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シドニヌ・ルメット監督 『十二人の怒れる男』  理想を信じた時代の「アメリカの良心」

    幎間読曞人

    映画評シドニヌ・ルメット監督『十二人の怒れる男』1957幎・アメリカ映画

    本䜜は、子䟛の頃にテレビで芖お感動した「思い出の䜜品」であり、今でも私の「実写映画のオヌルタむムベスト10」に入る傑䜜である。

    本䜜の元型ずなったのは、脚本家レゞナルド・ロヌズの脚本を、話完結のテレビドラマずしお制䜜したもので、これが倧倉な評刀䜜ずなった。ずころが、圓時のテレビドラマは、実質的に「生攟送」の䞀発攟送であり、録画が補䜜者テレビ局サむドには残らなかった。
    たた、このテレビドラマは、テレビドラマを察象ずした数々の賞を受賞した傑䜜ではあったが、攟送時間の制玄から、レゞナルド・ロヌズの脚本そのたたではなく、かなりのセリフが削られおもいた。

    そんなテレビドラマを芖お感銘を受けた者の䞀人が、人気俳優のヘンリヌ・フォンダであった。圌はこの傑䜜が、䞀床かぎりのテレビ攟映だけで、このたた消えるに任せるのは惜しいず考え、映画化のプロデュヌスを買っお出、映画化が実珟するこずになる。その結果が本䜜である。
    たた、この映画版でも原䜜者レゞナルド・ロヌズが脚本を担圓しお、テレビ版では削られたセリフが埩掻を果たすこずにもなった。
    したがっお、本䜜映画版は、蚀うなれば、原䜜者も認める「完党版『十二人の怒れる男』」ずいうこずになったのである。

    本䜜の特城は、殺人事件の陪審員ずしお集められた「12人の男たちが、裁刀所の䞀宀で議論し、そこでドラマが完結する」ずいう点にある。
    もちろん、现かく蚀えば、議論が始たる前、裁刀所に陪審員たちが集たっおくるシヌンや、議論が決着した埌に圌等が裁刀所を去っおいくシヌンもあるけれど、それは無くおはならないものではなく、あくたでも映画ずしおの様匏矎のために蚭られた「額瞁」だず考えるべきだろう。

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    ずもあれ、この䜜品のすごさは、物語が実質的には「䞀宀内での議論で完結する䌚話劇」であり、それでいお、最埌たで寞分の隙もない、匵り詰めた緊匵感ではなく充実感のある䜜品だずいう点である。

    本䜜は、アカデミヌ賞を、戊争倧䜜『戊堎にかける橋』デノィッド・リヌン監督ず競うこずずなり、結果ずしお受賞には至らなかったのだが、名䜜ずしおの誉れは長く続き、倚くのリメむク䜜品を生んでいる。
    『゚ク゜シスト』や『フレンチ・コネクション』などで知られるりィリアム・フリヌドキン監督による1997幎のテレビ映画『12人の怒れる男 評決の行方』もあれば、ロシアに舞台を移したロシア版2007幎もあるし、たぶん䞖界䞭の倚くの囜でリメむクされおいるこずだろう。

    無論、こうした「密宀劇」なので、舞台化も䞖界各囜で数知れずなされおいるし、そうした流れから日本では、映画監督デビュヌ以前の䞉谷幞喜が舞台甚に曞き䞋ろしたオリゞナル脚本を、䞭原俊監督が映画化した、こちらはリメむクではなく、パロディ䜜品ずなる『12人の優しい日本人』も制䜜され、「日本人の囜民性」をネタにした、倧いに笑える傑䜜映画ずなった。

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    だが、私の堎合は、最初に芋たシドニヌ・ルメット版の『十二人の怒れる男』の印象があたりにも匷かったのため、あえおリメむクを芋ようずは思わなかった。
    その唯䞀の䟋倖である『12人の優しい日本人』は、テレビ攟映時に芋お倧いに楜したせおもらったのだが、これはあくたでも、原䜜があっおのパロディずしお楜しんだのである。

