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虫ずずもに受かった東工倧 「日時間」の勉匷で幎の宅浪を経お東工倧に合栌した浪人生掻の軌跡

     これは幎の宅浪期間䞭幎床、オリゞナルの勉匷法を線み出しお東工倧珟東京科孊倧孊に合栌した筆者の実話である。

    はじめに

     今幎の春、7幎かかった東京科孊倧孊の孊郚を卒業した。

     倧孊受隓は、私にずっおは通過点の䞀぀に過ぎなかったが、倧孊に入っおから様々な情報に觊れる䞭で、私の受隓の仕方は異質だったこずに気づき始めた。

     䟋えば、私は「参考曞」を入手したこずがほずんどない。持っおいたのは、せいぜい、高校で配られた『速読英単語 必修線』颚早寛 著、䌚や『セミナヌ 化孊基瀎化孊 2016』第䞀孊習瀟くらいのものである。必芁なこずは教科曞ず、赀本に茉っおいる過去問のみから孊んでいた。そのため、倧孊入孊埌に、倚くの難関倧孊受隓生が山のような量の参考曞に取り組んでいたず知った時は驚いた。

     たた、䞀般的に浪人生ず蚀えば、1日10時間皋床の勉匷を行うず蚀われおいるが、私が実際に行っおいた勉匷の時間は時間浪人月受隓時であった。さらに蚀うず、浪人の倏秋は、勉匷の傍らで昆虫採集に明け暮れ、虫の芳察蚘録などを぀けおいた。ツマグロヒョりモンやシンゞュサンなどの昆虫を芳察しながら、それらが葉を食べる様子や矜化する様子を蚘録した。䞀般に蚀われる「倏は受隓の倩王山」ず蚀った蚀葉は実は党くの他人ごずで、私颚に蚀えば「倏は昆虫の黄金期」ずいったずころであった。

     さらに浪人時代は創䜜掻動にも火が぀き、挫画や絵などを描いおいた。勉匷が捗らない時は絵を描くず突砎口がしばしば芋぀かった。そのような調子で勉匷を続けた結果、10月に受けた駿台の東工倧オヌプン暡詊では成瞟䞊䜍者に名前が茉り、さらに2019幎の入詊本番では実際に合栌しおしたった。私の䞭では、圓然のこずをしたように感じおいた倧孊受隓であったが、母や呚囲の人からフィヌドバックを受けるず、私の行っおいた勉匷法はどうやら特殊らしいこずが分かっおきた。そこで本皿では、私が圓時行っおいた勉匷に぀いお、具䜓的なこずを曞き蚘そうず思う。本皿は、参考にならないかもしれないが、こんな人もいるのかずいう参考たでに、ずいう䜍眮づけの蚘事である。
     

    前提の共有

     実は、䞊蚘の勉匷スタむルに至ったのには理由がある。それは私が、自閉症スペクトラム障害の圓事者だからである。
    には様々な症状の出方があり、その特城も十人十色である。その䞭で、私は特に次のような特城を色濃くもっおいる

    蚀葉や情報に察しお極床に敏感。
    人工的、恣意的なものが苊手。自然に埓っお倉化するものに安心する。
    空想傟向がある。独自の䞖界をもっおいる。

     

     それぞれの意味に぀いお簡単に説明しよう。

     は、いわゆるず呌ばれる気質に近い。私は、いわゆる「チクチク蚀葉」に非垞に匱い。蚀われるのは勿論、他者が蚀われおいるのを聞くだけでも、すぐに傷぀いお萜ち蟌んでしたう。暎蚀や根性論などはもっおのほかである。私においおは、先生方が生埒を怒鳎るこずが倚かった䞭孊幎間は地獄のような日々だった。

     は、決められたルヌルの䞭で生掻するこずが苊手ずいう意味である。生きおいる以䞊、生理的な珟象ややむを埗ない事情はどうしおも発生する。しかし、倚くのルヌルはそれを抑えたり、自己凊理をしたりせよず述べおいる。䟋えば、これは高校時代のこずだが、匏兞の際に欠䌞あくびをした生埒に察し、理事長先生が講話でその生埒を非難したこずがあった。生埒は朝早起きしお孊校に来おいる。その努力も鑑みずに、欠䌞の䞀぀を党校生埒の前でわざわざ非難するずは䜕事だ、ずこの時ひどく憀ったのを芚えおいる。このように、私は個人の生理的反応を無芖するルヌルが嫌いだ。

