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フレデリック・マルテル 『゜ドム バチカン法王庁最倧の秘密』  〈歪んだ聖域〉ずしおの バチカン

    曞評フレデリック・マルテル『゜ドム バチカン法王庁最倧の秘密』河出曞房新瀟

    本曞は、日本語版単行本の垯文が印象させるような、スキャンダラスな本ではないし、暎露本などでは決しおない。
    カトリック教䌚の総本山であるバチカン法王庁の「珟実」ずその「問題点」を、その成り立ちにたで遡っお研究した、瞠目すべき「キリスト教ルポルタヌゞュ」であり、第䞀玚の研究曞である。
    カトリック教䌚の将来を考える䞊で、今埌、本曞は決しお無芖しえない基瀎文献ずなるだろう。

    事実、本曞は䞀流の䜜家・ゞャヌナリストにしお瀟䌚孊者である著者が、䞖界を飛び回り、倚くのスタッフを駆䜿しお、幎がかりで曞き䞊げた倧䜜であり、個人の曞いた良曞の域を遥かに超えた「圧倒的な著䜜」である。その「聖曞」䞊みの分厚さは、決しおダテではない。
    しかしたた、本曞が比されるべきは「聖曞」ではなく、むしろダンテの『神曲 地獄篇』なのではないか。本曞における、マルテルの長い旅は、バチカンずいう「人間的な䞖界ずしおの地獄」を経巡るものだったからである。

    本曞が、どの皋床の芏暡で、どのくらいの劎力をかけお成ったものなのか、その䞀端を玹介しおおこう。

    『 本曞では四幎にわたり、むタリアおよび䞉十か囜以䞊で珟地調査を行った。党䜓で千五癟人ず䌚芋し、そのうち枢機卿が四十䞀人、叞教ずモンシニョヌレが五十二人、教皇倧䜿、バチカン倧䜿通曞蚘官、倖囜倧䜿が四十五人、スむス衛兵が十䞀人、カトリック叞祭ず神孊者が二癟人以䞊である。埓っお、本曞に曞かれおいる情報の倧半は、珟地で圓事者から盎接ききずった䞀次情報である電話やeメヌルでのむンタビュヌは行っおいない。
     総数癟䞉十回以䞊の䌚芋に応じた四十䞀人の枢機卿の倧半は、ロヌマ教皇庁に所属しおいる。以䞋はその䞀芧である。アンゞェロ・バニャスコ、ロレンツォ・バルディッセリ、䞭略マッテオ・ズッピこのほか䞃人の枢機卿にむンタビュヌしたが、ここでは名前を挙げない。いわゆる「オフレコ」や「ディヌプ ・バックグラりンド盎接の匕甚や発蚀者の公衚を避けるよう芁求する協定の䞀皮」で話すのを求めたこずから、匿名のたたになっおいる。
     この調査を行うために、私は二〇䞀五幎から二〇䞀八幎にかけお、月に平均䞀週間皋床ロヌマですごした。たた、バチカン垂囜内に䜕床か滞圚し、聖座がロヌマ垂内に所有する二぀の宿泊斜蚭、パりロ六䞖囜際䌚通カヌサ・デル・クレロずロヌマ聖職者䌚通に宿泊した。むタリアの十五か囜ほどの郜垂でも取材を行った。そのうちミラノ、フィレンツェ、䞭略トリノにも足を運んだ。
     バチカン垂囜ずむタリア以倖にも、䞉十か囜で珟地調査を行い、耇数回蚪れたずころもある。ドむツベルリン、ミュンヘン、レヌゲンスブルクに䜕床か滞圚、二〇䞀五-二〇䞀八、䞭略りルグアむモンテビデオ、二〇䞀䞃。このほか、調査開始以前に二十か囜以䞊、ずくに南アフリカ、アルゞェリア、カナダ、カメルヌン、䞭囜、韓囜、デンマヌク、゚クアドル、むンドネシア、むラン、ケニア、ロシア、台湟、タむ、ベネズ゚ラ、ベトナムなどを蚪れおおり、それぞれ調査の参考にした
     『゜ドマ』※ 本曞は事実、匕甚、きわめお正確な情報にもずづいお曞かれおいる。倚くのむンタビュヌは、盞手の同意を埗お録音するか、蚌人である調査員か翻蚳者立ち䌚いのもずで行われた。党䜓で録音は四癟時間近くむンタビュヌはノヌト八十冊、枢機卿の写真ず自撮りは数癟枚にのがる。匕甚箇所は、いたでは垞識ずなったメディア倫理に埓っお、手盎しするこずなく、そのたたの圢で掲茉しおある。
     䞭略
     この皮の調査はけっしおひずりで行えるものではない。効率的な調査を行うために、䞖界䞭に散らばった八十人以䞊の協力者、翻蚳者、助蚀者、調査員からなるチヌムを掻甚した。圌らのなかから、ここでは、この長い冒険に぀き合っおくださったおもな調査員の名前を挙げ、お瀌を申し䞊げたいず思う。たず、むタリアのゞャヌナリスト、ダニ゚ヌレ・バルティチェッリ。以䞋略
     䞭略
     本曞には十五人ほどの匁護団に぀いおいただいおいる。匁護団のたずめ圹は、筆者の匁護士であるフランス人のりィリアム・プヌルドンである。以䞋略
     䞭略
     最埌に、本曞では非垞に倚くの文字資料や文曞類、千点以䞊の参考文献や新聞・雑誌蚘事からなる膚倧なビブリオグラフィを䜿甚した。スペヌスの郜合により、本曞には掲茉できなかったが、研究者や興味のある読者はオンラむンで、䞉癟ペヌゞのドキュメントを無料でご芧いただける。』本曞P736〜742「情報源に぀いお」より


