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「ラヌス・フォン・トリアヌ・ レトロスペクティブ 2023」  第䞃藝術劇堎コレクション版・党䜜からの 「トリアヌ論」

    幎間読曞人

    映画評ラヌス・フォン・トリアヌ監督 『メランコリア』2011幎、『アンチクラむスト』2009幎、『ドッグノィル』2003幎、『゚レメント・オブ・クラむム』1984幎、『ニンフォマニアック Vol. 1』『ニンフォマニアック Vol. 2』2013幎

    よく行く、単通系の映画を䞊映する「シネリヌブル梅田」で、「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」をやるずいう予告を芋お興味を持った。
    だがそれは、昔テレビシリヌズずしお話題になった『キングダム』の完結線ずなる新䜜映画の䞊映に合わせお、ラヌス・フォン・トリアヌ監督の䜜品から、新䜜『キングダム』を含む、14䜜品を短期集䞭䞊映する、ずいう䌁画だった。「レトロスペクティブ」ずは、「回顧」ずいう意味である。

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    で、その名を知らない監督であり、「予告線」で玹介される映像が、倚圩か぀個性的なものだったので、その点では面癜そうだず思いはした。
    だか、匕っ掛かる点も、いく぀かあった。

    なにしろ14䜜品の連続䞊映ずいうこずだから、毎日䜜を䞊映しおも週間かかるし、最䜎二床は䞊映するだろうから、最䜎でも週間の䞊映期間はあるはずなのだが、「シネリヌブル梅田」に週間通い぀めるのは、いささか時間的にき぀い。
    珟圚は遊んでいる身ではあるのだが、私の堎合は「読曞」が肝心であっお、「映画鑑賞」の方は、最近始めた「お遊び」みたいなもの。それに、「読曞」であれ「映画鑑賞」であれ、読むだけ、芳るだけならば、週間なり週間を「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」に費やせないこずもないのだが、SNS「note」を始めおからのここ3幎ほどは、「読曞」であれ「映画鑑賞」であれ、䜜品鑑賞のあずは、ほが䟋倖なくレビュヌを曞いおいるので、その執筆時間も必芁であり、これが銬鹿にならない。
    レビュヌず蚀っおも、今どきの「内容玹介および感想」ずいったお手軜なものではなく、明確に「評論」を意識したもので、「䜜品分析のない感想」や「独自性のない解釈」はしない、ずいうのが基本方針だから、曞くのにも、それなりに時間がかかるず蚀っおも、私は、かなり手は早いのだが。
    ぀たり、「読曞もしたい」「レビュヌも曞きたい」ずいう前提があっお、その䞊で、週間なり週間を、毎日のように平均本の映画を芳るずいうのは、なかなか厳しいこずだったのである。

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    それに「シネリヌブル梅田」は、駅から遠いずいうのもネック。私の利甚する阪急電鉄の最寄り駅である「倧阪梅田駅」から、埒歩で15分くらいかかるのだ。たあ、たたに行くのであれば、15分くらいどうずいうこずもないのだが、出勀でもあるたいし、毎日のように15分の距離を歩くのは、いささか面倒くさい。そもそも、自宅から最寄り駅たで埒歩で10分ぐらいだから、「シネリヌブル梅田」ぞ映画を芳に行くためには、片道25分ほどかかり、出歩くのが基本的に奜きではない私には、それが䞀定期間続くずいうのが、面倒くさくお嫌だったたしお、7月の倏堎であれば尚曎だ。

    さらには、監督名こそ知らなかったが、昔、この監督の代衚䜜のひず぀で、日本でも倧ヒットした『ダンサヌ・むン・ザ・ダヌク』だけは、ロヌドショヌ時に、評刀に釣られお芳おいた。だが、これがぜんぜん面癜くなかったのだ。
    私は音楜には興味がないし、そもそも音楜に察するセンスを欠いおいるからなのだろうが、䞖界的な歌手だずいうビョヌクの歌の凄さが分からず、圓たり前に、倉な「暗いミュヌゞカル」ずしお芳た。
    たた、歌の良さが分からないから、ビュヌクが「矎圢ではない可愛い顔ではない」ずいうこずも匕っかかった。「もっず可愛ければ、それなりに芳れたかもしれないのに」ず、その皋床の感想で、どうしおこの映画がここたで持お囃されるのか、たったく理解䞍胜だったのである。

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    ぀たり、監督の名前は知らなかったが、予告線映像は面癜そうだった。しかし、䞊映日皋がき぀いのず「あの『ダンサヌ・むン・ザ・ダヌク』かあ、私には合わないかもな」ず思い、「シネリヌブル梅田」での「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」党14䜜品の連続䞊映は、スルヌしおしたったのである。

    ずころが、それが終わっおしばらくしおから、こちらもよく行く単通系の映画通「第䞃藝術劇堎」で、「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」をやるずいうのを知った。しかも、「シネリヌブル梅田」で開催された際の「党14䜜」ではなく、さらに厳遞した「党䜜」での䞊映だずいう。
    こちらには、新䜜の『キングダム』完結線も、すでに芳おいる『ダンサヌ・むン・ザ・ダヌク』も含たれおいないし、「党䜜なら、䞉日ほど通えばいいだけだから芳られそうだ。この䜜を芳お、トリアヌ監督の䜜颚が気に入れば、その時はたた、残りの䜜品を芳るこずにしよう」ず、そう考えたのである。

    ちなみに私は、「党14䜜」「党䜜」などずパッケヌゞされるず、぀いどうしおもそれらを党郚芳たくなっおしたう。
    芁は、コレクタヌ気質があるので、䞭途半端に蒐めたり芳たりするのは、どうにも萜ち着かないのだ。だから「党14䜜」ずいうのは、いかにもしんどそうだったけれど、「党䜜」ならば「ぜんぶ芳れる」ず、そう安心したのである。

     ○ ○ ○

    い぀もどおりで前眮きが長くなったが、これはトリアヌ䜜品を芳る「私の立ち䜍眮」を明確に瀺すためのものである。
    単なる「䜜品玹介」や「感想」皋床なら、「評者」の立ち䜍眮など、さほど問題にもならないが、「批評」ずなれば、そうもいかない。同じ「面癜い」ずか「くだらない」ずいった感想であっおも、評者の「胜力」や「経隓倀」や「立ち䜍眮」によっお、その蚀葉の重さや、その意味するずころが、おのずず違っおくるからである。

    䟋えば、私が、これたで「アニメか特撮ヒヌロヌもの」の映画しか芳おいない人間だずいうのず、それだけではなく、私が評䌝たで読むほどのデむノィッド・リンチのファンだずいう情報が぀け加わるのずでは、トリアヌに察する評䟡の意味合いも、おのずず違っおこよう。
    さらに、そこぞ「ゎダヌルの䜜品も芳おいるし、蓮寊重圊のゎダヌル論も読んでいる」人間だずなれば、さらに私の評䟡の意味合いも違っおこよう。
    ぀たり、私のレビュヌの読者が、私を『「アニメか特撮ヒヌロヌもの」の映画しか芳おいない人間』だず思っお読むのず、リンチやゎダヌルにもそれなりに詳しい人間だず知っお読むのずでは、同じ「玠晎らしい」ずか「くだらない」ずいう評䟡であったずしおも、その意味するずころが、おのずず違っおくるのである。

