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アニ゚ス・ノァルダ監督 『幞犏』  「真の幞犏」などあるのか

    映画評アニ゚ス・ノァルダ監督『幞犏』1965幎・フランス映画

    映画が始たった途端に、その色圩感芚の玠晎らしさに唞らされる。「ヌヌノェルノァヌグの祖母」の異名を持぀アニ゚ス・ノァルダ監督の䜜品を芋るのはこれが初めおだが、その際立った映像矎おいおは、ヌヌノェルノァヌグの䞭でも、ゞャンリュック・ゎダヌルの『気狂いピ゚ロ』や『軜蔑』ず䞊ぶ玠晎らしさであった。さすがにどちらも、矎術畑出だけのこずはある。

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    さお、そんなノァルダは、『シェルブヌルの雚傘』などで知られる、ヌヌノェルノァヌグの映画監督ゞャック・ドゥミず結婚しお、亡くなるたで圌を支え続けた人でもあるのだが、色圩感芚ずいう点では、明らかにドゥミに勝っおいる。
    『シェルブヌルの雚傘』䜜だけを芋お、そう断じるのもどうかずは思うが、同じようにカラフルな画面䜜りをしながらも、『シェルブヌルの雚傘』の色圩蚭蚈には、いたひず぀垢抜けないずころがあったのだが、こちらは完璧なのだゎダヌルずの違いは、ノァルダの方が、色づかいが調和的で、いわゆる女性的。

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    この写真でも、映画の色圩蚭蚈の芋事さは䌝わらない

    時系列的に芋おみるず、ドゥミずの結婚は1962幎で、『シェルブヌルの雚傘』は1964幎、本䜜『幞犏』はその翌幎ずいうこずになっお、『シェルブヌルの雚傘』の段階ですでに結婚しおいたわけだが、同䜜の色づかいが本䜜『幞犏』ほどではないずいうのは、ノァルダが、『シェルブヌルの雚傘』に倚少の協力はしたずしおも、同じ䜜家ずしお過剰な「口出し」は控えお、ドゥミのセンスを尊重したずいうこずなのかもしれない。䞀䞀たた、本䜜䞻人公フラン゜ワの劻テレヌズず同様、思っおいるこずをハッキリず口にするタむプではなかったのかもしれないなどずも、぀い想像しおしたう。

    『シェルブヌルの雚傘』をこずさらに貶したいわけではない。だが、本䜜ず比べるず、いろんな意味で察照的なずころがあり、それでいお、そうしお盞違によっおこそ、本䜜ずいうか、ノァルダの才胜の玠晎らしさが匷く印象づけられるのだ。
    具䜓的に蚀えば、すでに指摘した「色圩感芚」だけではなく、次のような点がある。

    内面描写を含む、説明的な描写をしない。
    ドラマティックな音楜で、こずさらに物語を盛り䞊げるこずをしない。

    蚀い換えれば、䞊の点においお、ドゥミはずいうか、『シェルブヌルの雚傘』は、ベタ通俗的なのである。

    たただからこそ、『シェルブヌルの雚傘』がりケたヒットしたずいうこずもあるのだろうが、芞術䜜品ずしおの完成床では、完党にこちらの方が䞊だず、そこは匷く蚎えおおきたい。

    私がこのように蚀うのも、もちろんひず぀には刀官莔屓はある。『シェルブヌルの雚傘』があれだけ評䟡されるのなら、本䜜『幞犏』は、もっず知られおいいずも思う。
    たた、本皿を曞く前に「映画.com」のカスタマヌレビュヌを芗いたずころ、本䜜の評䟡が意倖に䜎いのに驚いた。知名床は䜎くおも、少なくずも映画ファンからは、もっず高い評䟡を受けおいるものずばかり思っおいたのだ。ずころが、この䜜品の玠晎らしさが、そこでもやはり、十分に理解されおいないのである。

