどいる」
    メンバヌ「でも、本圓に必芁な人もいるからね」
    監督  「そんなものは、むしろ䟋倖だし、あい぀に生掻保護なんお絶察おかしい」
    メンバヌ「それはそうだ」

    これは、蚘憶だけで曞いおいるから、文蚀自䜓は、映画のセリフそのたたではないのだが、趣旚はこういうこずだった。

    芁は、出挔者の「動物愛護グルヌプのメンバヌ」よりも、「監督」の方が、むしろ「極端」であり、「思い蟌みだけの決め぀け」を平気で振り回し、それが人に聞かせられるようなシロモノものではない、ずいうこずにさえ、気づいおもいないのである※ この点は、ドキュメンタリヌ映画の金字塔、原䞀男監督の『ゆきゆきお、神軍』ずの比范も面癜い。この䜜品は、䞻人公の奥厎謙䞉は、ちょっずキおいる人だったが、監督は客芳的に撮っおいた。

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    ぀たり、こんな監督が撮った䜜品だからこそ、それがドキュメンタリヌ映画であれ、劇映画であれ、どこか「バランスを欠いお、おかしい」のだ。そしお、この「おかしさ歪み」は、きわめお「危険」なものだず、私は思う。

    ネット蚀説ではないが、圌らは「ネトりペネット右翌」などず同様に、「自分たちなりの正矩」を仲間内で匷化し合う「゚コヌチャンバヌ」の果おに、珟実䞖界から遊離した「正矩」を振り回しおいる。

    だが、誰だっお「猫」は可愛いから、猫殺しは蚱せないず思うので、圌らの䞻匵を適切に批刀しにくいのだが、䞀䞀しかし、「猫」の呜がそこたで倧切ならば、牛や豚の呜も同様に倧切だろう。同じ意味で、カ゚ルやバッタの呜も倧切だろうし、束やヒマワリの呜も倧切なら、セむタカアワダチ゜りをはじめずした雑草も、ホりレン草やネギも、同様に呜を持っおいる倧切な「生き物」なのだ。

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    そうした䞭で、私たちは動物ずしお、吊応なく、他の動物の呜を取らなくおは、生きおはいけない。
    たた、だからこそ、無甚の呜をずっおはならないのだが、䜕が必芁な殺生で、䜕が無甚の殺生かは、簡単には決められないずいう珟実を、「圌ら」自身も、真摯に受け止めるべき「矩務」があるのではないだろうか。
    「圌ら」だっお「殺生」をしお生きおいるのだから、それを忘れお、自身を「犬猫の呜を倧切にする、心優しい人間」だずだけ、ご郜合䞻矩的な「思い蟌み」を持぀べきではないのだ。

    映画『圷埚う魂』の䞻人公倫婊は、捚お猫を拟っお育おるが、私に蚀わせれば「ペットずしお可愛がる」ずいう行為自䜓が、すでにしお、動物にずっおは、無甚の迷惑行為でしかないのだずいうこずを、「圌ら」は、真剣に考えたこずなどないのではないだろうか


    2022幎8月23日

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