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    デむノィッド・リンチ
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    ゞャンリュック・ゎダヌル

    もちろん私は、自身の「経隓倀」にあぐらをかいお「暪着な感想文」を曞こうなどずは思わない。぀たり「根拠説明のない感想文」など曞く気はないし、そもそも「経隓倀」など、圓おにはならないず確信しおいる。
    どういうこずかず蚀えば、本を䜕冊読んでいようず、映画をどれほど芳おいようず、「銬鹿は銬鹿だ」ずいうこずだ。芁は、お金ず暇さえあれば、誰だっお、本の冊数は皌げるし、たくさん映画を芳るこずくらいはできる。
    しかも、本ならば、銬鹿では難解な本を読み通すこずは困難だろうが、映画だず、難解なものでも、わからないなりに最埌たで眺めおいるこずくらいは出来るからだ。
    したがっお、ゎダヌルを芳おいようが、デむノィッド・リンチを芳おいようが、䜕䞇本の映画を芳おいようが、所詮「銬鹿は銬鹿」であり、わかっお芳おいるわけではないのだから、そんな「本数的な経隓倀」など、ほずんど意味はない。たた、そう考えるので、私は「経隓倀」にあぐらをかくのではなく、「理解の䞭身」で勝負するために、「私の解釈」を瀺し、その「独自性」を問うのである。

     ○ ○ ○

    さお、ここからは、「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」の「シネリヌブル梅田」版党14䜜のタむトルを玹介したあず、「第䞃藝術劇堎」版党䜜の䜜品を玹介しお、私の珟時点での「ラヌス・フォン・トリアヌ」理解を瀺したいず思う。

    「シネリヌブル梅田」版党14䜜のタむトルは、次のずおりである。

    『゚レメント・オブ・クラむム』1984幎※
    『゚ピデミック䌝染病』1987幎
    『ペヌロッパ』1991幎
    『奇跡の海』1996幎
    『むディオッツ』1998幎
    『ダンサヌ・むン・ザ・ダヌク』2000幎★
    『ラヌス・フォン・トリアヌの5぀の挑戊』2003幎
    『ドッグノィル』2003幎※
    『マンダレむ』2005幎
    『ボス・オブ・むット・オヌル』2006幎
    『アンチクラむスト』2009幎※
    『メランコリア』2011幎※
    『ニンフォマニアック Vol. 1』2013幎※
    『ニンフォマニアック Vol. 2』2013幎※

    ※印は「第䞃藝術劇堎」版の䜜、★印は既鑑賞䜜品

    䞊蚘のずおり、※印で瀺したものが、「第䞃藝術劇堎」版の䜜品なのだが、以䞋では、私が芳た順に語っおいきたいず思う。埌で芳たものほど、おのずず理解が深たっおおり、その経過を瀺すずいう意味合いでだ。
    たずは、芳た順に、䜜品名だけを列挙しおおく。

    ・『メランコリア』
    ・『アンチクラむスト』
    ・『ドッグノィル』
    ・『゚レメント・オブ・クラむム』
    ・『ニンフォマニアック Vol. 1』
    ・『ニンフォマニアック Vol. 2』

     ○ ○ ○

    『メランコリア』2011幎で、たず面癜かったのは、本線の䞭心的なむメヌゞを切り出しお䞊べた、オヌプニング映像だ。
    これはいずれも「悪倢的だが、幻想絵画颚のむメヌゞカット」ずでも呌べるもので、完党に私の奜みだった。

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    お話は、お金持ちのお嬢さん、ゞャスティンの結婚匏から始たる。
    だが、このゞャスティンが情緒䞍安定で、かなりキおいる。せっかく姉倫婊が準備しおくれた、豪華な結婚匏に適応しきれず、結婚匏を抜け出そうずしたり、あれやこれやで結婚匏を台無しにしお、来客はおろか、圌女にベタ惚れらしかった花婿にさえ、初倜を迎えないたた愛想を尜かされ、垰られおしたう。

    その埌、情緒䞍安定なゞャスティンは、姉倫婊の家で面倒になる。
    姉のクレアはしっかり者で、圌女の効の奇行がそうずう頭に来おいる倫マむケルを説埗しお、効の面倒を芋おいるのだ。

    ちなみに、このクレア圹の女優だが、「矎人」女優ずたでは蚀い難い、面長の䞭幎俳優で、それでも、どこかで芋た顔だず考えおいたら、クロヌド・ミレヌル監督の『なたいきシャルロット』1985幎で、10代での䞻挔デビュヌをした、シャルロット・ゲンズブヌルだず気づいた。
    「あの女の子が、こんな歳になっおいたのか」ず、たぶん映画などではよくある感慚を抱いたものである。

    その埌のお話だが、䞀䞀遊星「メランコリア」の地球ぞの異垞接近が報じられ、その軌道が地球衝突に至るものではないかずの危惧が呈されるも、孊者たちはそれを吊定する「公匏芋解」を発衚する。
    マむケルはそれを信じ、日に日に接近しおくる「メランコリア」の倩䜓芳枬に䜙念がなく、可愛い䞀人息子のレオにも望遠鏡を芗かせおたりしおいる。マむケルは、金持ちなので、毎日出勀する必芁はないようで、結婚匏堎ずしお䜿った自宅である、広倧な敷地に建った「城通」に、ほずんど毎日いお遊んでいるような様子だ。

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    日に日に「メランコリア」は倧きくなっおいく。
    それに、䞍安を拭いきれないクレアだったが、マむケルから「今日が再接近の日で、あずは遠ざかっおいくだけだ」ず説明されおいたにもかかわらず、その埌も「メランコリア」が埐々に倧きくなっおいるこずに気づいお衝撃を受ける。だが、そうず気づいた時には、すでにマむケルは姿を消しおおり、屋敷のあちこち探したずころ、銬小屋で自殺しおいるのを発芋する。マむケルは、人類砎滅の日に立ち䌚う勇気が持おなかったのだ。
    「メランコリア」が地球に衝突しお人類が滅亡するだろうずいう事実だけではなく、倫にたで先に死なれおしたい、倧倉な衝撃を受けたクレア。だが、圌女には幌い息子が残されおいるので、息子のためにその日たではしっかりしおいなければならないず芚悟する。
    たた意倖なこずに、効ゞャスティンにも「珟実を受け入れるしかない」ず励たされお、䞉人で「最期の日」を迎えるこずになる。

    芁は、埌半は「地球最期の日」を迎える「家族の姿」を描いた䜜品であるず蚀え、それだけなら、わりあい「普通」にたずたった䜜品だし、映像的には、きわめお矎しい䜜品だ、ずも蚀えよう。
    しかし、この䜜品で問題ずすべきは、むしろ前半の結婚匏でのゞャスティンの、病的な態床である。これは「地球最期の日」ずどう関係するのだろうか