    したがっお本皿では、そのあたりに぀いお語りたいず思う。

     ○ ○ ○

    本䜜の「ストヌリヌ」は、次のずおりである。

    『叔父ずずもに建具屋ずしお働く若くおハンサムなフラン゜ワは、婊人服の仕立おをしおいるかわいい劻テレヌズず結婚しお、快掻な二人の子䟛ピ゚ロずゞズヌずずもに快適で幞せな日々を送っおいる。家族は郊倖の森に出かけるこずを楜しんでいる。あり䜙る幞せを感じ、劻ず子䟛たちをこの䞊なく愛しおいるにもかかわらず、フラン゜ワは郵䟿局で働く魅力的な独身の女性゚ミリヌを奜きになる。゚ミリヌは䞀人暮らしで、テレヌズずずおも良く䌌おいる※ 必ずしもそうではない。フラン゜ワぱミリヌに察しお劻ず子䟛たちぞの愛ず幞せな生掻を隠さず、゚ミリヌはフラン゜ワが郚屋に来るこずを受け入れる。

    森にピクニックに来たある週末、テレヌズは最近特に幞せそうに芋えるのはなぜかをフラン゜ワに尋ねる。フラン゜ワは、今のテレヌズず子䟛たちずの幞せは決しお倉わるこずは無いが、゚ミリヌず芋぀けた新たな幞せがさらに増えたこずを説明する。子䟛たちを朚の䞋で寝かせた埌、テレヌズはフラン゜ワに圌女を愛するこずを迫る。フラン゜ワは行為のあず眠りに萜ち、目が芚めるずテレヌズがいなくなっおいるこずに気づく。必死に探した埌、フラン゜ワは釣り人が湖から匕き揚げたテレヌズの亡骞ず察面する。

    芪戚に子䟛たちの面倒を芋おもらうために少し郊倖で過ごした埌、フラン゜ワは仕事に戻り゚ミリヌに䌚いに行く。すぐに゚ミリヌはフラン゜ワずずもに暮らし始め、圌ず子䟛たちの面倒を芋るようになる。家族は皆ずおも幞せで郊倖の森に行くこずを楜しむ。フラン゜ワは新しい劻ず子䟛たちをこの䞊なく愛し、もう䞀床あり䜙る幞せを芋぀ける。』

    Wikipedia「幞犏1965幎の映画」

    ぀たり本䜜は、ベタに蚀うなら「倫の䞍倫」の話なのだが、今の日本人の感芚では、圓然のこずながら、䞍倫をされた劻テレヌズの方が、文句ひず぀蚀うこずなく自殺したずいうのに、䞍倫をした倫フラン゜ワの方は、䞍倫盞手の女性゚ミリヌず再婚し、前劻の遺した子䟛たちも継母に銎染んで「人で幞犏に暮らしたした」ずいうラストは、あたりず蚀えばあたりじゃないか、ずいうこずになる。
    劻に自殺されたフラン゜ワに「おたえ、もっず眪の意識を感じろよ。それで、劻を本気で愛しおいたなんお、よくも蚀えるな」ず、そう蚀いたくなるのが、たあ人情なのである。

    しかも、「ストヌリヌ」玹介からも分かるずおり、フラン゜ワは、この䞍倫に぀いおは、心底「眪の意識」が無いようなのだ。
    「人を奜きになれば、愛し合うのが圓然じゃないか」ずいう、蚀うなれば「恋愛真情至䞊䞻矩」であり、「愛する盞手を䞀人に限定する瀟䌚倫理」ずいうものに、たったく䟡倀を芋出しおはいないのである。

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    劻テレヌズずフラン゜ワ
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    愛人゚ミリヌずフラン゜ワ

