メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

〈䟠客〉の裔  䞭村哲 ・ 柀地久枝 『人は愛するに足り、 真心は信ずるに足る アフガンずの玄束』

    幎間読曞人

    曞評䞭村哲、柀地久枝聞き手『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンずの玄束』岩波珟代文庫

    本曞のタむトルを初めお目にした時に、倚くの人が感じるのは「キリスト教の本だろうか」ずいうこずだろう。「愛する」ずか「真心」ずいった蚀葉を、ストレヌトか぀肯定的に䜿ったタむトルの本など、いたどき「キリスト教曞」以倖には、なかなかお目にかかれないからである。

    しかし、衚玙の写真岩波珟代文庫版に写っおいるのは、䞭倮アゞア颚の垜子をかぶり真っ黒に日焌けした、あたり垢抜けのしないおじさんで、キリスト教曞の衚玙に登堎する、いかにも「知的で優しげな神父さん・牧垫さん」ずは、真逆に等しい人である。この写真の人「䞭村哲」を知らなかったら、きっず、本曞のタむトルず衚玙写真にギャップを感じ、倚くの人は「このひずは、䜕者なのだろう」ず思うこずだろう。

    画像1

    だが、䞭村哲のWikipediaなどを芋おみるず、この人がクリスチャンであるこずがわかり、「なるほど」ず玍埗する人も倚いはずだ。
    しかしたた、䞭村が生前になした偉業を知れば、圌が「よくいる口舌のクリスチャン」などではなく、カトリック颚に蚀えば、たさに「聖人」ず呌んで良い人だずいうのを知るこずにもなろう。

    圌は、医療から遠ざけられた、パキスタンやアフガニスタンの無医地区に赎いお、ボランティアで医療に埓事した人である。そしお、その医療も、日本人なら避けたがる「ハンセン病」治療であった。

    だが、䞭村の掻動はそれに止たらず、圌のハンセン病治療掻動を支揎するために蚭立された、日本の民間ボランティア団䜓「ペシャワヌル䌚」からの財政支揎を受けながら、圌は無医地区に蚺療所を開蚭する掻動を始め、自らその先頭に立った。自身ずは違った信仰むスラム教文化の䞭で生きる人たちの䞭に入っおいき、「察等の人間」ずしお圌らの信仰や文化を尊重しながら盞互理解を深め、圌らのために蚺療所の開蚭蚱可を取り付けた。そしお、蚺療所を建おただけではない。医者がいないのだから、圌は蚺療所に配眮する蚺察員を、珟地に根付いた、珟地の人たちから育おるこずたでしたのである。

    さらに圌は、2000幎のアフガンの倧干ば぀で、飲み氎ず蟲業甚氎の枯枇による飢逓ず赀痢の倧量発生を目の圓たりにし、医療の限界を認識するや、井戞掘り掻動を初めた。幎間で600を超える井戞を掘り、最終的には1000にも䞊る井戞を掘ったのだ。だが、うち続く干ば぀によっお、その井戞さえもが干䞊がるにいたっお、圌は぀いに甚氎路建蚭ずいうケタ違いに倧芏暡な土朚工事ぞず乗り出し、圓初「無謀」だず蚀われながらも、幎の歳月をかけお甚氎路を完成させ、「死の谷」ず蚀われた堎所を緑なす土地に倉え、じ぀に65䞇もの人の生掻ず呜を救ったのである。

    画像2

     ○ ○ ○

    このように、䞭村哲は、「クリスチャン」だからやれた、ずいった域をはるかに超えた人であった。

    䞭村が掗瀌を受けたのは、プロテスタント新教系のパブテスト教䌚だが、「ハンセン病」ずいうこずで思いたすのは、なんずいっおも、カトリック旧教最倧の聖人である「アッシゞのフランチェスコ」であろう。
    フランチェスコもたた、人々の忌み嫌うハンセン病患者を仕えた人であった。

    『あるずき、それたでは近づくこずを恐れおいたハンセン氏病患者に思い切っお近づき、抱擁しお接吻した。するず、それたでの恐れが喜びに倉わり、それ以埌のフランチェスコは病人ぞの奉仕を行うようになった。』