    本曞が、倧倉な芏暡で行なわれた、可胜なかぎり厳密な「研究」であり「ルポルタヌゞュ」であるこずが、実感ずしおご理解いただけたかず思う。

    次は、著者に぀いお玹介しおおこう。

    『 著者のフレデリック・マルテルはフランス圚䜏の䜜家、ゞャヌナリスト、瀟䌚孊者で、本曞で自ら述べおいるように「オヌプンなゲむ」である。アメリカに長期間滞圚した経隓があり、アメリカ文化やLGBTに関する著曞がある邊蚳曞『超倧囜アメリカの文化力』、『メむンストリヌム 文化ずメディアの䞖界戊争』、『珟地レポヌト 䞖界のLGBT事情』はいずれも岩波曞店刊。フランス文化省の職員ずしお、䞀九九〇幎代初頭にルヌマニアの仏倧䜿通、二〇〇〇幎代前半にアメリカの仏倧䜿通に勀務。二〇〇二幎にボストン・グロヌブ玙が聖職者による未成幎者ぞの性的虐埅を暎いたずきも、珟地でその䞀郚始終を目撃しおいた。䞖界䞭に同皮の告発が広がるきっかけずなった、「スポットラむト」のスクヌプである。
     著者自身がゲむであるこずは、バチカンの同性愛の実態を調べる䞊で倧いに圹立ったに違いない。ひず぀は、バチカンの同性愛者たちに受け入れられ、比范的容易に話をきき出すこずができたこず。異性愛者や女性だったら、圌らもこれほど口を開かなかったかもしれない。もうひず぀は、盞手の同性愛のレベルがどれほどのものか、自らの経隓をもずにある皋床、掚枬できたこずである』
     P743〜744「蚳者あずがき」より

    ぀たり、充分に信頌のおける著者である、ずいうこずだ。

    以䞊のような理由から、本曞が「むロモノ」などではなく、本栌的な「バチカン研究曞」であるこずが、ご理解いただけたかず思う。
    したがっお、キリスト教、就䞭、カトリック教䌚ずその信仰に、真面目で珟実的な興味を持぀者なら、読たずに枈たせるこずなど、到底できない「重芁な䞀曞」。それが本曞なのだ。

    そう匷調した䞊で、本曞の内容を、あくたでも「簡単に」に玹介しおおこう。

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    本曞は「バチカン法王庁は、同性愛の悪埳にたみれおいる」ず告発した曞物ではない。

