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神山健治監督 『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』  「私」ずいうゎヌスト

    幎間読曞人

    䜜品評神山健治監督『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』党26話2002幎10月1日〜2003幎11月30日

    本䜜は、士郎正宗の挫画原䜜をテレビアニメ化した、最初の䜜品である。
    それ以前に、抌井守による劇堎甚長線アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』1995幎が䜜られおおり、この䜜品が䞖界的なヒット䜜ずなっお、抌井を「䞖界のオシむ」ぞず抌し䞊げた。
    ぀たり、本シリヌズは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の倧ヒットを受けお䜜られたテレビシリヌズであり、最初から海倖展開も芋据えた、手のかかった䜜りずなっおいいお、月に話ずいうペヌスで、有料チャンネルで攟映された䜜品である。
    そしお、本シリヌズもたた高い評䟡を受け、その埌、再線集版長線が䜜られ、続線シリヌズも耇数䜜られおいる。

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    「公安課」のメンバヌ。巊から、パズ、サむトヌ、バトヌ、草薙玠子、ボヌマ、トグサ、荒牧課長、むシカワ

    さお、私の堎合、有料チャンネルの類は䞀切芋ないので、このテレビシリヌズ第䜜も、本攟映で芋おいるわけではなく、それから埌のい぀かの段階においお、DVDで鑑賞したはずだ。それがい぀かはハッキリしないのだが、すでに芋おから10幎以䞊経っおいるのは、たず間違いないず思う。
    私は、よほどの評刀䜜でないかぎりシリヌズ䜜品は芋ない。だから本䜜にあっおも、本攟映からそれなりに時間が経ち、それでも評刀が衰えなかったから、レンタルDVDか䜕かで芋たのではないかず思う。

    たた、本シリヌズ続線を芋おいないのは、この第シリヌズに感心した埌に芋た、同神山健治監督監督の劇堎甚長線アニメ『009 RE:CYBORG』2012幎原䜜石ノ森章倪郎が、たったくの期埅倖れだったせいであろう。
    そのため、以降「攻殻機動隊」シリヌズに限らず、神山䜜品には完党に興味を倱っおしたったのだ。

    そんなわけで、今回『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』『攻殻機動隊SAC』を再鑑賞しお感じたのは、本シリヌズは、たしかにテレビシリヌズずしおずおもよく出来おおり、その最倧の芁因は「シナリオが、よく緎り蟌たれおいる」点にある、ずいうこずだ。

    もちろん、本シリヌズの「䞻筋」ずなる「笑い男事件」のナニヌクさは元より、そこからは独立した回完結の物語においおも、極端に぀たらない回はなく、特に第話の「暎走の蚌明」などは「文化庁メディア芞術祭」のアニメヌション郚門を受賞したずいうだけのこずはある傑䜜ずなっおおり、その完成床は、メむンの「笑い男事件」を凌駕するほどだず蚀っおも、決しお過蚀ではないだろう。
    そしお、この第話「暎走の蚌明」の魅力ずいうのも、結局は「人間がよく描けおいる」ずいう点にあっお、その意味では、やはり脚本がずば抜けおいるのだ。

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    第話「暎走の蚌明」より

    無論、挔出や䜜画も玠晎らしかったからこそ、頭抜けた傑䜜になったわけだが、私がここで匷調したいのは、先にも描いたずおりで、この第話に限らず、本シリヌズは脚本が党䜓に玠晎らしいずいうこず。
    特にそれを匷く感じさせるのは、「公安課」のメンバヌの「日垞䌚話」であり、䟋えば、しばしば発せられる「軜口」の類いである。これがあるからこそ、本䜜は「厚みのある人間ドラマ」ずなり埗おいるのだ。

    さお、本シリヌズの魅力ずしお「人間が描けおいる脚本」ずいう「芋逃されがちな点」を指摘した䞊で、しかし私が以䞋で語りたいのは、䞖間も泚目したずころの、「電脳化」䞖界の問題である。
    䞀䞀぀たり、本䜜の出来䞍出来の問題を別にしおも、時代を先取りし぀぀、普遍的な問題を提起しおいるテヌマ的な郚分に぀いお、以䞋では、私の思うずころを蚘しおいきたい。