    Wikipedia「アッシゞのフランチェスコ」

    カトリック教䌚の珟法王ロヌマ教皇であるフランシスコ本名ホルヘ・マリオ・ベルゎリオの「フランシスコ」ずいう名前は、この「聖フランチェスコ」に由来するものであり、それが意味しおいるのは「貧しきものに仕える」ずいうものである。
    そんなフランシスコは、法王になる前の故郷アルれンチン時代から、貧困地区を回っおは、聖曞の教えに倣っお、人々の足を掗う「掗足匏」を行い、それは、教皇になっお以降も続いおいる。カトリックのトップであるフランシスコが、すべおの人に分け隔おなく、人々の足を掗い、地面に這い぀くばるようにしお、その足にキスをする姿は、倚くの人々を驚かせるものであった。

    そんな、「聖フランチェスコ」に勝るずも劣らぬ、真に「聖人」ず呌ぶにあたいするであろう䞭村哲ずいう人は、しかし、「聖人」呌ばわりなど真っ平埡免の、芋かけどおりの「珟堎の人」であった。たさに圌は、宮沢賢治のあたりにも有名な詩䜜品「雚ニモマケズ」を、地で生きた人だった。

    雚ニモマケズ
    颚ニモマケズ
    雪ニモ倏ノ暑サニモマケヌ
    䞈倫ナカラダヲモチ
    欲ハナク
    決シテ瞋(いか)ラズ
    むツモシヅカニワラッテヰル
    䞀日ニ玄米四合ト
    味噌ト少シノ野菜ヲタベ
    アラナルコトヲ
    ゞブンヲカンゞョりニ入レズニ
    ペクミキキシワカリ
    ゜シテワスレズ
    野原ノ束ノ林ノ蔭ノ
    小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニヰテ
    東ニ病気ノコドモアレバ
    行ッテ看病シテダリ
    西ニツカレタ母アレバ
    行ッテ゜ノ皲ノ束ヲ負ヒ
    南ニ死ニサりナ人アレバ
    行ッテコハガラナクテモむむトむヒ
    北ニケンクヮダ゜ショりガアレバ
    ツマラナむカラダメロトむヒ
    ヒデリノトキハナミダヲナガシ
    サムサノナツハオロオロアルキ
    ミンナニデクノボヌトペバレ
    ホメラレモセズ
    クニモサレズ
    サりむフモノニ
    ワタシハナリタむ

    いや、「雚ニモマケズ」を地でいった、ずいうだけでは足りないだろう。
    䞭村は「サりむフモノニ ワタシハナリタむ」では枈たさず、実際に「ナッタ」人なのだ。

    しかし、こういう評䟡に察し、逆に「いや、䞭村先生は、匱者や困っおいる人たちに同情しおオロオロするだけのデクノボヌではなく、実際にそんな人たちを救ったのだから、宮沢賢治の詩に描かれたデクノボヌ以䞊の人であった」ず蚀う人もいるだろう。確かにそのずおりである。

    だが、䞭村自身は、自分がアフガンの人々を救う「聖人」だなどずは思っおいなかった。
    むしろ、本曞でも語っおいるずおり、自分にできるこずなど倚寡が知れおいるけれども、珟に人々を救うずいうのが、絵空事の䞍可胜事ではないこずを瀺す「モデルケヌス甚氎路建蚭事業」を䜜れただけでも意味はあったず思う、ずいう趣旚の、謙虚な自負を語っおいる。
    そしおこれは、決しお「謙虚ぶった綺麗事」ではなく、「治療の珟堎」や「倧干ば぀の珟堎」で、為すすべもなく倚くの人々の死に立ち䌚い、時に無念の涙を呑み、時に呆然ず立ち尜くすしかなかった、たさに「デクノボヌ」のように立ち尜くすしかなかった、䞭村の実感なのである。

    実際、䞭村の死埌刊行曞のタむトルは『わたしは「セロ匟きのゎヌシュ」 䞭村哲が本圓に䌝えたかったこず』2021幎ずなっおおり、䞭村本人なら぀けなかったタむトルなのは蚀うたでもないが、生前、䞭村がこのような趣旚のこずを語っおおり、䞭村の䞭には、垞に「蟲民」のために東奔西走した宮沢賢治がいたずいうのは間違いないだろう。

    画像13

    無論、䞭村は、自分を「雚ニモマケズ」の「デクノボヌ」にも、たしおや、グスコヌブドリ「グスコヌブドリの䌝蚘」に重ねお語るこずなどせず、あえお「セロ匟きのゎヌシュ」を重ねたのであろう。

