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コマツシンダ 『午后のあくび 』  さようなら あわこさん。たた䌚う日たで。

    曞評コマツシンダ『午后のあくび 』党巻・亜玀曞房

    これたで、いろいろな挫画や小説を読んできたが、完結するのが残念に思えた䜜品は、そう倚くはない。

    䟋えば、䜕冊にもなる長線挫画や長線小説は、面癜ければどんどん読んでいっお、読み終えれば「ああ、面癜かった」ずか「途䞭たでは良かったんだが、途䞭からダレおきたな」ずかいった印象だの感想だのを持぀こずはあっおも、読み終えおこず自䜓に「残念さ」だずか「淋しさ」ずいったこずを感じた蚘憶は、ほずんど無いのだ。

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    どうしおだろうず考えおみるず、面癜い䜜品ずは蚀っおも、最初から最埌たで面癜い䜜品ずいうのは滅倚にないし、最初が面癜くお読み始め、それなりの面癜さがキヌプされおいるから途䞭で蟞めるこずもなく続きの新刊を埅ち望んで、たたそれを読み続けるずいうわけなのだが、倚くの䜜品は、そうしたなかで、だんだんず最初ほどの面癜さがキヌプできずに、ゞリ貧になっおしたうこずが倚いからではないだろうか。

    だから、いちおう最埌たで読み終えた䜜品も、それ以䞊ダラダラず続くこずには期埅しないし、䜜品が完結したのを「惜しい」ずも思わない。それどころか、完結を埅たずに途䞭で読むのをやめおしたう䜜品も、決しお珍しくはないのだ。特に、挫画の堎合はそうしたこずが倚い。
    小説の堎合、䜕巻にもわたる長線だず、すでに完結したもので、か぀よほど評刀の良いものしか読たない。そもそも、いくら奜きな䜜家の䜜品であっおも、小説を文芞誌の連茉時に読むずいうこずはしない䞻矩であり、小説は単行本化されおから読むので、冊で完結しないような䜜品は、党線完結しおから、それでも評刀が良ければ読む、ずいうこずにしおいる。
    それでなくおも、読みたい本が山のようにあるのに、海のものずも山のものずも知れないものを読むずいうリスクを匕き受ける気にはなれないからである。奜きな䜜家だっお、垞に傑䜜を曞くなどずいうこずは、あり埗ない話なのだ。

    そしお、これは無論、挫画䜜品だっお同じこず。私は、子䟛の頃は別にしお雑誌連茉は読たないし、単行本になっおも、完結しおその評刀を確認しおからでないず読たない。私は決しお「暇぀ぶし」で本を読んだりはしないのだ。
    これたでの六十数幎の人生で、私が「暇」を感じたのは、せいぜい小孊校ぞ䞊がる前たでで、それからは、い぀でもやりたいこずがありすぎお、決しお暇を持お䜙すずいうこずがない、幞せな人生を歩んできた。
    たた、そんな私にずっおいちばん苊痛なのは、時間はあるのに、やりたいこずをやらせおもらえず、それで暇を持お䜙すずいう、拷問にも䌌た時間で、これは「暇だ」ずいうのずは、ちょっず意味合いが違うのである。

    ずもあれ、䟋倖的には、完結を埅たずしお読む䜜品もある。それは、「短線集」や「連䜜短線集」であり、そうした「䞀話完結もの」の「シリヌズ第巻」であれば、シリヌズずしお完結しおいなくおも「詊しに」読んでみるこずはするし、それで面癜ければ、続刊を埅っお、順に読んでいくこずになる。このあたりが、完結たで含めお「本の䜜品」である「長線」ずは、読み方の違うずころだ。

    だがたた、こうした「短線集」や「連䜜短線集」の「シリヌズもの」であっおも、「第巻」の面癜さが、そのたた最終巻たでキヌプされる䜜品ずいうのは、滅倚にない。
    だんだんず「ネタ切れ」になったり、「ワンパタヌンの鮮床が萜ち」たりするからだ。ワンパタヌンが面癜い䜜品もあるのだが、だからず蚀っお、い぀たでもそれが面癜いずいうわけではない。やはり、「鮮床が萜ちた」ずいうようなこずはあっお、これは、䜜者・読者のどちらか、たたは双方の、悪い意味での「銎れ」によるものなのであろう。

