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むングマヌル・ベルむマン監督 『第䞃の封印』  難解ではない。人間を描いただけである。

    映画評むングマヌル・ベルむマン監督『第䞃の封印』1957幎・スりェヌデン映画

    ベルむマンが「難解な䜜颚の映画䜜家」だずいう印象だけは、私にもあった。そのような颚聞を䜕床も耳にしおいたからであろう。
    私の堎合、本䜜がベルむマン・デビュヌずなるわけなのだが、ベルむマンの「難解」ずいうむメヌゞの䞀端を担ったのが、他ならない本䜜『第䞃の封印』なのである。

    私ずしおは、ベルむマンを初めお芋るのであれば、どうせなら、

    ベルむマンらしく「難解な䜜品」。
    代衚䜜のなかで、比范的初期の䜜品。
    「キリスト教の教矩・神孊」に、わりず詳しい「無神論者」の私ずしおは、キリスト教がらみの䜜品を、たず芋おみたい。

    ずいう点においお遞んだのが、本䜜であった。

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    で、結論ずしおどうであったかずいうず、映像的には、ずおもスタむリッシュで矎しかったし、ドラマの郚分も「私奜み」でずおも面癜かった。
    䞀䞀芁は「少しも難解ではなかった」のである。

    本䜜が「難解」だずされる理由ずは、たずひず぀には「聖曞からの匕甚」があり、それが、もずもず「難解」で知られる「ペハネの黙瀺録」以䞋「黙瀺録」ず略蚘からのそれであったためだろう。
    なお、蚀うたでもないこずだが、匕甚されおいる文章が難解なのず、䜜品自䜓が難解なのずは、たったく別の話である。

    「ペハネの黙瀺録」は、「新玄聖曞」に含たれる文曞新玄文曞のひず぀だが、これは䞀皮の「象城詩・寓意詩」のようなもので、もずもず明確な意図の取りにくい「比喩的な衚珟」を倚甚しおいる䜜品なのだ。
    ではなぜ、そんな意味の取りにくいものにしたのかず蚀えば、その明確な理由は、䜜者ペハネ教団に聞かなければわからないこずだが、䞀説には「キリスト教を迫害した、時の䞖俗暩力を批刀する圓おこする意味が蟌められおいた」からだ、ずも蚀われる。

    䟋えば、映画『オヌメン』1976幎、リチャヌド・ドナヌ監督で有名になった「666」ずいうのは、「黙瀺録」に登堎する「獣の数字」であり「悪魔」を意味するものだずされおいるのだが、これは、かの有名な「皇垝ネロ」を圓おこすったもので、「666」だの「616」ずいうのは、ネロの名を数字倉換すればそれになる、ずいったような、「諞説」があるのだ。
    したがっお、いずれにしろ、「黙瀺録」に曞かれおいるこずが、䜕を意味するのか、その真盞はわかっおはいない。ただ、いろんな「解釈」があるだけだから、䞀般には「謎めいたもの」ずしお、埌䞖のいろんな物語に、挔出的に匕甚されたりするのである。『ガメラ 邪神芚醒』1999幎、金子修介監督に聖曞の匕甚があったのず同じように。

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    䞀方、この「黙瀺録」には、どういうこずが曞かれおいるのかずいうず、それは「悪魔ず䞖俗の王たちによる軍勢」ず「神の軍勢」ずの最終決戊の「物語」である。぀たり、蚀葉だけはよく知られる「ハルマゲドン」を描いた「物語」なのだ。
    SF䜜家平井和正の代衚䜜たる『幻魔倧戊』は、「光の戊士ず闇の戊士の最終決戊」を描いた䜜品だったが、これの同名劇堎甚アニメ化䜜品1999幎、りん・たろう監督のキャチフレヌズが『ハルマゲドン接近、幻魔倧戊』だったのも、この䜜品のモチヌフが「黙瀺録」から採られたものだったからである。

    そんなわけで、本䜜のタむトルである「第䞃の封印」ずいうのも、「ハルマゲドン」が開始されるために、解く解陀する必芁のある「䞃぀の封印」のうちの最埌の封印のこずを指しおおり、぀たり本䜜のタむトルは、「第䞃の封印」が解かれた時、いよいよ恐怖の最終戊争がはじたり、䞖界の「終末」がおずずれる、ずいうこずを暗瀺したものなのだ。

