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芋出し画像

笑うだけで驚かれた少女時代

    倧人になりたくなかったっお
    君も子䟛だな
    かけっこだの
    うんおいだの
    䜕をそんなに喜ぶのか
    理解䞍胜で
    倧人になるこずが
    2-1の
    窮屈な孊舎から出る
    唯䞀の方法だったから
    玔粋に信じおいた
    倧人になれば自由になれる
    そんな単玔な話じゃなかったけど

    吐き気がするほど
    孀独だった
    子䟛時代

    #è©©


    孊校に登校しおも䞀蚀も喋らない日なんおザラだった。

    「おはよう」ず挚拶をするこずもなければ、されるこずもない。

    クラスの䞭の、居おもいなくおもわからない、圱の消えた存圚だった。

    クラスに銎染めたこずはなく、䜓育では倧抵ひずり䜙りになるから、たいおい先生ずペア。

    孊校の文化祭も、䞀緒にたわっおくれる友達がいないし誘う勇気もなかったから、ひずりで係の花壇に氎をやる仕事をしお、文化祭に参加しなかったこずで先生にこっぎどく叱られた。

    今にしお思えば、その圓時の呚りのクラスの子達が、校庭でかけっこをしたりするのが党くもっお楜しくなかった。

    うんおいより本を読んでいたかった。

    たたに優しい子達は、私を遊びに誘っおくれたりもしたが、笑い声を立おながら鬌ごっこや氷オニをする感芚が、わたしには掎めなかった。

    走っおいる間も、

    「䜕故私は子䟛だからっお走っおるんだろう。」

    などずず疑問で仕方なかった。

    戞惑う私の様子を芋お、誘っおくれた子は、

    「◯◯ちゃんはかけっこ、初心者だから。」

    ず優しく受け流しおくれたのに。


    私は人芋知りで、新しく知り合った人ず仲良くなるのに、䞀幎くらいかかる。

    慣れたず思ったらクラス替えだった。

    孊校では授業はむしろ奜きだった。

    苊痛なのは、䌑み時間。

    い぀いじめにあっおもおかしくなかった。

    登校しおから、䞋校するたでで喋るこずの方が少なく、友達もいない。

    笑うこずもなかった。

    無口無衚情で、たるで人圢のようだず揶揄されたこずもある。

    子䟛時代は、䜕か人ずコミュニケヌションをずる、ずいうこずが苊手でもあり、臎呜的にできなかったように思う。

    小孊校6幎生になり、思春期が蚪れ、

    「私はこのたたではいかん」

    ず䞀念発起し、クラスの䌚話にもっず混ざらなければいけないずせめお笑うようにしたが、「◯◯ちゃんが笑った」ずそのたび驚愕され、私は内心で赀面しおいた。

    みんなず同じように笑えなかった。

    母は、そんな私をみかねた担任の先生から、

    「お兄ちゃんの方がいくら優秀でも、もっず愛しお、抱きしめおあげおください。」

    ず泚意を受けおいたらしい。

    母は十分に私を愛しお兄ず平等に優しく接しおくれおいた。

    母にも申し蚳なさが募った。


    そんな子䟛時代の孀独ず、みんなず同じようにできないコンプレックスが、私が倧人になっおから創䜜掻動にのめり蟌む原動力のように思う。

    今思い出しおも吐き気がするほど孀独な子䟛時代。


    私には粟神的な支えが急務で必芁だった。

    私にずっお倧人ずは自由だった。

    孊校に行かなくおいい。

    クラス替えに怯えなくおいい。

    いっそ個人ずしお掻動しおいい。

    自分で生き方を決められる。


    䞭孊生になり、個人䞻矩思想に぀いお授業で習うず、私の心は燃え䞊がっおいた。

    愛なんおわからなかった。

    でも、どんな人でも神さたなら愛しおくれる、ず本で読んだ。

    神さたなら、愛せるかもしれないず思った。

    そしお、倢を远うこずを心の䞭栞に眮いお、そのためにひずりで生きおいこうず決意した。

    私は倧人になりたくお仕方なかった子䟛だ。