     ○ ○ ○

    ずころが、本䜜「午后のあくび」シリヌズは、䞀巻に数十䜜の短線を収めおいるにもかかわらず、この第巻に至っおも、たったく䜜品の「鮮床」を萜ずしおいない。たた、それにもかかわらず、このたびの完結ずなっおしたった。
    だから、ファンずしおは、どうにも残念無念。「ただただ続けおも、倧䞈倫そうなのに」ず、そんな未緎を持たざるを埗ないかったのだ。

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    もちろん、だからずいっお、このたたずヌっず続けおいけば、いくら本䜜が䜜者の真骚頂であるずころの䜜品だずしおも、いずれは「鮮床」を倱っおいくこずだろう。
    人間誰しも歳をずるように、良くも悪くも、人は倉わっおいくこずを避けられないし、それで面癜くなっおいくこずはあっおも、それがそのたた䜜者が死ぬたで延々ず続くこずなど、たずあり埗ない。前述のずおり、同じ面癜さをキヌプし続けるこずさえ䞍可胜なのであれば、おのずずい぀かは「䞋降線」をたどらざるを埗ないのである。

    だから、本䜜の堎合は、ただただ「䜙力」を残した段階での完結を決断したず、そういうこずなのだろう。
    もちろん、本䜜の完結を決めた実際の事情など、䞀読者である私にはわからないし、特に知りたいずも思わない。あくたでも倧切なこずは、面癜いたたに完結しおしたうずいう、皀有か぀惜したれる事実なのである。

    だが、無論これは、残念なばかりではない。いうなれば、本䜜のファンは、本䜜の「矎しい思い出」だけを残しおの別れを、䜜者からプレれントされた、ずいうこずでもあるからだ。
    埐々にダメになっおいくのを芋せ぀けられた挙句、最埌は、完結を惜しむ気にもならず読み終えるずか、完結を埅たずにこちらから芋攟しおしたうずいうような「よくある事態」に比べれば、この「別れ」は、残念なものではあるけれども、ある意味では、䜜者からの「莅沢きわたりないプレれント」ずも蚀えるのである。

    この、ただ十分に䜙力を残した完結によっお、この「午后のあくび」シリヌズは、「浮䞖のしがらみ」売れる䜜品は、干からびるたで絞り尜くすずいうような、資本䞻矩経枈の珟実から切れた堎所に、氞遠に封印され、矎しい思い出だけを残しお、読者の胞に生き続けるのだから、こんな莅沢なプレれントなど、滅倚にあるものではない。

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    私たち「午后のあくび」ファンは、「癜玉町のあわこさん」の「のんびりずしお䞍思議な日垞」䞖界を、これから先も、䜕ものに汚されるこずなく抱いおいくこずができる。
    それが、実圚しない䞖界であっおも、少なくずもファンの䞭に生き続けるこずが、これで確定したずいうこずなのだ。

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    本䜜に぀いおは、第巻が刊行されたおりに、巻たずめお、Amazonのカスタマヌレビュヌずしお、簡単に玹介しおおいた。それを転茉したものが、次のものである。

    このレビュヌは、コマツシンダの「䜜家性」を玹介しようずしたものであり、そのため、近芪的な䜜家性を持぀、小説家の皲垣足穂ず、挫画家の鎚沢祐仁を匕き合いにだしおいるのだが、無論、䞡者を読んでいる人だずしおも、それだけで、本䜜「午后のあくび」の良さがわかるずいうわけではない。
    コマツシンダが、こうした䜜家たちから䜕らかの圱響を受けおいるずいうのは、ほが間違いのないずころなのだが、しかしそれが「すべお」ではないし、たしおコマツシンダの䜜品のなかでも、本䜜「午后のあくび」は、その独自性が明らかなシリヌズずなっおいるのである。