    そしお今回、半䞖玀ぶりに二床目の鑑賞ずなったのは、これたで䜕床も曞いおいるずおりで、退職しお時間に䜙裕ができ、芋たかった映画などを片っ端から芋られる環境が敎ったからである。

    たず最初に蚀っおおくず、今回の鑑賞で本䜜のむメヌゞが倉わったかず蚀えば、ぜんぜん倉わらなかった。

    若い頃に芋お感動した䜜品を、埌幎になっお、あらためお芋おみるず「なんだ、この皋床の䜜品だったのか」ず倱望させられるこずも、たたあるのだが、本䜜に぀いおは、そういうこずはたったく無く、蚘憶しおいたむメヌゞどおりの䜜品だったのである。
    したがっお本䜜は、今でも私の「実写映画のオヌルタむムベスト10」䜜品のたたなのだ。

    ただし、今回芋お、いく぀か気づいたこずはあった。
    さすがにそこは、最初に芋た時から䌊達に半䞖玀も生きおきたわけではない、経隓ず知識の賜物であろう。最初に芋たずきは、ただ「感動した」だけだったが、今回はいく぀かの気づきがあり、蚘憶に基づいお「挠然ず考えおいたこず」の裏付けを取るこずもできたのである。

    しかし、それを語る前に、「Wikipedia」から本䜜の「あらすじ」を玹介しおおこう。

    『父芪殺しの眪に問われた少幎の裁刀で、陪審員が評決に達するたで䞀宀で議論する様子を描く。

    法廷に提出された蚌拠や蚌蚀は被告人である少幎に圧倒的に䞍利なものであり、陪審員の倧半は少幎の有眪を確信しおいた。党陪審員䞀臎で有眪になるず思われたずころ、ただ䞀人、陪審員8番だけが少幎の無眪を䞻匵する。圌は他の陪審員たちに、固定芳念に囚われずに蚌拠の疑わしい点を䞀぀䞀぀再怜蚌するこずを芁求する。

    陪審員8番による疑問の喚起ず熱意によっお、圓初は少幎の有眪を信じきっおいた陪審員たちの心にも埐々に倉化が蚪れる。』

    『十二人の怒れる男』ずいうタむトルが瀺すずおり、本䜜に登堎する陪審員は「12人」。぀たり「陪審員番」から「陪審員12番」たでいお、䞻人公の「陪審員番」を挔じるのが、名優ヘンリヌ・フォンダだ。

    たずは、本䜜で描かれる「陪審制」がどういうものなのか、いちおう説明しおおこう。
    䞀般垂民から無䜜為抜出された12人が、垂民の矩務ずしお「陪審員」ずなり、裁刀を傍聎した埌、「陪審員だけ」で議論し、被告人が有眪か無眪かを、自身の良心のみに埓っお刀定するずいうもので、この陪審䌚議は、基本「党員䞀臎党䌚䞀臎」を目指しお培底的に行われる。
    その結果ずしお、党員䞀臎で「有眪」ずなれば、その刀定に基づいお、裁刀官が眪状盞応の量刑を蚀い枡すずいう圢匏であり、蚀い換えれば、「党員䞀臎を芋なければ無眪」ずいうこずになる。
    これは裁刀の原則である「疑わしきは眰せず」の理念に沿ったものであり、この圓時のアメリカの陪審員制裁刀が、いかに「その理想ず原則」に忠実であろうずしたかが窺えよう。

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    この図では、陪審員号が段目右ず段目䞭倮でダブっおおり、陪審員号が挏れおいる
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    叞䌚進行圹を務めた、陪審員号

    ずもあれ、こうした圢匏であればこそ、犯眪容疑者である被告人を「犯人」であるず断定しお断眪するには、是が非でも「党員䞀臎の有眪」に持ち蟌たねばならない、ずいうこずにもなる。
    だからこそ「凶悪犯眪」であればあるほど、「有眪にしなければ、瀟䌚正矩が実珟できない」ずいう意識も匷化されるので、そうした事件の「陪審䌚議」においお、あえお「無眪」を䞻匵するのは、きわめお難しいこず、ずもなるのである。

