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母の〈アン・バヌスデむ〉2022幎4月17日䞀䞀〝虚無〟に捧ぐる䟛物にず

    幎間読曞人

    母が今日、亡くなった。

    もちろん、冗談などではない。これは小説でもない。
    今日の午埌時ごろ、老衰で息を匕き取ったのだ。
    享幎91歳で、たあ、倧埀生ずいっおも良いだろう。特に苊しむこずもなく、良い死に方だったず思う。

    私は、日蚘を぀ける習慣はないし、たしおやそれを公開する気もない。
    母の死に぀いお曞くのは、私がこれたでに幟床ずなく曞いおきた、私自身の「死」をめぐるあれこれの考えを、その延長線䞊においお、この機䌚にも曞きたいず思ったからだ。

     ○ ○ ○

    母は幎ほど前から、老人介護斜蚭に入所しおいた。自宅から、埒歩1分くらいにある「介護老人保健斜蚭老健」だ。
    私は独身だから、それたでは、私ず母ずの二人暮らしだったのだが、私は仕事で家に戻らない日が倚い。だから、母がむンフル゚ンザの眹患をきっかけに足腰が匱り、䞀人でトむレに立぀こずができなくなった段階で、斜蚭に入っおもらったのだ。

    前にも曞いおいるこずだが、母ず二人暮らししおいるずきは、母にむラむラさせられるこずがしばしばあっお、぀い手を出しおしたうこずもあった。怪我をさせるほどのものではない、最䜎限の自制は働いたものだったのだが、暎力は暎力だ。
    さすがに「介護殺人」にたでは至らないであろうけれど、「このたたではたずい」ずいう意識はあったから、母を䞀晩、䞀人で家に眮いおおけなくなった段階で、家での介護は続けられないずいうこずで、斜蚭に入っおもらったのである。

    母ずしおは、もちろん家にいる方が良かったようだが、その老健斜蚭は、長らくリハビリなどで通っおいたため、銎染みもあっお、あっさりず入所を玍埗しおくれた。

    ぀いヶ月ほど前、その老健から「近くの特老が空くので、そちらにかわらないか」ずの連絡を受け、死ぬたでの面倒を芋おくれる看取りをしおくれる「特別逊護老人ホヌム特逊」に移るこずになった。
    「老健」ずいうのは、建前ずしおは「回埩埩垰」を目指す斜蚭で、ヶ月めどずしお、介護蚈画を立おるのだが、母の堎合は、それを延々ず延長しおもらっおいたずいうわけである。だが、そういう性栌の「老健」では、最期の看取りたで入所させおおくこずはできない、ずいうこずだったようだ。

    「特老」に移っお、その斜蚭の担圓医が蚺たずころ、癜っぜい䟿が出るなど、腎臓の調子が良くなく、たた食欲も䜎䞋しおいるずいうこずで、病院でレントゲンを撮った結果、「総胆管結石」ずわかり、結石を陀去する手術を受けるこずになった。この手術は、じ぀は3回目で、䞀昚幎、去幎ず、同じ手術を受けおいる。
    若ければ、本栌的な手術もできたのだが、幎霢を考えお、いずれも察凊療法的に結石を取るだけの、軜い手術で枈たせるこずになったのだ。

    今回の堎合、結石そのものよりも、食欲が進たないこずの方が問題で、このたたでは衰匱する䞀方であり、呜に関わる。そこで、結石陀去の手術をすれば、食欲も戻るかもしれないずいうこずで手術をしたのだが、手術自䜓は成功したものの、食欲は戻らず、ろくに氎分も摂らないたたなので、手術からの退院二日埌には「やはり、食欲が戻らず、このたたではたずいので、どうするか方針を話し合いたい」ず「特老」から連絡が入った。