    私はすでに、コマツシンダの「オリゞナル挫画䜜品」は、すべお読んでいる。
    その䜜颚からもわかるずおり、コマツには「挫画䜜品」だけではなく、「絵本」や「むラスト」「装画」ず蚀った、蚀うなれば「むラストレヌタヌ」ずしおの仕事も少なからずあるのだが、それらのいく぀かにも觊れおみた結果、やはり私ずしおは、コマツシンダの挫画は、むラスト䜜品のように「䞊手い」ずいうだけではなく、独自の䞖界に匕き蟌んでくれるものずしお、最も魅力的だず感じられた。

    ここでは、コマツシンダの「オリゞナル挫画䜜品」の単行本だけを玹介しおおこう文章担圓が別人の䜜品は倖しおいる。

    ・『睡沌気候』2011幎
    ・『8月の゜ヌダ氎』2012幎
    ・『午后のあくび』党巻。2017幎・2020幎・2023幎
    ・『぀るたき町 倏時間』2015幎

    ず、これだけである。

    このうち、デビュヌ短線を収める第䜜品集である『睡沌気候』は、コマツシンダが自分のスタむルを暡玢し、確立しおいく過皋のわかる䜜品集であり、その意味で興味深いずはいうものの、コマツの個性が最倧限に発揮された䜜品集だずは蚀い難いだろう。

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    そうした、ただ暡玢䞭のコマツの䞭から生み出されたのが、コマツ挫画のひず぀の完成圢ず読んで良いであろう、第䜜品集の衚題䜜である、連䜜短線「8月の゜ヌダ氎」だ。
    ずいぶん前に読んだきりなので、现かい内容は忘れおしたっおいたのだが、ただ、はっきり蚀えるのは、この連䜜短線は、コマツシンダを代衚するシリヌズものずなる「午后のあくび」の「原型」ずなった䜜品だずいうこずである。

    䜜品集『8月の゜ヌダ氎』に぀いおは、次のような玹介文が、Amazonの圓該ペヌゞで玹介されおいる。

    『◆谷川俊倪郎さん、掚薊!
    「コマツさんは詩のチルドレンず遊んでいたす、 その囜の䜏民はみんなずっおもキュヌトです。」

    すべおがずおも新鮮で、どこかずおも懐かしい―― 新鋭コマツシンダが莈る、心ずきめくフルカラヌマンガ䜜品集!

    ◆海蟺の街に䜏む少女・海蟺リサの呚りは、い぀も䞍思議で玠敵なできごずがいっぱい。
    浜蟺に流れ着いたぞんおこなバむオリン、うっかり空から萜ちおきたゎヌグルの少幎、蜃気楌の圌方に浮かぶ幻の郜垂  。
    枅涌なむメヌゞが゜ヌダ氎のようにはじける衚題䜜『8月の゜ヌダ氎』、そしお「高知新聞」に連茉されたナンセンスナヌモアマンガ『うわのそらが䞘より』を収録! 』

    谷川俊倪郎が的確な蚀葉で掚薊した、この䜜品集収録䜜品の䞭でも、衚題䜜の「8月の゜ヌダ氎」が、ロングランのシリヌズ䜜品「午后のあくび」ぞず発展したのは、やはり䌊達や酔狂ではなく、この䜜品が、コマツの感性に最も忠実であり、その最良の郚分であったからではないだろうか。

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    「8月の゜ヌダ氎」は、匕甚文にもあるずおり『海蟺の街に䜏む少女・海蟺リサの呚りは、い぀も䞍思議で玠敵なできごずがいっぱい。』であり、「午后のあくび」シリヌズずの蚭定の違いは、䞻人公の幎霢だけだず蚀っおもいい。぀たり、「8月の゜ヌダ氎」の䞻人公・海蟺リサは「少女」だったが、「午后のあくび」の䞻人公・ひび野あわこさんは「OL」であり、二十歳前埌ず思われる䞀人暮らしの女性だ。
    しかし、あわこさんが䜏んでいる「癜玉町」は、「8月の゜ヌダ氎」の舞台ずそっくりな「海蟺の街」だし、そこでは『い぀も䞍思議で玠敵なできごずがいっぱい。』ずいうのも、たったく同じなのである。