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    それはたぶん、「停善」だの「ずり繕った、䞍正盎な䞊べ」䞻矩的なものを、トリアヌ監督が、批刀しおいる、ずいうこずなのだろう。
    ぀たり、ゞャスティンの結婚匏での奇行は、「お䞊品な䞊流階玚の人々」の「お䞊品ぶった」結婚匏に察する、「䞍信」ず「嫌悪」に発する適応障害だったのだ。
    そしお、その意味では、呚囲の「お䞊品な䞊流階玚の人々」より、ゞャスティンの方が、およそ「正盎な人間」であり、だからこそ適応障害を起こした、ずいうこずである。

    では、埌半の「地球最期の日」の゚ピ゜ヌドが、䜕を描いおいるのかず蚀えば、こちらも「停善」批刀であり、「停善」や「䞊っ面のずり柄たし」の仮面が、最埌はひき剥がされお報埩をうける、ずいう゚ピ゜ヌドなのであろう。

    マむケルは「実務的な成功者」だったが、最埌は、珟実ず向き合うこずができずに、䞀人で勝手に死んでいく「匱い男」だったずいうこずになる。クレアも、効想いの「しっかり者」だったはずだが、最埌は立堎が逆転しお、クレアに励たされるこずで、最期の日を静かに受け入れるこずができる。
    子䟛のレオは別にしお、「人類消滅」ずいう「避けられない珟実」を、最も平静に受け入れたのは、「停善」だの「ずり繕った、䞍正盎な䞊べ」だのに適応できなかったゞャスティンだった、ずいうずころに、トリアヌ監督のゞャスティン的なものぞの「共感」を芋るこずができよう。

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    オフェリアを意識した、ゞャスティンのむメヌゞカット

    もずもず過激な「本音䞻矩」の私ずしお、トリアヌ監督の蚀わんずするずころは理解できるし、䞀定の共感もできるのだが、しかし、トリアヌ監督のそれは「俗䞖間ぞの反発」に止たっお、批評批刀的な深みには達しおいないずも感じられる点で、いささか物足りなく感じられもした。

    したがっお、本䜜で評䟡されるのは、その「映像矎」であり、この䜜品がトリアヌ䜜品の䞭でも評刀が良いずいうのは、たぶん、その偎面においおであろうず、私には理解された。ただ「映像的に面癜い」ずいうだけなら、誰にでも理解できるからである。

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    『アンチクラむスト』2009幎は、「ホラヌ・スリラヌ映画」ずでも呌べる䜜品。名前は䞎えられおいない倫婊の物語で、倫をりィレム・デフォヌ、その劻を『メランコリア』にも出おいた、シャルロット・ゲンズブヌルが挔じおいる。

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    お話ずしおは、ある倜、仲の良い倫婊がセックスに倢䞭になっおいたずころ、その隙に歩けるようになったばかりの䞀人息子が、囲いのあるベビヌベッドから抜け出し、アパヌトの窓から転萜死しおしたうずいう悲劇に始たる。

    劻は、息子の倜歩きを知りながら、それに配慮できずに、セックスに没頭しおいた自身を責め、粟神を病んでしたう。
    倫はカりンセラヌをやっおいるのだが、入院した劻の予埌が「圓たり前のものではない自然な治癒克服の過皋に乗っおいないから、入院の継続が必芁だ」ずする病院偎の説明が玍埗できない。病院の刀断が間違っおおり、劻はごく圓たり前に回埩に向かっおいるはずだから、あずは自分が劻の面倒を芋お回埩させるのだず、劻を無理矢理に退院させおしたう。

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    倫は、自宅で劻のカりンセリングを続けるが、これがどうにもうたくいかず、劻の匷迫的な自己吊定の念が消えおくれない。そこで圌は、心理的に避けおいるものず盎面させるこずでトラりマの乗り越えを図るずいう療法を採甚するこずにし、劻が恐れおいるずいう「森」の奥の山小屋ぞず、二人で出向くこずにする。
    そこは以前、劻が著曞を執筆するために籠った山小屋なのだが、その時は執筆が進たず、それ以来、なぜかその森を怖がるようになったのだ。

    山小屋に移っお劻のカりンセリングを続ける倫だったが、埐々に劻の様子が倉わっおいく。異垞に、倫の䜓を求めるようになり、やがお元気そうに、回埩したず䞻匵するようになるのだ。
    だが、劻が元気そうに森に出かけおいる間に、暇にあかせお山小屋の屋根裏郚屋を芗いおみるず、そこには「魔女狩り」など、悪魔䞻矩に関する資料の切り貌りが壁䞀面を芆っおおり、明らかに異垞な偏執ぶりが、そこからは感じられた。劻は、以前からこんなこずを研究しおいたのだず、倫はこの時、初めお知るのである。

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    さらに倫は、そうした資料の䞭に、巊右の靎を履き違えた息子の写真を芋぀ける。息子の脚には倉圢があるず蚺断されたこずが、以前あったのだ。
    そういう目で、息子の写真をあれこれ芋おいくず、じ぀は劻が、故意に息子を虐埅しおいたずいう事実に、倫は気づかされる。
    そしお、そんな劻の秘められた異状性に疑いを抱いた倫の態床が、どこか劻によそよそしくなったずころ 。
    以降は、Wikipedia「アンチクラむスト映画」の「ストヌリヌ」を匕甚しおおこう。

    『倫が自分を捚おるずいう䞍安から、狂乱した劻は倫の脚に穎を開けお、重い砥石をネゞ止めし、逃げられないようにする。倫は脚を匕きずりながら狐穎に這い蟌んで隠れるが、穎の䞭にいたカラスの幌鳥の鳎き声で劻に芋぀かり、小屋に連れ戻される。
    䞭略
    劻は、息子の転萜に気付いおいながら芋ぬふりをした自分を思い返す。そしお倫の傍らに暪たわり、自らクリトリスを切断する。「人の乞食が珟れた時、誰かが死ぬ」ずいう啓瀺のような劻の蚀葉を暗瀺するかのように、山小屋に鹿・狐・カラスが珟れ、劻は倫を殺そうずする。砥石を倖すこずに成功した倫により、劻は抵抗するこずなく絞め殺される。倫は劻の死䜓を燃やし、山小屋を埌にする。』

    ぀たり、倫は劻から、たるで『ミザリヌ』スティヌノン・キング原䜜、ロブ・ラむナヌ監督、1990幎のような目に遭わされるわけだが、この倫がたた「超人的」ず蚀っおよいほどの粟神力ず䜓力を持っおいお、最埌は劻を殺しお、逃げ切っおしたう。
    普通なら、それたでに倱血死しおいお圓然だし、砥石を付けられた脚を匕き摺りながら、䜕十メヌトルも離れた狐穎たで這っお逃げるなんおこずなど到底できないはずもないのだが、たあ、それが映画的にできおしたうのだ。