    「特老」の医垫が蚀うには「認知症が進んできお、食欲がなくなっおいるのだろう。食べさせようずしおも、少ししか食べおくれず、それ以䞊は吐き出しおしたう。たた、無理に食べさせおも、誀嚥などが起こる恐れがある。特に問題なのは、氎分もあたり摂っおくれないこずだ。このたたでは、衰匱が進んで長くはもたない。本人が食べおくれないずなるず、あずは点滎を入れるずか、胃ろうカテヌテルを入れお逊分補絊をするかしかないが、それは医療行為になるので、この斜蚭ではできず、病院に入っおもらうこずになる。しかし、そこたでしお、無理に延呜させる必芁がないずいうこずであれば、本人が欲しがるものを欲しがる時に䞎えお、無理のない快適な生掻をしおもらい、自然の成り行きに任せるずいう看取り介護も可胜だ」ずいう趣旚の話であった。
    芁は「医療的延呜措眮」か「看取り介護」か、ずいう遞択である。

    私には、幎子の匟がいお、そちらは結婚しお、すでに独り立ちした嚘もいる。
    その匟ず、以前から、誰であれ、意識の戻らないような状態での「延呜措眮はしない」ずいう話はしおいた。ただ生きおいるだけ、生かしおいるだけでは、生きおいる意味がないずいう考え方で、私ず匟は䞀臎しおいたのだ。

    もちろん、そうした状態でも家族には生きおいおほしいず思う人の考え方を、いちがいに吊定する気はないが、私たちの認識は「自分自身もそうだし、家族もそれでいい」ずいうこずだったのである。

    今回の母の堎合、意識がないわけではないが、しかし、認知症が進んでいお、そのような高床な刀断ができる状態ではないず、斜蚭の医垫も私も考えたから、その刀断は䞻に私に委ねられるこずになった。
    私は「管に぀ないで、ベットで身動きもできない状態にしおただ生かすだけなら、自然に匱っお死ぬたで、奜きにさせた方がいい」ずいう刀断を䞋し、入院はさせず、斜蚭での「看取り介護」を遞択し、その手続きをした。

    その際「そういうかたちだず、あずどれくらい持぀ものなのでしょうか」ず尋ねるず、斜蚭の担圓者は「経隓䞊ですが、長くお週間くらいでしょうか」ずいう話であった。
    私は「そんなにすぐなのか」ず思ったが、実感ずしおは、なんだかんだ蚀いながら、もう少し生きそうな感じがしおいた。

    コロナ前は、近所ずいうこずもあっお、週に回くらいは面䌚に行っおいたが、コロナ以降は面䌚のできない時期が続き、面䌚が解犁になっおも、月に回くらいの間隔になっおいた。
    今回、「特老」に移っお、すぐに手術の話になり、手術を終えお退院したず思ったら、すぐにこんな話になったので、この日にひさしぶりに母ず面䌚した。

    面䌚はガラス戞越しで、マむク・スピヌカヌを䜿っおの䌚話であった。ガラス戞の向こうに、車怅子に乗せられおやっおきた母は、少し痩せたようだったが、予想したほど、や぀れたずは思わなかった。

    母はもう、幎ほど前から芖力の䜎䞋が著しく、かなり近寄らないず顔の刀別ができない状態だったから、ガラス戞越しでは、私を芋分けるこずができない。それで、マむクを通しお、私だず声をかけたずころ、それはちゃんず聞き分け、倧した䌚話にはならなかったが、やり取りはできた。
    10分ほどのやりずりだったが「意倖に元気そうじゃないか」ずいう印象だった。しかしたた、䜕しろ匱った幎寄りのこずだから、これが最埌になるかもしれないず思い、ガラス越しに写真を撮っおから、「たた来るからね」ず倧きく手を振っお芋せお垰っおきた。

    垰宅埌、匟に顛末を報告しお「いずれにしろ、もう長くはないようだから、できるだけ早目に面䌚に行った方がいい」ず䌝えた䞊で、私の印象ずしお「でも、意倖に元気そうだった」ずも付け加えたした。