    倧人になれば自由になれるず思った。

    だから勉匷した。

    発病しおも勉匷した。

    倢を远い続けた。

    でも珟実は思ったより厳しかった。

    叞法詊隓など通るはずもなく。

    倧人になったら、お金の䞍安がたず目に぀いた。

    将来どうすればお金が手に入るのか芋圓も぀かなかった。

    60件応募したバむトも、受かったのはたった1件。

    それも1ヶ月で蟞めおほしいず蚀われた。


    病気も、治りはしない病気を抱えおいる。

    病気になる前には戻れず、䞀生通院ず服薬を䜙儀なくされる。


    やっぱり、友達はろくにいないたただ。

    しかし、子䟛の頃はちっずも喋らず無口な私だったが、病気を境にしお、明るく陜気な性栌ぞず倉わった。

    子䟛の頃の倱意を取り戻したいのだろう。

    どんどん自分から行動し、話しかけおみるようになった。

    盞手から友達ず思われおいるかは定かではないが、

    しかし、私からドスの効いた声で「私たち友達だよね」ず頌み蟌むし぀こさも生たれた。


    将来は芋えない。

    病気が最近たた重くなっおしたったため、入院を控えおいる。

    その間は、䜜業所に通うずずもに始めおかれこれ8幎になる創䜜掻動も䞭断しなくおはならない。

    詩垢を創り、毎晩詩をXに投皿したり、むラストを曞いおグッズ販売をしたり、文曞を曞くこずが特に奜きなためこうしおnoteを始めおいる。

    1ヶ月間を予定する入院では、こうした掻動には制限がかかる。


    それに、手に職を぀けるずいう目暙も芋぀かった。

    デザむナヌになりたい。

    今たで培った、䜜詩やむラスト制䜜、文章䜜成がようやく圹に立぀。


    退院したら、たずは䜜業所に通えるよう䜓力䜜りを行っお、安定したら就劎移行支揎でデザむンに぀いお思いっきり孊びたい。

    そうしお就職をしたい。


    私は猫䞊みに孊習胜力がない。

    この埌に及んで、ただ勉匷ず仕事がしたい。

    人生、䞀生勉匷さ


    倧人になったら、お金の䞍安、病気、孀独、将来ぞの怯えが埅っおいた。

    倧人になるこずは、自由そのものではなかった。

    それでも私は、倧人になっお良かった。

    もう、笑うだけで驚かれる少女ではないのだから。

    倧人なら、もう、いくらひずりでいおも、誰からも癜い目で芋られないんだから。

    それに、実際、䜕をするにも人に迷惑さえかけなければ自由だ。

    そのためにも行動力ず䞻䜓性が必芁で、倧人になっおそのこずを寂しがる人も䞭にはいる。

    しかし、私はずっずその生きる力は子䟛の頃から培っおきた。

    経枈的には病気もあり未だ芪に頌っおいるが、子䟛の頃孀立しおいた姿はもうない。

    孀独感ずコンプレックスに焌けるようだった胞䞭も、今はどこ吹く颚。

    私は私、よそはよそ。

    ずいう感芚が根匷く生きおいる。

    話を聞いおもらえる友達もなけなしながらできた。

    ずいうか、バス停で初めお知り合ったおばあちゃんずバスが来るたでずっず話し蟌めるほど、バむタリティヌが育った。


    倧人になっおから、仲間も増え、芪の支えのおかげだが創䜜ずいう心の自由を謳歌し、デザむナヌの倢に向かっお、たずは入院からず勇んでいる毎日だ。


    私ず同じように病気を抱えおる方。

    私ず同じように転校した経隓のある方。

    私ず同じように就劎に困っおいる方。

    私ず同じように倢を远いかけたい方。

    私ず同じように、孀独な方。


    人生、なんずかなるもんですよ。

    私みたいなのがいたすよ

     
     
    孀独や痛みを抱えた人ぞ。 詩ず゚ッセむで、 生きづらさや再生を綎っおいたす。 ひずりじゃないず思える蚀葉を届けたい。 お仕事のご䟝頌は⇒love.sonya.0130@gmail.comたで

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