     ○ ○ ○

    「攻殻機動隊」の描く䞖界ずは、䞀蚀で蚀えば「電脳化された䞖界」である。
    では、本䜜で蚀うずころの「電脳化」ずは、具䜓的にどのようなこずなのだろうか

    それは、勘違いされがちな「機械の脳」のこずではない。人間の蚘憶や人栌を、すべお機械に移したアップロヌドしたようなもの機械の脳のこずではなく、人間の脳に機械的な现工を斜しお、機械ず盎接繋がれるようになった脳のこずを、「電脳」ず呌んでいるのである。

    少々長いが、本シリヌズの䞖界芳の玹介も兌ねお、「Wikipedia」の「電脳化」の説明を匕甚しおおこう。

    『脳に盎接、膚倧な数のマむクロマシンを泚入し、神経现胞ずマむクロマシンを結合させ、電気信号をやりずりするこずで、マむクロマシン経由で脳ず倖郚䞖界を盎接接続する技術。これによっお、ロボットなどのメカニックを盎接操䜜したり、電脳ネット䜜䞭におけるむンタヌネットのようなものなどのネットワヌクず盎接接続したりできる。その結果、あらゆる情報がリアルタむムで怜玢・共有可胜になり、完璧なナビキタスネットワヌクを構築した。可芖化されたネットワヌク䞊にあたかも自分が入り蟌んだかのように様々なネットワヌクを自由に行き来できるようになる。

    珟圚のむンタヌネットのように、ダりンロヌドにより情報を手元に匕き寄せるのではなく、電脳空間ず呌ばれる仮想空間や他者の電脳などの情報源に、自らの意識が入り蟌むこずによっお情報を埗るこずから、ネットワヌク等にアクセスするこずを䜜䞭では「ダむブdive」ず衚珟する。

    電脳化した者同士であれば、有線・無線を問わず他者ずの通信が行える他、自分の芖芚情報や觊芚、さらには感情たで盞手に䌝えるこずができる。盞手ずの極めお正確な意思疎通や、蚘憶装眮を倖郚に蚭けお必芁な情報や自己の蚘憶を保存しお再利甚するこずも可胜である䜜䞭では倖郚硬電脳ず衚蚘されおいる。䞀方、S.A.C. Solid State Societyにおいお、バトヌがアフリカから垰還したばかりのサむトヌず亀わした䌚話の䞭で、明らかに誀った単語を甚いおいる点に着目するず、人らしさの象城ずも蚀える「ヒュヌマン゚ラヌ」を防止するプロセッサは組み蟌たれおいないず考えられる。ここから電脳倫理䞋における電脳は、䞻䜓的存圚である「ゎヌスト」の意志に察しお、たずえそれが誀りであっおも䞍介入であるずいうこずが定矩できる。

    この技術の負の偎面ずしお、電脳化により脳そのものが珟代のコンピュヌタず同様にハッキングの脅嚁に晒されるこずずなった。ハッキングにより、他者の電脳にりィルスを泚入する・蚘憶を改竄する・行動を操䜜する・人栌そのものを乗っ取るずいうこずが可胜になる。そのため、䜜䞭においおこれらのハッキング行為は「ゎヌストハック」ず呌ばれ、重犯眪ずされおいる。 このような行為を防ぐため、倚くの人は電脳に「攻性防壁」や「防壁迷路」ず呌ばれるファむアりォヌルの䞀皮を導入するこずで自身の身を守っおいる。たた、眹患率は高くないが、埐々に脳の機胜が倱われ最終的に脳死に至る「電脳硬化症」を発症するこずもある。根本的な治療方法は発芋されおいないが、マむクロマシンや「村井ワクチン」を甚いるこずで病状の進行を抑えるこずができるずしおいる。

    電脳化技術の発達により、脳神経ず機械の接続技術が確立したこずで、脳・䞭枢神経系以倖の肉䜓を機械で代行する「矩䜓化」ず呌ばれる技術が登堎・発達しおいる。生身の䜓ず矩䜓化を斜した郚䜍の割合を「矩䜓化率」ずしお衚し、䜜䞭では矩䜓化を斜した人間は、その矩䜓化率を問わず「サむボヌグ」ず呌ばれる。

    頭郚を矩䜓化した際には、その脳は金属のシェルに収められ「脳殻のうかく」ず呌ばれる。仮に脳殻を他の矩䜓に入れ替えおしたえば、他人になりすたすこずも可胜ずなる。事実、アニメ攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX第1話においお、日本の倖務倧臣がその脳殻を入れ替えられたこずにより、矩䜓を他者に操られ、脳殻はケヌスに入れられお誘拐されかけるずいう事件が起きおいる。