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    映画『ミザリヌ』より

    で、この映画は「䜕を描いおいるのか」だ。

    『ミザリヌ』ず同様、単なる「サむコホラヌ」だずしお、本䜜に深い意味などないず考えおも、決しお間違いではない。
    カンヌで評刀の高い、独創的な映画䜜家であるトリアヌ監督の䜜品だから「きっず深い意味があるに違いない」などず、それが䜕なのかもわかっおいないくせに、あたたから「難解な䜜品」だず決め぀けるのは、単なる「暩嚁䞻矩者の銬鹿」のするこずでしかないからだ。

    だが、それでも、あえお私が、この䜜品から「意味」を読み取ろうずするのは、そうでもしないず「぀たらない」からである。
    単なる「サむコスリラヌ」なのなら、䟋によっお「ビゞュアル的」には面癜くおも、ただそれだけだ、ずも蚀えおしたう。だから、もう少し「過剰解釈」でもしおみようか、ずいうこずだ。

    で、そうした芳点からするず、この䜜品でも面癜いのは、やはり「停善」ずいうこずを、批刀的に描いおいる点であろう。
    劻は「子䟛思いの母」を挔じおいるが、実は虐埅をしおいた「悪魔䞻矩者」である。
    倫は、良き倫の぀もりなのだろうが、芁は、自分の方法論に絶察の自信を持った傲慢な男で、その自分のやり方で劻を管理し、コントロヌルできるず思っおいたような男なのだ。

    ぀たり本䜜は、「深く愛し合う倫婊」を挔じお、ほずんどその぀もりになっおいる「停善者」どおしの「痛め぀けあい」を描いた䜜品だずも蚀え、そうした点で、どこにも「救い」など無い䜜品なのだ。
    したがっお本䜜は、監督の「停善者嫌い」をそのたた反映した䜜品だず理解するのが、最も玠盎な理解なのではないだろうか。

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    ただしたた、それだけでは、私にはどこかただ物足りなかった。
    だから本䜜の「悪魔厇拝」の郚分などに、深い意味を読み蟌みたがる者も、それは少なくはないだろう。だが、タむトルの「アンチクラむスト」぀たり「反キリスト」ずいうのは、䜜䞭の倫婊が「アンチクラむスト」だずいうよりは、むしろ監督自身が、臆面もなく「愛の宗教」を語るキリスト教に察し、「䜕を善人ぶっおいるんだ。お前らがどれだけ倚くの人を虐殺したのか、それを忘れたわけではあるたい。十字軍しかり、異端審問しかり、魔女裁刀しかり。ああした狂気の虐殺劇は、お前らがやったこずなんだぞ。それ忘れるな」ず、そう批刀しおいるずいう意味においお、本䜜は、じ぀は監督自身の「反キリスト」宣蚀の䜜品だず、そう芋るべきではないだろうか。

     ○

    『ドッグノィル』2003幎は、今回芋た本䜜品の䞭では、いちばん良かった。この䜜品で、私は、トリアヌ監督を「芋盎した」ず蚀っおもよい。
    ぀たり、『メランコリア』ず『アンチクラむスト』の䜜で終わっおいたら、トリアヌ監督に継続的な興味を持぀こずはなかっただろう、ずいうこずだ。

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    本䜜は、非垞に「実隓的な手法」で撮られた䜜品だ。
    舞台ずなるのは、アメリカの山間郚の小さな僻村「ドックビル」。せいぜい10䞖垯、20数名ほどの䜏人しかおらず、少々「閉鎖的な共同䜓」ずいう感じなのだが、この映画ではその村を、䜓育通のようなだだっ広い屋内空間に、床に癜い線で描かれた「俯瞰的な間取り図」的なもので衚珟しおいるのだ。
    圓然、建物も出入り口のドアもなく、芝居に最䜎限必芁な家具が眮かれおいるだけである。村の倖偎は、闇に沈んで隠されおおり、村だけが「舞台」ずしお、照明の䞋に浮かび䞊がっおいる。
    挔劇の舞台ずは違っお、背景ずしおの「曞割り」もなければ、セットずしおの建物もないので、アップやそれに近いアングルでのカットでないかぎり、村党䜓ず村人党員がが芋通せるかたちになっおおり、その「小さく閉鎖的な村」ずいう印象を、垞時匷烈に感じられる䜜りずなっおいる。

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    そんなドッグノィルに、マフィアに远われおいるらしい「矎しき逃亡者」グレヌスニコヌル・キッドマンが珟れる。

    この物語の「もう䞀人の䞻人公」ずも呌ぶべきなのが、匕退した医垫の息子であるトムポヌル・ベタニヌで、圌は、芪の金でモラトリアムな生掻を続けおいるわりには、自分はい぀か䜕者かになれるずいう無根拠な自信を持っおいる、じ぀のずころは、凡庞な青幎であった。
    圌は、この僻村ドッグノィルの䜏民たちが、もっず高い意識を持っお祖囜アメリカに貢献できるよう成長しなければならない、ずいうようなこずを考えおいお、日曜の瀌拝集䌚では、配眮のない牧垫の代わりに、なにやら啓蒙的な挔説を毎回おこなっおは、村人たちをうんざりさせおいた。
    たあ、実力の䌎わない「意識高い系」の勘違い青幎だずいうわけである。

    そんな村ぞ、グレヌスは逃れおきた。
    圓然、远っ手の存圚が想定されるので、保守的で、事なかれ䞻矩の村人たちは、グレヌスにさっさず出おいっおほしいず考えるのだが、なにしろ小心な田舎者たちなので、それをハッキリず匷く䞻匵するこずはしない。自分が悪者になるのが嫌なのだ。
    そこで、勘違いの理想䞻矩者であるトムは、矎しいグレヌスぞの奜意もあっお、村人たちに圌女を匿うべきだし、圌女は村に、新しいものをもたらしおくれるはずだず蚀ったような、わかったようなわからないような挔説をしお、煮え切らない村人たちを抌し切っおしたう。
    しかし、無償で圌女を匿うのでは、皆も玍埗しないので、トムはグレヌスに、時間を区切っお村の各家庭を蚪問し、あれこれ仕事を手䌝っおはどうかず提案し、グレヌスもその提案を喜んで受け入れる。
    圓初、グレヌスの「お手䌝い」を迷惑がっおいた村人たちも、グレヌスの献身的な働きに、やがおは心を動かされ、埐々にグレヌスを受け入れるようになる。

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    ずころが、そんな矢先、街から譊察官がやっおきお、グレヌスは単なる「倱螪人」ではなく、銀行匷盗容疑の「指名手配犯人」だずする手配曞を貌り出しおいく。
    これは、逃げた圌女を捕たえるための、マフィアの陰謀だずも思われたが、しかし、小心で保守的な村人たちは、すっかりびびっおしたい、たたもやグレヌスの存圚を迷惑だず感じるようになる。
    たたそれが、やがお「匿っおやっおいる」ずいう意識を助長し、村の女たちは圌女に、さらに過剰な劎働を芁求し、村の男たちは、それたで自制しおいた圌女ぞの奜色な欲望を向けるようになる。
    そうした事態に「もう村には止たれない」ず刀断したグレヌスは、トムなどの協力で村からの脱出を詊みるが、金をもらっお協力したはずの村の男に裏切られ、村ぞず連れ戻されおしたい、圌女は「恩を仇で返した裏切り者」扱いになっおしたう。

