
適応障害と父の膝小僧
最寄駅のホームで、突然、世界が90度傾いた。
次に目を開けたとき、目の前には黄色い点字ブロックがあった。
「大丈夫ですか?」
見知らぬ女性が、しゃがみ込んでわたしの顔を覗き込んでいた。
どうやら、倒れたらしい。
電車側ではなくホームの内側に倒れたこと。その女性が、わたしの意識が戻るまでずっと付き添ってくれたこと。そして、家まで送ってくれたこと。今思えば、あの夜はずいぶん運が良かった。
帰り道、彼女は言った。
「そんなにまでなって頑張らなきゃいけないことなんて、この世にないですからね」
おそらく年下の彼女のその言葉を聞いたとき、ただただ自分が情けなくて仕方なかった。
その頃のわたしは、二週間ほとんど眠れていなかった。
新しい上司が来て部署の方針が変わり、「とにかく結果を出してください」という言葉が飛び交うようになった。周りの人たちは優秀で、文句を言いながらもきちんと結果を出していく。
一方で、わたしは息が詰まるような感覚を覚えていた。
何をやってもうまくいかない。
得意だったはずの仕事も進まない。
先輩と比べて落ち込み、後輩と比べて焦る。
「自分だけ全然できない…」
そんなことを考える時間が増えていった。
追い打ちをかけるように喘息になった。
咳が止まらない。鼻も詰まる。夜、眠れない。
実際に、息ができなくなっていった。
そして、ホームで倒れた。
その日の夜、連絡を受けた両親が車で二時間かけて迎えに来て、わたしは半ば強制的に実家へ連行された。
翌日、心療内科で「適応障害」と診断された。
診断書を受け取ったとき、
「これで仕事に行かなくていいんだ…」
と肩の力が抜けた。
頭はまともに回っていなかったのに、それでもスマホを見るたびに、
「メール来てるかな」
「仕事しなきゃ」
と思っていたからだ。
会社のパソコンもスマホも電源を切って、わたしはしばらく仕事から離れることになった。
だけど、実家に帰っても頭の中は静かにならない。永遠と巡る負のループ。
「みんなに迷惑をかけてしまった」
「わたしのせいで上司に謝らせてしまった」
「新卒の子より仕事が全然できない」
「もう嫌だ」
「消えたい」
気づけば、父の膝にしがみついて泣いていた。
アラサーにもなって、情けない話である。
父は優しく、わたしの頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ」
と唱えながら。
幼稚園の頃以来かもしれない。
父の膝の温かさを感じたのは。
寡黙な父とは、これまであまり深い話をしたことがなかった。
父が何を考えて生きてきたのか、どんな苦労をしてきたのか、わたしはほとんど知らなかった。
そんな父が、わたしのために適応障害の本を何冊も読んでくれていた。
そして、父は教えてくれた。
「パパもね、若い頃、うつになったことがあるんだ」
「二百時間残業なんて当たり前だった」
「全然眠れなくなって、薬を飲んでたこともあった」
初めて知った。
父にも、眠れない夜があったんだ。
父にも、どうしようもなく苦しい時期があったんだ。
そして父は続けた。
「だからね、自分のために何か始めようと思って、三年間フランス語学校に通ったんだ。」
父にも、もがいていた時代があった。
子どもの頃のわたしは、そんなことを想像したこともなかった。
わたしから見て、父はずっと、父だった。
でも、その前に一人のサラリーマンだったんだ。
悩みながら、苦しみながら、生きてきた人だった。
メンタルを崩さなければ、わたしは父の苦悩を知ることはなかったと思う。
そして、父の膝小僧の温かさを、もう一度知ることもなかった。
実家に戻って三週間が経つ。
平日の昼間、トレーナー姿にすっぴんと眼鏡で近所の公園を歩く。
ホーホケキョ、とウグイスが鳴く。
風がさわりと吹いて、白い草花を揺らす。
小学生の頃に駆け回っていた景色と、ほとんど変わらない。
わたしが今何をしていようと、この景色はきっと十年後もここにあるのだろう。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜ける。
この休職が、わたしから何かを奪った時間なのか、それとも何かを受け取り直す時間なのかは、まだわからない。
それでも、一つ確かなこと。
わたしは、メンタルを崩したことで、父の膝小僧の温かさを知った。
案外それは、わたしの人生の中でとても大切なことのように思う。
今日も、実家の近所の公園ではウグイスが鳴いていた。