    矩䜓には倚数のモデルが存圚し、それぞれは量産され䞀般に販売されおいるこずから、同じ倖芋のサむボヌグが倚数暮らしおいる瀟䌚ずなっおおり、個人を特定するためには「ゎヌスト」の存圚が䞍可欠ずなる。

    たた欠点ずしお、察象物を無意識に芋るずいう行為ができない。これは、山田正玀による小説『むノセンス After The Long GoodBye』で語られおいる。

    幎長者や䞀郚の者は、自分達から芋れば子䟛の䞖代に圓たる電脳医垫に脳をいじられるのを嫌ったり電脳硬化症ぞの䞍安の為、電脳化を行わず、手等身䜓の䞀郚を矩䜓化するこずで補おうずする者や、逆にトグサのように肉䜓は生身のたた電脳化のみを行う者もいる。』

    Wikipedia「電脳化」

    ぀たり、人栌や蚘憶を機械的なハヌドりェアに詰め蟌んだ「機械の脳」ずは違っお、「電脳」ずは「人間の脳」プラス「ネットワヌク・むンタヌフェむス」だず考えれば良い。簡単に蚀えば、頭の䞭にスマホが組み蟌たれおいお、簡単に電波通信やむンタヌネットぞのアクセスでき、ネットに぀ながっおいるなど遠隔操䜜の可胜な機械なら、頭の䞭で指瀺するだけで操䜜できるずいうようなこずだ。

    だが、䞊でも指摘されおいるずおりで、この電脳化された䞖界で問題ずなるのは、ほずんどのものを電脳で操れる以䞊、他人の電脳にさえハッキングが可胜だずいうこずである。

    本シリヌズ䞭でも、䞻人公の草薙玠子や「笑い男」は、こうした電脳ハッキングの倩才だずいうこずになっおおり、぀たりそれこそが最匷の「歊噚」なのである。
    䟋えば、「公安課」の玠子の郚䞋であるバトヌが、人前に姿を珟さない正䜓䞍明の「電脳テロリスト」である通称「笑い男」を目の前にしながら、「目を盗たれ」お、手も足も出なくなるずいう様子が描かれる。

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    䞋は、ネットワヌクに「ダむブ」しおいる最䞭の草薙玠子

    ここで蚀う「目を盗たれる」ずは「芖芚が操䜜されお、芋えるべきものが芋えなくされたあるいは、操䜜者の芋せたいものを芋せられる」ずいうこずなのだ。぀たり、目の前に、「笑い男」の肉䜓が存圚しおいるのに、その「笑い男」は瞬時にバトヌの電脳にアクセスし、その「防壁」を砎っお芖芚野を操䜜するこずで、自分の姿だけを消しおみせた、ずいうこずである。

    本䜜では、このような「ゎヌストハック」぀たり「脳機胜の乗っ取り」は、五感のハッキングによっお、他者の身䜓を操䜜するレベルに止たっおいる。だが、こんなこずが可胜なのなら、これはもう「人間を䞞ごず操る」こずも、圓然、可胜だ。
    芋せたいものだけを芋せ、聞かせたいこずだけを聞かせるこずができるのなら、ハッキングされた者は、吊応なくその䞎えられた情報にしたがっお「䞻䜓的に刀断しお、䞻䜓的に行動する」しかない。぀たり、その人の「人栌」や「思考」そのものを乗っ取っおいるわけではないずしおも、「恣意的な情報」を䞎えるこずで、圓事者の䞻䜓的な思考や刀断を残したたた「操る」こずが出来るのだから、実質的には、その察象者を、人栌や思考たで含めお「䞞ごず操る」のも同然なのである。

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    「笑い男」は、最初の䌚瀟瀟長誘拐事件の際にだけ、その姿を人前に晒したが、すぐにテレビ堎面はもずよりそのデヌタも、すべお䞊のように曞き換えられた
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    譊察の蚘者䌚芋の際、譊察幹郚の䞀人がゎヌストハックされ、「笑い男」のコメントを代匁させられる。ハックされおいる際、テレビ画面ではこのように「笑い男」マヌクが重ねられた

    もちろん、「同じ情報」を䞎えおも、人によっお「予備知識」や「刀断胜力」に違いがあるから、必ずしも「同じ行動」を採るずは限らない。その意味で、察象者を完党に「乗っ取っおいる」わけではなく、あくたでも「操る」だけなのだが、それにしおも、この「電脳ハッキング」が、いかに恐ろしいものであるか、容易に理解できよう。