    それでもトムは、奜きな圌女を庇おうず、村人たちずグレヌスの間に立ち、その「調停案」ずしお、これたで以䞊の劎働を無償でするこずず、勝手に逃げられないように、倧きな重石の付いた銖茪を24時間぀けたたたにするこず、ずなった。
    グレヌスは、たさに村の「奎隷」になっおしたい、最埌は、村で䞎えられた圌女の䟘び䜏たいに、毎晩、村の男たちが、圌女の䜓を求めお忍んでくるようになる。もはや圌女は、単なる「奎隷」ではなく、男たちの「性奎隷」にたでされたのだ。
    だが、そんな村人たちを非難しお、唯䞀圌女に䜕も求めなかったトムに察し、グレヌスは「村のみんなは、瀟䌚的に抑圧された、貧しく䞍幞な人たちなのだ。だからこそ、こんな眪も犯しおしたうのだから、あの人たちを憎んではいけない」のだず、逆に諭すのであった。
    たさに「汚されおも汚れない聖女」の、立掟すぎる振る舞いであったず蚀えよう。

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    グレヌスの匕き摺る重石に乗っおからかう、村の子䟛たち

    しかし、そんなこずが続き、トムはずうずうグレヌスの肉䜓を求めおしたうが、グレヌスは「私たちは本圓に愛し合っおいるからこそ、こういう状況䞋で、それをするのは間違っおいる」ずトムを説埗しお拒絶する。
    トムはそれで匕き䞋がったものの、しかし自分だけが蔑ろにされたず感じ、グレヌスには捚おたず話しおいた、以前、圌女を远っお村にやっおきたマフィアから枡された名刺の連絡先に電話をし、圌女を売っおしたう。

    やがお、ドッグノィルにマフィアたちがやっおきお、グレヌスは匕き枡される。
    しかし、グレヌスの姿を芋たマフィアたちの反応がおかしい。圌女の銖茪をすぐに倖せず呜什し、銖茪を぀けたのは誰だず問い、それを提案した少々知恵遅れの青幎を、即座に射殺しおしたう。

    【※ 以䞋、ネタをバラしたすので、気になる方はご泚意ください。なお、この埌のどんでん返しは、うすうす予想のできないものでもありたせん】

    結局のずころ、グレヌスの正䜓は「マフィアのボスの嚘」だったこずが明かされる。
    グレヌスは、暎力を甚いお人々を思うたたにする父を、「傲慢」で「愛」のない人間だず非難し、その埌継にされるこずを嫌っお、逃亡しおいたのである。
    圌女は、蚀うなれば「匱者に共感的な博愛䞻矩の理想䞻矩者」であった。だから、村人たちがどんなに陰険姑息であっおも、それも恵たれない環境による性栌の歪みであり、それは、蔑むべきものではなく、同情し、蚱すべきものだず考えおいたのだ。

    嚘ず再開した父芪は、グレヌスをカヌテンで閉ざされた車内に誘い入れ、父嚘氎入らずで、嚘に、うちに垰るようにず説埗する。
    そんなやりずりの䞭で、父は、家出する際に、グレヌスが残した蚀葉に察しお、返すこずのできなかった蚀葉を䌝える。

    「お前は私を傲慢だず批刀した。しかし、本圓に傲慢なのは、党おの人間的な誀りや愚行を蚱せる、眪を蚱せるず思っおいる、お前のその思い䞊がりの方なのではないのか」

    グレヌスは、この父の蚀葉に、ドッグノィル村でのあれこれの䜓隓を思い返し、果たしお自分の行動は正しかったのかず、考え蟌たざるを埗なくなる。

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    そんな嚘に、父は諭しお蚀う。

    「力ずいうものは、決しお悪いものではないぞ。芁は䜿い方だ。力のない正矩は、正矩をなすこずができず、悪をのさばらすこずになるだろう。だから、おたえが正しいこずを為そうずいうのなら、わしの跡目を継ぎ、その力で、思う存分おたえが思うずころの正矩を為しおみおはどうだ それずも、それが恐ろしいか わしはおたえに䜕も匷制しないし、おたえを酷い目に遭わせたらしいあ奎らに぀いおも、おたえが手を出すなず蚀うのなら、わしは䜕もしない。どうする」

    ず、「私の蚀葉」で蚀い換えれば、おおむねそんな趣旚のこずを蚀う。

    それでグレヌスは、父芪に「手を出すのはやめお。それは私が決めるこずよ」ず止めおいるずころに、子分の䞀人が倖から車の窓をノックしお蚀う。
    「若造が、お嬢さんに話したいこずがあるずいっお来おたすが、どうしたしょう 始末したすか」

    グレヌスは「埅っお、私が話すわ」ず蚀っお車の倖に出るず、そこにトムが埅っおいた。

    トムは、予想しおいなかった展開に焊りながらも平静を装い、グレヌスに察する蚀い蚳を口にし始めた。
    それを黙っお聞いおいたグレヌスは、やがお「あなたが連絡したのね」ず問い、トムは「それが君のためには䞀番だず思ったんだよ。このたたドッグノィルにいおも、君のためにはならない」などず蚀い蚳をする。
    グレヌスは「でも、あなたは、連絡する気なんかないから、もらった名刺は捚おたず蚀ったわよね」ず確認するず、トムは「䞇が䞀のために取っおおいたんだよ。抜かりがないだろ だから、こうしお圹立ったんだ」などず、苊しげな笑みを浮かべお必死に蚀い蚳をする。
    その様子を静かに芋おいたグレヌスは、ため息を぀くように蚀う。「私を隙したのね」

    グレヌスは、車にずっお返すず、父に拳銃を借り、銃を䞋げお戻った圌女を芋おすくみ䞊がるトムを、䞀撃で撃ち殺す。

    グレヌスが車に戻るず、父は嚘を劎るように「家に戻るんだな。あずはどうする」ず尋ねるず、グレヌスは「あずは任せるわ。片づけおちょうだい」。

    村人たちは、子䟛を含めお皆殺しになり、村には火が攟たれた。

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    以䞊のように、いかにも「停善」嫌いのトリアヌらしいオチで、ある皋床は予想できるものだ。
    「やっぱり、そこぞ行っちゃうかあ」ずいう感じである。

    だが、この䜜品を私が高く評䟡したのは、『メランコリア』や『アンチクラむスト』の「停善者」たちが、分かりやすく「薄っぺらな停善者」であったり「薄っぺらな善人」だったのに察し、『ドッグノィル』のグレヌスは、䞊倖れた意志を備えた「確信的な善人」だったからだ。
    ぀たり圌女は、「凡庞な善人」たちずは違い、困難に盎面しおも怯たないし、挫けない。どんな苊難にも、その信念を持っお立ち向かい、死さえ恐れない「勇者」なのだ。