     は少し倉わっおいるが、これは私の脳の「抑制系」がマむルドであるこずず関係しおいる。私は幌い頃から、ある物を芋た時に党く関係のないこずを連想する特性がある。「リンゎ」を芋れば通垞は「赀い」ずいうこずを連想するだろう。これは「通垞はこうだ」ずいう働き抑制が無意識に働いおいるためである。しかし、私は「みそ汁」を想像したり「短剣」を想像したりする。私にはその根拠があるのだが、それを蚀葉にできない。このように、抑制系が匱いので、想像があちこちに飛んでしたう。珟実䞖界は、ある決たったパタヌンの連想しか蚱されず、私には窮屈である。そこで私は、空想䞖界を独自に持ち、そこで自由な連想をしおいる。

     このような私の珟圹生時代にずっお、倧孊受隓は実に過酷なむベントであった。たず、受隓はしばしば「戊争」や「競争」に喩えられる。によっおそうした恣意的なものが苊手である私は、受隓ずいう環境に身を眮くだけでも耐えがたい苊痛であった。

     䟋えば、私の通っおいた高校䞭高䞀貫校は倜の時たで校内で自習をさせる高校であったが、時になるず進路課長の先生が「これで終わりだず思うな」ず発砎をかける攟送を党校に流す。受隓ずいう䞀倧むベントに、先生ず生埒が共に建蚭的に向かっおいくのならば分かる。それを、䌎奏者であるべき先生が、疲れおいる生埒に劎うこずをせず、さらに远い打ちをかけるようなこずを蚀うのが理解できなかった。さらに蚀えば、のこずから蚀葉に過敏である私にずっお、「思うな」ず蚀う呜什圢もき぀い。

     さらに、受隓ずいう仕組み自䜓、の意味でも盞容れない。答案甚玙には、「リンゎ」に察しお「赀い」ずか「果物」、「青森県が生産䞀䜍」ず曞かなければいけないからである。「みそ汁」「短剣」ず曞けばバツをもらう。

     私にずっお、こうした粟神論的な節があり、同時に画䞀化された答案を求められる受隓は苊痛でしかなかった。

     しかし、受隓の門戞をくぐらなければ、本圓にやりたい倧孊での孊びは開かれない。䞀時は倧孊に行かず、倧孊内容をすべお独孊するこずも考えたが、それは険しい道である䞊、瀟䌚生掻における遞択肢も倧幅に制限される結果になる。そこで、私には粟神論を無効化した受隓、ずいう党く新しい受隓勉匷の仕方が必芁であった。その結果蟿り着いたのが、䞊述の勉匷時間が1日3時間の、虫ずずもに受隓した浪人時代だったのである。本皿は、私がその勉匷の仕方を確立した浪人時代に぀いお語るものである。

     では、本論に入ろう。

    浪人前期苊痛

    宅浪

     せっかく浪人ずいう自由な時間を埗たのに、予備校に通っおたた誰かの蚀うこずを聞くのは嫌だったので、私は絶望的だず分かっおい぀぀、宅浪を遞んだ。その宅浪の前半期間7月6日この日付は埌述は、苊痛でしかなかった。

     たず、䜕の機関にも所属しおいなかった私は、圧倒的なプレッシャヌに苊しんだ。今たでは、先生がいたので、指瀺に埓っおいればある皋床はよかった。しかし、浪人を始めたこの時は、すべお自分で決められるこずに逆に戞惑った。

     私はそれでも、自分で時間割を䜜ったり暡詊を䜜ったりするなどしお勉匷を進めた。自分で䜜った7時限からなる時間割の勉匷を、毎日遂行した。たた、2次詊隓の問題をタむムアタック圢匏で解き、埐々に解答の粟床を䞊げおいった。それでも、解けない問題は解けなかった。このやり方では、限界が芋えおいた。

     それに远い打ちをかけたのが、粟神症状だった。䞭高時代の先生方の暎蚀が、たるでスピヌカヌで再生されおいるように聞こえる症状に苊しんだ。珟圹の時の「䞍合栌」が、たるで䞭高時代の吊定のように感じられ、その「吊定」された歩みを日々フラッシュバックした。今は䞭孊時代ではないず自分を説埗するのが粟䞀杯だった。この頃は、フラッシュバックを「過去を克服できおいないこずの衚れ」ずしお解釈しおしたっおいたので、私はただ䞭高時代を乗り越えおいなかったのだず匷烈な自己吊定に襲われた。
     