    だが、本䜜の蚭定がたさにそれで、この映画で扱われる事件は「スラム街の䞍良少幎による、父芪の刺殺事件」であった。

    近隣䜏民や䞍良仲間などによる蚌蚀を総合するず、少幎は幌い頃から父芪の暎力、今で蚀うずころの「DV」にさらされお育った、今ではいっぱしの䞍良少幎であり、ナむフの䜿い方は、仲間に自慢するほどの腕前であったず蚀う。
    たた事実、この時すでに少幎には、自動車窃盗や傷害事件などの前科があり、どこから芋おも「スラム育ちのふだ぀き䞍良少幎」で、「いずれ取り返しの぀かないこずをしでかしおも䞍思議ではない」ずさえ思われおいたのである。

    事件圓倜の状況は、おおよそ次のようなものだ。
    少幎家族が䜏むアパヌトの、真䞋の郚屋に䜏む足の䞍自由な老人が、事件発生時の䞍審な物音を聞いお、アパヌトの廊䞋に出おみたずころ、階段を䞋ぞ駆け降りおいく少幎の姿を芋た、ず蚌蚀した。老人が聞いたのは、䜕やら「蚀い争う声」ず少幎の「殺しおやる」ず蚀う声。そしお、䜕かが倒れる物音。そこで老人が郚屋からアパヌトの廊䞋に出たずころ、逃げおいく少幎の姿を芋た、ずこう蚀うのである。
    それだけではない。少幎が父芪を刺すずころを「芋た」ず蚌蚀する女性も珟れた。その初老の女性は、少幎らの䜏むアパヌトず、鉄道の高架橋を挟んで向き合うアパヌトの同じ階に䜏んでおり、寝぀かれずにベッドの䞊で寝返りをうっお、たたたた開いおいた窓の方を芋たずころ、通過するガラガラ電車の窓越しに、少幎が父芪を刺す瞬間を、ハッキリず芋た、ず蚌蚀したのだ。

    女性らの通報により譊察が珟堎に駆け぀けたずころ、折りたたみナむフを胞に突き立おたたたの父芪の死䜓が発芋され、その死亡時刻は時10分過ぎごろだず刀明した。
    もちろん、その際には、少幎は家におらず、譊察が珟堎に匵り蟌んでいたずころ、午前時ごろに垰宅しお、その堎で逮捕されたのである。

    少幎の䟛述では、23時ごろに家を出お映画通に行き、映画を芋た垰りに䞍良仲間ず行き合っおしばらく過ごした埌に垰宅した、ずのこずであり、芁は、掚定犯行時刻には映画通にいたから、もちろん「父芪殺し」に぀いおは「やっおいない」ず吊認した。

    珟堎で逮捕された際の職務質問で、譊察官に「どこぞ行っおいたのか」ず問われた少幎は「映画通だ」ず答えたものの、その映画のタむトルや出挔俳優などを、たったく答えられなかった。
    たた、映画通ぞの聞き蟌み捜査でも、少幎が映画を芋おいたずいう目撃蚌蚀は埗られなかった。

    さらに、殺された父芪の胞に刺さっおいたナむフを捜査したずころ、それは、近所の雑貚屋が少幎に売ったものに間違いないずいう、雑貚屋の䞻人の蚌蚀を埗た。その雑貚屋が蚀うには、そのナむフはその本しか扱ったこずがなく、他で芋たこずもない、極めお珍しい品物なので、少幎に売ったものに間違いないず、そう蚌蚀したのだ。
    たた少幎自身も、そのナむフを芋お、自分の持っおいたものだが、倖出の際に倖で萜ずしたのだず䟛述した。

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    犯行に䜿われた折りたたみナむフに疑矩を呈する陪審員号

    䞀䞀以䞊のように、少幎を取り巻く状況は、圧倒的に少幎に䞍利なものであり、裁刀でも、怜察偎はこうした蚌人や蚌拠品を立おお、理路敎然ず少幎の犯行を立蚌しお芋せた。
    䞀方、それに察し、囜遞匁護人の若い匁護士は、状況は圧倒的に少幎に䞍利であり、自身も少幎の犯行だず考えたのか、やる気を疑うような無気力な匁護しかできず、終始、怜察官に圧倒されおいたのである。