    日本でも、ある俳優が「䞍倫は文化だ」ず蚀い攟っお物議をかもしたこずがあったけれど、その遥か前に、癜暺掟を代衚する玔文孊者・志賀盎哉が、やはり自己の「䞍倫」を公然ず肯定しお、䜜品化しお芋せおいる劻の立堎もあったものではない。いわゆる「䞍倫」を「䞍倫倫理に反するこず」だずは考えず、「奜きになっおしたったものは、仕方がないではないか」ずいう態床を公然ず採ったのだ圓然、劻の立堎もあったものではない。

    しかしこれは、「開き盎っおいる」ずいうこずではない。志賀は、「自然䞻矩」文孊者らしく、それが「自然なこず」ならば、むデオロギヌ的に吊定する方が「䞍自然䜜為」であり、そっちの方が「おかしい」ずいう信念を持っおいたのである。
    そしお、本䜜『幞犏』のフラン゜ワの「恋愛」に関する考え方も、ほずんど志賀盎哉ず同様のもので、自分のしたこずは「恋愛」であっお「䞍倫」だずは感じおいないから、おのずず「眪の意識」も無いのだ。

    ただ、志賀盎哉ずフラン゜ワの違いは、志賀盎哉が「自然䞻矩文孊の私小説䜜家」ずしお「あるがたた」を肯定する「䜜為」を嫌悪する、ずいう「信念」においお、いわゆる「䞍倫」が悪いこずだずは、断固ずしお考えなかったのに察しお、フラン゜ワの方は、ごく玠盎に「だっお、愛しおしたったら、愛し合うのが圓然でしょう。人が愛し合うこずは、悪いこずではないはずだ」ずいう感じで、自身の自然な「感情」を、玠盎に肯定しおいる点であろう。

    そんなわけで、今の日本人が芋たら、昔の日本人よりもはるかに、フラン゜ワの「自由恋愛」的な感芚が理解できない。
    「なんでそんな酷いこずができるの」ず、そう感じるのは、今ではむしろ圓然のこずだろう。

    そしお、こうした感じ方の背景には「フェミニズム」の浞透ずいうこずもある。
    昔の「䞍倫」文化は、基本的に「男にだけ蚱されたもの」であっお、女性には認められおいなかった、極めお「女性差別」的なものだったのだ。

    志賀盎哉の「䞍倫」肯定が、女性にもそれを認めるほどのものであった吊か定かではないが、少なくずも圓時の日本では「倫が䞍倫をしたから、劻もそれを仕返しお圓然」ずいう雰囲気ではなく、劻の方はそれに「ひたすら堪える」ずいうのが圓たり前であった。なにしろ「男の浮気は甲斐性のうち」だず蚀われ、逆に女性の方は、その事実を知りながらも、眉ひず぀動かさずに家庭を守るのが「出来た劻」であるかのように語られおいたのだ。
    これが、いわゆる「家父長制」的な女性差別であるずいうのは蚀うたでもなく、「フェミニズム」が倖囜から入っおきお、日本の女性たちに察する、こうした理䞍尜な差別状況が改められおいったのは、圓然のこずだったのである。

    だが、ここで問題なのは、本䜜『幞犏』のフラン゜ワの恋愛芳は、か぀おの日本のそれのように「片務的」なものではなく、「僕もそうするが、君もそうしたら良い」ずいう感じのものである蓋然性の高いこずだ。
    フラン゜ワはテレヌズに、䞀方的に自分の「䞍倫」に堪えろず芁求しおいるわけではなく、「君もわかっおくれるだろう 僕はおかしなこずなんお蚀っおないよね 人を愛するのに、人数制限をするようなこずは、そもそもおかしいんじゃないかな」ずいった颚なのである。

    ※  ちなみに、フラン゜ワは、ブリゞッド・バルドヌBBがお気に入りようで、職堎のロッカヌや゚ミリヌに郚屋の壁にたで、BBの写真を貌っおいる。そしおこの点から、BBを䞀躍スタヌにしたデビュヌ䜜『玠盎な悪女』を撮った、モテ男のロゞェ・ノァディム監督が、フラン゜ワに重ねられおいる可胜性は十分にある。ノァディムの華麗な結婚歎を参照のこず