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    『ペハネの黙瀺録』第17章「倧淫婊」

    本䜜『第䞃の封印』で描かれおいるのは、床重なる「十字軍」キリスト教䞖界による、むスラム䞖界に察する埁䌐行によっお、キリスト教䞖界自䜓が疲匊荒廃し、そこぞペストの倧流行が重なったために、キリスト教䞖界の人々の間では、これは「終末到来の凶兆」ではないかず、そう恐れられたのである。

    で、説明が䞍合理であるために、「難解」だず誀解されやすいキリスト教甚語ずしおは、前蚘の「ハルマゲドン」ず、それずは別物の「最埌の審刀」がある。
    この二぀は、しばしば、曖昧に混同されるのだ。

    「ハルマゲドン」ず「最埌の審刀」は、たったく別物なのだが、どちらも「終末的ビゞョン」であるために、この二぀が混同されおしたう。だからこそ、論理的に考えるず「蚳がわからない」ずいうこずになっおしたう。
    ぀たり、このあたりのこずは、合理的に理解できなくおも圓然なのであり、これは「わかり埗るものだが、わかるのが難しい」ずいう意味での「難解」ではない、のである。

    「ハルマゲドン」ず「最埌の審刀」に぀いお、もう少し詳しく説明しよう。

    「ハルマゲドン」ずは、前蚘のずおり『「悪魔ず䞖俗の王たちによる軍勢」ず「神の軍勢」ずの最終決戊』である。

    䞀方の「最埌の審刀」ずは、䞖の終わりに神が再臚しお、生者も死者も含めお、すべおの人の生前の行いに぀いお、神の教えに埓ったものであったか吊かを「審刀」し、倩囜行きず地獄行きにふり分ける、ずいうもの。䞀䞀これが「最埌の審刀」である。
    キリスト教で、長らく「火葬」が忌避され、「土葬」が圓然だったのは、「火葬にしお、遺䜓が倱われおしたうず、最埌の審刀の日に、土の䞭から死者たちが起き䞊がっお審刀を受けるこずが、そもそも出来なくなっおしたうから」である。
    たた、だからこそ「異端者」や「魔女」などは、埩掻できないように「火刑」に凊されたのだ。

    そんなわけで、「ハルマゲドン」ず「最埌の審刀」は、たったくの別物であり、別々に語られた「無関係」なものなのである。
    だが、どちらも「この䞖の終わりを描いたもの終末的ビゞョン」だったから、どっちが正解なんだろうずか、䞡者はどういう関係になっおいるんだろうなどず、倚くの人はよくわからないたた、䜕ずなく「どっちにしろ、恐ろしい」ず恐れおいたのである。

    では、キリスト教の「正統教矩」ずしお、䞡者の関係はどうなっおいるのか

    正解は、「正解はわからない」である。
    ぀たり、たったく別のものの「終末像」が぀あっお、どちらも「聖曞」に曞かれおいるこずなのだから、「どちらも正しい」ずいうこずになるのだ。だが、では「䞡者が、どういう関係になるのか」たでは、わからない。
    ぀たり、「神孊」的に「諞説」はあるが、これが唯䞀の正解だずいうような解釈理解は、存圚しない。

    䟋えば、「ハルマゲドンず最埌の審刀の前埌関係」などずいうものもわからない。
    どっちが先に起こるのかずいう疑問に察する、正解はない。あったずしおも、それは、「神」にはわかっおいおも、人間にはわからないものなのだ。

    だから、神孊者たちは、人間的な知恵を敬虔に絞っお「いろいろず意芋」を述べるのだけれど、それは所詮「人間の浅知恵」でしかなく、「神の意図」を十党に説明するものではあり埗ない。そんなこず、できるわけがないのである。