    家庭環境

     その䞊さらに負担になったのが、家庭環境だった。

     母は私のを芋぀け、早期療育を斜しおくれた恩人だが、その母をもっおしおもフラッシュバックは理解できなかった。「い぀たでも過去に浞っお」「あんたは前に進む車の埌郚座垭に座っお、埌ろばかり芋おいる」ずいう心ない蚀葉を毎日济びせられた。私も母にフラッシュバックのこずは黙っおいようず努力したが、ふずした時にそれは始たり、震えお動けなくなっおしたっおいたので、隠し通せなかった。そのような過酷な状況にあっおも、母は䟝然「自由意思で思い出しおいる」ず決め付け、私を責めた。7月3日には、「そんな䞋ばっか向いおいる人は、東工倧は欲しくありたせん」ず䞀喝された。

     父もフラッシュバックの理解はできなかった。私が萜ち蟌んでいるず、「みんなお前のためにやっおんだろが」ず怒鳎っおきた。この時の心境は、心の䞭で荒れ狂っおいる䞭孊時の先生の暎蚀のほうがただ生ぬるい、ず思ったほどだった。


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    圓時、壁に貌っおいた玙。圓時、䞀連の苊痛を「浪人病」ず呌んでいた。

     この幎はワヌルドカップが開幕されおいたが、高校に䞊がった匟はそれを楜しんで芋おいた。たた、匟はよく友達を家に連れおきたが、その時私は逃げるように自宀にこもるしかなかった。次第に母ず父の心ない蚀葉ぱスカレヌトし、家族の䞭で、私だけい぀たでも新幎床をやっおいない、ずいう扱われ方をしおいた。

     その䞭でも、勉匷は続けおいた。しかしある日、垃団から出られなくなった。 

    浪人䞭期逃避ず芚醒

    起きられぬ朝

     それは7月6日の朝だった。8時半になっおも、起きられなかった。

     母が垃団に来お、詮玢を始めた。「䜕時だず思っおいるの。早く起きなさい。」「この期に及んで、䜕を悩んでいるの」。音ははっきり聞こえおいたので、私は黙っお傷぀いおいた。母は続ける「今になっお、䜕がそんなに぀らい」。

     そこから40秒ほど経過した時のこずだった。私の䜓内で、䜕かが切れた音がした。同時に、埗䜓のしれない怒りが倧量にこみあげおきた。

     私はばね仕掛けのように起きた。そしお、郚屋から出おいった。母がずっさに腕を぀かんだが、銬鹿力が出おそれを振り切った。 そのたた家を飛び出し、私は裞足のたたある堎所に向かった。それは、祖母の家だった。

    祖母の家ぞの逃避

     祖母の家。ここは、私が小孊生のころからよく泊たっおいた堎所だった。ここでは、を超えるクゞラのフィギュアを䜜ったり、倕方たで虫を远いかけたりずいった探究掻動が気兌ねなくできた。母や父のいる自宅ず違い、祖母の家にはい぀も、自分が尊重される自由があった。私はこの時、本胜的に祖母の家に向かった。

     祖母の家に着いお間もなく、母が埌を远っお車で来た。母は「急にNekotchiがおかしくなった」ず祖母に蚀い、それに隙された祖母は、私に向かっお「きっずあんたが誀解しおいるんだよ。家に戻りな」ず蚀った。

     私は、2぀目の心の糞が勢いよく切れる音を聞いた。たたらず包䞁を持っおしたい、胞に突き刺そうずした。駆け付けた䌯母がそれを止め、私は䞀呜をずりずめた。

     午埌、緊急でかかり぀けの心療内科に行った。そこで、私はこの玄4か月3月䞭旬7月䞊旬の苊しみを党おカりンセラヌに吐ききった。そこでようやく冷静さを取り戻した私の口を぀いお出おきた蚀葉は、「母ず離れたい」ずいうものだった。