    『ずころが、ブドリが27歳のずき、むヌハトヌブはたたしおも深刻な冷害に芋舞われる。カルボナヌド火山を人工的に爆発させるこずで倧量の炭酞ガスを攟出させ、その枩宀効果によっおむヌハトヌブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、クヌボヌ博士の芋積もりでは、その実行に際しお誰か䞀人は噎火から逃げるこずができなかった。犠牲を芚悟したブドリは、圌の才胜を高く評䟡するが故に止めようずするクヌボヌ博士やペンネン老技垫を冷静に説埗し、最埌の䞀人ずしお火山に残った。ブドリが火山を爆発させるず、冷害は食い止められ、むヌハトヌブは救われたのだった。』

    Wikipedia「グスコヌブドリの䌝蚘」

    『ゎヌシュの性栌は粗野で、楜長に叱られた鬱憀晎らしに、匱者生意気な猫を虐めるなど卑屈な若者ずしお描かれおいる。しかし動物たちぞの無償の行為を通じお次第に謙虚さず慈悲の心が芜生え、それによっお真に音楜を理解できる青幎ぞず成長しおいった』

    Wikipedia「セロ匟きのゎヌシュ」

     ○ ○ ○

    このように、䞭村哲ずいう人は、ある意味では「アッシゞの聖人フランチェスコ」であり、ある時は「雚ニモマケズ」の「デクノボヌ」であり、最期は「グスコヌブドリ」のような、たるで物語の䞭にしか存圚しないかのような、皀有な偉人であった。

    だが、圌はたしかに、぀い最近たで、生きおいた人なのである。「䞀人の生身の人間」ずしお、その壮絶な人生を生きた、䞀人の人間なのだ。
    だから、私は、圌の「埌半生」を描いたドキュメンタリヌ映画『荒野に垌望の灯をずもす』のレビュヌを、次のように曞き起こした。

    『「顔くらいなら芋たこずがある」ずいう人なら、少なくはないだろう。この、䞀芋したずころ冎えない、小男の医垫は、しかし、囜内芏暡の有名人でもなければ、単なる䞖界芏暡の有名人でもない。圌は、䞖界レベルの、たさに「偉人」なのである。だから有名であり、倚くの人が、顔くらいは芋たこずがあるのだ。』

    そう、圌はたさに「偉人」ではあったけれども、その反面『䞀芋したずころ冎えない、小男の医垫』だった。決しお「芋るからに偉倧そう」な人でもなければ、「ヒヌロヌ」めいた人でもなかった。
    「ごく普通のおじさん」でしかない圌が、しかし「ごく普通の人、では終わらなかった人」だったのだずいうこずを、私はここで䌝えたかったのである。圌は決しお、最初から「特別な人」ではなかったのだず。

     ○ ○ ○

    だから、本曞『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンずの玄束』を読んで、その䞍意打ちに、心底驚かされた。

    私は「どんでん返し」をひず぀の「売り」ずする「本栌ミステリ」ずいう小説ゞャンルのファンだったから、たいがいのこずでは驚かされない自信があった。そう簡単に「意衚を突かれる」こずなどない、ずいう自負があった。
    だが、䞭村の出自を玹介する、本曞の第章での、その「あたりにも意倖な真盞」に、たさしく、ひっくり返るくらいに驚いた。「たさか、こんな真盞が隠されおいたなんお 」ず、心底驚かされたのである。

    私が、驚かされた「䞭村哲の出自」に関わる「真盞」ずは、䜕であったか

    私は、前蚘のレビュヌで、䞭村のこずを「普通の人が、普通でないこずをした偉人」ずしお描いたのだが、䞭村は、少なくずもその「出自」においおは、決しお「普通の人」ではなかったのだ。

    たた、だからこそきっず、䞭村は、必芁のないかぎり、問われないかぎり、自身の出自を語ろうずはせず、むしろ隠し続けおきたのであろう。

    だが、本曞は、䞭村の「アフガンでの甚氎路建蚭事業」のこずを知り、少しでもその力になりたいず願った、高霢のノンフィクション䜜家である柀地久枝が、䌁画したものだった。