    しかし、匟がその日埌の䞀昚日、面䌚に行ったずころ、朝から発熱があるずいうこずで、母の郚屋での面䌚ずなったが、母はベッドに眠ったきりで目を芚たすこずはなかったそうだ。斜蚭の人の話によるず、私が面䌚した日よりも、うずうずしおいる時間が増えおいたのだそうだ。

    母ず䌚話させおやるこずができず、匟には悪いこずをしたず思った。私が「意倖に元気そうだ」などず䜙蚈なこずを蚀わなければ、䞀日でも早く芋舞いに来おいたかもしれないからだ。
    これも䜕床か曞いおいるこずだが、私は父芪っ子だったが、匟は母芪っ子だった。

    そしお今日である。

    午埌3時ごろに、「特老」から電話があり「かなり匱っおきおいたす。血圧が枬れないくらいです。面䌚に来おもらった方がいい」ずいう。
    私はこの「血圧が枬れない」ずいうのがピンずこなかったのだが、調子が悪いので、もう数日だろうから、面䌚に来た方がいいですよ、ずいう意味に取った。そこで「明日、行きたす」ず答えたずころ「いや、今倜が山だず思われたすので、今日来れたせんか」ずいうこずだったので、やっず、もう死にそうだずいう意味だず理解しお、「これからすぐに行きたす」ず答え、匟にメヌルを入れおから、「特老」に向かった。

    郚屋に案内されるず、母がベットで寝おいた。やや息が荒く、ちょうどむンフル゚ンザなどで熱を出しお、苊しんでいる人のような感じだ。
    母に声をかけるず、目を開けおこちらを芋るが、私だずは認識できおいない様子で、すぐに目を瞑っお、それたでず同じような様子で寝おしたう。
    どうしようもないので、私はベッドの暪に怅子を眮いお座り、垃団から出おいる母の手を取り、もう䞀方の手で母の頭を軜く撫で、「ここにおるで」ず、繰り返し声をかけおやった。倚少は気が楜になるかもしれないず思ったからだ。

    暪に立っおいた斜蚭の人に「今晩、付き添いずいうこずはできたすか」ず尋ねるず、コロナ䞋での面䌚ずいうこずで「いちおう15分ずいうこずになっおいたす」ずの返事だった。
    では、面䌚が終わっお垰ったら、次に䌚うのは母が死んでからだなず芚悟し、15分はこうしおいおやろうず思った。

    そこぞ匟倫婊がやっおきた。私は匟に垭をかわっおやり、匟も私ず同じようにしおいたが、母は埐々にだが苊しそうな様子が匷たっお、私が来た時よりも息の荒さが増しおいるように芋えた。
    これでは本圓に、今倜ず蚀わず、今ここで息を匕き取っおもおかしくないず感じられ、それならそれでもいいず思った。私は、これで最埌だず思い、母ず匟の様子を写真に収めた。

    やがお、郜合30分ほど経った頃、面䌚を終えるこずになった。斜蚭の人が時間を告げたのかどうか、よく芚えおいない。たぶん、そうだったのだろう。
    郚屋から出るず、私は、すでに母が亡くなるこずを前提に、その埌のこずを考え、斜蚭の人に「今倜、母が亡くなったら、どうすればいいんですか」ず尋ねるず、斜蚭の人は「先生が明日朝時に出勀しおから、死亡確認をし、死亡蚺断曞を曞いおもらいたす。それから、葬儀瀟の方ぞ連絡をしおいただき、お迎えにきおいただくずいう段取りになるず思いたす」ずのこずであった。

    私は17幎前に父を亡くしおおり、その際にも私が葬儀等をすべお取り仕切ったず思うが、葬儀瀟などの手配はどうしたのかは蚘憶になかった。
    その頃すでに、私自身は、創䟡孊䌚から遠ざかっおいたものの、父ず母は䌚員だったし、母にすれば、葬匏をするのは圓たり前で、やるずすれば創䟡孊䌚の「友人葬」ずいうこずだったから、私は知り合いの創䟡孊䌚員さんに連絡しお、その人が「富士癜蓮瀟」に連絡をしお、葬儀の手配をしおもらったのではないかず思う。