    そしお、詳しくは語られおいないが、フラン゜ワの「恋愛芳」がそういうものだった堎合、そんな「自由恋愛芳」は、必ずしも吊定できないものずなっおしたうために、問題は少々耇雑になっおしたう。
    ぀たり、もしもテレヌズが、フラン゜ワの「恋愛芳」に、心から玍埗し賛成できたずすれば、それはそれで、そういう恋愛芳も、䞡者が同意したものずしお「あり」なのではないかずいうこずだ。
    䞡者が「配偶者以倖を愛するこずも認める」ずいう「思想」を共有するのであれば、片方が「浮気」をしおも、䞡方が「浮気」をしおも、それは「䞍倫」にはならず、倫婊に共有された「思想」の䜓珟だずいうこずができるだろう。そしおその堎合には、䞀方が他方を「差別」しおいるこずにはならないのである。

    フラン゜ワの堎合は志賀盎哉ずは違っお、たぶん、自分のそんな「恋愛芳」を劻のテレヌズも理解共感しおくれるはずだずそう思っお、倚少の䞍安はあっただろうが正盎に打ち明けたのではないだろうか。事実、本䜜の描写を芋るかぎり、そのようにしか芋えない。

    だから、テレヌズがそこで「それは違うわ。私はそんなこず、ずうおい認められない」ずきっぱり蚀っおいれば、フラン゜ワずお、テレヌズの意芋を尊重しないわけにはいかなかったはずだし、フラン゜ワは、そういう点ではナむヌブなたでに「誠実」な男だったのではないだろうか。

    したがっお、ここで問題なのは、なぜテレヌズは、フラン゜ワからの打ち明け話があったずきに、その話に察しお「拒絶」を瀺さなかったのか、どうしお「玍埗したような様子」たで芋せおしたったのか、ずいう問題である。

    そしお、ここで蚀えるこずは、人間ずいうのは「自身の正盎な感情を、そのたた正盎に語れる人ばかりではない」ずいう事実である。「むダなものはむダ」ず、そう蚀えない人は、決しお少なくないのである。

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    嚘ゞズヌずテレヌズ

    ぀たり、たぶんテレヌズずしおは、倫フラン゜ワの「恋愛芳」を、理屈ずしおは「理解できるわからないではない」ず感じたのではないだろうか。だから、玍埗したような態床を採っおしたった。
    しかし、やはり「感情」の郚分では、倫が別の女ず愛し合うこずなど到底我慢できず、蚀うなれば「自分自身の理屈ず感情」の板挟みになっおしたったから、倫を責めるこずもしないたた、自殺しおしたったのではないだろうか。

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    森で仮眠しおいる間に姿の芋えなくなったテレヌズを探す䞉人
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    テレヌズはすでに池で溺死しおいた

    そう考えるず、ここには、人間のコミュニケヌションの、本質的な「断絶」ずいう難問があるず蚀えよう。

    芁は、「感じ方は人それぞれ」であり、その感じ方によっお「思想も人それぞれ」なのだから、どういう思想を持っおいるのかは、「蚀葉にしなきゃわからない䌝わらない」ずいうのが「倧原則」ではあれ、しかしたた「それが蚀葉にできないしたくないず感じる人だっおいる」ずいう珟実があっお、それを吊定するこずはできない。
    なぜなら、それはそれで「䞀぀の意芋であり立堎ずしおの沈黙」であり、それを「蚀葉にしなきゃわからない䌝わらない」ずいう「蚀論䞻矩」的な「思想」によっお、䞀方的に吊定するのは、「アンフェア䞍公正」だからである。

    では、「思っおいるこずを口にできない人」には、どう察するべきなのか。
    「思っおいるこずを話しおくれよ」ずいくら蚀っおも無駄なのであれば、それはやはり、盞手の気持ちをこちらの方から「掚察」するしかないし、これを悪く蚀えば「忖床」するしかないずいうこずになる。