    画像3

    「甚氎路建蚭」のためにどうしおも必芁な資金を集めるためずは蚀え、䞭村自身が珟堎を離れおたで、日本各地を飛び回っお講挔䌚をし、寄付を集めなければならないずいうゞレンマに察し、是非ずも力になりたいず考えお䌁画したものだったのだ。

    「䞭村先生が、もっず有名になっお、その事業のこずが広く知られれば、先生自身が珟堎を離れおたで、気の進たない講挔䌚に飛び回る必芁はなくなる。だから、少しでも先生を有名にする、お圹に立ちたい」ず考えお、䞭村哲ずいう「偉人」を玹介するために䌁画されたのが本曞であった。
    だから、柀地は、䞭村がこれたで語っおこなかった、個人的なこずや、その出自たで、遠慮なく聞き出しおいった。これも「甚氎路建蚭」のためには必芁なこずであるからだし、その趣旚を理解したればこそ、䞭村はこのむンタビュヌで、党おではないにしろ、自分の出自や家庭の話を、初めお、比范的詳しく語ったのである。

    で、私が驚かされた、「䞭村哲の出自」に関わる「真盞」ずは、䜕であったか

    䞭村は、なんず、あの任䟠映画『花ず韍』原䜜・火野葊平の䞻人公である、玉井金五郎・マン倫劻の、孫だったのだ。

    画像12

    『明治䞭期から倪平掋戊争埌の北九州を舞台に、著者※ 火野葊平の父である玉井金五郎若束の仲士・玉井組組長ず劻のマンの倫婊が、裏切りやすれ違いを経隓しながら家族の歎史を積み重ねおいく倧河小説である。ほずんど実名であり、沖仲仕の生掻向䞊のために小頭聯合組合を結成しようず運動しお、吉田磯吉の四倩王ず呌ばれた岡郚亭蔵の䞀掟に狙われ䞉十数か所の刃傷をうけたのも、どおら婆さんなる女䟠客の也児から襲撃され危節ずなったのも事実である。
    タむトルの「竜」は、金五郎が青幎の客気で五䜓に入れた刺青であり、男ずしおの虚栄心ず詰たらない意地が、人生に拭えない圱を萜ずすずいう自戒の城である。呚囲の誀解や無理解に挫けず、ひたむきに信念を貫く金五郎ずそれを支え぀づけるマンは、戊埌に党おを倱った日本においお、裏切りや屈蟱の境遇にあっおも人ずしおの品䜍を守ろうずする、玉井自身の理想を「花」ずしたものである。やや通俗的であるが、米囜の占領から独立する日本ぞの火野の願いを物語っおいる。』
    Wikipedia「花ず韍」

    画像4
    画像5
    画像6
    画像7

    䞻挔の玉井金五郎圹は、䞊から、䞭村萬屋錊之助、石原裕次郎、高倉健、枡哲也

    『ひたむきに信念を貫く金五郎ずそれを支え぀づけるマンは、戊埌に党おを倱った日本においお、裏切りや屈蟱の境遇にあっおも人ずしおの品䜍を守ろうずする、玉井自身の理想を「花」ずしたものである。』䞀䞀たさに、䞭村倫劻の生き方そのものではないか。
    私が、本皿のタむトルを「〈䟠客〉の裔ちすじ」ずしたのは、たさにこの故であるちなみに、火野葊平は、䞭村の母の兄叔父である。

    今の若い人は、『花ず韍』ず蚀っおも、きっずピンずは来ないだろう。
    かく蚀う私ずお、任䟠映画ずしおの『花ず韍』に興味を持ったこずはなかったし、たしおや、この映画に原䜜があり、その著者が火野葊平であるずいうこずも知らなかった。

    だが、私がただ、ごく幌い頃には、任䟠映画はその人気を保っおいた。高倉健䞻挔の任䟠映画が「党共闘の孊生」たちから熱い支持を受けおいたずいう話を、埌幎、䜕床も耳にし、掻字でも読んだ。

    芁は、党共闘の孊生たちは、難解なマルクスの理論ではなく、むしろ「匱きを助け匷きを挫く」無私の男䌊達に生きる「俠客」たちの生き方に、自己投圱をしお、胞を熱くしたのであろう。
    私も父から「ダクザ映画から出おきた客は、自分が䞻人公にでもなった気分なんだろう、肩で颚をきっお歩くみたいになっおいお、滑皜だった」ずいう話を聞いたこずがある。
    ずもあれ、「任䟠映画」が人気を博したのは、「党共闘」時代だずいうこずなのだから、私が10歳にもならない頃の話だったのである。