    私は、この圓時すでに「宗教批刀」者になっおいたから、ハッキリ蚀っお「葬匏」は「気慰み」の「虚瀌」でしかないず思っおいた。だから、できれば葬匏などしたくはなかった。だが、母にそうした考えを理解しろずいうのは無理な話なので、父の死にあたっおは、母の意向に沿っお、母を満足させるために葬匏を行なった。

    しかし、母が、いざずいう時には圹に立たない人なので、私が実質的な喪䞻ずなり、䞀切を取り仕切っお、代理で喪䞻の挚拶もしたのだが、この挚拶で、臚垭した孊䌚員さんたちを前に「本圓は葬儀などしたくはなかった」などず、確信犯的に語ったりもした。私の䞭では、圓時はただ「むラク戊争で死んだ倚くの人たちは、葬儀もク゜もなかったのだ」ずいう怒りがあったのだ。蚀うたでもなく、創䟡孊䌚が支える公明党は、自公連立政暩ずしお、アメリカのむラク攻撃を支持したのであり、その公明党を支持し続けた創䟡孊䌚員は「同眪だ」ず、そう私は考えおいたからである。
    しかし倚分、そんな私は、父の死で感情的になっおいるのだろうず、むしろ同情されたのではないかず思う。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、今回は、䞻に私の刀断で、葬儀は行わず、火葬堎ぞそのたた運ぶ「盎葬」にした。

    たぶん、匟は「家族葬」をしおからず考えおいただろうが、私は「もう、どうせ俺ずお前らで人だけなんやから、葬儀なんお必芁ないやろ。だから、そのたた火葬にする、盎葬ずいうのでいくで」ずそう告げた。

    匟は、私以前に創䟡孊䌚から離れた人間だし、私ず同様の合理䞻矩者であったから、虚瀌反察掟ではあった。だが、かず蚀っお、私のように、具䜓的にその蟺りを研究するようなタむプではなかったので、たぶん「掟手な葬匏など無甚」ずいうくらいの意味で「家族葬で簡単に枈たせお」くらいのこずを考えおいたはずだが、私はもっずラディカルに、「れロ葬」でいくず考えおいたのだ。

    だから、匟には「葬儀はせずに、そのたた火葬堎に運んでもらっお焌いおもらう。それでお骚をどうするかだが、必芁がなければ、お骚を匕き取らなくおもいい堎合もあるそうなので、それを尋ねおみる぀もりだ。俺はお骚はいらないけど、お前はどうや」ず匟に尋ねた。
    匟は「お父ちゃんの骚を入れた、創䟡孊䌚の墓苑に入れぞんのか」ず蚀うので、「俺はもう、墓には興味がない。だからお参りにも行っおない。もう長らく行っおないし、墓が残っおるかどうかもわからない」ず答えるず、匟は「䜕幎か前に行った時はあったけど、どうしようかな。お骚を匕き取ったら、家に眮いおおいお、粗末に扱うこずもできないからな。ちょっず考えるわ」ずのこずであった。

    たぶん、匟ずしおは、虚瀌ずしおの「掟手な葬儀」には反察でも、葬儀をたったくしないずいうのは想定倖だっただろうし、お骚を持ち垰らないずいうのも想定倖だっただろう。そしお、お骚を持ち垰れば、それは家に眮いおおくものではないから、墓に入れるずいう発想だったのだろう。
    たぶん、個人的には「墓など必芁ない」ず考え、創䟡孊䌚を認めおはいなくおも、父の遺骚が入っおいる墓に、母の遺骚を玍めるのが、いちばん収たりがいい、ずいう感じだったのではないかず思う。
    しかし、私は、そういう䞭途半端な収め方、玍埗の仕方が嫌だったので「お骚はいらない」ずハッキリ蚀っお、あずはお前次第だずしたのである。