    ぀たり、「聖曞」に曞かれおいるこずは、人間にずっおは「明らかな矛盟䞍合理」であったずしおも、そこには、人間の胜力では理解できない人智を超えた「神の深いお考え蚈画」があるのだず、そう理解されるこずになる。
    蚀い換えれば、キリスト教の教矩においおは、「聖曞」に倚々存圚する「矛盟」は、合理的に説明されるこずはなく、矛盟ず感じられるものも、その矛盟のたたに受け入れる。䞀䞀これが、正しきキリスト者の態床だ、ずいうこずになっおいるのである。

    たた、だからこそ「正しい信仰」に、「神孊」は必芁ない。
    ただ、「䜕でもあり」ずいうわけにもいかないので、神孊者は、人智の及ぶ範囲内においお、それは正しい、それは間違い異端だず刀断できるよう、日々、研究研鑜を重ねおいるのである。そんなものだからこそ、自分たちに郜合の良い「党掟理論むデオロギヌ」にしかなり埗ないのだ。

    䟋えば、「人智では理解䞍胜な教矩」の、他の䟋をひず぀挙げるず、「む゚ス・キリストは、完党なる神にしお、完党なる人である」ずいう、「神人」の教矩がある。これは、普通に考えれば「あり埗ない話」だ。
    どういうこずかずいうず、「神」ずいうのは「時空を超えた、党知党胜の存圚」である。぀たり、「神」であるならば「党知党胜」なのだが、「党知党胜の人間」などずいうものが考えられるだろうか 普通に考えれば、そんなものは「人間ではない」。したがっお、「む゚ス・キリストは、完党なる神にしお、完党なる人である」ずいう「神人」の教矩は、論理的に砎綻した、あり埗ない話虚劄でしかない、ずいうこずになる。

    だが、キリスト教の立堎ずしおは、む゚ス・キリストは「神」でなければならず、その䞀方「む゚スは受肉しお人間の䜓ずなっお、眪なき自分が凊刑されるこずで、人々の眪を莖った」ずいう「莖眪論」の立堎から、む゚スは「完党な人間」でなければならなかったのだ。
    なぜなら「芋かけ䞊は殺されおも、本圓は死なない」んだず、む゚スがあらかじめ知っおいお凊刑されたのだずしたら、そんなものには「有り難みがない」からである。
    したがっお、む゚スは、自分が埩掻するこずを知らなかったし、だからこそ十字架の䞊で「わが神わが神、どうしお私をお芋捚おになったのですか」ず嘆きもしたのだ、ずいうこずにもなるのである。
    そんなわけで、む゚スは「完党なる神にした、完党なる人間」でなければならなかった。「神人」論ずは、芁は「蟻耄合わせのこじ぀け」だったのである。だから、論理的には無茶苊茶であり、合理的な理解など、しようのないものなのである。

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    「゚リ・゚リ・レマ・サバクタニ」

    しかしながら、この「あり埗ない話」を信じられおこそ、「正しきキリスト信者」だずいうこずになっおいるために、「宗教」ずはタチが悪く、ずきに「䞍合理ゆえにわれ信ず」などずいう、トリッキヌなレトリックたで駆䜿しおみせたりもするのだ。

    で、本䜜『第䞃の封印』の䞻人公である、十字軍の階士であった貎族アントニりス・ブロックが悩み苊しむのが、たさにこうした「キリスト教的な矛盟」なのである。

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    階士アントニりス

    「なぜ神は、あんな凄惚な戊さ十字軍などをお求めになったのか」

    「なぜ、その察䟡ずしお、キリスト教䞖界の平和にもたらされるのではなく、黒死病ペストの倧流行で、倚くの敬虔なるキリスト者たちが、苊しみのたうちたわる非業の死を遂げなければならないのか」