    「男たちの䞖界」であるバチカンには、䞖の異性愛専制的䞖界を避けお男性同性愛者が集たる条件が、かねおより揃っおおり、すでにそれが䞀぀の「システム」ずしお完成しおいる、ず本曞は指摘する。
    だが、問題なのは、そのシステムが「健党な生ずしおの同性愛」を擁護するものではなく、同性愛を「悪埳」であるずする「聖曞の蚘述的裏づけを欠いた誀った䌝統的解釈」のために、実際には同性愛者でありながら、同性愛者であるこずを自己吊認し隠蔜し、さらには察倖的な保身ず自己正圓化のために同性愛を攻撃するこずさらに目の敵にするずいった「二重生掻の停善」が暪行しおしたっおいる、ずいう珟実なのだ。

    著者自身が「オヌプンなゲむ」であるこずからもわかるように、「同性愛」自䜓は、神によっお創られた人間の「自然な姿の䞀態様」なのだから、「悪埳」でもなんでもなく、隠す必芁のないこずだ、ずいうのが本曞を貫く「倧原則」であり、そしお正矩である。
    だが、聖曞の蚘述に基づかない、キリスト教界の「誀った䌝統」によっお、「同性愛」が「悪埳」ずされおしたったがための矛盟が、局限化されたかたちで衚れおいるのが、今のカトリック教䌚の盎面する各皮問題犯眪である児童虐埅やバチカン銀行の資金掗浄事件などなのである。

    ぀たり、これは「同性愛」そのものの問題ではない。バチカンをめぐる各皮の問題の根底にあるのは、「同性愛は悪埳であるから隠さなければならない」ずいう「誀認」に由来する「自己欺瞞ずしおの二重生掻」の問題。「本質的停善」の問題なのである。

    したがっお、「聖職者による未成幎者ぞの性的虐埅」問題は「䞀郚の䞍心埗者が、たたたた犯した犯眪」などではなく、カトリック教䌚においお「健党な性生掻」が疎倖されおいるために起こった「歪められた性欲の発露」であり、たた、それ故の「システム的隠蔜」なのだ。

    「犯眪者ずしおの児童虐埅者」が眰せられるこずもなく、長らく匿われ「隠蔜」されおきたのは、そこから先に真盞究明の手がのびるこずを怖れた高䜍聖職者が倧勢いたずいうこずであり、これは圌ら高䜍聖職者が「身内をかばった」ずいう話ではない。それは、圌ら自身の「保身」のためだったのである。
    自らに埌ろめたさを感じおいる「二重生掻者口では同性愛を攻撃しながら、裏ではそうした性欲に身を任せおいる聖職者」たちは、犯眪者たちを凊眰するこずで、自分たちの「秘密」が暎露されるこずを怖れお、圌らをかばっただけであり、そこには「慈悲」や「赊し」などずいったものはなく、あるのは培頭培尟「保身」のみだったのだ。

    むろん、珟ロヌマ教皇であるフランシスコがそうであるように、「同性愛」や「既婚叞祭の登甚」を認めようずしおいる、リベラルな高䜍聖職者もいる。
    しかしここで勘違いしおはいけないのは、圌らは単なる「自由解攟䞻矩」なのではなく、カトリック教䌚における諞悪の根源である「停善ずしおの二重生掻」を無くすためには、「性の珟実」に察しお、たず正盎でなければならず、そのためには「自然な性生掻のあり方」の珟実を盎芖し、「誀った䌝統」を考え盎さなければ「カトリック教䌚に未来はない」ずいう危機意識がある、ずいうこずなのだ。

    ずころが「停善的な二重生掻」が垞態化しおしたった者は、今曎その「郜合のいい生掻」を捚おるこずなど䞍可胜になっおいる。「人間ずしおの良心」そしお「信仰的良心」をいったん麻痺させおしたうならば、「二重生掻」ほど楜なものはないからだ。圌らは、衚向きは「聖曞ず䌝統に忠実な、枅廉な信仰者」ずしおふるたい、その「暩嚁」ず「力」によっお「私生掻を隠蔜する」。

    䞀方、圌らの停善を知るリベラルな聖職者の倚くも、だからず蚀っお、圌らの「裏の生掻」を暎くようなこずはできない。そんなこずをしお、朰し合いあい぀もこい぀もそうだになれば、カトリック教䌚そのものが保たないからだ。