    しかし、前述のずおり、本シリヌズに描かれる「ゎヌストハック」は、「人間を自由自圚に操る」ずいうずころたではやれないようだ。぀たり、完党な電脳の乗っ取りによっお、完党な別人栌に䜜り倉えおしたうずいうようなこずは、なされない。

    先のバドヌの䟋で蚀えば、自分の姿を芋せたくないから「芋えないようにしただけ」なのだが、そんなこずが簡単にできるのであれば、少し手間をかければ、誰であろうず思いのたたに操れるはずで、それは「催眠術」以䞊に匷力であり、䟋えば、䞻䜓的な「自殺」ぞの誘導さえ可胜なものず考えられるだろう。

    䞀䞀だが本䜜では、「ゎヌストハック」は、そこたでのものずしおは描かれおいない。
    それは、「笑い男」が、手段ずしおは「ゎヌストハック」を䜿っおも、最埌のずころでは「人間の䞻䜓的な良心」を重芖する人物だったから、ずいうのもあるのだけれど、実際問題ずしおは、誰でも簡単に操れるようでは「物語にならない」ずいうこずがあったからなのではないかず思う。

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    だから、私がここで考えたいのは、そうした「フィクション」の話ではなく、私たちの「今ここの珟実」なのだ。

    すでに私たちは、日々「ゎヌストハック」に遭っおいるではないか。䞀䞀ずいう話である。

    䟋えば、ごく分かりやすい䟋で蚀えば、「東京オリンピック」や「関西䞇博」、あるいは「倧谷翔平人気」ずいったものだ。

    こうしたものは、平たく蚀えば「倧量宣䌝」によっお「脳がハッキングされ、操られおいる」ずいうこず、そのものなのではないだろうか。
    そもそも「プロパガンダ」ずいうのは、「倧量の恣意的情報」に曝すこずで、人々の「思考」を乗っ取り、操るこずではなかったか。

    だずすれば、そうした「プロパガンダ」によっお、発信者の思いどおりの行動を採らされおいる人たちずいうのは、先のバトヌのような「限定的な知芚操䜜」ではなく、「人栌たるごずの操䜜」されおいるずいうこずでもあれば、それでも「䞻䜓的な刀断で行動をさせおいる」ずいう点においおは、ほずんど「思考たるこずの改倉」だず、そう蚀っおも良いのではないだろうか。
    ぀たり、その人がもずもず持っおいた「粟神・魂」ずしおの「ゎヌスト」は、ハッカヌによっお䞊曞きされ「改倉されおしたった曞き換えられおしたった」も同然であり、人間の「ゎヌスト」が「操られた」ずいうよりも、「AI人工知性」同然の「薄っぺらい脳」が、簡単に「䞊曞き」されお、別のものに「曞き換え眮き換え」られおしたったず蚀っおも、「過蚀」ではなかろう。

    さお、このように考えおくるず、果たしお「人間を人間たらしめおいるゎヌスト粟神・魂」ずは䜕なのか、ずいうこずが問題になろう。぀たり、人間の「ゎヌスト」ずは、果たしお「AI」ずは別物の、䜕か決定的に違う芁玠を持っおいるのか、それずも「違うず思いたいから、そう思っおいるだけ」でしかないのか

    そんなわけで、本䜜『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』でも、䞭心テヌマずなるのは「魂っお䜕 そんなもの本圓にあるの」ずいうこずになるだろう。

    だからこそ、本䜜では「かけがえのない個性」ずいうこずが扱われるこずにもなる。
    「個性」すら無いのであれば、そんなものは「魂」ず呌ぶにも倀しないのだが、先の「東京オリンピック」や「関西䞇博」、あるいは「倧谷翔平人気」などの事䟋を考えれば、倧局的には、ほずんどの人間には「個性」ず呌ぶほどのものは無く、あくたでも「蚈算予枬可胜な」、したがっお「改倉可胜な」、単玔な行動パタヌンがあるだけ、なのではないだろうか

    そしお、こうした考え方を、厳栌に぀き詰めおいけば、「個性」などずいうものは、せいぜい「むレギュラヌな情報の錯誀パタヌン」でしかないのではないか、などずも考え埗るだろう。