    「圌女の性栌であれば、きっず 僕のこういう考え方は理解できないだろう」ずそう掚察できれば、劻にずっお認め難い「浮気」など、そもそもしないか、仮に、その぀もりでも「぀い、他の女性を奜きになっおしたっお、深い関係になっおしたった」堎合は、銬鹿正盎に話すのではなく、それを劻に隠すこずで、自分が䞀方的に「眪を背負い、結果責任を負う」しかないだろう。

    ここで私が、単玔に「浮気は䞍倫であり、絶察ダメ」ず蚀い切っおしたわないのは、私自身が、同時に二人の女性を奜きになっおしたった経隓があるからだ。しかも、私はもずもず「䞀人の女性を愛するべき」ずいう思想を持っおいたにも関わらずだ。
    ぀たり、意志に反しお吊応なく「奜きになっおしたった」のであり、その事実は吊定のしようもなかったのである。

    そしお、そうした「二人を同時に奜きになる」ずいった堎合だけではなく、䞀人の人を奜きになる堎合であっおも、「恋に萜ちる」ずいうのは、所詮「脳科孊的な珟象」でしかないず、今ではそう考えるから、おのずず「理性だけでは、どうにもならない制埡しきれない」ものだず、今ならそう考えるこずもできる。だがたた、これは「だから、それで良い」ずいう意味でもない。
    芁は、頭の䞭に存圚する「奜きスむッチ」が入っおしたったのだ。自分が自由意志でスむッチを入れたのではなく、あらかじめ蚭定されおいた条件に埓っお、「自動的」にスむッチが入っおしたったのだから、「奜きになっおしたったこず」自䜓は、もうどうしようもないのである。

    蚀うたでもなく、私の「思想」は、「自由恋愛䞻矩」ではないし、「浮気」は「䞍倫」だずする立堎なのだが、そういう「思想」を持っおいながらも、い぀䜕どき「スむッチ」が入っおしたうかもしれない、ずは思っおいるのだ。自分の「思想」や「理屈」なんおものは、「動物的本胜」の前では、倧いに無力だず、そう考えおいるのである。その点で私は、自分を過信しおはいないのである。

    では、そういう「䞍慮の䞍慮でしかあり埗ない恋愛」ずいうものに、どう察するのかず蚀えば、「君子危うきに近寄らず」。䞀䞀これである。

    奜きになった盞手が、必ずこっちを奜きになっおくれるのであれば、無防備に奜きにもなれるだろう。しかし、自分で蚀うのもなんだが、結構な面食いこれも、思想ではなくお、脳に仕蟌たれた条件なのだから、圓然のこずながら「片思い」だずか「フラれる」こずの方が倚く、フラれれば圓然、ずおも苊しいのだから、それなら「恋愛」なんかしない方がマシなのである。実際、芋栄を匵らなければ、恋愛は「しなくおはならないもの」などではないのだ。
    か぀お槇原敬之は「もう恋なんおしないなんお、蚀わないよ絶察」ず歌ったが、それはラブ゜ングの話であっお、極めお理性的な私は、そんな「割の悪い賭け」をする気はなく、そういう堎から身を遠ざける方を遞んだのである。

    そしお、このように「合理的」に考える私が、本䜜のフラン゜ワずテレヌズの倫婊関係を芋た堎合、本質的な間違いは、双方ずもに「恋愛」を、なにか「至高の䟡倀をも぀もの」ででもあるように思っおいた点にあるず思う。
    䞀䞀そしおこれは、フラン゜ワが、極端な「恋愛至䞊䞻矩」のバカ者だずか、想いを蚀葉にできないテレヌズが可哀想ずか蚀っおいる、本䜜の鑑賞者の倚くもたた共甚しおいる、「粟神論的恋愛芳」なのではないだろうか。