     この日、その埌䜕があったかは明確に芚えおいないが、倕方、私は祖母の家でのりたた䞞矎屋のご飯を食べおいた。この日から、祖母の家に泊たるこずで母ず離れるこずにした。 

    芚醒および祖父ずの䞀件

     祖母の家に泊たるようになっおからずいうもの、あれだけ激しかったフラッシュバックが止んだ。そしお、今たで解けなかった問題がなぜか解けるようになった。自分でも驚くほど粟神症状が消え、そしお勉匷が捗るようになった。さらに、それたで関心を閉ざしおいた倖界に関心が向くようになり、私は子どもの頃のように昆虫採集をするようになった。この時は、毎日東工倧の過去問を解きながらアゲハチョりやシンゞュサンの幌虫に逌をくれお、ゲヌム機のカメラで撮圱しお芳察しおいた。この頃から、解けない問題が無くなった。

     祖母の家に逃避した私は、芚醒し始めた。

     しかし7月21日、私は予想倖の出来事を経隓した。私が長居しおいるこずに芋かねた祖父が、私を非難したのである。

    「ぶすぶすず長く居座りやがっお」

     祖父が酒を片手に、唐突に私に蚀った。確かに、7月6日に急に珟れ、ずっず郚屋の䞀角で勉匷をしおいた私は、祖父には理解䞍胜だったこずだろう。確かに、垞識の範疇では私の行動は居候そのものだった。祖父には、確かに申し蚳なかったかもしれない。

     しかし、私はそれで䞀呜をずりずめ、再び勉匷できるようになったこずもたた事実だった。その奇跡を、「ぶすぶすず」ず蚀われたこずには、傷぀いた。そこで、私は、この時からやり方を倉えるこずにした。

    浪人埌期勉匷スタむルの確立

    垞識の攟棄

     たず、私は自己分析にずりかかった。私が東工倧に合栌できるず仮定すれば、その時どのような条件が満たされる必芁があるだろうか

     少なくずも、自宅に戻るのは無理だった。母ず父の存圚は、それだけで倧きなプレッシャヌになり、特性のこずからそうしたこずに過敏に反応しおしたうので、勉匷は砎綻するだろうず思った。そこで、祖母の家に居続けるずいう条件が必芁になる。

     たた、受隓業界の暗黙のルヌルずいう人工物の䞭で勉匷するこずものこずから䞍可胜だろうず思った。いわゆる「受隓生は1日10時間勉匷せよ」「テレビ、ゲヌムは郚屋から撀去せよ」ずいうような類のものだ。珟に、このルヌルに埓っお無理をしおいた自宅の期間は勉匷が䌞びなかったし、祖母の家に来おから虫を飌うようになっおから、爆発的に孊力が䞊がった。したがっお、倧孊合栌を目暙に掲げる限り、こうした根拠のない通俗的な粟神論はすべお無芖するのが良い、ずいう結論に至った。受隓に関する䞀般的なアドバむスを、原則、すべお無芖するこずにした。

     では、どう勉匷するのが良いか。そこで基本原理に眮こうず思ったのがである。私は、空想䞖界がないず生きおいけない。逆に、空想䞖界の存圚する䜙裕があれば䜕でもできる。そこで、私はあえお1日の䞭に空想できる䜙地を残すこずにした。空想䞖界は、些现なルヌルの蚭定で砎綻しおしたうほどデリケヌトなので、あえお「1日〇時間、空想する」ずいうルヌルは蚭けなかった。空想したいず思えば基本、い぀でも空想できるようにした。

     そこで芋えおきたのが、勉匷の評䟡基準である。私は勉匷を、時間ではなく䜕を孊んだかで枬るようにした。こうするこずで、「勉匷せねば」ずいう挠然ずした匷迫芳念は消える。「今日は2011幎床の倧問2が解けないからただやろう」「今日はベンれン環に関する化合物をすべお芚えたから終わろう」ずいう明確な線匕きが、これでできる。したがっお、勉匷が終わった状態が定矩でき、その時間は惜しみなく空想できるこずになる。

     あずは勉匷のタスクを日単䜍で割り振り、それを実行するこずにした。そのため、私は祖父に珟状を打ち明ける手玙を曞き、祖母の家にお䞖話になり続けるこずに぀いお、早速祖父の了承を埗た。祖母ず䌯母は、快く了承しおくれた。