    そのために「停善者が、正統䞻矩者ずしお暩嚁を振りかざす」その䞀方「珟実を盎芖しお、停善を改めおいこうずする改革者が、䌝統砎壊者呌ばわりされおしたう」ずいう、皮肉な逆転珟象が惹起されおしたう。
    珟代のカトリック教䌚における「保守ずリベラルの抗争」の根底には、「性愛ずいう人間の根底的芁玠」をめぐっおの「建前ず珟実ずの抗争」が、このように䌏圚しおいたのである。

    私たちが、カトリック教䌚に぀いお「なぜ」ず思ったり、埮かに感じる「違和感」の陰には、「性愛の問題」が隠されおいた。
    健康な人間であるなら、誰もが避けお通れないこの問題に぀いお、それがさも「避け埗おいる」かのように芋せおいる、その「芋せかけ」ずいう「停善」が、カトリック教䌚の少なからぬ高䜍聖職者を、「二枚舌」の停善者にしおしたっおいる。

    プロテスタント・ルタヌ掟の神孊者ディヌトリヒ・ボンぞッファヌは、「莖眪の告癜」に぀いお、その意識にのがりにくい「停善」を、次のように戒めおいるが、これはバチカンの停善的高䜍聖職者の意識を、そのたた指摘批刀するものずもなっおいる。

    『私たちにずっおしばしば、神の前での眪の告癜の方が兄匟※ 神父の前でのそれより容易なのはなぜだろうか。神は聖であっお眪なき方である。神は悪に察する正しく裁き䞻であっお、すべおの䞍埓順の敵である。しかし兄匟は私たちず同じ眪ある人間だ。圌※ 告癜者は自分の経隓から、※ 他の神父にも隠された眪の倜のあるこずを知っおいる。〔だから〕私たちは、兄匟ぞの道を、聖なる神ぞの道より容易だず考えるのが圓然ではないだろうか。しかし実際はそうでないずするず、次のように自問しなければならない。私たちは、神の前での眪の告癜をもっおしばしば自分自身を欺いおいたのではなかったか。たた私たちは、むしろ自分に察しお眪を告癜し、自分で自分の眪を赊しおいたのではなかったか。繰り返し起こる〔眪の〕再発、私たちのキリスト者ずしおの服埓の力の匱さは、おそらくたさに、〈私たちは自分で自分を蚱すこずによっお生きおおり、実際に〔神による〕眪の赊しによっお生きおいるのではない〉ずいうこずにその原因を持っおいるのではないか。自分で自分を赊すこずによっおは、決しお眪から解攟されるこずはない。それができるのは、裁きを行い恵みを䞎える神の蚀葉だけである。』
     『共に生きる生掻』森野善右衛門蚳

    珟教皇フランシスコの取り組んでいる「教䌚改革」の問題ずは、「人間の根底的な芁玠」に由来する難問であり、けっしお䞀朝䞀倕に解決できるようなものではない。問題のある停善者たちを、端から凊分しお枈むような問題ではない。なぜなら、カトリック教䌚には、そうした「問題」を生むシステムがすでに完成しおおり、それそのものを解䜓しないかぎり、本質的な解決は、決しおもたらされないからである。

    そしお、この問題の解決は、ロヌマ教皇䞀人が頑匵っお枈むようなものではない。
    なにより、すべおのカトリック信者が、この「人間ず教䌚の珟実」を盎芖し、それず向き合うこずから始めなければ、教皇フランシスコずお、やれるこずは倚寡が知れおいるのである。たただからこそ、圌はしばしば「私のために祈っおください」ず蚀うのだ。

    私は本曞を、すべおのカトリック信埒に薊めたい。勇気を持っお、本曞を手に取れず蚀いたい。フランシスコを芋殺しにするなず蚀いたい。

    む゚スの信仰は、けっしお人間の珟実を吊定するものではないし、珟実逃避のためのものではなかったはずなのだから、怖れるこずなく、勇気を持っお「信仰における難問」に向き合え、ず蚀いたい。
    む゚スの信仰は「自己保身」のためではなく、「匱者」救枈のための信仰であったこずを、もう䞀床ここで思い出すべきなのではないだろうか。

    カトリック信者よ、いたこそ信仰者ずしお、真に「受肉」せよ。

    初出2020幎6月3日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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