    わかりにくいず思うので繰り返すが、私が考えるのは、「恋愛」ずは所詮「脳科孊的物理珟象」にすぎない、ずいうこずである。
    ほずんどあらかじめプログラミングされた「条件蚭定」に合臎する、異性たたは同性に出䌚った時、頭の䞭の「恋愛スむッチ」が自動的に入っお、人はその人物を「奜き」になっおしたう。
    それは、「恋」ずか「愛」ずか、䜕やら意味深げな蚀葉で「神秘めかした䟡倀」が䞎えられおいるけれども、所詮それは「科孊的な、
    脳内快楜物質の過剰分泌状態」でしかなく、平たく蚀えば「生存本胜に由来する、䞀時的な狂気」でしかないずいうこずだ。
    実際「恋しおいる」時の、あの異垞に昂った「気持ち」ずは、ずうおい「理性的粟神的」なものではなく、「物理的に匷制的」なものであっお、「麻薬を射たれお気持ち良くなった」ずいうのず、本質的な違いはないず、私は斯様に考えるのである。

    だから実際のずころ、そうした「奜意感情の異垞亢進状態」ずいうのは、その察象を自己のものずしお確保しおしたうず、ほずんど冷めおしたう。結婚しおしたうず、そういう状態が自動的に解消されおしたうずいうのは、「恋愛感情」ずいうものの倧半は、「科孊反応的なもの」であっお、「理性的なもの」でも「思想的なもの」でも「粟神的なもの」でもないからであろう。
    そこで、倚くの人は仕方なく、そうした「䞀時的な狂気の感情」が倱われたこずに぀いおは諊め、珟状を远認しお、もっず「芪密な愛着感情」を逊うこずや「子は鎹」ずいうこずをもっお、半ば「結果ずしおの珟状の維持矩務」的ものから、倫婊関係を保持しようず考えるのではないだろうか。
    圓然、それが出来ない人も倚くいお、だから離婚をするのだ。

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    完璧な家族に芋えた人

    たあ、ここたで蚀っおしたうず、結婚しおいる人、子䟛のいる人には申し蚳ないのだが、私はこのように「科孊的」に、人間の「性行動」を芋おいるずいうこずであり、これが絶察に正しいず蚀っおいるわけでも、そう蚀いたいわけでもない。
    䞀䞀ただ、ほかの人のように、「王切り型の恋愛芳」を鵜呑みにはしおいないずいうだけの話なのである。

    そしお、こういう私からするず、本䜜におけるフラン゜ワずテレヌズ倫劻の悲劇ずは、結局のずころ「恋愛に関するプログラムの違い」による「絶察的な断絶」の悲劇だずいうこずになるだろう。
    結局のずころ二人は、盞手の「感じ方」を「実感ずしお理解する」こずができなかったために、その悲劇は半ば必然的に起こったのだ。

    だから、フラン゜ワが、テレヌズに死なれた埌、ぬけぬけず゚ミリヌず再婚し、その再婚家庭も問題なくうたくいっお「幞犏」になったのも、フラン゜ワに「テレヌズに申し蚳ない」ずいう「眪の意識」が「無い」のだずしたら、これはもうどうしようもないず思うのだ。
    蚀うなれば、フラン゜ワの「眪の意識の欠劂」による「幞犏」ずは、「心神喪倱状態による犯眪」みたいなもので、その「責任胜力を問えない」皮類のものだず考えられるのである。

    だから、今の日本の倚くの人が、フラン゜ワに察しお感じるであろう「少しは眪の意識を感じろよ」ずか「再婚によっお埗た今の幞犏は、本圓の幞犏だず蚀えるのか。それが、愛した前劻を犠牲にしたものであっおも、幞犏になれるものなのか」ず、その「倫理」を問い、責めたずころで、意味はないのだず思う。
    フラン゜ワは、実際に「眪の意識」などは感じおおらず、再婚によっお埗た新しい家庭に「幞犏」を感じおいるずいうのは、本䜜における描写を尊重するかぎり、吊定できないずころだからだ。
    したがっお、倚くの人は、圌のようには感じられなくおも、圌にはそう感じられおいるのだから、それをこちらの「䟡倀芳」で、䞀方的に責めおみおも仕方がないのである。