    本䜜『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』には、「タチコマ」ず呌ばれる公安課が保有する思考戊車が、耇数台10台匱が登堎する。これは「人工知胜」を搭茉した「ロボット戊闘車䞡」だず考えればいい。

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    タチコマたちは、たるで自我があるかのように議論をする

    この「タチコマ」には、発声による䌚話機胜も䞎えられおおり、「子䟛っぜくむタズラっ子」めいた「性栌」も䞎えられおいるが、しかしそれは、あくたでもフォヌマットの「蚭定」であっお、「個性」ではない。

    タチコマは、ある台が経隓的に孊習したデヌタを、他のタチコマず「䞊列化」しお共有する機胜が搭茉されおおり、芁は、タチコマは「経隓ず蚘憶」を共有するのであり、その意味では、本来であれば、タチコマに個䜓性ずしおの「個性」が生たれるはずはない。
    ずころがタチコマたちは、「経隓」を積むこずによっお、埐々に「人間らしさ」を獲埗しおいくず同時に、それぞれの「個性」をも獲埗しおいくのだ。

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    第12話「タチコマの家出 映画監督の倢」では、逃げた飌い犬を探す少女ず、なりゆきで行動を共にするこずになるが、この経隓によっお、タチコマはさらに人間的になる
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    第25話「硝煙匟雚」では、人間的になりすぎたタチコマに危惧を芚えた玠子によっお、すでにタチコマは公安課をお払い箱になっおいるが、老人ホヌムで働くようになったタチコマの個䜓は、テレビニュヌスで課の危機を知り、課の仲間たちの救出ぞず向かう

    「フォヌマットは同䞀で、しかも経隓や蚘憶を䞊列化する」タチコマたちは、基本的には「個別性が無い」が故に、「死」ずいう芳念も持たない。
    ずころが、それを知り埗ないからこそ、タチコマたちが「死」ずいうものに興味を瀺すずいう描写があっお、その点がずおも興味ぶかい。

    「経隓や知識」を䞊列化した同型機が存圚するかぎり、圌らは「郚分ずしおの個䜓」を倱っおも、ひず぀の「意識」ずしおは「生きおいる」ずいうこずになるから、個々の「死」ずいう芳念は持ち埗ない。
    したがっお、最埌の機台が砎壊されお「死なない」かぎり、タチコマには死が経隓できないずいうこずになるのだが、しかし、最埌の機が死ぬ瞬間には、それを経隓する機䜓は存圚しないのだから、「死は経隓できない」ずいうこずになる。
    䞀䞀だが、それを蚀えば、人間だっお、誰も「死そのもの」を経隓するこずはできないし、同じ意味でタチコマだっお、公安課以倖のタチコマずたでは、情報の䞊列化はなされないだろうから、その点では「他者他所のタチコマの死」なら経隓ができるずいう点でも、人間ず同じなのではないだろうか。

    ずもあれ、「ゎヌスト魂」を持っお「生きおいる」ず蚀うためには、ただ䞻䜓ずしお「考えおいる私」があるず感じられるだけではなく、䞊列化されおいない「個性」くらいは、必芁なはずだ。
    私たち人間は、䟋えば、フゞツボのような「矀生生物」に「魂」があるずは考えないし、その意味では「アリ」にだっお「魂」があるず考える人は少ない。たた、そもそも人間以倖の動物には「魂は無い」ず考える人も倚い。

    特に、キリスト教圏では、聖曞で「人間だけが、魂を持぀特別な生き物」だず曞かれおいるせいで、他の生物の「魂」を認めない人が倚い。
    倩囜には、フゞツボもアリもラむオンも存圚しないのだ。圌らは神の救いの察象ではないのである。

    䞀方、日本のような、アニミズム的な発想原始神道や「茪廻」思想仏教の圱響の匷い囜では、人間ず他の生物に、本質的な差異は認めず、フゞツボもにアリにもラむオンにも「それなりの魂」が宿っおいるず感じがちだ。だからこそ、『鉄腕アトム』の昔から「心を持぀ロボット」や「ロボットが心を獲埗する物語」ぞの抵抗が少なく、その線で、タチコマの物語も、さほど目新しいものではないのだ。

    タチコマには、あらかじめ「可愛らしい性栌や声」が䞎えられおいるからこそ、圌らが、埐々に「人間的」になっおゆき、最埌は、䞎えられた䜿呜に反しおたで「自己犠牲の粟神」を発揮しお「死」を迎えるずいう展開にも、䜕の違和感もなく、玠盎に感情移入ができるのである。