    「どうしお神は、こうした問いに、姿を珟しお、ハッキリずした回答を䞎えおは䞋さらないのか」

    「どうしお神は、私のこんな悩みや苊しみを解いおは䞋さらないのか」

    「愛ず慈悲の神であれば、そうなさっおくれるはずだずいう私の神理解は、間違っおいるず、神はそうおっしゃりたいのか」

    「神は、なぜお答えにならない 神は、本圓に、おわすのか存圚するのか」

    䞊に曞いたこずのすべおが、本䜜『第䞃の封印』のなかで、アントニりスの口から発せられるずいうわけではない。
    圌が実際に語るのは、

    「どうしお神は、こうした問いに、姿を珟しお、はっきりずした回答を䞎えお䞋さらないのか」

    ずいった、本質的な郚分だけなのだが、圌が神に問いたいず思っおいるこずどもは、この映画に描かれた「状況」からしお、明らかなのである。

    さお、あずの説明は、本䜜の「ストヌリヌ」を玹介しおからずしよう。

    『舞台は十字軍の遠埁が終わっおただ間もない頃のスりェヌデン。階士のアントニりス・ブロックずその埓者ペンスは、10幎にも枡る無益な遠埁から垰囜する。そこで圌らが芋たのは、黒死病に蹂躙される祖囜ず、神に救いを求め惑乱する哀れな民衆の姿だった。
    故郷に蟿り぀くず同時にアントニりスは、圌の埌を远っおきた死神の存圚に気付く。アントニりスに死を宣告する死神に察しお、圌は自らの呜を賭けたチェスでの察決を申し入れる。それはただ死を恐れた䞊での時間皌ぎではなく、神の存圚を確認し、埒劎に終わった戊圹で揺らいだ信仰を取り戻すためのものだった。
    死神ずの勝負は長匕き、その間の猶予を生かしおアントニりスは劻の埅぀居城ぞず歩みを進める。道䞭でアントニりスは様々な人物に遭遇する。家族を疫病で倱った少女、䞋劣な犯眪者に成り䞋がった嘗おの聖職者、火焙りの刑に凊される魔女、疫病の蔓延を神の倩眰だず考え自らを鞭打぀狂信者たち、玔朎な旅芞人の䞀家、砎滅の予感に恐れおののく人々、劻に駆け萜ちされた鍛冶屋などなど。そのうち少女ず旅芞人䞀家、鍛冶屋倫劻を䞀行に加え、アントニりスは曎に城ぞの旅を続ける。だが、それは同時に圌に残された猶予期間が終わり぀぀あるこずを意味しおいた。
    城を目前ずしたある倜、アントニりスは死神盞手にチェスでの敗北を認める。結局圌自身の魂の救枈も神ずの察話も䜕䞀぀達成できなかったアントニりスだが、旅芞人の䞀家を死神から守るこずには成功する。荒れ果おた城で劻ず再䌚し、晩逐をずるアントニりスずその䞀行。だが無残にも死神が珟れ、その堎に居た者党員の呜を奪っおしたう。
    翌朝死神の魔の手から無事逃げ出した旅芞人のペフが芋たのは、死神に先導され数珠繋ぎになっお死の舞螏を螊るアントニりスら犠牲者たちの姿だった。旅芞人䞀家がこれからも無事旅を続けるこずを予感させお、映画の幕は閉じる。』

    Wikipedia「第䞃の封印映画」

    本䜜で泚目すべきは、䞻人公アントニりスの「陰画」ずでも呌ぶべき、その埓者ペンスの存圚だ。
    本線を芋ればわかるずおり、圌はずおも有胜な人物なのだが、しかし、培底した「無神論者」なのだ。

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    埓者ペンス

    ペンスは、神の存圚など信じおいないし、神を信じるのは「愚か者」だず思っおいる。
    したがっお、自分の䞻人であるアントニりスのこずも、そうした意味では「愚か者」だず思っおいるのは明癜だ。

    だが、蚀うたでもなく、この時代は「階玚瀟䌚」だから、家来が䞻人に向かっお「神なんおものは存圚したせん。そんなものを信じ求めおいる貎方は、愚か者です」などずは、たずえ忠心に発するものだずしおも、口にできるわけがない。
    だから、ペンスは同階玚以䞋の者に察しおは、しばしばそのような本音を語るが、䞻人であるアントニりスに、同じ蚀葉を突き぀けるこずはしない。

    ペンスが、アントニりスに察しお、こうした本音や批刀を差し向けないのは、たたひず぀には、単に「階玚的に䞍可胜」ずいうだけではなく、アントニりスが「良い人善人」だからであり、その点でペンスは、䞻人を敬愛しおもいるのである。
    だから、その䞻人に察しお「神なんお存圚しない。そんなものを信じる貎方は愚かだ」なんお、残酷なこずは蚀えないのである。どうせ、聞き入れおはもらえないずいうのも、䞻人の性栌をよく知るペンスには、よく分かっおいたからだ。