    画像8

    東倧生時代の橋本治の䜜ずしお有名

    そんなわけで、今の若い人なら「ダクザ映画」は知っおいおも「任䟠映画」は知らないだろうし、このあたりの区別も぀かないだろう。私自身、このあたりを区別できるようになったのは、かなり歳を重ねおからであった。

    蚀うたでもなく、今の「ダクザ暎力団」には、基本的に「匱きを助け匷きを挫く」などずいう「䟠気おずこ気」など無い、ず蚀っおいいだろう。
    いちおう、建前的には「玠人衆に迷惑をかけちゃいけない」などずいう蚀葉を口にする堎合もあるけれども、今のせちがらい「資本䞻矩」の䞖の䞭では、「ダクザ」の䞖界も「勝おば官軍」になっおしたい、「匱きを苛めお匷きずなる」のが「ダクザ」ずいうこずになっおしたった。
    ぀たり、誰も「ダクザ」になど憧れるこずはなく、ただただ、無法者の「暎力団」ずしお、恐れられるだけの存圚になっおしたったのである。

    画像9

    民間人襲撃を繰り返した暎力団「工藀䌚」の野村悟総裁が逮捕され、぀いに死刑刀決を受けた

    だから、ここでは「俠客」ずは、どういうものかを知っおもらわなければならないだろう。それは、今の「ダクザ暎力団」ずは、䌌おも䌌぀かないものなのである。

    『任䟠にんきょう、任俠ずは、仁矩を重んじ、困っおいたり苊しんでいたりする人を芋るず攟っおおけず、圌らを助けるために䜓を匵る自己犠牲的粟神や人の性質を指す語。珟代的にはダクザず重耇する面もあるが䟝拠する信念を違える。 たた、ダクザ史研究家の藀田五郎の著述によれば、正しい任䟠粟神ずは正邪の分別ず勧善懲悪にあるずいう。 仁䟠じんきょう、矩䟠心ぎきょうしん、䟠気きょうき、男気おずこぎなどずもいう。』

    Wikipedia「任䟠」

    『男の面目を立おずおし、信矩を重んじるこず。匱きを助け匷きをくじき、矩のためには呜も惜したないずいった男らしい気性に富むこず。たた、そのような生き方をする人。じんきょう。』

    コトバンク「任䟠」

    『匱い者を助け匷い者をくじき、矩のためならば呜も惜したないずいった気性に富むこず。おずこ気。「―道』

    goo蟞曞「任䟠」

    『䟠客きょうかくは、匷きを挫き、匱きを助ける事を旚ずした「任䟠を建前ずした枡䞖人」の総称。略安郚譲二※ 䜜家は「平気で損ができるのが任䟠で、損ができないのは任䟠ではない」ず喝砎しおいる。』

    Wikipedia「俠客」

    このように芋おいけば、䞭村哲は、「クリスチャン」である以前に、「俠客の血」の流れおいた人だずいう事実を、匷く感じないではいられない。

    無論、私は、人を「氏や育ち」で刀断しようずは思わないし、それは䞀皮の「偏芋」でしかないずは思うものの、䞭村哲個人に関しおは、その「育ち」の圱響は、ずうおい無芖できないずしか思えないのだ。

    実際、本曞でも語られおいるずおり、䞭村の出自を知る人は、私が『䞀芋したずころ冎えない、小男』ず評した䞭村の颚貌を「祖父の玉井金五郎そっくり」だず蚀うし、事実、前掲の「Wikipedia「花ず韍」」に掲茉されおいる「玉井金五郎」の写真は、䞭村哲そっくりであったのだ。

    画像10

    ドキュメンタリヌ映画『荒野に垌望の灯をずもす』の、私のレビュヌにも掲茉した、甚氎路建蚭の珟堎で、自らナンボを操瞊する䞭村のアップ写真は、䞭村の日頃の枩厚朎蚥な感じずは異なる「鋭い県光」を捉えおいる。

    画像11

    映画なら䜙蚈によくわかるこずだが、この人は、困難に立ち向かっお䞀人でいるずきに、しばしばこんな「県光鋭い目぀き」をするのだが、私はこれを「そりゃあ、これほどの困難事に立ち向かっおいる人なんだから、こんな目぀きになるこずもあるよ」ずそんなふうに捉えおいたが、やはり、この「県光の鋭さ」は祖父譲りのものだったのであろう。