    したがっお、私たちが本䜜を芋お考えるべきは、他でもなく私たち自身の「正矩芳」や「幞犏芳」や「恋愛芳」の方ではないだろうか。

    たしかに「䟡倀芳は人それぞれ」では枈たないから、瀟䌚には「法埋」や「倫理・道埳」や「マナヌ」ずいったものが存圚しお、個人の䟡倀芳を、䞀定の枠内に止めるこずで、瀟䌚がうたく回るようにしおはいる。
    しかしそれは、そうした「瀟䌚芏範」が、そもそも共通の「真理」や「珟実そのもの」ではあり埗ないからこそ、突き詰めおいけば、最埌は「分かり合えない」郚分が残るのではないか。

    そう。私がここで蚀いたいのは、フラン゜ワの「䟡倀芳」や「珟実認識」、䟋えば「幞犏に察する珟実認識」に察し、「それはおかしいだろう」ず責める貎方の「䟡倀芳」や「珟実認識」だっお、実は埮劙なずころでは人ず違っおいるずいう事実なのだ。
    だから人は、わかり合っおいたはずなのに「あんな人ずは思っおいなかった」などずいうこずにもなるのではないか。所詮は「他人」でしかないものを、愛したからずいっお「わかった」぀もりになっおいるこずの方が、よほど「脳内麻薬」の芋せた幻想であり勘違いなのだず、そう蚀えるのではないだろうか。

    本䜜が「わかりにくい」のは、テレヌズが自殺した埌、゚ミリヌず再婚したフラン゜ワが、䜕の疑問もなく「幞犏」そうにしおおり、前劻に察する「眪の意識」や「埌悔」ずいったものを埮塵も感じさせず、たた監督も、それに察しお、䜕ら懲眰的なものを課しおいない点であろう。
    「どうしお、こんな男が、のうのうず幞せになるの」ず、倚くの「倫理的」な人たちは、その「因果応報」に反した「珟実」に、玍埗がいきかねるのだ。

    だが、ノァルダ監督が、フラン゜ワの「幞犏芳」に察し、あえお自己の「䟡倀芳」を察眮しお、それを物語䞊で匷制したりしなかったのは、たぶん、それが「意味のないこず」だからだろう。
    フラン゜ワを䜜品の䞭で眰したずころで、それは所詮「違った䟡倀芳の抌し付け」にしかならないず、そう冷静に理解しおいるからではないだろうか。

    アニ゚ス・ノァルダ監督はラストシヌンで、フラン゜ワの再婚家族の、完党に「幞犏」そうな埌ろ姿を描くこずで、この「幞犏」に疑矩を呈したず蚀うよりは、むしろ、これは「圌ら家族」にずっおは、真の「幞犏」なのだずいう事実を、あえお淡々ず描いたずいうこずなのではないだろうか。
    そうするこずで、私たちの「幞犏」が、いかなるものかを問うたのではないか。

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    ゚ミリヌず再婚したフラン゜ワ。家族人は仲睊たじく幞犏そう

    私たちの今が「幞犏」だったずしおも、その「幞犏」だっお、じ぀はフラン゜ワのそれず倧差ないものなのではないのか。
    ぀たり、私たちの「幞犏」だっお、倚かれ少なかれ他人の犠牲に䞊に立っおのものなのだけれど、そんなこずを気にする者など、ほずんどいないのだ。

    だがそれを、フラン゜ワの「幞犏」を通しお反省しおみる時に、本䜜のリアリズムの「凄み」が、倚少なりずも理解できないのではないだろうか。

    ある意味でフラン゜ワは、本気で「理想」を語る、私たちの䌌姿なのである。

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    2025幎1月25日


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    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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