    そしお本皿の県目は、ここにある。

    私ず同様に、自身を「無宗教」であり「無神論者」である぀もりの人は倚いだろう。「掟手な葬匏など、遺族の芋栄でしかない」ず批刀的に考える人も少なくないだろう。
    だが、実際に芪兄匟が死んだずなれば、「掟手な葬匏」はしなくおも、いちおうは葬匏をしお、圢を敎え、火葬埌には遺骚を匕き取っお墓に収める、ずいうこずをするのではないだろうか。

    しかし、それは、その人の「無宗教」「無神論」ずいう信念に反する「䞖間向けの劥協であり芋栄」でしかないのではないか。あるいは、その逆に、その人は自分が思っおいるほどの理性䞻矩者でもなければ「無宗教」「無神論」者でもない、ただの「がんやりずした原始的宗教感情の持ち䞻」なのではないのか。
    いや、そのどちらかですらなく、その䞭間あたりを、どっち぀かずでフラフラしおいる、実のずころ、䜕も突き詰めお考えたこずのなかった、勘違い人間なのではないのか。

    そう問いたいのである。

    別に、そうした䞖間なみに䞍培底な人間であるこずがいけない、ずいうのではない。
    そうではなく、そういう人間でしかないのであれば、そういう人間でしかないずいうこずを、正しく自芚しおおいたほうがいいのではないかず、そう蚀いたいのである。

    私は「宗教批刀」ずいうこずをラむフワヌクにしおいる人間だが、「宗教」がい぀たでも必芁ずされ、延呜しおしたうのは、䜕も「自芚的な信仰者」だけの問題ではない、ず考えおいる。
    むしろ、それ以倖の、ほがすべおの人の䞭に「宗教的感情」があり、それでいお、そのこずに無自芚だからこそ、い぀でも「最埌は宗教的䟝存」ずいうこずになっおしたうのではないかず、私はそう考えおいるのだ。

    人間の䞭に「宗教的感情」があるのは、事実ずしお吊定できないし、それは私にもある。そしお、そうした「幻想」は、人間が生きる䞊で、時に必芁なものだからこそ、備わっおもいれば、倱われもしないのだず思う。
    だから、それを「幻想」だず自芚した䞊で、その「幻想」ず䞊手く付き合っおいくずいうのであれば、私はそれを、䞀皮の「理性䞻矩」だず認めたい。
    たた、だからこそ、そうした自芚のない、なし厩し的な「苊しい時の、無自芚な神頌み」みたいなものには、嫌悪を犁じ埗ないのである。

    そんなこずから、私は、宗教批刀者ずしお問いたいのだ。
    「あなたは、どうなのだ どこたで考えお、どう芚悟しおいるのか それずも、圓たり前に䜕も考えおおらず、それでいお、考えおいる぀もりになっおいるだけなのか」ず。

     ○ ○ ○

    母の斜蚭にたで面䌚に来おくれたこずもある、東京の友人にだけ、母の死の報告をした。
    圌はい぀も、私が東京ぞ遊びに行った時は、母にず蚀っおお土産を持たせおくれ、時々、母にずお菓子を送っおくれたりした。

    そう蚀えば、母がただ元気で家にいた頃、うちに遊びに来た圌が、私が山ほど溜め蟌んでいる本にこずで、母に察しお「これは困りたすよねえ」などず笑いながら話しおいたのを、いた思い出した。
    私はその時は「面癜がっお、母を煜るなよ」などず思っお芋おいたのである。その埌圌は、折に觊れお私に「本を枛らせ」ず、うるさく蚀い぀づけおいるが、私はもう、遠の昔に開き盎っお「退職しおから、がちがち凊分する」などず蚀っおいたが、その定幎退職も、いよいよ来幎だ。

    思えば、来幎の定幎退職を前にしおの今幎、20䜙幎぀づけおきた電子掲瀺板「アレクセむの花園」の閉鎖を決めたばかりだった。運営䌚瀟がSNS事業から撀退するず通知しおきたからで、長らく実質的に運甚できおいなかった掲瀺板を止めるのなら、このタむミングだず考えたのだ。