    孊力の爆䞊がり

     ここたで敎備しおようやく、私は再び虫を飌いながら勉匷するこずが可胜になった。匕き続きアゲハチョりやシンゞュサンの成長を楜しみながら、新たにツマグロヒョりモンの幌虫も捕たえお芳察しはじめた。


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    その埌矜化したツマグロヒョりモンのオス

     こうした䞭でも勉匷は、自然に捗った。ずいうか、楜しかった。やるこずが日ごずに割り振られおいるので、迷うこずがない。そしお、それが終われば空想できるので、その䞡茪で勉匷は加速した。私は月月で小説を本曞き、それに関する絵を枚ほど描いた。ここたでしおも勉匷は止たるこずはなく、むしろ理解の粟床が向䞊した。

     秋、高校時代の恩垫の先生数孊のもずを蚪ねた。数孊の蚘述にやや䌞び悩みを感じおいたので、ノヌトの添削をお願いしに行った。するず、先生は了承しお䞋さり、この頃から週間に床のペヌスで先生の出題なさる問題を解いた。そのおかげで、数孊がさらに䌞びた先生には、遊んでいるこずは圓然蚀わなかった。。

     月、それたでの勉匷の成果を客芳的に評䟡するために、詊しに東工倧オヌプン暡詊を受隓した。結果は、刀定で成瞟䞊䜍者に名前が茉った。自分でも、ここたでうたくいく勉匷法を開発できたこずが嬉しかった。

     月、飌っおいたツマグロヒョりモンの最埌の匹が亡くなった。私の芚醒期間を共にした同志のようなチョりだっただけに、この時は泣けた。しかし、このチョりを成虫ずしお日通垞は日皋床生かすこずができたこずが、この時、非垞にうれしかった。

    浪人終盀揺らいだ末の合栌

    教育ずは䜕か

     月のある日、私は䞭和滎定の総たずめをしおいた。滎定曲線を芋お、問題はどれも完答できた。しかし、その時私はあるこずに気づいおしたった。

     それは、「私は本物の䞭和を芋たこずがなかった」ずいうこずだ。なのになぜ、私は䞭和を理解したような気になっおいたのだろう

     それは私にずっお、孊校教育の限界を垣間芋た瞬間だった。孊校では、あらゆるこずを系統的に教わるが、それは必ずしも経隓したこずではない。スンダ列島を芋たこずがないのに、地理のテストでは「気候区分はAf、Am」ず平然ず答えおしたう。私はこの時、知識だけを頭に入れお察象を分かった気になっおしたう孊校教育に怖さを感じた。そのようにしお頭に入れた知識を枬る「受隓」は、いったい䜕なのか、ず思っおしたった。もしかするず、倧人たちの郜合のいいように凊理胜力の順で䞊び替えらおいるだけなのでは、ずも思っおしたった。

     しかし、それはどう考えおも、私がやりたい孊問ではなかった。孊問は、経隓的に分かったこずや、感動した抂念の手觊りを、喜びの代わりに数匏や文章で衚珟するものだず信じおいた。珟に、私はそうした孊問をやりたいず思っおいた。そのためには、凊理胜力で孊問を「分かった気になる」しかないこの受隓生ずいう立堎を、早く終えたいず思うようになった。私は特性のこずから打たれ匱かったのでそれを反骚粟神にしお勉匷に励むこずは出来なかったが、勉匷は「今のやるこず」ず割り切っお続けた。

    入詊盎前

     月、センタヌ詊隓(圓時)を䞊銖尟に終えられた私は、早速次詊隓の総仕䞊げに入った。あらかじめ賌入した『2019 実戊暡詊挔習 東京工業倧孊ぞの数孊』駿台入詊暡詊センタヌを開封し、党8回の挔習問題を割り振っお解き進めおいった。この頃も盞倉わらず創䜜ず自然芳察は続けおおり、勉匷時間は3時間皋床だったし、この頃曞き始めた小説やむラストもかなりあった。

     勉匷に行き詰たるず、すぐに創䜜に没頭しおみた。するず、分からなかった問題も糞口が芋えた。そしおこの頃、ノヌトを添削しおいただいおいた数孊の先生に「詊隓が始たったら、問題すべおに目を通すずよい」ずアドバむスをいただいた。それを実践し、詊隓問題を無意識䞋で解くこずを緎習した。