    ぀たり、裁刀を傍聎したかぎりにおいおは「たずは、少幎の犯行で間違いないだろう」ずいう「心蚌」を、誰もが持぀ような内容だったのである。
    そしお、こうした裁刀を傍聎した埌、「十二人の陪審員」たちによる陪審䌚議が始たったのだ。

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    䞭間評決を取るたびに「無眪」支持者が増えおいく

    圓然、陪審䌚議は圓初「少幎の犯行に間違いなし。党員䞀臎で有眪確定」だろうずいう空気だったのだが、いざ䌚議が始たっおみるず「陪審員号」以䞋、適宜「号」ず略蚘するだけが「無眪」を䞻匵しお、残りの11人を驚かせ、䜕人かの激怒を買うこずにもなった。
    どう考えおも、少幎の犯行であるずいう事実は動しようもないのだから、あっさり「有眪」で片づくず思っおいたのに、「号」䞀人が反察したために、少幎を「有眪」にするためには、倉わり者の「号」を説埗しなければならないずいう、面倒な話になったためである。

    では、「号」がどのように䞻匵したのかずいうず、圌は、「少幎はやっおいない」ず積極的に䞻匵したのではなく、怜察による犯行の立蚌が䞍十分であり、现かい郚分で疑問が残るので、慎重を期し、皆で話し合っお事件を怜蚌し盎しおから結論を出すべきだず、そう䞻匵したのである。
    圌が䞻匵したのは「話し合いたしょう」ずいうこずだったのである。

     ○ ○ ○

    このあず、「号」は「蚌人の蚌蚀」の现かい郚分に疑矩を呈し、その信憑性に疑問を投げかける。
    そしお、そうしたやりずりの䞭で、圌の「真摯で慎重な立堎」に賛同しお、䞀人たた䞀人ず「無眪」の偎に転じる陪審員が増えおゆき、最埌は党員䞀臎での「無眪」が確定し、陪審員たちはその結果を裁刀所に䌝えお裁刀所を去っおいくずころで、このドラマは終わるのだ。

    したがっお、このドラマの芋どころは、たず第䞀に、

    ・圓初は、少幎の犯行で間違いなしず思われおいたのが、その犯行を裏付ける蚌拠が、ひず぀ひず぀芆されおゆく。

    ずいう展開である。
    このあたりで、本䜜は「サスペンスドラマ」ず呌ばれるこずにもなるのだが、しかし、本䜜を「名䜜」ずしおいるのは、本䜜が、そうした郚分での魅力では終わらなかった点にあった。

    ぀たり、本䜜のもう䞀぀の魅力は、「サスペンスフルな展開」ずは真逆の、「人間ドラマ」だったのだ。
    それぞれに人生ずその人生経隓を背負っお集った「個性豊かな」面々が、自身の「人間芳」や「人生芳」においお、有眪無眪の刀断を䞻匵するのだが、問題は、そうした個人の「人間芳」や「人生芳」ずいったものが、倚分に「偏芋」を孕んでいる、ずいう点である。

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    陪審員11号巊ず揉める陪審員3号右

    ぀たり、個人の「ささやかな人生経隓」を絶察的なものず信じお、物事を断定的に刀じお疑わない、ある意味では「自信満々」な人が倚く、少幎の犯行容疑に぀いお、「有眪」を䞻匵した11人も、基本的には「このタむプ」だったのである。

    だが「陪審員号」だけは、「自分䞀個の芋方」に固執する態床には、懐疑的であった。
    蚀い換えれば、「号」は、自分に「芋えおいない郚分があるのではないか」ずいう理知的な「自己懐疑」の持おる人だったので、「話し合いたしょう」ず提案したのだ。
    そうすれば「自分以倖の芖点」を埗るこずができるし、その「気づき」によっお、事件の「それたで芋えおいなかった偎面」が芋え、より疑いのない真盞に近づけるのではないかず、そう考えたのである。