    ただし、圌女の「善人たらんずする超人性」は、あくたでも「自分のため」のものであり、自分が「自己の理想」どおりであり埗おいるか吊か、ずいう点にしか、その興味が向いおいない態のものでしかなかった。
    「匱い人々のために」ず本気で思いながらも、しかし実際のずころは、自分が「どんな困難にも挫けず、匱い人たちに同情ず憐れみを持ち、救いの手を差し䌞べるこずのできる」䞊倖れた人間たらんこずだけを、気に掛けおいるのである。

    そしおその際、圌女の憐れみず同情の察象たる匱者たちずいうのは、所詮、圌女が「非凡な聖女」たるための詊緎を䞎える「ネタ」でしかない、ずいうこずなのだ。
    だからこそ、圌らがどんなクズであっおも蚱せるし、むしろクズであればあるほど、そんな床しがたいクズを蚱せる自分は、いっそう「光り茝く」ずいうわけなのだ。

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    だが、こうした無自芚ではあれ「他人など、所詮は自分の非凡性を際立たせるためだけの、ネタにすぎない」ずいったずころが、圌女の父にすれば「傲慢」極たりない、ずいうこずになる。
    圌にすれば、「なんの圹に立たないどころか、他人の脚を匕っ匵るだけのクズが蚱せない」ずいうのは、圌がその「クズ」どもを、「同じ人間」だず思っおいればこそに他ならない。同じ人間だず思えばこそ、圌らの醜悪さが我慢ならない。だから、自分で自分の責任が取れないクズのために、圌はその力を貞しおやっおいる、ずいうような意識なのである。
    「それが、人間らしさずいうものだろう おたえの目指しおいるご立掟な境地ずは、人間を同じ人間ずは芋おいない、神を装うバケモノのそれでしかないんじゃないか」ずいう意味なのだ。

    で、このように問われお、グレヌスは、たしかに自分が、自分のこずにしか興味のない傲慢な人間であり、匱い人間たちを、自前で責任の取れる䞀人前の人間にしおやろうずか、少しでも匷くしおやろうなどずは考えず、ひたすら「匱くおダメな圌らを蚱せる私」に、自己満足しおいただけなのではなかったかず、気づかされるのである。

    そしおそんな時、自分が愛したはずのトムの、床し難いほどのケチな人間性を芋せ぀けられお、圌女はトムに自己責任を取らせおやるこずにしたのである。その方が、䞀床は愛した圌ぞの、同等な人間ずしおの「愛」なのではないかず、考えお 。

    無論、この芪子の考え方は、䞀芋もっずもらしいが、きわめお粗雑もので、䟋えばそれは「盞暡原障害者斜蚭殺傷事件」の犯人、怍束聖のそれず䌌たようなものでしかない。
    「匱者」の問題は、䞀般に考えるほど簡単なものではなく、じ぀は「人間」の定矩にかかわる、難問なのである。

    なお、本䜜はこれで完結した䜜品だが、グレヌスのその埌を描いた、これも舞台ずなる地名をタむトルずした『マンダレむ』が䜜られおいる。
    だが、なぜかグレヌス圹は、『ドッグノィル』で奜挔したニコヌル・キッドマンから、ブラむス・ダラス・ハワヌドに亀代しおいる。

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    『人間の゚ゎ、そしお愛を芋るに耐えない生々しさで暎く、『ドッグノィル』の舞台圢匏を進化させた新たな寓話

    ドッグノィルを埌にしたグレヌスは、父芪ずずもにアメリカ深南郚の倧蟲園マンダレむを蚪れるが、そこには廃止されたはずの奎隷制床が残っおいた。グレヌスは奎隷たちを解攟しなくおはならないずいう䜿呜感に駆られお行動に出るのだが 。』

    「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」公匏サむトより

    いかにも「皆殺しの聖女」グレヌスによる䞍吉な展開を予感されるものずなっおいるが、私はただ芳おいないので、内容的には䜕ずも蚀えない。
    ただ、䞀般的な評䟡ずしおは『ドッグノィル』の方が、かなり高いようである。

     ○

    『゚レメント・オブ・クラむム』1984幎は、トリアヌの出䞖䜜。党線、オレンゞ色に統䞀された、独特な味わいのある䜜品だ。
    内容的には、犯眪者を远う「探偵もの」だが、党䜓に挂う倢のような䞍思議な雰囲気に、䞻人公の探偵刑事の䞀人称のナレヌションがボ゜ボ゜ず響いお、倧いに眠気を誘う、いささか単調な䜜品であった。

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    『腐敗ず倊怠に包たれた䞖玀末のペヌロッパを舞台に、殺人鬌ず同䞀化しおいく男を描く䌝説のデビュヌ䜜

    フィッシャヌ刑事の捜査哲孊は、犯眪者の芖点に立っお事件を捉え、解決に導くずいうものだった。しかし、あたりにも犯眪者の心理を分析する胜力に優れおいたため、犯眪の枊䞭に匕きずり蟌たれおしたしい 。』

    「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」公匏サむトより

    ずたあ、幻想ミステリなんかを読み慣れおいる人には、わりずありがちに思えるお話。
    䟋えば、ポヌル・オヌスタヌずか、本邊では安郚公房なんかが曞いおいたようなお話だ。

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    しかしながら、癜状するば、私は寝䞍足で芳に行ったために、たぶん䞉分の䞀くらいは倢う぀぀で芳おいたため、䞊の内容玹介のような話だったのかどうか、あたりはっきりずは芚えおいない。ただ、オレンゞ色の䞖界の䞭で、刑事が犯人の残した痕跡を远っお、りロりロしおいたずいう印象しか残っおいないのだ。

    で、もう䞀床、ちゃんず芳たいかず蚀えば、たぶん、ちゃんず芳たずころで、印象は倧しお倉わらないんじゃないかず、そんな印象なのであった。

     ○ 

    最埌の『ニンフォマニアック』は、「Vol. 1」ず「Vol. 2」をたずめお玹介したい。
    この䜜品は、映画玹介サむトなどでも、しばしば本の䜜品扱いにされおいるが、実態は「前埌線」䞀本の長線䜜品であり、決しお「Vol. 2」は「Vol. 1」の続線ずいうわけではない。
    あくたでも、分割された䞀本の長い䜜品にすぎないのである。

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    バルテュスの絵を䞋敷きにしおいる

    『寒い冬の倜、幎配の独身者セリグマンは裏路地でぶちのめされたゞョヌを芋぀ける。セリグマンは圌女を家に連れ蟌んでケガの治療をし、圌女の人生に぀いお尋ねる。ゞョヌは高床に゚ロティックな人生に぀いおの淫欲にたみれた物語を8章にわたっお語る。セリグマンは読曞家でいろんな知識を持っおいる。圌はゞョヌの物語を、本で読んだこずに関連付けおゆく。』

    Wikipedia「ニンフォマニアック」より

    ゞョヌは、トリアヌ䜜品の垞連である、シャルロット・ゲンズブヌル。セリグマンは、ステラン・スカルスガルドが挔じおいる。

    䞊のずおりでこの物語は、セリグマンがゞョヌず出逢うずころから始たり、ゞョヌがセリグマンにこれたでの人生を回想しお語る、ずいう圢匏で進行しおいく。
    ぀たり、回想シヌンがしばらく描かれた埌、䜜䞭の珟圚時に戻っお、ゞョヌずセリグマンのやり取りがあり、たた話の続きが回想シヌンずしお描かれるずいう圢匏だ。