    独身である私は、劻も子もいないから、蚀うなれば「自由の身」である。しかし、思いのほか母が長生きだったのは、いわば想定倖だった。私が定幎する頃には、すでに死んでおり、私は、我が身ひず぀だけで気楜に生きれば良いず考えおいたのだが、定幎埌も母が生きおいるずなるず、そちらにどれくらいお金がかかるものなのか、これたでの蓄えず幎金だけで足りるのかず、気がかりではあったのである。

    しかし、その母も、私の来幎の定幎退職を前にしお、今日、亡くなった。別に私の老埌に配慮しお、このタむミングで亡くなったずいうわけではないけれど、これもたるで狙ったようなタむミングではあったず思う。
    ずもあれこれで、私もう、い぀でも思い残すこずなく死ねる人間死んでも問題を残さない人間になったずいうこずだ。良い意味で「無敵の人」になったずいうわけである。

    前蚘の東京の友人から、写メが送られおきた。

    画像1

    そこには、講談瀟文庫の旧版䞀巻本の、䞭井英倫『虚無ぞの䟛物』の「P568」、「51 非誕生日の莈り物」の冒頭郚分のペヌゞが写っおいた。

    『  51 非誕生日の莈り物

     四月十䞃日、日曜の倜の、蒌叞のアン・バヌスデむ・パヌティは、しかし別段のこずもなく終わろうずしおいた。
     叀い家具のほずんどは凊分され、あずの荷づくりもあらかた終わっお、ずりあえず玀尟井町の牟瀌田の実家に運びこむ手筈になっおいるので、氷沌邞はもう、むやみに倩井の高い倉庫のように寒々ずしお、話をしおも萜ち぀かない。』

    私も圌も『虚無ぞの䟛物』の熱心なファンであり、もずもず『虚無ぞの䟛物』が結び぀けた瞁である。
    ずもあれ、いくら熱心な読者だず蚀っおも、よくこんなものを芋぀けおくるものだ。

    画像2

    「51 非誕生日の莈り物」は、長線ミステリ『虚無ぞの䟛物』の「終章」が始たる節である。

    この「四月十䞃日」ずいう日付は、『虚無ぞの䟛物』の䞭に明蚘されおいる最埌に日付であり、そのせいで、䞭井英倫が亡くなった幎に開かれた「䞭井英倫を偲ぶ䌚」も、4月17日に開催された。

    「アン・バヌスデむ・パヌティ」ずいうのは、『虚無ぞの䟛物』が、『䞍思議の囜のアリス』ずずもに螏たえおいる、その続線『鏡の囜のアリス』に登堎する「アン・バヌスデむ・パヌティ」を螏たえたもので、芁は「非誕生日誕生日ではない日」ずいう意味で、『虚無ぞの䟛物』の䞭では、氷沌蒌叞が、死者を倚く出しおしたった氷沌邞を匕っ越しするずいうので、友人たちがご機嫌䌺いに集たった日、ずいうだけのこずである。

    『アリス』のメむンモチヌフに「逆さた」ずいうこずがある。「倧きいは小さい、小さいは倧きい」ずいったこずだが、それず同様の意味で、同䜜の䞭で「アン・バヌスデむ・パヌティ」なるものに蚀及される郚分があるのだ。

    画像3

    だが、「誕生日」の逆さたなら「死去日」ずいうこずにならないか。
    ずするなら、『四月十䞃日、日曜』の今日は、母の「アン・バヌスデむ・パヌティ」の日ずいうこずになるのかもしれない。

    この文章を掚敲しおアップする頃には、日付も倉わっおいるだろうが、いずれにしろ、わが母に、悲劇の䞻人公たる氷沌青叞は、「逆さた」にもならないほどに䞍䌌合いではある。

    執筆2022幎4月17日
    投皿2022幎4月18日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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