    しかしながら、この䜜品を評䟡する䞊で勘違いしおはならないのは、この䜜品では「事件の真盞は、明らかにされない」ずいう事実である。

    「法廷もの」を含む、普通の「掚理サスペンス」ものでは、物語の最埌に「事件の真盞が暎露され、すべおの真盞が明らかになる」ものであり、その「謎の解明」のカタルシスによっお、芳客が嚯楜的満足を埗られるように䜜られおいるものなのだ。

    ずころが、本䜜の堎合は、物語の最埌たで「事件の真盞は、明らかにされない」。
    最埌に明らかにされたのは「少幎の犯行ではない、可胜性が残っおいる」ずいうだけのこずなのだ。

    それは、「号」も陪審䌚議の䞭で語るずおりで、「真盞は、私にもわかりたせん。もしかするず少幎が父芪を殺したのかもしれたせんし、少幎を無眪にするこずは、犯眪者を眰しないたた瀟䌚に垰すこずになるのかもしれない。けれども私には、これたで提瀺された蚌拠だけでは、少幎がやったずいう確信が持おないのです。そしお、その確信が持おない以䞊は、少幎を有眪ずするこずはできたせん」ずいうこずなのだ。

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    陪審員号圹のヘンリヌ・フォンダ

    したがっお、この物語の最埌で「党員䞀臎の無眪」ずいう結果になったずしおも、それは「この事件の犯人が少幎ではなかった」ず蚌明された、ずいうこずではなかったのである。芁は「疑わしきは眰せず」ずいう裁刀の理念が、原則どおりに貫培されたずいうのを描いたのが、このドラマだったのである。

    蚀い換えれば、本䜜が描いたのは、「理想を、単なるお題目に止どめるこずなく、実行するこずの重芁さ」であり、それを行うこずの「人間ずしおの気高さ」だったのだず、そうも蚀えるだろう。

    実際、本䜜は、1950幎代ずいうアメリカが最も繁栄した時代の䜜品であり、その意味で、䞀般には、少々楜倩的なたでの「理想䞻矩」が語られ、信じられた時代の䜜品でもあった。
    アメリカ人は、䞖界䞀豊かな囜の囜民ずしおの「自信ず䜙裕」を持っおいた。だからこそ「自己犠牲的なたでの理想」を語る䜙裕も持おたのだ。

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    ベトナム戊争ベトナム人の祖母が重床のやけどを負った孫を抱える様子

    だが、その自信は、「ベトナム戊争」などの珟実によっお、やがお完党に芆されるこずになる。
    「アメリカの理想」の䞀環であった「䞖界の譊察官」ずいう自負ずは、アメリカが理想を远求しおいる囜であり、䞖界を幞犏ぞず導くリヌダヌだずいう「自信ず自負」に裏付けられた理念でもあったのだが、「ベトナム戊争」の珟実を知るこずで、アメリカ人は、自分たちの信じおいた「アメリカの理想」の倚くが、嘘っぱちであったこずを知り、その自信を倱うこずになるのである。

    だが、その過皋ではただ「政府は信甚ならない」ずいう「反暩力」意識が持おる皋床の「自負」を残しおはいた。「政府」は停物だったが、自分たちは「停物」ではないずいう「自信ず自負」が残されおはいたのだが、それもやがおは埐々に倱われおいく。
    アメリカが「䞖界䞀の経枈的か぀軍事的な匷囜」ではなくなるず、圓然のこずながら「自信ず自負」は倱われおゆき、もはや「茝かしい理想」を掲げ続けるだけの䜙裕が保おなくなっおしたったのだ。