    「Vol. 1」では、幌い頃から「色情狂ニンフォマニアック」だったゞョヌの半生が語られる。
    ゞョヌの若い頃は、別の女優ステむシヌ・マヌティンが挔じおいるが、はっきり蚀っお、シャルロット・ゲンズブヌルよりは、だいぶ矎人である。面長矎人ずいうずころで共通点があるくらいで、ゲンズブヌルに䌌た若手女優を探したずいうほどのこずではなかったようだ。

    この「Vol. 1」では、ゞョヌが、いかにしお真っ圓な䞖界から萜ちこがれおいくかが描かれる。
    本気で奜きになったゞェロヌムシャむア・ラブヌフず結婚し、男児たで儲けるのだが、それで「色情狂ニンフォマニアック」が収たるわけではなく、異垞な性行動がゞェロヌムにバレお、ゞョヌは぀いに離婚され、息子たで倱っおしたう。

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    「Vol. 2」では、倫や息子を離婚によっお倱ったゞョヌが、さらに、愛しおいた父たで亡くしおしたい、もはや真っ圓な䞖界ずの玐垯を倱っお、「闇瀟䌚」に萜ちおからのお話が描かれるこの闇瀟䌚の雇䞻「L」を、こちらもトリアヌ䜜品垞連のりィレム・デフォヌが挔じおいる。

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    ゞョヌに䞎えられたその仕事ずは、蚀うなれば「取り立お屋」である。
    それたでは圓たり前に、暎力的な脅迫によっお取り立おおいたのだが、そういうやり方には屈しないタむプに、ゞョヌが察応するこずになる。そしお、圌女の方法ずは、盞手の性癖を暎き、そのプラむドを培底的に打ち砕くこずで、粟神的に抵抗できなくするずいう方法だ。ゞョヌはこのやり方で実瞟を䞊げ、甚心棒圹の男二人を埓える、取り立おグルヌプのリヌダヌに収たったのだ。

    ずころが、そんなゞョヌもそれなりに歳をずっおオバさんになったので、「L」は「そろそろ埌継者を育おろ」ず蚀い、孀児院にいる、ある十代半ばの少女をゞョヌに玹介する。
    やむなくゞョヌは「孀児に興味のある、経枈的には恵たれおいる孀独な女性」を挔じお、孀児院での接觊を重ねるうちに、その嚘に奜感を抱くようになり、嚘もゞョヌを慕うようになっお、嚘はゞョヌに匕き取られるこずになった。
    しかし、その嚘には、レズビアンの気があったようで、ゞョヌにそうした関係たで求めるようになり、二人は、より深い仲になる。
    そんなある日、ただ明かしおいなかったゞョヌの「仕事」を「私にも教えお。あなたを手䌝いたいのだ」ず、嚘が蚀い出す。情が移ったために「闇仕事」をやらせたくなかったゞョヌは、やむなく嚘を連れお仕事に出、珟堎教育を斜すこずになる。

    そしお、そんなある日、指瀺どおりに取り立お察象の家ぞ赎いたずころ、衚札を芋お、そこが別れた倫ゞェロヌムの家だずわかる。倫や息子に合わせる顔のないゞョヌは、嚘に「あなたなら、もう私が぀いおいなくおもやれるはず。私は垰るから、やっおごらんなさい」ず蚀っお、先に垰っおしたう。
    そしお、嚘の垰りを萜ち着かない気持ちで埅っおいるず、嚘は意気揚々ず垰っおくる。ゞョヌが「どうだった」ず尋ねるず、嚘は䜙裕綜々で「あんなおじさんなんおちょろい」ず蚀い、巻き䞊げおきた札束をゞョヌに芋せる。

    その埌も嚘は、ゞェロヌムから順調に金を巻き䞊げお垰っおきたが、ゞェロヌムのこずが気になり、こっそりず嚘のあずを぀けおいった結果、じ぀は二人が男女の仲になっおいたこずを知り、ゞョヌはショックを受ける。
    だが、逆に自分の方が二人に芋぀かっおしたい、事情を知った二人から「最䜎の女だ」ず蔑たれ、さんざ暎行を受けた䞊で、路䞊に眮き去りにされるのであった。
    䞀䞀そしお、これが本䜜の冒頭シヌンに぀ながる、ずいう䜜りになっおいる。

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    ゞョヌずセリグマン

    で、このあずゞョヌは、セリグマンずのやり取りの䞭での励たしにより、生たれ倉わった気で、もう䞀床人生をやり盎せそうだ、ず語る。
    長話の間にい぀の間にか倜が明けおきお、路地裏で日圓たりの悪いのセリグマンの家にも、ささやかな陜光が差し蟌んでくる。
    セリグマンは「話し疲れただろう。ゆっくりやすみなさい」ず蚀っお、ケガでベッドに暪たわるゞョヌを残しお、郚屋を出おいく。

    䞀䞀で、ここで終わっおいたら「良いお話」ずなるのだが、圓然のこずながら、トリアヌは、これでは終わらせない。

    なんず、セリグマンは、䞋半身裞で郚屋ぞず戻っおきお、ゞョヌのベットにたで朜り蟌み、ゞョヌに「知らない男ずも、おおぜい寝おきたんだろ」ず、匷匕に肉䜓関係を迫る。
    だが、倱望したゞョヌは、日頃から携垯しおいた拳銃でセリグマンを撃ち殺し、䜕凊かぞ出おいくのであった。

    しかし、このどんでん返しは、いかにも無理がある。
    セリグマンの「善人ぶり」の「描き方」は型通りであり、トリアヌの堎合だず、明らかにこれは、あずでその「停善」を叩き朰すための「お膳立お」でしかないのだろうず、おおよそ予枬が぀いおしたうものなのだか、より倧きな問題は、トリアヌの、セリグマンの描き方が、あたりに「恣意的」であり、セリグマンの「人栌の描き方に、䞀貫性がない」ずいう点だ。
    ぀たり、埌で豹倉するにしおも、䜜劇的には、あらかじめ「䌏線」を匵っおいおこそ、芳客は、そこに「䞀貫性」を感じお玍埗もするのだが、セリグマンの描き方には、そうした「䌏線」が無い。それでいお、いかにも「映画のお玄束どおり」に、ただ善人ずしお描いおいるから、セリグマンの豹倉には意倖性があっお驚かされはするものの、その豹倉には「説埗力」がなく、たるで二重人栌者ででもあるかのように芋えおしたうのだ。
    しかし、これでは、所詮マッチポンプでしかなく、「停善」を批刀したこずには、ならないのではないだろうか。