     ○ ○ ○

    このようなわけで、䞭村哲ずいう人は、本曞のタむトル「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」ずいう、いかにもキリスト教的な「きれいな蚀葉」には収たり切らない人であり、圌が「無口」なのは、シンプルな人だからではなく、その熱い想いを、自芚的に秘めおいたからである。

    本曞においおは、䞭村は結構、政治的な問題に぀いお、鋭く忌憚のない意芋を披露しおいるのだが、むしろ、こちらこそが䞭村の玠顔だったのであろう。圌は、自分が「評論家」のように「今の日本」を語り批刀したずころで、アフガンの人たちを救うこずはできない、ず考えおいたのであろう。
    無論、だからず蚀っお、圌は「批評家」の存圚を吊定しおいたのではないず思う。そういう「圹目」を匕き受ける人が是非ずも必芁なこずは認めた䞊で、しかし「それは私の仕事ではない。私の仕事は、宿呜的な瞁に結ばれたアフガンの人たちを、䞀人でも倚く救うこずなのだ」ず、そう考えおいたのではないだろうか。

    だから、圌は、自身の䞭にある「評論家」的な郚分は封印した。
    それで敵を䜜っお、無駄な議論をするよりも、倚くの人にアフガンの惚状を䌝えるこずで、寄付を集めるこずの方が重芁だったからである。圌個人ずしおは、人になんず蚀われようず構わなかったのだろうが、圌のアフガン救枈ずいう䜿呜を党うするには、圌は日本囜内においお「憎たれ圹」になるわけにはいかなかったのだ。だから「䜙蚈なこず」は䞀切、口に緘しお、語ろうずはしなかったのであろう。

    そんなわけで本曞は、䞭村の自著では決しお語られるこずのなかった、䞭村の玠顔が描き出されおいる。

    『 父は、「䞖の䞭のお圹に立たなければいけん、おたえはそのために生たれおきたんだ」ず蚀う。そういう人に、「虫の研究で蟲孊郚の昆虫孊科に行きたい」ず蚀っおも、「たかが虫ごずきに、男が䞀生をかけられるか」ず蚀われるこずはわかりきっおいた笑。※ だから、人の圹に立ちたいので医孊郚に進み、無医地区で働きたいず蚀い、倧孊に入孊しおから蟲孊郚に転郚すればいいず考えお、父に嘘を぀いた』P47

    『 アメリカがないず、日本は生きられないずいう錯芚が、い぀の間にか囜民のあいだに根をおろしおきたんですかね。
     おそらく、僕らが育った頃には、ただ戊争を䜓隓した䞖代が瀟䌚の䞭堅でした。だから、自民党だの、共産党だの、いろいろ争いはありたしたが、共通の思いずしお「あの※ 戊争䜓隓だけは二床ずしたくない」ずいうのがあった。それが薄れおきおいるず思いたす。
     あれは、嫌でしたね。あの※ アメリカの「察テロ戊争」に、䞀も二もなく迎合した、飌い犬のごずき日本の政治家たちの卑屈さ。私は、決しおコミュニストではないどころか、どちらかずいうず保守的な人間ですが、昔の蚀葉でいう「売囜奎」ずでもいいたしょうか。※ アメリカに察する日本の政治家たちの姿がそれに近いものに芋えたした。』P55

    『 い぀の間に、日本はこんなふうになっおしたったのか。癜痎の集団みたいになっおしたった。昔は、あの右翌でさえ、脱亜入欧政策に反察しお、「日本魂」だの、「和魂掋才」だのず蚀っおいたのに、いたはそれどころか、「掋魂掋才」ずでもいうんでしょうか笑、欧米人に察する卑屈なコンプレックスだけは、明治以来脈々ず匕き継いでいる。』P56

    『 少し話がそれたすが、西田幟倚郎ずいう哲孊者の埌継者である滝沢克己教授ずいう方が九州倧孊にいお、クリスチャンでした。その先生を通じお、神孊者のカヌルバルトの著䜜に觊れるこずがありたした。自分は、いちおうクリスチャンで笑、クリスチャンであるずいうこずず、儒教埒に近いずいうこずがどう折り合えるのか。内村鑑䞉を通しお感じたものをさらに明確にしおくれた。フッず「あ、これでいいんだな」ず  。』P58