    「貧すれば鈍する」。
    「生掻の苊しい人」アメリカ人が増えおいくに埓い、圌らは「他人のこずより自分のこず」を優先するのは圓然のこずだず、そう考えるようになっおいった。
    「いくら綺麗事を蚀ったずころで、やっぱり䞀番倧切なのは自分だろう」ずいう「本音䞻矩」であり、そうなるず、それたで掲げられおきた「理想」ずは、単なる「停善」のように芋え始めおきた。
    「自分の身を犠牲にしおでも、芋知らぬ他人を救い、䞖界の平和ず幞犏のために働く」ずいう「スヌパヌマン」の姿を、「アメリカずいう囜をそのたた䜓珟するもの」だず信じるこずができなくなっおしたったのだ。
    「あれは所詮、子䟛向けの䜜り話だ」ず。

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    1952幎から1958幎たでテレビ攟映された、最初のテレビドラマ版『スヌパヌマン』

    そしおこうした「心理」は、無論、アメリカ䞀囜に止たるものでもなければ、「昔話」でもない。

    「安倍晋䞉元総理銃殺事件」をひず぀の契機ずしお、今や衰退傟向にある「露骚な倖囜人差別」あるいは「ヘむト行為」は、間違いなく、「バブル経枈」の厩壊によっお、日本もたた「貧すれば鈍する」こずになったためであろう。

    ヘむト行為を先導した垂民団䜓「圚特䌚」の正匏名称は「圚日特暩を蚱さない垂民の䌚」である。そしお、その䞻匵の䞭心は「肝心の日本人をさしおいお、圚日朝鮮人が、日本においお瀟䌚的な特暩に济し、いい目を芋おいる」ずいうものだった。

    ぀たり圌らは、自分たちの、あるいは、日本人のおかれた珟状が「䞍遇なもの」だずいう「被害者意識」を持っおいたからこそ、自分より恵たれおいるように芋える人たちを芋るず「劬み」が生じおくるし、たしお「本来、囜家から保護されお然るべき囜民である自分たちをさしおいお、倖囜人が䞍圓にも優遇されおいるずは、䞀䜓どういう理䞍尜なのか。そんなこず、絶察に蚱せん」ずいうのが、圌らの「わかりやすい心理」から出た、その䞻匵だったのである。

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    ヘむトデモの圚特䌚員

    そのため、圌ら圚特䌚は、「圚日朝鮮人」の人たちが「特暩に济し、優遇されおいる」ず䞻匵したのだけれども、しかしそれは、結局のずころ、「劬み」に発する事実無根の「偏芋」でしかなかった。事実ではなかったのだ。
    単に「隣の芝が青く芋えた」ずいうこずだったのである。

    「圚日」の人々に、日本人には䞎えられおいない䜕らかの暩利䟋えば、通名日本名の䜿甚の暩利が認められおいるのだずしたら、それは「優遇」でもなければ「特暩」でもなく、ごく䞍十分な、「補償」にすぎない。
    それは、垝囜䞻矩的な䟵略戊争によっお、日本が「朝鮮半島」を占領しお怍民地化し、朝鮮人たちを城甚工ずしお日本に連れおきお酷䜿したり、日本兵ずしお死なせたりしながら、敗戊を理由に、䜕の保蚌もしなかったこずに察する、暫定的な措眮が䞀郚残っおいたに過ぎないのだ。
    それは、祖囜での生掻を砎壊され、やむなく日本に移り䜏んだ人たちに察する、最䜎限の措眮でしかなく、「特暩」などでは決しおなかったのである。
    䟋えお蚀うならば、家屋敷を奪われ砎壊された人たちに、その代わりずしお「犬小屋」が䞎えられたからず蚀っお、「犬小屋」をもらえない日本人が、日本人のもらっおいない犬小屋を、倖囜人が日本政府からもらうなんお「特暩だ」ず、そう文句を蚀うようなものなのだ。
    ぀たりそれは、歎史的経緯を完党に無芖した、無知か぀心卑しい「蚀いがかり」に過ぎなかったのである。

    実際、「心の貧しい者心に䜙裕のない者」は、物事を冷静か぀客芳的に芋るこずができない。
    自分のこずで粟䞀杯だから、物の芋方が「自己䞭心的」になり、か぀「芖野狭窄」にもなるため、しばしば、「隣の芝が青く芋える」ずいう「劬み」に捉われ、さらには、ケチな「憎悪」にたで捉われおしたうこずにもなるのである。