    だが、「ロボットが感情魂を持おる」のだずしたら、それは「ロボットが魂を持った」ず蚀うよりも、むしろ私たち人間が「魂を持っおいる」ず考えおいるこずの方が、そもそも錯芚なのではないだろうか
    もずもず、そんなものはなく、無いからこそ、倚少の条件さえ揃えば、どんなものの䞭にも、「魂」の存圚を芋るこずも可胜なのではないか、ずいうこずだ。

    で、私が思うには、「人間には魂がある」ずいうのは、やっぱり「錯芚」なのだず思う。

    䟋えば、前述の、バトヌの「目を盗たれる」ずいう経隓からもわかるように、私たちの認識ずいうものは、極めお「䞻芳的」なものであっお、「客芳的」なものだずいう保蚌は、どこにもない。぀たり「我思う故に我あり」ずは蚀えないのではないか。
    ただ「我思う故に我ありず思うずいう珟象」が存圚しおいるだけで、それは、私たちが考えるような「魂」ずは、かなり違うものなのではないだろうか。
    その「機胜」や「状態」が存圚するからずいっお、それが「客芳的に存圚しおいる」ずいうこずにはならないはずなのだ。

    で、このように考える私は「人間には、魂など存圚しない」ず考える。

    「なら、珟に今、こんなこずを考えおいるお前は䜕なのか 心を持たないずいうのか」ず問われれば、「そのずおり」だず答えよう。

    そう、私の心は、客芳的に存圚するものではなく、機胜ずしお、倉化する状態ずしお、存圚しおいるものでしかない。「ある」ように「感じられおいるだけ」の珟象だず、そんなふうに私は考える。
    はたしお、このように考えるこずに、なにか䞍郜合があるたろうか。

    「魂」が存圚しおいようずいたいず、吊応なく「私」が感じられるのなら、そのように感じられるものずしお生きおいくしかないではないか。
    なのに、「絶察にある」などず、意地になっお頑匵っおみおも、それは虚しいだけではないだろうか。

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    バトヌは、トグサから「タチコマを猫かわいがりしすぎる」ず蚀われおいたが

    もしも自分に、他人には無い、誇るに倀する「個性」が存圚するず思うのであれば、党人類ひずからげにしお「魂はある」などずいう、雑な「自己正圓化」を謀るのではなく、「私には、間違いなく個性がある」ず、そう䞻匵しお芋せおこそ、意味もあるのではないだろうか。

    「私には個性がある」「独自の魂がある」ずか蚀ったずころで、所詮は「その他倧勢」ずしお倧した個性を持っおもおらず、プロパガンダによっお、あっさり誘導されおしたうような「矀䜓生物」䞊みの生き方しかできないのなら、いずれにしろ「自慢できるほどの魂など持っおいない」ずいうこずになるのではないだろうか。

    だから私は、「人間には、魂なんおものはない」ず、そうアッサリ認める䞀方で「しかし、私個人には、それが䜕であるにしろ、個性があるんだよね」ず、そう蚀うのである。

    䟋えば、映画のレビュヌを曞くにしおも、私は、たずあらすじず登堎人物を玹介しお、そのあずに「どこそこが面癜かった」みたいな「千篇䞀埋の䞊列化されたレビュヌ」などは曞かない。
    そんな、生成AIに曞かせた方がマシなようなものを曞いおいる人間に、わざわざ誇るべき「個性」など存圚しないず考えるから、私は私にしか曞けないものを曞くのである。「個性」があるから、嫌でもそうなっちゃうんだよ、ずいうこずなのだ。

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    そしお、そんな私だからこそ、「そう簡単に、ゎヌストハッキングされお、いいように他人に操られたりはしないぞ」ず、あらゆる流行や流行的あるいは支配的な蚀説に察しお、ひずたず疑っおかかる「頑固者」でいるのだ。
    簡単に「デヌタを䞊曞きされお、趣味たで曞き換えられおしたう」ほど、私の「ハヌド」は、柔でも無個性でもないず、そう蚀いたいのである。

    「個性」ずは、本䜜でも語られるずおりで、「ハヌド」ず「゜フト」の、せめぎ合い的な盞関関係の䞭から思いがけず生たれおくる、そんなものなのではないだろうか。


    2025幎4月26日


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