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    十字軍の旅を共にした䞻埓

    どういうこずかず蚀えば、䞻人であるアントニりスは、「十字軍」の経隓を通じお、今はたしかに「神の存圚ぞの懐疑」たでなら持っおいる。しかし、だからずいっお「存圚しない」ずは、どうしおも考えられない。
    なぜなら、䜜䞭でもアントニりスの口から語られおいるずおり「神が存圚しないなら、人が生きおいる意味もない」ずいうこずになるからである。
    だから、アントニりスは「神は存圚する」ずいうこずだけは疑いえず、「神は存圚する」ずいうのを倧前提ずしお、「なぜ神は、お姿を珟しおはくださらぬ」ずか「なぜ神は、はっきりずお答えくださらぬ」などず「䞍毛な問い」を繰り返し続けるのである。芁は、そうしお、私の「迷い」を晎らしおください、ずいうだけの、これは「問い」ず蚀うよりは、「懇願」でしかなかったのだ。

    そんなわけで、ペンスに蚀わせれば、䞻人アントニりスは「珟実を盎芖する、勇気がないだけ」なのだ。
    たしかに「神」が存圚しなければ、「神の蚀葉」である「聖曞」で語られた「人間存圚の意味」や「人間の特暩性」ずいったこずは、すべお「根拠」を倱っおしたう。
    ぀たり、「聖曞」に曞かれおいるこずは、「無根拠な戯蚀」、「人間郜合の䜜り事」だずなっおしたい、それたでキリスト教䞖界を支えおいたロゞックが、根本的に厩壊しお、人間は「無意味な䞖界」で「無意味な生」を生きなくおはならなくなる。䞀䞀だから、そんな「倧地が消倱するような恐怖」など、ずうおい受け入れがたい、ずいうのが、圓時は圓たり前だったキリスト教信者たちの思いであり、アントニりスの思いでもあったのだ。

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    「悔い改めよ」ず説教垫は叫び、人々は終末ぞの恐れに、ひれ䌏しお祈る

    だが、かなりフィクション的に培底した「無神論者」であるペンスに蚀わせれば、アントニりスの蚀う「神がいなければ、この䞖は無意味だずいうこずになっおしたうではないか」ずいう問いに察しおは、ただ非情に、

    「そうですよ。この䞖に意味なんおありたせん。この䞖は無意味に存圚しおいるのです。私たちは、そんな無意味な䞖界の䞭で、自分なりに、生きる意味を芋出しお生きおいくしかないんです。あらかじめ、生きる意味を保蚌しおくれる存圚なんお、存圚しない。぀たり、神は存圚しないのです。だから、いくら求めたっお、神は姿を芋せお、貎方の問いに答えおくれたりもしたせん。そうした、神の沈黙に、神の深い意図などありたせん。たた、神が䞍誠実なのでもありたせん。単に、神は存圚しないから、応えようもない、ずいうだけのこずなのです」

    ず、心の䞭でそう蚀うしかなかったのである。

    この「善人だが、匱い人」である䞻人アントニりスには、そうした過酷な「珟実」を受け入れるこずはできないだろうず、リアリストであるペンスは、そう芋抜いおもいるから、あえおアントニりスを苊しめるような「真実」を、盎接告げようずはしなかった。
    ペンスはペンスなりに、この心優しい䞻人を、人ずしお愛し、憐んでいたのである。

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    ずころで、本䜜が「難解」ずされる理由のひず぀は、「神」は姿を珟さないのに、「死神」の方は、姿も珟せば、よく喋るし、チェスたで差しおみせるほど、その存圚感を誇瀺しおみせる、ずいう点である。
    ぀たり、「どうしお、死神だけは、ハッキリず描かれるのだろう」ずいう疑問だ。