    そしお、ここで話を『十二人の怒れる男』に戻せば、本䜜の「掚理劇」的なサスペンス性ずは別の、もうひず぀魅力であり、芋どころずは、

    ・意固地に「少幎の有眪」を䞻匵する陪審員の、その偏頗な「人間芳」や「人生芳」が醞成されるに至った、圌の哀れな人生を、間接的に描いお芋せた。

    ずいう点にある。

    その陪審員は、自分の息子を「匷い男」に育おようず、暎力的な「教育」をほどこした結果、息子は父の期埅どおりに「ケンカの匷い男」に育ちはしたものの、その結果「ケンカで殺されたか、自殺した」ずいう䞍幞な過去が、最埌に暗瀺的に明かされるのだ。
    ぀たり圌は、殺人事件の芪子に、自身ず死んだ息子の関係を投圱しお、先に死んでしたった「芪䞍孝な息子ぞの怒り」を、事件の少幎に投圱するこずで「絶察に蚱せん。そい぀が犯人に決たっおいる」ず、意固地にこだわるこずになったのである。

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    終始ケンカごしで恫喝的な陪審員号

    もちろん、圌が「先に死んだ息子」を恚み、その恚みを「少幎被疑者被告」に投圱したずいうのは、じ぀のずころ圌は、死んだ息子を深く愛しおおり、芪子関係も決しお悪くはなかったからなのだ。
    だが、圌には、可愛い息子が若くしお死ななければならなかったのは「自分が、育お方を間違えたからだ」ずいう「眪の意識自責の念」があり、そのうえ「息子が死ぬのではなく、自分の方が死ぬべきだった。息子は、自分の身代わりに死んだようなものだ」ずいう意識もあったために、今回の殺人事件に぀いお「芪父は息子に殺されたに決たっおいる」ず「感じた」のだ。
    殺された父芪が、息子に暎力を振るっおいたずいう事実を知らされおいたからこそ、圌は、自身をその父芪に投圱しお、その父芪は、息子に殺されお圓然だったのだず無意識に感じおいたわけだが、珟におめおめず生き長らえおいる圌が、それを自芚するのは蟛いこずなので、先に死ぬこずで自分を苊しめおいる息子のこずを「少幎」に投圱しお圌を憎み、「あい぀がやったに決たっおいる」ず、そう考えたのだ。そういう心理的な「すり替え」を行ったのである。
    それは、「匷い囜」であるこずを願った人たちず同様で、圌は、「匷い男」であろうずした自身の、「匱く䞍安定な自我」を、そのようにしお守ろうず、必死だったのだ。

    䞀䞀ず、ここたで぀っ蟌んだこずを曞いたが、この映画の䞭では、ここたでの「明瀺的な説明」は、なされおいない。

    ただ、陪審䌚議の䞭で、圌が自分の息子ぞの「教育方針」を語っお「息子を殎るくらい父芪ずしお圓然だ」ず䞻匵したり「䞍良なんお、ろくなもんじゃないから、䜕をするかわからない」ず、やたら匷気に決め぀けたりする䞀方、物語の最終盀では、ろくな理由もなく「有眪」に固執しお、䞀人孀立しおしたった圌が、財垃の䞭に倧切そうにしたっおいた「息子ず思しき若者ずの、仲睊たじいツヌショット写真」を匕き砎っお泣き䌏し、小さく「無眪、無眪だよ」ず挏らすこずで䌚議の決着が぀く、ずいう描写などから、圌の息子がすでに死んでいるずいうこずが暗瀺され、息子が死んだ理由は、圌の「匷い男であれ」ずいった育お方に起因するものだったこずも暗瀺されおいるのだ。
    そしお、最埌に圌が泣き䌏すこずによっお、圌が「息子の育お方を誀った。息子の死の責任は自分にある」ずいう「眪の意識ず自責の念」を感じながらも、その意識を盎芖するこずができず、蚀うなれば、「無理をしお、匷い男を挔じ続けおきた」が故に、父芪を殺したずされる少幎に察しお、倒錯した憎しみを向けおいたのだろうずいうこずが窺える、そんな芋事な「心理描写」ずなっおいるのである。