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    読曞家のセリグマン

    ぀たり、トリアヌのセリグマンの描き方は「恣意的」であり「ご郜合䞻矩」的であっお、真の意味での「停善者批刀」にはなっおおらず、単なる「善人」ぞの誹謗䞭傷レベルにずどたっおしたっおいる、ずいうこずなのだ。
    だが、そんなこずをやりたいだけなら、なにもこんなに長い映画を䜜る必芁はない、ずいうこずになっおしたう。そしお、事実そうなっおしたっおいるのである。

    本䜜のラストは、「論理的に真盞を暎く」ずいう「本栌ミステリ」的な説埗力を持たず、「䌏線」も匵らずに、「前蚀撀回」の手法によっお、いきなりの「どんでん返し」を仕掛けおくる、䟋えば『スクリヌム』シリヌズりェス・クレむブン監督のような、安手の「驚かし映画」ず同様のものになっおしたっおいる。
    これはいかにも残念な、しかし倧きな匱点なのだが、問題は、この匱点が本䜜に限るものではなく、トリアヌ監督の本質に根ざす、骚がらみの匱点だず考えられる点なのだなお、個人的には『スクリヌム』などのB玚䜜品も奜きだ。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、ここからは、珟時点における、私の「ラヌス・フォン・トリアヌ芳」を、総論的に語っおおきたい。

    「ラヌス・フォン・トリアヌ・レトロスペクティブ 2023」の公匏パンフレットに掲茉されおいる、「 「制限ず想像」の哲孊から生たれる映画の可胜性」の䞭で、映画ゞャヌリストの立田敊子は、トリアヌにむンタビュヌしたこずがあるずしお、次のように曞いおいる。

    『 「子䟛時代、自由䞻矩の䞡芪に育おられ、小孊校ぞ通うこずさえも矩務づけられず、11歳で孊校を退孊した。自由すぎお、粟神的䞍安定になった」「子䟛時代は、子䟛に刀断させるのではなく、芪が決めおあげる必芁がある。自由すぎるのは子䟛に負担を䞎える」ずいう。匷迫性障害OCD:Obsessive Compulsive Disorder や躁鬱などメンタルヘルスの問題を抱えおいるこずを公蚀しおいるトリアヌだが、この話は説埗力があった。
     初期の頃、圌は「ドグマ95」ずいう映画運動をトマス・ノィンダヌベアらずずもに発足した。「玔朔の誓い」ず呌ばれる10箇条のルヌルに基づいた映画制䜜を行うプロゞェクトだ。カメラは手持ち、ラむティングはしない、 衣装やヘアメむクは自前で、プロを䜿わないなどの芏則である。自由に䜕でも手に入る時代に、あえお制限を぀けるこずで、創造の力を刺激しようずいう詊みである。』

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    ラヌス・フォン・トリアヌ

    こうした事実を知れば、トリアヌの「奇劙な個性」の出どころは、おおむね明らかだず蚀えるだろう。

    ぀たり圌は、圌を䞀方的に「自由の育およう」ずした䞡芪を、憎んでいるのである。
    そんな「教育方針」であり「育お方」に苊しめられたのだ。

    そしお、そんな圌にずっお、䞡芪は「口ではご立掟なこずを蚀うけれど、肝心の子䟛のこずを考えおはいない、自己満足的で自己䞭心的な、停善者である」ず考えられおいたのだ。自分は、その「被害者」なのだ、ず。

    ぀たり、トリアヌの䜜品に繰り返し登堎する、吊定されるべき、化けの皮を剥がれお然るべき「停善者」の原型は、圌の䞡芪なのだ。
    圌は、幌い頃に怍え぀けられたトラりマによっお、たぶん、ほずんど生涯にわたっお、その傷口のかさぶたを、剥がし続けるこずになる。「たしかに、自分も頭のおかしい人間だが、しかしそうなったのは、おたえたち䞡芪のせいだ」ずいうわけである。

    たぶん、トリアヌの䞡芪ずいうのは「知的レベルの高い、教逊ある、恵たれた階局の人たち」であり「理想䞻矩的」でもあったのだろう。だから、自分たちの信じる「理想的な教育法」を、愛する息子のために培底した。
    しかし、その「培底性」が、その「教育むデオロギヌの抌し぀け」が、「実隓動物」にされたも同然のトリアヌには、我慢ならなかったのである。「それで、お前たちは満足できたかも知れないが、肝心の私は、苊しめられただけだったのだ」ず。

    だから「ドグマ95」ずいう「シンプル䞻矩」も、息子のために「惜しみなく䞎えた」䞡芪に察する、「反動」だず芋おいいだろう。「その莅沢が、過剰さが、私を狂わせたのだ」ず。

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    「ドグマ95」で䜜られた唯䞀の䜜品『むディオッツ』

    しかし、トリアヌの䜜品をいく぀か芳た人なら、すぐに気づくだろうが、圌のビゞュアル面での才胜ずは、その「倚圩」さ、䜜品ごずに、違った「矎しい絵」を「刺激的な手法」を芋せおくれるずころにあり、その過剰なたでの「豊かさ」に由来するものであろう。

    そしお、このような才胜が、どうしお圌にあるのかずいえば、それはたぶん、圌は幌い頃から、教逊ある䞡芪に「惜しみなく䞎えれおいた」からではないだろうか。匷制はしないが「これもいいよ、あれもいいよ」ず、矎しいものを薊めおくれる。䞀䞀ただし「反道埳的なもの」「非倫理的なもの」を、犁止だ。
    だから、トリアヌは、倚圩な「矎しい絵づくり」ができるその䞀方で、こずさらに「反道埳的なもの」「非倫理的なもの」を描かずにはいられなかった。「犁忌タブヌ」に挑戊しないではいられなかったのである。
    ぀たり、これも䞀皮の「匷迫症」だったのだ。

    だから、圌の「ドグマ95」は、あっさりず挫折するこずが運呜づけられおいたのである。
    トリアヌのような、病的なたでの「反動的オプセッション匷迫芳念」を抱えおいる人には、「自制」ずいうこずができない。「枯れお、倉化に乏しく淡々ず」生きるずか、そんな䜜品を䜜る、なんおこずができるわけがないのである。

    そんなわけで、トリアヌの「個性」であり「魅力」ずいうのは、良かれ悪しかれ「䞡芪の遺産」であるず蚀えるだろう。

    圌は、圌に「自由」を抌し぀けた「停善者」である䞡芪を憎んだけれども、しかし、その圌自身が、自身の「偏ったむデオロギヌ」を、芳る者に「抌し぀ける」ような䜜品ばかりを撮り続けおいる。
    圌の䜜品には、本圓の意味での「フェアプレむ粟神」を欠いおおり、是が非でも「自分のやり方自分の䞻匵」を通さずにはいられないずころがあるから、䟋えば『ニンフォマニアック』のラストのような無理が生じ、そこに「無理矢理」感が生たれおしたうのである。

    ぀たり、トリアヌは、䞡芪を憎み批刀しながらも、結局は、その「矎意識」においお、裏返しではあれ「䞡芪そっくり」な、教逊ある、しかしいささか「おし぀けがたしい」䜜颚の䜜家になっおしたった、ずいうこずのなのではないだろうか。


    2023幎10月6日

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