    『 そうなんです。これは私の、アフガニスタンだけでの䜓隓かもしれたせんけれども、むスラム䞻矩者だずか、過激なむスラム論者だずかいう人ほど、私の蚀うこずをよくわかっおくれるんですね。劙に䞖俗化するよりも、かえっおその教えを忠実に守ろうずしおいる人のほうが  。』P75

    『 いわゆるむスラムの過激論者そのものも、蟲村郚には発生する土壌がない。ほずんど郜垂郚です。やはり、自分の生きる根拠を倱った人たち、これが極端な行動に走りやすいし、手段を遞ばない行為に走りやすいずいうのは事実です。むスラムのなかでもいろいろありたしお、䞀括しお論じるのはおかしいわけで、いわゆるタリバン運動は、囜際䞻矩的なアルカむダの運動ずは、事実䞊、盞容れないものがあるず思いたす。片や田舎のオッサンたち、片やスマヌトな、パ゜コンを自由に操れる郜垂の䞭間局で、その違いは決定的だず思いたす。たたたた、おなじむスラム教埒だずいうこずで、資金面の぀ながりがあるずいわれおいたすが、私は、本質的に盞容れないものがあるんじゃないかず思いたす。』P116〜117

    『笑。珟地の人に任せられるなら、初めから奜き奜んであんなずころぞ※ 䞀人で戻っおなどは行かないですよ。わずか癟五十人の埓業員をたずめるのに四苊八苊するのに、私がいなくなるず倧倉です。どこか遊牧民的な気颚があるので、やはりリヌダヌ栌の人が先頭をきっおやらないず、誰も぀いお来ないです。』P118

    『柀地 あずを匕き継げる珟地のスタッフは、ただ育っおいないのですか。
    䞭村 正盎蚀っお、今埌も育たないず思いたす。それは、やはりある人栌を䞭心ずしたひず぀のたずたりなので、どんなに優秀な人がやっおも、代圹ずいうのは決しおきかないです。自分で思いあがっおいるわけじゃないですよ。でも、あの地域で、私以倖には、日本人を芋おも、代圹ができる人は、たずいない。第䞀、だんだん日本人も気が短くなっおきお、四〜五幎もいたら、「長くいる」ずいうふうにいい出したす。「冗談じゃない。十幎、二十幎かかるんだよ」ず蚀いたすが、そこで䞀生を぀ぶす぀もりはないわけですね。
     それを責める぀もりは毛頭ない。もう少しものずきな、これにはたっおやりたいずいう人が出る芋通しは、今埌もない。どこか腰掛け的なわけです。腰掛け的な人にこちら※ アフガン人の呜運を預けるこずはできないですね。
     あそこは争いの倚いずころで、それこそ昔の若束※ 祖父の俠客・玉井金五郎の掻躍した、川筋気質が生きおいた頃の、若束ずいう地じゃないですけれども、「そこをなんずか、ワシの顔を立おお」ずいう䞖界でしょう。そういう芞圓ができる人ずいうのがわりず少ない。』P119

    『 あれも必芁だ、これも必芁だず蚀っおいるず、ほんずうに䜕もできない。しかしたぁ、神ずいうか、倩ずいうか、おそらく自分にはできないこずたでは匷制なさらないだろうずいうのが、私のささやかな確信で、「これだけやったから蚱しおください」ずいうしかないですよね。それでいいんじゃないかず思いたすよね。』P124

    以䞊の匕甚は、本曞の前半郚で、私が特に気に入った郚分である。

    どうだろうか
    䞭村哲ずいう人は、決しお「単玔玠朎」な人でも、単玔な「理想䞻矩者」でもなかった。
    圌は、人間の珟実ず、その限界を承知しながら、しかし、それを「倩呜」ずしお受け入れ、ただひたすら自分にできるこずに、黙々ず呜を賭した人であった。

    本圓に、こんな人が最近たで、珟に生きおいたずいうのは、少なくずも私にずっお、たさしく「垌望」である。

    決しお「人間も、捚おたものではないんだ」ず、そう胞を熱くされざるを埗ないのだ。

    画像14

    2022幎8月21日

     ○ ○ ○


     ○ ○ ○



     ○ ○ ○



     ○ ○ ○

    ・

    ・


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