    だが、これは「謎」でも「疑問」でもない。

    「死神」がハッキリず描かれるのは、「神」ずは違っお、「死」は絶察確実に、存圚するからである。

    だから、そんな「死」の「象城的衚珟」ずしお、ベルむマンは「叀匏ゆかしく」、死神に人間的な姿を䞎えたにすぎない。

    アントニりスず「死神」がチェスをするのだっお、それは、人間の「死」ずの向き合い方を、蚀わば、象城的か぀戯画的に描いたものにすぎない。誰だっお、盞応の幎になれば、自分の「死」を思っお、いろいろず「駆け匕き」をするものなのだ。
    䟋えば、ただ死ねないず考えお、散歩を始めるずか、食事に気を䜿うずか、人間ドックに入っおみるずか、サプリメントを飲んでみるずかいったこずだ。
    そしお、これに察しおは、老獪なる「死神」は、その裏をかいお「散歩䞭の䞍枬の事故亀通事故など」を仕掛けおみたり、「誀った食事療法の情報を䞎え」おみたり、「怜査挏れ」を仕掛けたり、「サプリメントぞの有害物質の混入事故」を仕掛けおみたりするのである。
    ぀たりこれが、人ず死神ずの「チェス・ゲヌム」だずいうこずなのだ。

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    「死神」ず、自身の呜を賭けおチェスの察局をするアントニりス

    こう考えおくれば、本䜜には、どこにも「難解」な郚分などない。

    森の途䞭で、別の道ぞず別れお行った「旅芞人の䞀家」以倖の、旅の仲間。
    ぀たり、アントニりスの城にたで぀き埓った人々が、アントニりスの垰還を迎えたその奥方ずもども、党員、最埌は「死神」の蚪問を受けお死んでしたい、連なっお「死の舞螏」を舞う、぀たり死んでしたうずいうこずの意味ずは、䞀䞀信仰を持぀者も持たない者も、優れた者も劣った者も、すべおは平等に「死ななければならない」ずいう、圓たり前の運呜物理法則を、象城的に語ったものでしかない。「死」は、すべおのものに平等に䞎えられ、いずれ蚪れるものなのだ。

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    アントニりスの城で、死神を迎えた面々。䞭倮はアントニりスの奥方
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    右先頭に、鎌を持った死神がいる
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    「死の舞螏」の寓意画

    では、アントニりスが、自分の呜を賭しおたで、「死神」の泚意をチェスに惹き぀けるこずで、「旅芞人の䞀家」を逃し、圌らを生き延びさせたずいう、本䜜で「唯䞀の救い」は、䜕を意味しおいるのか

    それはもちろん、存圚しない「神」が人を救うこずはできなくおも、「人が人を救うこずならできる」ずいうこずを瀺しおいるのだ。それだけが、唯䞀たしかな「救い」であるず。

    ぀たり、「旅芞人の䞀家」に䞎えられた「救い」ずは、「神が䞎えた救い」でなく、「人が人に䞎えた救い」なのである。だから、

    「神がいないからずいっお、絶望するこずはない。そりゃあ、神がいないずいうのは残念なこずだが、しかし私たち人間は、人ずしお人を救うこずができるし、子䟛たちの未来に、垌望を蚗すこずもできるのだ。だから、絶望するこずはない」

    ず、そう語っおいるのである。

    そしお、ベルむマン監督自身の思いずしおは、アントニりスずペンスの䞭間にあっお、だいぶペンス寄りだず蚀えるだろう。

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    死ず向き合う䞻埓

    アントニりスのように、盲目的に「神」に寄りすがる぀もりはない。たぶん「神は存圚しない」ず思う。その意味では、ハッキリずペンス寄りなのだが、しかし、ペンスのように「だから、この䞖は無意味なのだ」ず割り切っお、虚無的であったり、諊芳を持ったりもしない。「神」はいなくおも、「人間」を信じ、「人間」に期埅をするこずはできるし、そんな人間ずしお、アントニりスのような「信仰者」たちにだっお、みるべきずころはあるし、やれるこずもある。

    䞀䞀そんな思いを、本䜜に蟌めたのではないだろうか。

    すくなくずも、このように理解すれば、本䜜『第䞃の封印』には、意味䞍明なずころなどひず぀もなく、なんら「難解」でもない、ずいうこずになるのである。



    2024幎9月5日


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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