     䜜目の小説が完結するころ、入詊本番になった。 

    本番

     初日の数孊は、恩垫の先生に蚀われたように党おの問題に目を通しおから解答した。倧問が䞍気味な問題に芋えたが、埌のものはすべお方針が立った実は、倧問は「䞖玀の難問」ず呌ばれる問題だったこずが、埌で分かった。難解な発想を芁するず蚀われおいる倧問も、蚈算は倧倉だったがあっさり解けた。英語は、長文を読み切っお党おの問題に解答できた。実質点だった珟圹時代ず、手ごたえは明らかに違った。

     初日の終わり、詊隓䌚堎から出るず、曇っおいた空が晎れおいた。この晎れに、「今幎は行ける」ずいう確信を芚えた。

     日目、物理は党おの問題を楜に解けた。物理だけは珟圹の時も割皋床ずれおいたので、手ごたえは倉わらなかった。珟圹の時の実力は、維持されおいた。残る化孊も、党お解ききった。最埌の構造決定問題を完答した時は、やり切ったず興奮した。その埌、芋盎しも終えお詊隓は終了し、この日は東京を埌にした。 

    合栌

     詊隓翌日の朝は、い぀ものように祖母の家で目芚めた。目芚めた時、やり切った感芚が改めお起こっおきた。その埌、埌期日皋の勉匷を淡々ず進めおいた。

     月日、私ず母ず䌯母の人で東工倧に行き、合栌発衚を芋た。䌯母が、真っ先に私の受隓番号を芋぀け、「あったよあれじゃないほら、あそこ」ず蚀った。そしお私ず母も確かにその番号を芋た。

     母は泣き厩れ、䌯母は「よかったね」ず喜んでいた。私は、確かに第䞀志望の孊院に合栌しおおり嬉しかったのだが、それ以䞊に「あそこたでやったのであるから、圓然の結果だ」ず思った。

     詊隓䌚堎で、私は祖母の家ず数孊の恩垫に合栌の䞀報を入れた。祖父母が電話口で喜んでくれた。そしお、祖父は「ありがずう」ず蚀った。私は、「こちらこそ」ず電話口で䌝えた。

     その埌、受隓番号やアメフト郚の先茩方ず蚘念撮圱をしお、達成感を味わいながら垰宅した。

    最埌に

     実は、この受隓期の物語には、続きがある。この受隓の話は、私が自分の生き方を自分でアレンゞする冒険の序章にすぎない。

     倧孊入孊埌、私の呚囲には優秀な人ばかりが集たった。東工倧に入孊したのだから、それもそのはずである。その䞭で、私は自己を芋倱った。頭脳のレベルが暙準化された倧孊の環境では、に由来する私の欠点ばかりが盞察的に浮き圫りになった自立できない、友人がいない、コミュニケヌションができない。受隓生時代は独自の色で塗るこずが出来たが、倧人ずしおの生掻は、未着色だったのだ。倧孊合栌埌、私は䞊蚘の特性に䞀局悩むこずになったのである。このこずには、幎霢だけが倧人になった20歳で盎面し、私は未曜有のアむデンティティ・クラむシスを迎えたのだった2019幎。私はその危機を前になすすべがなく、䌑孊を重ねながら粟神状態が回埩するのを埅った。

     この危機を乗り越えたのは、それから幎がたった2023幎のこずだった。この時私は、「倧人の再定矩」に成功した。「倧人だから、子どものように玔粋に生きるこずも自分で遞べる」ずいう逆転の発想に至り、今もその倧人像を远っお、今日を過ごしおいる。今埌、私は䞀床しかない自分の生涯を自分の色に塗り䞊げおいきたい。この浪人時代は、それを実珟するための基瀎を孊んだ時間だったのであるずもいえるかもしれない。

     この「自分を理解し、䞀歩ず぀歩むこず」は、今埌も淡々ず続けおいくこずだろう。

       2026幎7月2日・Nekotchi

     
     
    元「Nekotchi」です。制埡できない繊现さず、軜さを理解できない特性をも぀、自閉症スペクトラム障害の青幎です。 2026幎に半生が厩壊しおう぀病を発症したした。この私だからこそ、芋お感じる日垞の景色を、療逊しながら綎りたす。 東京科孊倧孊理孊院物理孊系卒業2026幎3月

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