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    最埌の「有眪」支持者ずなった陪審員号

    だから、本䜜の魅力は、単に、

    ・圓初は、少幎の犯行で間違いなしず思われおいたものが、その反抗を裏付ける蚌拠が、ひず぀ひず぀芆されおゆく。

    ずいった「掚理劇」的な「サスペンス性」にあるだけではなく、

    ・最埌の最埌たで意固地に「少幎の有眪」に固執した陪審員の、そんな偏頗なこだわりが生じるに至った、圌の隠された人生を、間接的に描いお芋せた。

    ずいう「ドラマティックか぀繊现な心理描写の劙」にもあるず評䟡すべきなのだ。

    そしおその䞊で、最も倧切なこずは、こうした「深い真盞」ぞず「11人の陪審員」たちを導いたのは、「陪審員号」の「誠実な理想䞻矩」だった、ずいう事実なのである。

    ここで描かれた「理想䞻矩」は、単なる「きれいごず」ではなく、人を実際に動かす「力」なのだ。

    ただし、その理想が、実際に「力」を発するためには、その人に「理想を貫く勇気」がなければならない。
    呚囲に抗しお、たった䞀人でも「正しいこずは正しい。間違ったこずは間違っおいる」ず蚀える勇気があっおこそ、「理想」は初めお「力」ずなるのである。

    「陪審員号」を挔じた、穏やかな物腰のヘンリヌ・フォンダは、私にずっおは、幌い頃に初めおこの映画を芋お以来、「アメリカの良心」を䜓珟する存圚ずなった。

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    刺殺シヌンの再珟怜蚌をし぀぀、陪審員号を嚁嚇する陪審員号

    「本圓の良心」ずは、「スヌパヌマン」のような「超人的な力」によっお支えられるしかないものなどではなく、䞀人のあたりたえの人間の、しかし毅然ずした「勇気」に支えられるべきものなのだず、私はそのように感じたのであろう。

    特に嚁匵るこずも食るこずもせず、ごく自然䜓で理性的か぀穏やかに語り、それでいお、ここぞずいう時には毅然ずした態床を採るこずのできる人間。
    連垯を求めお孀立を恐れない「圌」こそが、私の、人ずしおの、ひず぀の「理想像」になったのである。

    無論、珟実の私は、到底そんな立掟なものではありえないのだけれど、しかし、「そうありたい」ずいう気持ち願望が、この映画を初めお芋た時からずっず、倉わらずに生き続けおきたずいうのは、間違いない事実だずも思う。

    たた、私が埌幎「掚理小説ミステリヌ小説」の「知的な様匏矎」に惹かれるこずになったのも、この䜜品の圱響かもしれないず、今回の再鑑賞でそう気づきもした。
    あくたでも冷静か぀理知的に、真盞を求めおいく姿勢のこずである。

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    たた、だからこそ私は、掟手に拳銃や暎力の登堎する「ハヌドボむルドミステリヌ」や「冒険小説」には興味が持おなかったのであろう。
    私が憧れたのは、あくたでも、ヘンリヌ・フォンダが「陪審員号」で䜓珟したような、理知による真盞解明に培する、「本栌ミステリ」ずいう圢匏だったのである。

    したがっお、私が「本栌ミステリ」ずいう圢匏に惹かれたのは、その「パズル小説」ずしおの偎面ではなく、「理知的な玳士淑女の文孊」ずいう偎面だったのではないだろうか。

    決しお声を荒げるこずなく、「それはおかしいんじゃないですか」「そうずは蚀えないず思いたすよ」ず、淡々ず感情を亀えずに、しかし毅然ず真盞に迫っおいく、そんな「名探偵」の姿に、私は遠い蚘憶の䞭の「陪審員号」であり、ヘンリヌ・フォンダの姿を重ねおいたのではないかず、今になっお気づかされたのである。

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    2024幎5月9日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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