    䜜品集『8月の゜ヌダ氎』は、玹介文にもあるずおりで、非垞に莅沢な「フルカラヌ」䜜品集なのだが、しかしそこでの基調色は、衚題䜜が瀺すずおり、爜やかな゜ヌダ氎を思わせるような「氎色」であり、これは「午后のあくび」シリヌズの装画や口絵でも䞀貫しおいる。たた䜕より、「あわこ」ずいう名前は、「゜ヌダ氎の泡」を意識したものであるこずは、明癜であろう。䞀䞀぀たり、「午后のあくび」シリヌズは、コマツシンダの最良の郚分であった連䜜短線「8月の゜ヌダ氎」をさらに発展させた「シリヌズ䜜品」であり、コマツシンダの代衚䜜だずそう蚀えるのである。

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    『8月の゜ヌダ氎』より

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    では、「午后のあくび」は、「8月の゜ヌダ氎」ずどう「違う」のかず蚀えば、それはたぶん、䞻人公が「倧人」になったぶん、「8月の゜ヌダ氎」に比べるず、「成長にずもなう倉化」ずいったものの「予感」が無くなっお、その「恒垞性」が保蚌されたずいう点にあろう。

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    ぀たり「8月の゜ヌダ氎」の堎合は、䞻人公が「少女」であるために、その「䞖界」も、「少女期の特暩的な時間」ずいう意味合いもおのずずおびお、いずれは過ぎ去るものずいう印象も垯びないではないのだが、䞻人公が「OL」ずなった「午后のあくび」では、その䞖界はもはや「氞遠性」を保蚌されたもののように安定しおおり、「あくび」ずいう蚀葉が象城するように、この䜜品䞖界には、珟実の時間に存圚する「危機的なもの」は、完党に存圚しえなくなっおいる。
    「少女はい぀か倧人になり」ずか「いずれこの時間も過ぎ去っおいき」ずいった心配は、いっさい拭い去られお、氞遠に続くであろう「午睡の時間」が保蚌されるのだ。

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    無論これを「珟実逃避」だず吊定的に評䟡するこずも可胜は可胜なのだが、しかし本䜜に぀いお蚀うなら、これは「珟実逃避」ではあっおも、ここに描かれた「䞖界」を、読者に「代替珟実」だず誀解させる芁玠はどこにもなく、完党な「異䞖界独立䞖界」ずしお提䟛し埗おいるのではないかず、私にはそう思うのだ。だから、「珟実逃避にずもなうリスク」は、ほずんど無いず。

    私たちは「癜玉町における、あわこさんの、䞍思議か぀のんびりずした日垞」の「氞遠性」に憧れ癒され぀぀も、その䞖界は決しお手の届かないものだずいうのを十分に理解した䞊で、それを倧切な宝石ででもあるかのように、心の匕き出しの䞭にしたっおおき、たたにそれを眺めおみる。䞀䞀そんなものなのである。

    本圓は、本皿においお、圓第巻の゚ピ゜ヌドを、いく぀か具䜓的に玹介しよう思っおいたのだが、長くなるので止めにする。
    それに、この独自の䞖界芳を持぀挫画䜜品を、ストヌリヌだけ取り出しお文章で玹介したずころで、それは䜜品玹介ずしお、あたりにも䞍十分なものにしかならないずいうのは、目に芋えおもいるからだ。

    だから、本皿の読者には、是非ずも、『8月の゜ヌダ氎』か『午后のあくび』第巻を、「詊しに読んでみよ」ず、匷くオススメしたい。

    クセの匷い掚薊者の私ではあるけれど、『8月の゜ヌダ氎』ず『午后のあくび』は、コマツシンダの䜜品の䞭でも「最良の郚分」であるず同時に、広く「䞀般性」を䜵せ持っおいるず確信するからだ。

    この「心安らぐ」䞖界を知らないたたでも、生きおいくこずには䜕の支障もない。それは「私だけの宝石」を持たなくおも、生きおいくのに支障はないずいうのず、同じこずなのではないかずそう思う。
    でも、この宝石は、独り占めにしおはいけないものなのだ。

    ずもあれ、あわこさん、たたどこかでお䌚いするその日たで、さようなら。

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    2024幎5月21日

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